芸術創造館プロデュース「背くらべ」

奥に二段ベッド。舞台ばなに玄関によくみかける帽子やコートをかけるスタンド。やがてひとりの女性が、ネグリジェというかパジャマというか寝姿で出てきて、ぼんやりスタンドのもとに座り込む。と、奥で人の気配。女性は急いでベッドの上 … “芸術創造館プロデュース「背くらべ」” の続きを読む

奥に二段ベッド。舞台ばなに玄関によくみかける帽子やコートをかけるスタンド。やがてひとりの女性が、ネグリジェというかパジャマというか寝姿で出てきて、ぼんやりスタンドのもとに座り込む。と、奥で人の気配。女性は急いでベッドの上段にもぐりこんで寝たふり。男性が入ってきて少し歩きまわってからベッドに背をもたせ、煙草に火をつけようとする……とたんに煙草は止めて! 私はてっきり深夜に帰った夫と待ちかねた妻と思い込んで二人の諍いを見ていった。が、かなり経ってから男性が女性のことをお姉ちゃんと呼び出すので、えッ!


 そう。これは基本的には80年代後半に起こって90年代に隆盛を誇った、いわゆる“静かな劇”あるいは“人間関係の劇”。何か劇的な出来事が起こったり人が相手に行動的に働きかけて発見をするといった“ドラマ”ではなく、あちこちに散りばめられている台詞に気をつけていると次第に相互の関係が見るものに解ってくる、未知が既知になってくるという仕組みの芝居であった。

 が、じゃ旧態依然の“静かな劇”だったか。というと、そうではなく、しばらくすると姉は手ぬぐいかぶった祖母?になり二つ折りの座布団腹に押し込んで妊娠した母になり麦藁帽子かぶった幼児になり、それに応じて弟もまた(祖父?か)父になり幼子になり、ときに二人は男女入れ替わって姉が金ボタンの中学生となり、弟がセーラー服の少女になったりさえする。そう、これは役者がいかに他に成り変わるか、成り変わりうるか、役者の背くらべ、ではない腕前くらべのための劇でもあった。観客はただ二人の演技を楽しめばいい。

世界の他はおろか、すぐ身近の他に対してさえほんとの関心が持てない現代において、後ろ向きに小声で話す台詞にさえ耳をそばだて関係を探らなければならない“静かな劇”なんてもはや有効ではないと感じはじめた幾人もの創り手たちが、静かな劇とみせかけて単なる静かな劇では終わらない方法をいま盛んに追求しはじめたように思われるが、この「背くらべ」の岩崎正裕(作・演出。劇団大阪太陽族)も確実にその旗手の一人だったと言えよう。

 そしてこの作品を“静かな劇”のふりした役者の腕比べ、芸くらべとして見てみると、中川浩三(弟)もみなみさゆり(姉)も観客をときに笑わせときにしんみりさせ、申し分なくよく演った。40歳になるとパンフにあった弟が、半ズボン姿で地べたを転げ駄々をこねたりするのも面白く、二人の台詞も、下手が当たり前の小劇場演劇では珍しいほどにうまい。昔の、姉弟仲良しがよく伝わってくる。二人の男女が入れ替わるのはお互いの立場に立ってみようとしたからか? 遊びの「ごっこ」でいいからもう少し必然があったらと惜しまれたのと、ときどき姉が喚くところ、(ふつうの台詞は声にも独特の魅力あってよく解るのに)音だけ聞こえて何を言ってるのか判らないということさえなければ満点だろう。あれは喉の奥で音を共鳴させ外へ出さないせいだろうか。

  ……普通ならここでペンをおくべきである。が、長年洗濯屋をしてきた父親がアイロンがけの最中に倒れて救急車。今にも危篤の知らせが来るかも?の実家に、久しぶりに大阪から1時間半かけて帰ってきた弟。それが売れない?俳優(芝居では映画俳優)で、役を貰うには下げたくもない頭も下げなければ……といった台詞を聞いたとき、ふっと作・演出の岩崎正裕のことを想ってしまったからいけない。芝居は冒頭、吸ってはだめと言われた煙草、最後に1本だけと許されてライターを灯し、それがふっと消されて終わったが、岩崎さんの父上はいまなお健在だろうか。好きな道に進むと言ったら父にもう金はやらないと言われ、母にそっともらったと芝居にあったが、あれはまるで作り話? カーテンコールのあとかなり唐突に♪われは湖の子、白波の~」と坂本九の♪見上げてごらん夜の星を」が聞こえてきたが、あれはまさか? 琵琶湖周航の歌にはたしか岩崎さんの故郷鈴鹿は入ってなかったはずだが?……。

だから仕方がない。舌足らずの大急ぎで聞くだけ聞いておきたい。(1)姉は弟に、役者をやめて洗濯屋を継げ、私が家に居ては帰りにくいだろうから嫁に行くと言った。手相見てあげようのグループに接近し、実際に路上で声かけたこともあるとも言った。が、そう言っただけでは嘘かほんとか見るものには判らない。二人は終わりに二段ベッドの柱に背の丈を測りっこしていた。姉はどう生きようとしているのか、弟と生き方くらべはしないのだろうか。 (2)パンフの表紙に父と姉と弟、3人の写真があり、もともとは弟と父との、あるいは姉弟と父との、懐かしい昔を彷彿とさせようとした芝居であった可能性が高い。しかしその父は、最初のほうの二段ベッドの上、なんだか気難しそうだった寝言(あれは祖父?)と、母に乗った父の行為を盗み見てしまった挿話と、真夏の我慢大会優勝と、せいぜいそれぐらいであった。これで作者は十分だった?

もしも、と思った。もう少し弟の創る喜びと経済のことも含めて生きることの辛さ、厳しさが――あの、たった一度撮影時の心持を話すだけでなく――芸くらべのなかで伝わってきたら。もう少し反抗した彼の、今死のうとする父への想いが伝わってきたら……と。姉に吹き消してと言いながら、煙草の火を消したのは弟だったから。

今度が三演とか。いま一度の加筆、不要の削除によって四演、五演。親に背いて芝居の道に走ってしまった若い役者たちからも上演希望が殺到し……帰りの想像は膨らんでいった。  (2005.03.20 東京芸術劇場小ホール)

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