劇団乞局「耽餌(たぬび)」

 不気味な世界観と丁寧な演出などで評価の高い劇団「乞局」(コツボネ)の第8回公演「耽餌(たぬび)」が6月9日から12日まで王子小劇場で開かれました。同劇場が主催する「2004年佐藤佐吉賞」で最優秀作品賞(「汚い月 『陰漏 … “劇団乞局「耽餌(たぬび)」” の続きを読む

 不気味な世界観と丁寧な演出などで評価の高い劇団「乞局」(コツボネ)の第8回公演「耽餌(たぬび)」が6月9日から12日まで王子小劇場で開かれました。同劇場が主催する「2004年佐藤佐吉賞」で最優秀作品賞(「汚い月 『陰漏』改訂現代版」)を受賞したこともあって、期待の舞台でした。


 劇団Webサイトによると、乞局の舞台は「何処かしら欠けた登場人物たちが救いようのないすれ違いを織り成し、不幸な結末へと静かに進んでいく」(プロフィール)と書かれています。確かにこの公演に登場する人物はどこかが「欠けている」ように見受けられます。

 産院で赤ちゃんの首を絞めた過去を持つ不妊の看護婦が刑期を終えて出所、ある安アパートに入居するところから舞台が始まります。犯罪の再犯防止と更正などに協力する「付き人」はゲイだと言い、赤ちゃんを殺された若夫婦が出所を知って付きまとったり、自分をナイフで刺したことのある不登校の中学女生徒にアパートで勉強を教える女教師がいたり、元夫婦でありながら同じアパートに住んで性的関係もあるタクシー運転手の男女も登場したりと、歪んだ人間関係や裏のある性格が描かれます。ちょっと訳ありのアパートの調理人ととんちんかんな見習い(?)も芝居の欠かせない要素なのかもしれません。「欠け方」はさまざまですが、人物配置と性格描写は手筋に適っています。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「表面的には平穏な日常が紡がれているようでいて、でも背後はしっかりと崩壊している。そんな裏と表を抱えている、まさに『欠けた』人たちが織り成すアットホームな日常」を、京極夏彦の小説世界になぞらえます。「漠然とした恐怖がジワジワと積み重ねられていく」特有の雰囲気ですね。特に乞局は「欠けた非日常によって、補完された日常を想起させる」とみた上で「観客は、そのギャップの部分に『気味の悪さ』を感じ、救われないエンディングに『後味の悪さ』というコメントをつける」と述べています。京極ワールドとの対比は鋭いですね。

確かに、エグイ終わり方だったのですが・・・きっとそれだから「後味が悪い」のではなく、結局のところエピローグが無いからで、日常へと引き戻されないから観客はそう感じるのではないだろうか。
残酷な結末に明確な言葉を与えて日常の一部に昇華させない手法、誰もが答えを求めていて答えを与えられる事に慣れている時代の中で、実のところ後味の悪いものが日常に埋もれている・・・そういう答えの無いことに答えを与えないことの価値を与えているものかもしれない。

 「答えを与えないことの価値」に意味を見いだしている吉俊さんとは別に、物語の組み立て面や完成度からみると、また違った道筋が見えてくるようです。
 乞局を「贔屓の劇団」という「おはしょり稽古」サイトのあめぇばさんは、「褒め言葉ばかり考えながら開演を待っていたから、終演後は少しの間唖然としてしまった」「個人的には大変期待外れだった」と書いています。その後も「本作品では粘ついた会話が醗酵しない。いつ醗酵するのかなと思って観ていたら、くしゃっと崩れて終わってしまった。個人的な予測だが、題材を盛り込みすぎて半端に完結してしまい、書き直すに書き直せなくなってしまったのではないだろうか」と推測を交えつつ残念がっています。

 ぼくが見たのは10日(金)の公演です。初めての「乞局」体験なので過去の舞台との比較はできませんが、意外に垢抜けた印象を受けました。不気味さをよい意味で手堅く仕立てた舞台と言い換えてもいいと思います。演出が手堅いだけに、物語の組み立てに構造的な不具合が見え、なにか手違いがあったのではないか思われます。

