ヨン・フォッセ作「死のバリエーション」

◎夢幻能の世界観も感じさせる戯曲 時間、空間の交錯を具象化する演出
今井克佳(東洋学園大学准教授)

「死のバリエーション」公演チラシ現代ノルウェーの劇作家、ヨン・フォッセの戯曲は、抽象度の高い詩的言語でつづられており、難解であるという。果たしてそうであろうか。5月にシアタートラムで上演されたフォッセ作の「死のバリエーション」を観て、私は全く難解だとは思わなかった。むしろ、凡庸なくらい、わかりやすい芝居ではないか、と拍子抜けがしたくらいである。

確かに、全く芝居を見慣れないタイプの人にとっては、厳しい面もあったかもしれない。だが、少しでも現代演劇にふれている人間ならば、とても輪郭線のはっきりしたプロットをそこに見いだすことができただろうし、能や狂言を見慣れた人ならば、その演出法に、親しみを感じることができたのではないだろうか。

フォッセの作品は、日本では2004年に「だれか、来る」(演出・太田省吾)が上演されている。私は世田谷パブリックシアターでこの上演を観たが、こちらは確かに、難解な印象を受けた。この作品は今回の作品とは内容もかなり違うものであったと思うのだが、今回の「死のバリエーション」の方が、くっきりと際だった作品である印象を受けるのは、その演出法の違いによるものではないか、と考えている。

「だれか、来る」では、確か岬の突端にある、一軒家が舞台となっていたが、その家を具象的なセットを組んで見せていた。舞台美術にはいくつかの工夫もあったが、基本的にはリアリズム的な空間を引きずっていたと記憶する。

それに対して、今回の演出家、アントワーヌ・コーベは、舞台を真っ暗な闇のなかから立ち上げる。まっさらな舞台は常に薄暗がりを保ち、背景には、アーチ状の門のような出入り口が二つ、その向こうに裏舞台が照明によって浮き上がることが場面によっては、ある。舞台空間はむしろ抽象度を非常に高くしておき、すべてを俳優の身体を通して語らせた感がある。

話としてはこうだ。離婚して年月のたった夫(役名は「年をとった男」、長塚京三)のところに前妻(「年をとった女」、高橋恵子)が娘(杵鞭麻衣)の死を知らせに来る。そこでの会話から、二人が結婚し娘が生まれた頃から、娘の成長や二人の離婚など、いままでの二人の生が回想されていく。とはいえ、単純な回想ものというわけではなく、年老いた二人と若い日の二人(「若い女」伊勢佳代、「若い男」瀬川亮)が、同時に舞台上に存在し、お互いの言葉を引き取ったり、受け渡したりするとともに、娘の「友達」(笠木誠)と呼ばれる(私は観劇中は「死神」なのかと思っていた)霊的存在が、役として現れる。娘も、現在時ではすでに死んでいる存在だが、その生まれたときから成長していく過程が、現在時と入り交じりながら舞台上で演じられていく。

戯曲レベルでの、こうした、時間、空間の交錯を、どのように舞台上に現出させるかが、演出家の腕の見せ所だと思うが、コーベの演出は、かなり功を奏していたのではないだろうか。たとえば、「年取った女」が、若いときの自分である「若い女」の嘆きをじっと見つめ、慰めるようにキスをする。こうした動作は、多分、戯曲にはないだろう。しかし、それが入ることによって、「年老いた女」が若き日の自らに対して、現在はどう思っているのか、が明らかになる。

と細かい点を指摘するまでもなくこの作品は、すべて現在時のなかに、自分の過去も未来も、そのまま同時に存在している、つまり、一人の人間にとって、その過去も未来も、現在の自分の中にある過去であり未来なのだ、という真理を、非常にわかりやすく、具象化して見せてくれている舞台だ。

西洋的な観点からすると、こういう、生と死、あるいは若さと老いが一つの次元で時間や空間を越えて人間存在のなかにあるということが、斬新な捉え方となるのかもしれないが、むしろそれらは東洋には伝統的にあることではないか。 演出家自身も、そのことには気がついていて、上演パンフレットでは日本の俳優とこの作品を作りたかった理由として、「西欧圏に比べると、日本では「生」と「死」の世界が近い、というより混ざり合っている感じがした」と述べている。私自身は、むしろ夢幻能の世界がかなり遠回りをして、この作品として、現代風によみがえっているようにも思えた。

いくつかの場面での俳優の演技は、コーベ演出の特徴かとも思われるのだが、いかにもおおげさでコミカルな不自然さを伴う。また「友達」の娘に対しての態度は常に、オーバーアクションだし、妊婦時代の「若い女」のふくらんだ腹は、ちょっと異常なほど大きい。これらを不自然な演出上の失敗と見る向きもあるようだが、私はむしろ、抽象的で平板になりかねない作品世界にアクセントをあたえ、人物像や場面を際だたせるために有効な演出ととらえた。

俳優としては、こうしたある意味、人気のない作品に、ベテランでありながらあえて出演した長塚と高橋をまず評価したいが、舞台上でもっともその魅力を発揮していたのは「若い女」役の伊勢佳代であろう。彼女は同じコーベの演出「見よ、飛行機の高く飛べるを」(永井愛作、2004年シアタートラム)にも出演しているが、井川遥や魏涼子に圧されて目立たなかった。しかし、今回は、希望にあふれた若い妻の無邪気さが、やがて年月にさらされて変わっていく様を、強い存在感をもって演じていた。次いで娘役の杵鞭や友達役の笠木も印象深かった。

アントワーヌ・コーベの演出作も上記の「見よ、飛行機の高く飛べるを」に続いて今回も、たいへん印象深いものとなった。日本での演出を続けて期待していきたい。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第50号 2007年7月11日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
今井克佳(いまい・かつよし)
1961年生まれ、埼玉県出身、東京都在住。東洋学園大学准教授。専攻は日本近代文学。演劇レビューブログ「Something So Right」主宰。
・wonderland 掲載劇評一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/imai-katsuyoshi/

【上演記録】
ヨン・フォッセ作「死のバリエーション」
世田谷・シアタートラム(2007年05月11日-27日)
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2007/05/post_1.html
[作] ヨン・フォッセ
[翻訳] 長島確
[演出・照明] アントワーヌ・コーベ
[出演] 長塚京三/高橋惠子/瀬川亮/伊勢佳世/笠木誠/杵鞭麻衣
全席指定 一般6,000円

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