ク・ナウカ / ク・ナウカで夢幻能な「オセロー」

 ク・ナウカの「オセロー」公演は、東京国立博物館の日本庭園に特設された屋外舞台で開かれました(11月1日-13日)。シェークスピアの原作を夢幻能に仕立てた碩学平川祐弘東大名誉教授の台本を採用し、話者(スピーカー)と動者( … “ク・ナウカ / ク・ナウカで夢幻能な「オセロー」” の続きを読む

 ク・ナウカの「オセロー」公演は、東京国立博物館の日本庭園に特設された屋外舞台で開かれました(11月1日-13日)。シェークスピアの原作を夢幻能に仕立てた碩学平川祐弘東大名誉教授の台本を採用し、話者(スピーカー)と動者(ムーバー)を分ける「2人1役」だけでなく、動者もせりふを話し、話者も動き出すという珍しい公演でした。


 「オセロー」を能形式で取り上げることについて、演出の宮城聡さんは読売新聞の記事(2005年10月26日)でも簡単に触れていますが、特設webサイトのなかで次のように語っています。

(原作では)デズデモーナというヒロインがまるで看板に書かれた絵のような、変化しない美しいものとして書かれていて(略)あくまでも男から見たマドンナのような、デズデモーナの造形そのものに巨大な弱点があるように思えた」「しかし複式夢幻能形式の『オセロー』の場合はデズデモーナがシテになっていまして、殺されたデズデモーナの魂魄が、前ジテではサイプラスの娘のなりで出て来て、旅の僧侶と話していると、やがて正体を現し、後ジテではデズデモーナとして登場するという構成で、(略)芝居の最大の弱みが最大の強みに変わって、急に僕にとっては面白い戯曲に思えてきた」(演出家は語る)。

 さて、観客の受け止め方はどうだったのでしょうか。ネット上からいくつかピックアップしてみます。

「遥か昔の異国の物語を能として演じるのが趣向ならば、それをライトアップした日本庭園を借景にした舞台にのせるのもなかなかの趣向。秋の夜風に乗って時折伝わってくる街のざわめきもいっそ乙である。(略)シテの美加理が讒言によって殺された悔しさを見せてグッド。ラスト近くの白い手と黒い手の絡みの辺りは特に見せる。囃子方もポップでいい感じだ。全体として大いに楽しめる刺激的な舞台だった」(Club Silencio

今回、「ムーバー」の美加理さん達が「声」を発していましたが、全ての台詞を語る(謡う)のではなく、スピーカーの方と受け渡すことにより、「声」「ことば」があたかも憑依する魂の如く感じられました。また、間狂言での「面」と「スピーカー」の関係がいつもの「ムーバー」と「スピーカー」の関係ではないか、とも。
ただ、そうした「形」は私にとっては要素のひとつに過ぎず、ただそこにいて、観ていて、面白かったか、楽しめたか感動出来たかが最も重要なことでした。(特設webサイト「観劇ノート」から)

「白と黒の対比に象徴されるように、対称性が劇中の至る所に現れる。デズデモーナの最初登場は里の女(生者)であり、後の場面では亡霊の姿だった。仮面を着けて登場したオセローは、後に直面(素顔)で現れる。オセローとデズデモーナに訪れる、輝くような生と闇のような死。二人一役を使うク・ナウカと使わないク・ナウカ。これらの効果は、発見する愉しみをもたらし、理解の助けにもなっていた。」(未知という名の演劇「二人一役のク・ナウカから二人一役〝も〟のク・ナウカへ。」)

「照明で浮かび上がった池と庭園がなんともかっこよい。(略)結果的にはやはり能っぽい部分はあまりよくなくて、ク・ナウカスタイルのところは素晴らしかった」(博愛は主義じゃあない

「やはり何かが引っ掛かったままスッキリしない。。。
どうも演出家が企んだ仕掛けに、効き目がないもどかしさを感じてるのかも知れない。
仕掛けには効果が狙われてるだろう。
どうも、それは理屈な計算で、現実的でないのかも知れない。
能舞台であるから情動の表出は殺がれてるだろう。
シノプスの、毎シークエンスの遮蔽の妙味を演劇とするなら、今回は小状況を注視したベタな舞台だったかも知れない。
それは、日本の小劇団の得意とする「豪華絢爛な貧乏芝居」だろうか。」(Personal_NewsN「ク・ナウカ演劇にカタルシスはない」)

 宮城演出で核となったのはデズデモーナの存在でした。死んでも死にきれない恨みを残して事件を語るシテの役どころです。シェークスピアの世界を能に移し替えた平川脚本を手にして初めて、「オセロー」上演に踏み切れたというのですから、ここが勘所といえるでしょう。

 能舞台は必ず眠くなるという「しのぶの演劇レビュー」さんは「今回もやはり、でした」と述べた後、「美加里さん演じるデズデモーナは美しいのですが、幽霊だからなのか、心があまり伝わってきませんでした。特にクライマックスはデズデモーナの独壇場なので、あそこで眠くなったのは残念でしたね。自分の首を絞めたオセローを自らが演じて、その手から彼の純愛を感じ取って、成仏したのかなぁ、と。簡単ですがそのように受け取りました」と書いています。

