ニットキャップシアター「お彼岸の魚」

◎私は誰?私は私。そして叩き壊し 「誠心誠意の毒」の証
高木龍尋(大阪芸術大大学院助手)

「お彼岸の魚」公演チラシ私の記憶の中に私の姿がないのは、言われてみれば至極当然のことである。鏡を見ている時間の記憶は別にしても、写真やビデオでも撮っていなければ、自分自身がいつどこでどのようなことをして、その様子がどんなだったかを見ることができない。たとえ撮っていたとしても、事後的に確認する、私の記憶にとっては傍証のようものでしかない。そして、忘れてしまえばその時間が消滅する。無論、過去にあった時間が消えてなくなるわけではないが、その時間がどのようなものであったか辿れなくなる。初めから見ることができない自分の姿はおろか、自分の耳で聞き取っていたはずの会話もである。そして、忘れたことも忘れてしまえば、それは二度と引き出されることはない。
さて、ニットキャップシアターの「お彼岸の魚」は人の記憶と、そこに基づく自分自身が最大の主題となった作品である。

早良美智子は母・美和子が失踪したため、東京から実家のある団地へ久々に帰ってくる。実家には美和子と仲良くしていたという鰺坂老人がいて、警察や美和子本人からの連絡を待っている。そこで聞いた鰺坂の話が美智子を困惑させ始める。鰺坂は美和子のことを「美智子」と間違えながら、美和子が美智子の兄弟に会いに行くために出て行ったのではないかと言う。だが、親ひとり子ひとりの家庭で育った美智子が美和子から兄弟がいるなどと聞いたことはなく、鰺坂のうろ覚えのために、兄なのか姉なのか、それとも鰺坂がそう聞いたという「アニャ」なのかもわからない。

そこへ美智子の幼なじみだったシイラとイサキ、イサキの夫の河豚崎が訪ねてくる。そして、美智子の部屋を鮟鱇江が向かいの棟からずっと秘かに覗いていると言う。だが、かつて美智子の真似ばかりをして嫌われ者になっていた鮟鱇江のことを、美智子は全く思い出せない。

美智子は久々の実家で、全く知らないことと、全く思い出せないことに遭遇する。一方はその事柄について全く確認できないものであり、もう一方は過去には確かにあった事柄なのだが、ともに東京にいた間、そして現在の美智子にとって存在しないものであった。つまり、記憶されなかったものと、記憶から消えてしまったものは同等なのである。

美智子にとって存在しないふたつの事柄、または存在が、美智子自体の存在を揺るがし始める。美和子の帰りを待っていた鰺坂が死に、昔は恋人の関係だったシイラとイサキがまだ続いていて、イサキが妊娠している子どもはシイラとの子どもだとわかり、と展開するうちに、実家に戻った頃からおかしくなっていた美智子の目の調子がいよいよ悪くなり、遂には包帯で両目をしばらく塞いでいなければならなくなってしまう。鮟鱇江のことを思い出せない、東京で何をしていたかも話そうとしない、しかも忘れかけている美智子をシイラたちは疑い始める。美智子は美智子のふりをしている鮟鱇江なのではないか、と美智子は責められる。美智子は抵抗しようとするが、他人から聞いた話を自分の話として喋り始めると、自分自身が誰なのかも怪しくなってくる。まして、鰺坂の息子の嫁・チヌ子に自分の話を下さいなどと言われると、自分が自分でなくなるように仕向けられているという感触まである。

自分自身の存在が曖昧で、しかも視界を奪われた状態では、同じ部屋の中でシイラが河豚崎に絞め殺されていたとしてもわからない。何かが起こっていると感じることはできても、何が起こっているかわからない。殺人事件が至近距離であったとしても、犯人の声が聞こえなければ誰が凶行を働いたかもわからず、現場の証人となることはできない。美智子はその空間に存在していなかったことと同じになってしまうのだ。

と、ここまで書いてくると、どこか辛気くさい芝居のような感じがする。だが、これは見事なまでに叩き壊される。美智子の心の中を語るようなナレーションを舞台の端からつけいてる女がいても、それは別人。美智子はツッコミを入れる。そして、部屋の窓のカーテンを開けると、部屋を覗き込むように大仏。しかも、この大仏は何の御利益もないただの像と断ぜられる。美智子の不安が最高潮となったとき、美智子の内面が現れ出てきたように何人もの関係ない人が登場し、美智子とその存在を励ます。ただ、関係ない人は関係ない人。美智子はそれを受けて勇気を出し、自分の存在をアピールする歌をカラオケで歌い始め、ひとりノリノリになったところで大仏が「では御本人様の登場です」と、美智子の存在が怪しくなるどころか、完全なる否定を受ける。

上演が始まってから半分近くまで、「アニャ」と時折窓から覗く大仏の目などをおけば、静かで奇妙な心理劇のように物語は展開する。この作品の作・演出のごまのはえは私が以前観た77年企画の脚本担当だったのだが、それと比べて「あらっ、こんな作品も書く人なんだ」と思っていた矢先、舞台は一変し現実を飛び越えた世界が出てきたとき「あらっ」と驚いたと同時に変な安心をした。ただ、この私の「あらっ」は急に突飛なものが出てきたからというわけではなく、物語の構成が飛躍したかと思わせながら、その実は主人公を更なる深みに突き落とす構成であったことによるものだ。いわゆる、上げて落とす、という構成の、最後の何の御利益がなかったはずの大仏の、大上段からの否定が、美智子の存在を美智子から切り離し、どこの誰ともつかないものにする。美智子の世界は叩き壊される。それは私たちの存在を規定するものが何であるのかを疑わせ、惑わせるに至るまで十二分であった。

