青年団「砂と兵隊」

 「砂と兵隊」(平田オリザ作・演出)はこれまでの平田作品と比べてかなり異なった印象を与えます。嘘くささを嫌ってきた舞台は今回、場違いな会話や行動を散りばめ、不釣り合いな光景をいたるところに配置しているからです。「不条理感 … “青年団「砂と兵隊」” の続きを読む

 「砂と兵隊」(平田オリザ作・演出)はこれまでの平田作品と比べてかなり異なった印象を与えます。嘘くささを嫌ってきた舞台は今回、場違いな会話や行動を散りばめ、不釣り合いな光景をいたるところに配置しているからです。「不条理感満載」(休むに似たり。)という指摘が皮肉に響くほどでした。


 舞台は砂漠。大量の砂がシートでくるまれて、客席にこぼれそうになるほど広がっています。匍匐前進する兵士たち、新婚旅行のカップル、失踪した母を捜す家族、軍隊にいるはずの夫を訪ねてくる謎の女、それにゲリラとおぼしき敵兵の男女らが現れては消えていきます。休憩中に兵隊が交わす世間話に緊張感はありません。熱々の新婚さんの会話、娘3人と父親のやりとりも日常レベル。いつもの平田モードです。

 個々の登場人物やそれぞれの会話を取り上げると「日常」なのですが、兵士のいる砂漠という設定にそれぞれが隣接して配置されると、妙にちぐはぐな印象を与えます。完全武装で匍匐前進する兵士の傍らを、ほかの登場人物は軽装でオアシス目指して歩きます。砂漠のど真ん中だというのに、新婚さんが大型の旅行用スーツケースを持って歩くのもヘンですよね。謎の女はワンピースに日傘を手にしたり、ぼくの記憶では確か着物姿でも現れたような気がします。いずれにしろ場違いな格好であることは間違いありません。

 敵兵だけが何度か上手から下手に進む(退く?)のですが、残りの登場人物は下手から現れて上手に姿を消し、何度もこれを繰り返します。迂回路のない砂漠で、追い越しがあるというのも飲み込みにくい話ではないでしょうか。

 もちろんだらだら状態に終始するわけではなく、ときに誰何(すいか)とホールドアップがあり、新婚の男性はゲリラに撃たれるという事件も起きます。それでも目的地にたどり着くのではなく、時折微妙な揺れを見せながらも行軍は続き、人々は歩き続けます。

 この作品はオーソドックスに言えば、そういうちぐはぐで場違いな風景を描いた芝居なのだという見方が可能です。「戦下の砂漠の風景と彼らの姿はあまりにも違和感を持ってそこにいる、皆が皆、緊張感とか真剣さを持ち合わせていなくて、何となくそこにいるのだ。この違和感こそが、この作品を今現在の日本のスタンスを表象している」(「デジログからあなろぐ」)という見方にはそれなりに根拠があると思います。

 土埃が舞って血なまぐさいのに、無機質で乾いた砂の世界。敵に何年も遭遇したことがないのに、「戦闘」命令ではなく、ひたすら「行軍」命令に従って進み続ける部隊。兵士たちの間でも母の再婚話と夕食の話題が交わされるほどありきたりの空間。なのに人殺しも盗みも起きる砂漠。そこに日本人が無防備に降り立つと、確かに場違いというか、違和感だけが際だちます。日本的平穏空間がいきなり紛争地に現れるのですから。おそらく世界各地に見られる光景なのかもしれません。不条理というより、それが現実に起きていることを舞台は「表現」しているのでしょう。

 こういう現実が飽きもせず各地で繰り返されていることは、登場人物が繰り返しの儀式を終演後も続けることに重ね合わせることができるでしょう。演劇誌「悲劇喜劇」(早川書房、2005年12月号)に掲載された「砂と兵隊」の台本によると、末尾は「すべての観客が退出するまでこれ(兵士らの登場と退出)が繰り返される」となっています。

 「いま、ここ」の微細な会話から、周囲の状況や遠くて近い光景を浮き彫りにしてきた平田の手法は基本的に変わっていません。しかし舞台に積まれた大量の砂の存在感があまりに直接的で、浮かび上がるはずの遠景がかき消されているように思えます。「現場」が舞台に露出しているのです。ちぐはぐな登場人物の振る舞いも「浮き彫り」効果を減殺しているに思えました。

 この直接性が顕わになった舞台をみて、作者の微かないらだちが砂埃のように舞っているのではないかとも感じられました。切り取ろうとした現実と迂回してしか描けない作品の埋めがたい隔たり、その位相の違いをワープしたいという覆しがたい思い、と言い換えてもよさそうです。あるいはその思いが従来手法の臨界に達することを察知した微かな転調なのかもしれません。

 昨年上演した「忠臣蔵OL編」や「ヤルタ会談」(今春も公演予定)は歴史上の事件を扱いながら妙に生々しく、パロディーにしてはグロテスクな地肌がのぞけるようなステージでした。ぼくは平田流の茶目っ気かと思っていたらとんでもない。この2作を掲げてアメリカ公演に出かけるというではないですか。かなり本気なのです。
 そうであれば「ここのところの平田さんの作品は(中略)『静かな啓蒙』というような感じがする」(「優柔不断なブログ」)という指摘は、かなり現実味を帯びているような気がしました。「静かな啓蒙」とは、「思い」が「表現」からあふれそうになっている地点を指しているからです。この舞台の地熱は高く、内圧は意外に強そうです。変化の予兆なのか、それとも一時的な現象なのでしょうか。
(2006.2.20 一部追加修正)

[関連ページ]
休むに似たり。
優柔不断なブログ
ほぼ観劇日記
デジログからあなろぐ
舞台芸術の小窓
踊る芝居好きのダメ人間日記
流線型事件
discover TOKYO 「砂と兵隊」に関連して、パレスチナ人とイスラエル人が共演する舞台に触れています。
ねじ曲がった不条理劇の時空間に(高橋豊 毎日新聞 2005年11月24日 東京夕刊)
国破れて文化あり 愛を持って描くのが作家(祐成秀樹 読売新聞 2005年11月2日)

[上演記録]
青年団「砂と兵隊
東京・駒場アゴラ劇場(11月18日-12月4日)
作・演出 平田オリザ

出演:
山内健司 ひらたよーこ 志賀廣太郎 たむらみずほ 小河原康二 渡辺香奈 小林智 福士史麻 大塚洋 古屋隆太 根上彩 石橋亜希子 高橋智子 堀夏子

スタッフ:
舞台美術/杉山至×突貫屋
装置/鈴木健介
照明/岩城保
衣装/有賀千鶴
宣伝美術/工藤規雄+村上和子 太田裕子
宣伝写真/佐藤孝仁
制作/松尾洋一郎 田代麻衣 斉藤由夏
協力/(有)あるく (株)メディアプレス
企画制作/青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

平成17年度文化庁芸術拠点形成事業

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「青年団「砂と兵隊」」への3件のフィードバック

  1. 青年団「砂と兵隊」

    11月28日にこまばアゴラ劇場まで出掛けて、青年団の「砂と兵隊」を観てきました。
    久しぶりの観劇でした。いい舞台だったよ。

  2. TBありがとうございました。
    「ちぐはぐで場違いな風景を描いた芝居という見方もできる」には納得しました。
    たしかに砂漠という舞台に兵隊と一般人を同時に出してみたり、普段着的な衣装や緊張感の無い会話には違和感がありますね。
    やっぱりそこがこの作品の不条理さを表しているんでしょうね。
    こちらからもTB返させていただきますね。
    演劇評は少ないのですが、遊びに来てやってください。

  3. 終わらない 『 砂と兵隊 』

    『 砂と兵隊 』の終演後、登場人物が現れた。また登場するかもしれないので、そのまま座席にいると、次々に出現してきた。いつまでも劇場内にいると、場内整理の邪魔になるので、内心、遠慮しながら、座り続けた。

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