ブラジル「天国」

◎「社会」を喪失した社会人の悲喜劇
高木登(脚本家)

ブラジル「天国」チラシ舞台上には地方都市の居酒屋のセットがリアリズムで設えられている。美人のマヤ(山田佑美)という若女将が営むこの店に訪れるのは、近くの自動車工場で働く期間工たちである。彼らは実に他愛ない話で盛り上がり、子どものようにはしゃぎあう。だが労働の実態は過酷で、彼らがそれぞれに抱えた事情もなにかと複雑のようだ。期間工のサトウ(西山聡)は、マヤがかつての自分の知り合いの女・カズミが整形した姿ではないかと疑っており、物語が進展するにつれて、それはどうやら事実であることがあきらかになる。サトウはかつておなじ期間工のトモノ(辰巳智秋)と共謀し、カズミの亭主殺害の隠蔽に手を貸したことがあるようなのだ。そして偶然の出来事であるかのようにされていたその殺人は、実は保険金目当ての計画的なもので、サトウもトモノもカズミにいっぱい食わされたのであるらしい。

『恋人たち』につづくブラジルの新作は、労働の現場をほんの少し離れた場所を舞台にした悲喜劇である。ブラジル公式サイトの劇団主宰、ブラジリィー・アン・山田のプロフィールには「エログロなディティールでロマンティックな結末を迎える『エログロロマンティック』」「息苦しいほどのシチュエーションから起こる笑いのあるやり取りを見せる『苦笑系喜劇』」が劇作の特徴とされているが、苦笑どころか爆笑の連続で、アン・山田の作劇手腕は確実である。

『恋人たち』が「心中を前提としてつきあう男女」というきわめて今日的な人間関係を描いていたのとおなじく、『天国』では「今の日本の不確かなフリーターという生き方の輪郭を浮き彫りにする象徴的な存在」(当日パンフレットより)としての期間工たちが描かれる。わたしがとても興味深かったのは、彼ら主人公たちが単純に「労働者」であったことだ。つまり『天国』はきわめて今日的な意味での社会劇であり、それがかつてのそれとは相当に趣を異にしているところがおもしろかったのである。

「天国」公演
【写真は「天国」公演から。 撮影=名鹿祥史 提供=ブラジル 禁無断転載】

世が世ならプロレタリア演劇とカテゴライズされたかもしれない内容だ。だがここに描かれているのは社会と個人の相克ではない。階級闘争や搾取の構造でもない。そもそもアン・山田は怒ってさえおらず、旧世代の社会的関心に矛先が向かってもいない。登場するのはどこまでも「個人」である。彼らは社会的矛盾ゆえに過酷な労働の現場に身を置いているのではない。彼ら自身の問題ゆえにそこにいるのであり、相克するのも「社会」ではなくまた「個人」である。サトウもトモノもカズミのために身を持ち崩し、カツラギ(若狭勝也)は恋人の腎移植のため、元野球選手のコウサカ(諌山幸治)は男児性愛の不祥事ゆえに、キリュウ(山本了)は先輩の女を孕ませた代償を支払うがためにそこで働いている。唯一過去の因縁とは無縁そうなタケダ(本間剛)は正体が暴かれつつあるマヤの新たな犠牲者として身を持ち崩そうとしている。

では、ここには「持つ者」と「持たざる者」の対立がないのかと言えば、それはあるのだ。一連の騒動の中心にたたずむマヤは、言ってみれば唯一彼らと対立する存在である。金のために亭主を殺害し、自身の正体がバレると見るや殺人も辞そうとせず、タケダやキリュウの用意したなけなしの金を奪っていずこかへと逃走して行く、男をたぶらかす魅力と、行動力と、強運を備えた女。一方の男たちは、自分の運命を自分ではどうすることもできず、ただ足掻いているだけだ。キリュウはたまたま当たった宝くじの賞金をダシに、自分を支配しつづける先輩の殺害をサトウに依頼する。心を寄せていたマコト(こいけけいこ)が男であると知ったトモノはさらなる交際に踏み切ることもできず、マコトに袋叩きにされても何もできない。

そう、ここには「うまくやってる」者と「うまくやれてない」者の対立がある。その差は個人の資質である。誰のせいでもなく、社会構造のせいでもなく、ただ自身の資質の問題である。この苦い認識こそがアン・山田の思想だろう。かつての「社会」はもはや存在しない。どうしようもない「個人」がよどんでいる場所、それこそが今日の「社会」なのだ。

ラスト、サトウは逃走したマヤ=カズミを追いかけないのかというトモノに「しょうがねえだろ、そんなことしたって」と取り合わず、ただへらへらと笑う。重傷を負わされ、金を奪われてもなお何もできないサトウの諦念は、まちがいなくこの時代を生きる者の心とどこかで直結している。この絶望の深さが本作の奥行きである。けだし『天国』は傑作である。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第55号、2007年8月15日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
高木 登(たかぎ・のぼる)
1968年7月、東京生まれ。放送大学卒。脚本家。テレビアニメ「TEXHNOLYZE」「恋風」「地獄少女」「バッカーノ!」などを手掛ける。劇団「机上風景」座付き作家として「複雑な愛の記録」「グランデリニア」などを発表、「幻戯(げんぎ)」を作・演出。2007年6月退団。
・wonderland掲載劇評一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/takagi-noboru/

【上演記録】
ブラジル「天国」
中野ザ・ポケット(2007年7月18日-22日)

●脚本・演出:
ブラジリィー・アン・山田
●出演:
辰巳智秋
西山聡
諌山幸治
若狭勝也(KAKUTA)
中川智明
山本了(同居人)
山田佑美(無機王)
こいけけいこ(リュカ.)
本間剛
●料金:
前売 2800円 当日 3000円(全席指定)
☆初日/平日マチネ割引 前売/当日 2400円

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