この作品は大いに毒がある。だがこの毒は時折必要なものである。毒にも薬にもならない、という言葉があるが、毒も使いようによっては薬となるし、毒にも薬にもならない作品が私たちに良くも悪くも衝撃を与えることはない。この作品がとった方法はある意味で関西的と言おうか、大阪的と言おうか(ニットキャップシアターは京都を本拠地にする劇団なのだが)、笑いを交えた会話のテクニックを、記憶や存在といった観念的なところにまで波及させる構成は素晴らしく思えた。そして、この作品をつくったごまのはえという人はその名前からしても大いに毒の塊なのだと再認識した。ただし、毒のある人が悪人というわけではない。誠心誠意の毒というものも芝居、芝居に限らず芸術作品にはあるのではないかと思う。
(2006年12月26日、大阪・ジャングル・インディペンデンス・シアター2nd)
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第42号、2007年5月16日発行。購読は登録ページから)

付記 ニットキャップシアター「お彼岸の魚」を観たのは昨年末のことでしたが、今年3月から5月にかけて東京・愛知・福岡でも公演があるため、この時期ではありますが劇評を書きました。

【著者紹介】
高木龍尋(たかぎ・たつひろ)
1977年岐阜県生まれ。大阪芸術大学大学院芸術文化研究科博士課程修了。現在、同大学院芸術研究科芸術文化学専攻嘱託助手。文芸学専攻。

【上演記録】
ニットキャップシアター「お彼岸の魚
作・演出
ごまのはえ

▽大阪公演「HEP HALL × itg 共同プロモーションプロジェクト」
in→dependent theatre 2nd(2006年12月22日-26日)

出演(* 印は客演)
大木湖南
安田一平
朝倉詩
筒井彰浩
門脇俊輔
高原綾子
井口和巳
日詰千栄*
藤原大介*(劇団飛び道具)
長沼久美子*(劇団八時半)
稲田真理*(伏兵コード)
朝平陽子*
中嶋康喜*
森本奈津子*(WANDERING PARTY)

スタッフ
舞台監督:清水忠文[大阪公演]
舞台美術:西田聖
照明:葛西健一(GEKKEN Staff room)
音楽監督:横田悠馬
音響:三橋琢
映像:竹崎博人
写真:柳沼昭徳(烏丸ストロークロック)
衣裳:朝倉詩 筒井彰浩
小道具:井口和巳 大木湖南
舞台助手:丸山朋貴
演出助手:安田一平

絵:三上まりの
劇団ロゴデザイン:坂田朋美
宣伝美術:清水俊洋

制作:奥村マキ 高原綾子 谷口康裕 澤村喜一郎
プロデューサー:門脇俊輔
サポート:浅野智子 葛原清二 利倉佳奈 中村みどり 松村綾子 他

協力
劇団飛び道具/劇団八時半/伏兵コード/WANDERING PARTY (順不同・敬称略)
京都芸術センター制作支援事業

▽東京・愛知・福岡公演(スタッフ・キャスト共通)
下北沢 駅前劇場(2007年3月30日-4月1日)

出演
大木湖南
安田一平
ごまのはえ
筒井彰浩
門脇俊輔
高原綾子
井口和巳
葛原清二
澤村喜一郎

日詰千栄*
藤原大介*(劇団飛び道具)
長沼久美子*(劇団八時半)
稲田真理*(伏兵コード)
朝平陽子*
中嶋康喜*
※朝倉詩・森本奈津子(WANDERING PARTY)は、東京・愛知・福岡公演では出演せず。

スタッフ
舞台美術・舞台監督:西田聖
照明:葛西健一(GEKKEN Staff room)
音楽監督:横田悠馬
音響:三橋琢
映像:竹崎博人
映像操作:松下隆(デス電所)
映像用写真:柳沼昭徳(烏丸ストロークロック)
衣裳:筒井彰浩 森本奈津子(WANDERING PARTY)
小道具:井口和巳 葛原清二
舞台助手:丸山朋貴
演出助手:安田一平

絵:三上まりの
劇団ロゴデザイン:坂田朋美
宣伝美術:清水俊洋

制作:高原綾子 澤村喜一郎 松村綾子 奥村マキ
プロデューサー:門脇俊輔
制作協力:金田明子
サポート:板橋薔薇之介 谷口康裕 中村みどり 真野絵里
☆:3/31 19時公演終了後、アフタートーク
ゲスト:渡辺えり子(宇宙堂 主宰)

▽愛知公演  第7回愛知県芸術劇場演劇フェスティバル参加作品
愛知県芸術劇場小ホール(2007年4月13日-15日)
ポストパフォーマンストーク
☆1…4月13日(金)19:00公演終了後・ゲスト 天野天街 (少年王者舘)
☆2…4月14日(土)14:00公演終了後・ゲスト かこまさつぐ (試験管ベビー)

▽福岡公演  福岡演劇フェスティバル参加作品~2007福岡舞台芸術シリーズ~
ぽんプラザホール(2007年5月18日-20日)


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