私たちはアジアのことをちっとも知らない。もっと知らなければ

-6th National Theatre Festival
この3月末から4月にかけて2週間、ニューデリーへ行ってきた。目的は第6回インド・ナショナル演劇祭を見ること。インドの国中から、あるいはイラン、スリランカ、パキスタン、タイ、ネパールなどアジアの国々から招かれた75劇団が、おのおの1回公演。したがって1日に4本、多い日には6本というペースで休みなく上演されていくという大きな演劇祭である。


主催はNational School of Drama という大学院大学。そのNSDの、ANURADHA KAPUR教授というエレガントで美しい女性の先生に、プログラムの、これは見たほうがいいという舞台には○を、中でもこれは見逃さないでというものには※をつけてもらい、全公演フリー・パスまでもらって、すぐに観劇開始。演劇祭の後半、ほぼ32本を見ることができた。

劇場は、大学のキャンパス内に実験的な演劇を主とする小劇場と中劇場があり、期間中に野外劇のための仮設舞台もみるみる作られていった。他に大学の、正門からほんの数分のところに大劇場が2つある。4つの劇場の開演時間はそれぞれ午後の3時、5時、7時、9時と決まっていて、1本見ると次の劇場へと移動する。ときどき8時から開演する野外劇もあるから油断はできない。結構忙しい。

どうしてまたわざわざニューデリーまで出向いたかというと、Alice Festival2003 に海外から招いた3劇団のうちの一つ、The Indian Shakespeare Companyの「Love: A Distant Dialogue」が、ただ大道芸人の通じぬ片言英語と身体でロメオとジュリエットみたいな一目惚れとその別れを描いただけなのに、国境ってなーに?といったことまで想いを馳せずにはいられない、素晴らしい舞台だったからである。タイニイアリスの相棒の丹羽が2002年の第4回演劇祭で観てきたのだった。私もそれまで、インドにこんな演劇祭があり、こんな同時代演劇が上演されてるなんて全然知らなかった。

この第6回演劇祭。柳の下に、すぐさま掴まえられる2匹目の泥鰌はいなかった。が、しかし、魅惑的な役者、工夫を凝らした演出に惚れ惚れ眺めたのが2本、もうちょっと何とかすれば、もったいないというのが4~5本あった。キャンパスのベンチで一休み、紅茶を飲んでいると、これ見てくれないかと自薦他薦のCDを持った若い演出家たちが話しかけて来てくれる。日本への関心が強いのだ。残念ながらそのCD見る時間はまだないが、この中にも素敵な舞台が詰まっているにちがいない。

小劇場を中心とした実験的な舞台には、陰に陽に9・11やイラク戦争やイスラエルの攻撃など戦争を踏まえた作品が少なくない。夢の構造を採って日々の生活に抑圧された内面を描こうとする作品も多い。 今!自分が生きているこの時代を表現しようとするその姿勢は、日本の小劇場演劇とまったく同じと言っていい。古典芸能の、なかでも庶民的、開放的な身体の伝統を生かそうとするところが日本の小劇場演劇にはない強みであろうか。

一家50人で1劇団、200年も続いているというS.V.N.M、昼間はココナツ栽培の農業、夜は芝居というコンミューン劇団HOST-O-THEATRE等々、ほかに報告したいことも多いが、紙数がない。私たち日本人は欧米のフェスティバルのことなら結構知っているのに、アジアのことはちっとも知らない。まず♪初めの第一歩」であった。

(西村博子 2004.5.25 「Cut In」6月号掲載)