 物語の隠れたモチーフは、人間の肉体や骨格の手応え、血と粘液の手触りだと思われます。首に手をかけたときの「ポキッと音がした感触」「思い出すたびに心が踊った踊った」という「人に言うわけにいかない」感覚が不気味さの源泉になっています。この穴場に観客をどう引きずり込むかが腕の見せ所でした。

 同じアパートに住む人たちの群像劇のようにみえながら、最後には些細な仕草を周到な伏線に変え、一挙に全編を集約するラストシーンが用意されるのではないかと思わせる進行でした。しかし元看護婦の最後の行動で、その暗闇に収斂される登場人物は半分もいません。残りはただ周りを取り囲む一員の役回りとなって、結末からこぼれ落ちているように思えました。

 これとも関係しますが、やはりストーリーの構造的な問題に触れないわけにはいきません。この芝居は、出所する元看護婦に「付き人」が伴うという設定でした。再犯防止と更正、さらには被害者の復讐防止のためだとプログラムに書かれています。しかしその存在が、劇全体を動かすキーパーソンの役割だとは最後まで思えませんでした。またゲイだから女性と同居して構わないという設定は、ゲイの実体を誤解しているか、でなければ偏見の影をまとっていると言われかねません。また付き人とは関係なく、ほかのカップルらが別々に動いていて、結末で束ねられるような印象も受けませんでした。

 もう一つ、プログラムでは、鳴き石という石塚のようなものを舞台上に配置しています。みんながツバを引っかける対象として存在していたことは分かりますが、物語にどう絡んでいたのか明瞭でありません。石の傍らで惨劇が起きるにしても、その場所が必然であるとも思えません。プログラムにわざわざ解説まで掲載された「付き人制度」と「鳴き石の伝承」が、プロット進行の捨て石になっているような印象を残しました。

 乞局のこれまでの公演をみて「演技も演出も洗練されてきた分、魅力が薄れてきた」という意見も耳にしました。確かに不快感を呼び覚ますほどの気味悪さが、ある種の稚拙な演技と演出によって醸し出されるかもしれません。しかしそれは一回性のパプニングに過ぎないでしょう。次のステップに踏み出してしまったのですから、後味の悪いドロドロした感触を、緻密な演出と練り上げた演技で具体化していく以外に道はあせません。

 京極ワールドになぞらえるわけではありませんが、これからは物語が決定的に重要になってくるはずです。骨格がしっかりすれば、血も肉もたわわに育ち、粘膜も粘液も発酵するほど滲み出ます。そうなってこそ、おぞましいほど後味の悪い収穫が期待できるのではないでしょうか。後味の悪さやおそましい結末の意味と意義の考察は、そのときまで待ちたいと思います。

[上演記録]
劇団乞局 第8回公演「耽餌」(たぬび)王子小劇場提携公演
2005年6月9日-12日

【脚本・演出】下西啓正
【出  演】役者紹介
秋吉 孝倫
田中 則生
下西 啓正
三橋 良平
石井  汐
酒井  純
古川 祐子

安藤 裕康
佐野 陽一
吉田 海輝
五十嵐 操
加藤めぐみ(零式)
松岡 洋子(風琴工房)

【スタッフ】
舞台美術
:丸子橋土木店(綱島支店)
照明
:椛嶋善文
照明操作
:谷垣敦子
音響効果
:木村尚敬
:平井隆史(末広寿司)
舞台監督
:谷澤拓巳
衣装
:中西瑞美
宣伝美術
:石井淳子
WEB管理
:柴田洋佑(劇団リキマルサンシャイン)
制作
:阿部昭義
:尾形聡子
制作協力
:玉山 悟
:石原美加子
:林田真(Sky Theater PROJECT)
協力
:田村雄介
:(有)エム・イー・シー
:岡崎修治・勉子
:古藤雄己(創像工房 in front of.)
:飯田かほり(蜷局美人)

製作
:乞(コツボネ)局

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「劇団乞局「耽餌(たぬび)」」への1件のフィードバック

  1. 乞局『耽餌』

    王子小劇場に乞局(こつぼね)の第八回公演「耽餌(たぬび)」を鑑賞しに行ってまいりました。 こちらの劇団は、前作品が佐藤佐吉演劇祭で最優秀作品賞を獲得するなど、新興勢力として注目中だったこともあって、今回の鑑賞となりました。 劇団プロフィールには「何処かし…

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