 もう1人、この点を正面から論じているのが「漂泊する思考空間」のsosu さんです。能形式の解説から始まり、「死」を「舞台」に持ち込む方法論や演技論を、鈴木忠志、内田樹らを手がかりに述べつつ、最後に次のように結論づけています。

結局のところ、デズデモーナがヴィヴィッドに「存在する」のは、きわめて幽霊的に、なのだ。そして、デズデモーナは自分で自分のことばを語るだけであり、巡礼者(ワキ)は祈りを捧げ成仏を祈願するだけである。(このことはそっくりそのまま、演出家-観衆という関係に置き換えることもできる。演出家という幽霊-時として何を考えてるのかわからない!-を観客は成仏させようと祈るのである。)幽霊のことばを代弁する者は、誰であろうと「虚名」にすぎない。
かくして、デズデモーナは本日のところ、成仏したが、いつ再び現れるかわからないのである。幽霊とはそういうものだ。そのことを演出家の宮城さんは次のように書いた。「ク・ナウカが磨き上げてきた「話者」と「動者」の手法、そして俳優たちによる強靭なパーカッション。能のテクニックではなく、現代に生まれたク・ナウカの方法によって、この一夜の芝居は立ち会う人々の網膜に消しがたい残像を刻むことでしょう」と。日本庭園の残響は「幽霊」として一生、ぼくたちに付きまとうのである。

 さて、こうやって引用し続けている本人はどうなのだと、自分でもいぶかしく思いますが、それはひとまず置いて、豊島区とアートネットワーク・ジャパン共催の「稽古場体験講座」(文化ボランティア育成講座)にふれたいと思います。

 この講座は「オセロー」公演を取り上げ、稽古見学、本公演、さらに観劇後の交流会(11月12日)というメニューでした。稽古見学説明会や交流会には宮城さんが出席して率直に自分の考えを語りました。 2人1役に至るきっかけなどもおもしろいかったのですが、交流会でこの舞台にふれ「以前なら見逃さなかったような個所がいくつもある。とてもゆるくできあがった舞台です」と語ったことが強く印象に残りました。ぼくはどこがゆるいかちっとも分かりませんでしたが、宮城さんが率直に胸の内を話していることは明らかでした。発言をもう少し紹介しましょう。

 これまで話者と動者のセット化、発声や動きの演技体系など、様式美にこだわって厳格に作り上げてきたのがク・ナウカの方法論だとすると、それは「ものごとを切りつめて勝負するやり方。変わらない美や価値観を舞台に実現しようと進むやり方だった。それで国内はもちろん国際的にも評価されてきたのですが、それでいいのかといま少し考え出した」というのです。宮城さんは「枕草子」の例を挙げながら「『小さきものがかわいい』という感覚、変わるもの、消えるものの中に大切なものがある。それが大事なのではないか」と言葉を選びながら語っていました。「いままで男の価値観で演劇を考え、作ってきたのかもしれない」とも言います。「方法論が揺らぐのはよくない。それは分かっている。特に舞台をゆるくしたら、国際的な場では厳しい」とも漏らしていました。

 そこまで聞いてしまうと、従来通りの方法論に依拠した「山の巨人たち」(ルイジ・ピランデルロ作)の舞台を批判する形で、「作家を探す六人の登場人物」が乱入した公演(2005年2-3月、下北沢・ザ・スズナリ)も複雑で分かりにくい構成をとっていますが、懐疑と揺らぎの象徴めいて見えてくるから不思議です。深読み、気の迷い、あるいは変化変容の前触れ…。これから続く一連の舞台にその回答が出てきそうです。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

[上演記録]
ク・ナウカ / ク・ナウカで夢幻能な「オセロー
東京国立博物館 日本庭園 特設能舞台
2005年11月1日-13日

原作/W・シェイクスピア
謡曲台本/平川祐弘
間狂言/小田島雄志訳「オセロー」による
演出/宮城聰

出演:
美加理・阿部一徳・吉植荘一郎・中野真希・大高浩一
寺内亜矢子・本多麻紀・片岡佐知子・鈴木陽代
加藤幸夫・たきいみき・大道無門優也・布施安寿香
池田真紀子・杉山夏美・高澤理恵

スタッフ:
演出: 宮城聰
照明: 沢田祐二
空間設計: 田中友章
衣裳: 高橋佳代
演奏構成: 棚川寛子
音響: AZTEC(水村良、千田友美恵)
ヘアメイク: 梶田京子
舞台監督: 小谷武
宣伝美術: 青木祐輔
WEBデザイン: 井上竜介
制作: 大石多佳子

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「ク・ナウカ / ク・ナウカで夢幻能な「オセロー」」への2件のフィードバック

  1. ク・ナウカ『ク・ナウカで夢幻能な「オセロー」』11/01-13東京国立博物館 日本庭園 特設能舞台

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