InnocentSpehere「ミライキ」

緑色に光る道が黒い床の上を伸び、
舞台奥に設置されたやはり緑色の四角いスペースは、無数に張り巡らされた糸か何かに覆われていた。

三軒茶屋シアタートラムで上演中の「ミライキ」は、
役者の動きが派手で最後が感動的な、
割と正統派と評されるタイプの芝居である。
巡査を人質にとって神社にたてこもった、統合失調症の


男を巡る逮捕劇が話の大筋である。

映像や色付きの照明で作られる派手な雰囲気に反し、物語はかなり現実的に作られていた。警視庁の内部のやり取りや統合失調症の症状など、事実の裏付けも非常にしっかりしている。

InnocentSpehereと似た作風の芝居で、いかに場面ごとの見栄えの良さなどが重視されすぎて、話がすかすかになってしまっている作品は結構目に付く。
個人的に好まないのもあって

チラシを見たときには少し抵抗があったのだが、
見てみると幻覚に悩まされる男の心情にも感情移入できて、若干クサい台詞にも少し涙ぐんでしまったりした。

男を演じた狩野和馬の演技も妙に印象に残った。
大きな劇場での公演で全員が声を張り上げる中、
つぶやくように喋ることのできた唯一の役者だったように思う。

話が丁寧に構築されているだけに気になる点もあって、
最初から主役のように登場してきた
春田陽子という警視庁の捜査官は、

「交渉術を担当する」という設定であるにも関わらずそれらしくふるまう場面を殆ど与えられていない。
陽子の姉で、

立てこもっている男の妻である夕貴もそうだ。
妻として感情的になってしまうのは分かるが、彼女は「精神科医」であり、
狩野和馬が扮する男の精神鑑定を務め、

獄中結婚をして出所後も生活を支えている、という設定なんである。
妻として夫を支える面だけでなく精神科医として行動する面があってもいいはずなのに、
不思議なほどそんな言動は描かれなかった。

陽子と夕貴のやり取りなど、事件が進行している最中なのに最初から最後まで姉妹ゲンカである。
二人とも人の心を開く仕事じゃねぇのかよ、と思ってしまうぐらいだ。
そして事件を解決へと導いていくのは、

陽子に親しげに接してくる、男性捜査官の桜井吾郎。
劇評の場でジェンダー論をやるほどフェミニズムに傾倒してはいないが、
あまりにも徹底的に「女は感情的」と言わんばかりの展開なので

それが劇自体のメッセージになっているかのようにさえ見えた。
話が丁寧に構築されている分、女のことは先入観で描いているんだろうなあ、というのがどうしても目に付く。
単純に考えても

試験も仕事内容もハードな専門職(警察官や精神科医)に従事している人間にしてはプロ意識が無さすぎるし、そもそも「警視庁勤務」や「精神科医」として

女が活躍するシーンが見事なまでに無い。
「妻」だったり「姉」だったり「妹」だったり「性的対象」(桜井にとっての陽子)だったり。
感情的になるのがダメなのではなく、

冷静になる場面が無いのは変な話だ。
「女のくせに」出世して捜査官になるなんて、よっぽど仕事熱心じゃないと無理だと思いませんか。
「自活する女性」のことも、裏をとってから描いていただきたかった。


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