机上風景「グランデリニア」

 年明けから注目すべき舞台に出会うことができました。トリコA・プロデュース「他人(初期化する場合)」(駒場アゴラ劇場)とCOLLOL「性能のよい-シェークスピア作『オセロ』より」(王子小劇場)です。これらの作品には近く触 … “机上風景「グランデリニア」” の続きを読む

 年明けから注目すべき舞台に出会うことができました。トリコA・プロデュース「他人(初期化する場合)」(駒場アゴラ劇場)とCOLLOL「性能のよい-シェークスピア作『オセロ』より」(王子小劇場)です。これらの作品には近く触れるとして、昨年末に開かれた机上風景の「グランデリニア」公演を取り上げました。年越しの宿題となっていたので、遅れをわびつつ掲載します


◎暴力衝動の先にある光景は 対をターゲットにした特異な舞台

 異性間に横たわる齟齬と、それを暴力的に処置しようとした企ての顛末を、緊密な構成で描く1時間あまりの舞台でした。手を伸ばせば触れそうな距離で怒鳴り散らす男、そんなイヤな奴を殺してやろうと持ちかける青年が目の前で動き回ると、威圧と嫌悪をリアルに浴びてしまいます。評判の乞局(こつぼね)とはまた違った後味の悪さを感じる人がいるかもしれません。舞台と客席の距離が近いというだけでなく、ぼくらの内部に触れる疑似感覚があるからではないでしょうか。作品に仕込まれた暴力衝動と、それを増幅する演技・演出の力に瞠目しました。

 客席を左右に配置し、中央のフロアはホテルのテラスらしき設定です。そこに3組の男女が登場します。男が女をビデオ撮影する若いカップル、相手が家を出て離婚寸前の男、相談のためやってきた先輩夫婦という組み合わせです。いずれも20-30代と見える年頃でした。

 登場する男はよく怒鳴ります。理不尽に自己中心的な男性として描かれています。別れたがる妻に理由を問いただしなながら激高する夫。ビデオを撮りながら女を怒鳴り居丈高に命令する若い男。相談に乗るはずの先輩は怒鳴りはしませんが、妻があれこれ先に話を進めるといってふて腐れ、まともに会話に入りません。そういう男女のありがちな日常生活の起伏は、別の見ず知らずの青年が登場することによって一挙に変わります。

 暗転後に現れたその青年は、理不尽な夫ら3人を拉致、監禁して、この世のためにならない人間だから「始末する」と女たちに「理解」を求めるのです。青年の言い分が十全に展開されるわけではありません。それでも女たちの導火線に火を付けます。女たちの態度は三者三様ですが、結果的には判断放棄、肯定、拒否になるのは想像の範囲内だと言ってよいでしょう。

 むしろ特異なのは、青年が女たちに「理解」を求めようとしたことではないでしょうか。標的が夫たちであれば、始末して告知して、それで終わりです。しかし「理解」という手続きをとろうとすることによって、夫婦の関係自体がターゲットだと分かります。単身者とおぼしき青年が、それぞれに異なる3組のカップルをまとめて差し貫こうとする姿勢が浮かび上がってくるのです。この構造が、作品の際だった特徴だと思われます。

 この芝居をみたあとぼんやり考えていると、その近辺にみた舞台が浮かんできました。reset-N「Dust」と乞局「耽餌(たぬび)」です。

 「Dust」はバーに出入りする男が、そこで働く女性たちをほとんど訳もなく殺します。しかしその理由は、ぼくの乏しい記憶では、男の口から明らかにされませんでした。ハリウッド産の、いわゆるB級映画ホラーに頻発するように、対象は理屈抜きに不気味で理解不能。暴力衝動がいきなり闇から姿を現すような気分に陥ってしまいます。
 「耽餌(たぬび)」では、子供を殺めた過去のある女が最後に男を殺して内蔵を食い散らす場面で終わります。二つの作品では、手を下す側の男女とも単身であり、単体の孤立した関係として描かれます。暴力衝動は都市的異物として現れるか(「Dust」)殺人自体への官能的ともいえる没入として表現されるか(「耽餌」)の違いはあっても、自己中心的な個的世界で自閉しています。

 しかし「グランデリニア」では、男女の対関係をターゲットに組み込むことで、自閉と自足をかろうじて免れているようにみえました。関係世界は広がりと重なりを持たざるを得ないからです。
 青年の行動は途中で挫折したのでしょうか、監禁された男たちは一夜明けて解放されます。だからといって、「正しいことが疎まれ、明らかな間違いが正しいことのように思われている」という理屈が、拉致監禁行為の後ろ盾になるわけはありません。そんなことは自明です。ただ、どのようなことばや理屈でも点火しうる暴力衝動がどこにでも感じられることもまた自明でしょう。ほとんど理屈にならない理屈、ことば足らずの行動が、唐突に噴出しています。そういう光景がリアルに感じられる「空気」が「いま」を覆っているのかもしれません。

 事件がとりあえず落着した後、解放された男と先輩の妻が波の音を聞きながら、巨大地震が東京を襲うかもしれないと予感する場面で物語が終わります。人間関係の「いま」が壊れつつあることを描きながら、同時に地震がおきるまでこの世自体が「ある」かどうか不安にさせる、余韻を残したラストシーンでした。この先、どのような光景が広がるのか、眼を凝らしてみるよりほかありません。
(北嶋孝@ノースアイランド舎、1月11日一部修正)

[上演記録]
机上風景第12回公演「グランデリニア
王子小劇場(11月30日-12月5日)

作:高木 登
演出:古川大輔
出演:平山寛人
内海友夫(叙情派)
浜 恵美
島村隆宏
村上由起
古川大輔
川口華那穂
スタッフ:
照明 千田 実
音響 堀越竜太郎
美術 古川大輔
舞台監督 樋泉敏一
演出助手 池畑佳苗
宣伝美術 佐藤友香 yoshito
制作 机上風景制作部
主催 机上風景

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください