三条会 『ひかりごけ』

 処女作を超えることは難しく、そこには作家の表現衝動がすべて潜んでいる、というような言説は屡々耳にするところだが、BeSeTo演劇祭の大トリを飾った三条会の『ひかりごけ』はまさにそうした性格を有している。1997年の旗揚 … “三条会 『ひかりごけ』” の続きを読む

 処女作を超えることは難しく、そこには作家の表現衝動がすべて潜んでいる、というような言説は屡々耳にするところだが、BeSeTo演劇祭の大トリを飾った三条会の『ひかりごけ』はまさにそうした性格を有している。1997年の旗揚げ以降も幾本となく公演を打ってきたことを蔑ろするのではない。2001年の利賀演出家コンクール最優秀賞を受賞し、第三者からの評価がまず確定した上で劇壇の表舞台に現れたというその意味において『ひかりごけ』は「処女作」と呼ぶにふさわしく、そこには近来の関美能留の演劇活動を通して感じられた多く魅力の原初形が表れていたと思うからだ。


 「自我」が発見され、「個人」の意識が重要を帯びるようになった「近代」という装置を糧に、三条会という濃密な「集団」と否応なく他者との関わりによって成立する「演劇」を以て、脈々と続く歴史の河に流れる「現在」を検証する。その方法論の根幹には演劇そのものへの問いかけがある。そしてその疑問符は、安くなってしまうのを恐れずに云えば、現代に生きることや、人間性という主題へとそのまま移行する。関美能留のつくりだす舞台は異様である。従来の「演劇」のルールからは大きくかけ離れて見えるのだ。しかし、芸術が常に温故知新と前世代の否定によって生かされてきたとすれば、三条会の描く「演劇」は極めて現在的な創造の一つである。

 近代戯曲の言葉を徹底的に異物として扱い、現代ではあり得ない台詞を云える状態をつくるため実に多彩な趣向が凝らされる。たとえば『ひかりごけ』では「人を食べる」感覚などとてもわからないという立地点から、舞台を学校に設定し、生徒たちはふざけ合いながら『ひかりごけ』を朗読していく。女教師に導かれて本を読み進める内に、生徒は台詞を咀嚼しながら舞台に置かれた机―もう一つ上の劇世界に上り、『ひかりごけ』の住人となる。観客は生徒と一緒になって「教育」されていく。戯曲に実感を伴わせる手段の一つとして、外からの視点をつくりだす劇についての劇という二層構造それ自体は決して珍しいものではなくなったのかも知れないけれど、その特異性で他との圧倒的なレヴェル差を感じさせられるのは、劇中劇にもまた一段、「演劇」への異和が表明されている点である。『ひかりごけ』の劇中で演じられる『ひかりごけ』は果てがない。額縁的な二次元の舞台から三次元へ、そこから先、四次元へと向かう劇時・空間の歪みが、或る種の異様さと映るのかも知れない。つまり演劇そのものが異物であるかのような「反演劇」的な世界を構築する手つきによって、演劇及び舞台を全き他者として扱い、その上で幾度も再生する。演劇に対して愛に溺れない、潔癖に距離をとりながら問いを発しつづける姿勢が、何処までも作品を奥深いものに仕立てていき、結果として底の見えない十二単のような世界が生れる。いわゆる「劇的」というイメージから遠く離れたところに、かくも「劇的」なものがある。愛するが故に、愛する為に憎み、その憎しみの裏側にこそ真の愛が見えるようにである。それだけの複雑にもかかわらず、すべて偉大なものは単純であるという箴言のように、そこで行われていることはひたむきなまでの王道である。技法が芸術家の思想を示すとすれば、関美能留という才能が演劇を選んだその時点で彼の思想哲学がそっくりそのまま「演劇」において表現されることはすでに決っていたのだ。

 彼は広義で「作家」であり、集団を束ねる「組織者」であり、同時に「教育者」でもある。個人の主宰する劇団においては演出家による俳優教育というものが絶対不可欠だと思われるし、制度として演劇教育の場がない日本では「たまたまそばにいた人」と演劇の現場をつくっていかなければならない。また俳優芸術としての演劇のかたちを考えてもである。舞台に閃く俳優の力量は創造が持続し行われる集団という場の価値に他ならない。何よりも「演出家」である関美能留が指揮棒を振る爰ではおそらくは正しく個人が「個人」として在り、だからこそその集合が「集団」として一つの有機体になり得るのではないだろうか。

 現代の日本という命題を示しながら、いわゆる日本的なモノは可視物としては一切用いられない。「~的」と括弧で綴じられるような様式の真似事もない。にもかかわらずどうして日本の演劇の伝統を消化した上で特異な関節に昇華できるのか。「心ノ中ノ日本」を眼に見える、耳に聞えるように演劇として立ち上げる作業は、ともすれば自閉的になりかねない。しかし、三条会の舞台では俳優の身体も、戯曲の言葉も、絶えず外に向って開かれているのである。四角四方の舞台を飛び出し、客席をも包み込んだ挙げ句にさらに遠くへまでその振幅は広がっていく。『ひかりごけ』の非常にミニマルなところから発信された宇宙的スケールは、衝撃とともに何処までもわたしたちの記憶に残っていくような気がしてならない。(後藤隆基/2004.11.25)

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