南船北馬一団「にんげんかんたん」

 昨年夏から続いてきたアリスフェスティバルのしんがりは、大阪を拠点に活動している南船北馬一団の 「にんげんかんたん」公演だった(2月4-6日)。旗揚げ公演「よりみちより」で96年スペースゼロ演劇賞大賞を受賞。2002年4 … “南船北馬一団「にんげんかんたん」” の続きを読む

 昨年夏から続いてきたアリスフェスティバルのしんがりは、大阪を拠点に活動している南船北馬一団の 「にんげんかんたん」公演だった(2月4-6日)。旗揚げ公演「よりみちより」で96年スペースゼロ演劇賞大賞を受賞。2002年4月上演した「帰りたいうちに」で、第7回劇作家協会新人戯曲賞大賞を受賞するなど、活動の幅を広げている実力派劇団。新境地に挑む新作について、青木理恵さんからレビューをいただきました。


◎時の止まった街から、動き出した今へ 「無意味」の「意味」の追求を

幻想に逃避する、その意味を考える。
あなたはどこから逃げたいの?

ひろ子という名の女性と、その姉が共に歩いている。
知らない街なのか、知っている街なのか。それは明かされるわけではなく、
ただ二人がいる街、である。

ある時はパン屋、またある時は喫茶店、そして酒屋と街中を流れる。
乗り損ねてしまったバスの待ち時間を埋めるように繋ぎ合わせられる時間は、
手からするすると零れ落ちていくような、ある種の無意味さを含む。

そしていつの間にか姉は妹の前からいなくなる。
慌てて追いかけていく妹。
街中を探し回り、やっと見つけ出した姉から発せられたのは、
「私はあなたよ」
という言葉だった。
姉は現実から逃げまどうひろ子自身の姿だったのである。

時の止まった街から、動き出した今へ。
逃げ続けていたかった自分を見つけ、前へ進めと。
ひろ子が夢から覚めて、この作品は終わる。

作品を通して伝えたい想いが、明白であればあるほど、
「余剰さ」の扱い方には細心の注意が必要だ。
正直この作品には、無駄が多いという印象が残った。
繰り返される機械的な肉体の動きや、前に進まない台詞の存在価値が
作品に対して、あまりにも薄かったのである。

この作品は、物語を突き詰めれば多分、一時間もかからずに終わってしまう。
ともすれば、ありがちと言われてしまう内容だ。
きついことを言えば、高校演劇的な青いテーマなのだ。
自分自身が高校演劇の経験者なので、「見覚えがあるな・・・」という実感が強くある。

しかし、それをあえて表現し、作品として二時間弱の大きさへと膨らませていくためには、
「自己と向き合うことの難しさ」という作品自身の持つテーマと、
作者は嫌というほど向き合わなければならない。
でなければテーマは上滑りし、
観客の心の中に「可愛らしさすら覚える若さ」しか残らなくなってしまう。

また、作品の中に「無意味」な瞬間を含むのであれば、
「無意味」であることの「意味」を追求しなければならない。
そうでなければ、「無意味」な部分はただの時間稼ぎにしか見えないのだ。

役者たちは良かった。
それぞれの声が印象的な上に、
「間」が作りこまれていて、流れはよくできていた。
完成度が低いわけではないのだ。
なので問題は、やはり作品自体の描き方ということになる。

この南船北馬一団という劇団は、今回の「にんげんかんたん」から
新しい表現を模索し始めている、と伺った。
これまでの公演内容と今回は、随分変化しているそうだ。

ならばぜひ、これまでの作品も見たいと思った。
その上で改めて今回の作品を見つめ直すと、
私の中にまた異なる意見が生まれてくるかもしれない。
十分に可能性は秘めている劇団なので、今後の発展を願っている。
(青木理恵 2005.2.14)

[上演記録]
南船北馬一団 「にんげんかんたん」

★作・演出:棚瀬美幸
★出演:藤岡悠子,末廣一光,菅本城支, 小崎泰嗣(発声ムジカ), 黒田恵(劇団潮流), 河村都, 経塚よしひろ, 後藤麻友, 白野景子, 長瀬良嗣, 山本雅恵
★舞台美術:柴田隆弘
★照明:森正晃
★音響:大西博樹
★舞台監督:中村貴彦
★チラシデザイン:米澤知子
★制作協力:石垣佐登子, 谷弘恵
★制作:南船北馬一団

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「南船北馬一団「にんげんかんたん」」への3件のフィードバック

  1. 「にんげんかんたん」、簡単と邯鄲をかけているのかなと思いながら
    観ていました。
    あー今日は休みたいというに(ん)げ(ん)か(ん)た(ん)→安易で簡単
    旅をして夢を見る話・「一回りして戻ってくる」バス→邯鄲

    装置に描かれたぼたぼた落ち続ける葉っぱが象徴するように、
    落っこちたり停滞しそうになると誰かが拾うという繋がり方
    (話の展開と台詞のやりとりがそのように繋がっていたと思います)を
    描きたかったのかもしれない、というのが個人的な感想です。

    鴛鴦ならぬ押し取りパン屋のやりとりからは、
    copain(パンを分け合う=仏語で「仲間」の意)を連想して、
    宗教的な主題もあるのかなと一瞬考えたのですが、
    結局パンは押し取りあってだめになってしまう落ちとか、
    「黒と白がぶつかると赤いものが流れる」とか、
    「バスは時間を、郵便は距離を飛び越える」とか、ちょっと言葉の
    根っこが普通すぎるというか、流れてしまったように思います。

    一緒に観た方が、姉妹を森で迷わせたらどうかと思ったという話を
    なさっていて、私もそこから、老若男女・古今東西を問わない
    逃げ場の定番といえば、W.C.かなあ、と想像しました。

  2. シモオヌさん、おひさしぶりです。なるほど興味深いご指摘です。「かんたん」(邯鄲)の読解には思いがおよびませんでした。なるほど、なるほど。
    見にいらっしゃったのなら、ぜひレビューをお願いします。

  3. はじめまして。
    物事の拾い方一つで、こんなにも見えてくる世界が違うのだなぁと感動しておりました。
    興味深く読ませていただきました。

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