サーカス劇場「隕石」

◎若さと、かく乱のエネルギーと、真っ当さと
芦沢みどり(戯曲翻訳家)

「隕石」公演チラシ劇団サーカス劇場・・・どこか郷愁を感じさせる蠱惑的な名前に惹かれて、雨の夕方、下高井戸の「不思議地底窟 青の奇蹟」へ出かけて行った。「隕石」は2001年に東京大学のキャンパスで旗揚げされたグループの14回目の公演だが、筆者はこれが初遭遇。
急な階段を地階へ降りて行くと、え、え、えー!これが劇場なの?何とも狭い空間だ。奥に畳が6枚敷かれた舞台があり、その手前には1列5、6人ほどの座布団席が2列とベンチが1脚。これで全てだ。早速ベンチ席を確保して左右に目をやると、ビリジアン色に塗られたテーブルらしきものが壁いっぱいに畳み込まれていて、見ていると海の底に迷い込んだ気分になる。たぶんこれを壁から外して広げれば、あら不思議。劇場がバーに、バーが劇場に早変わりする仕掛けなのだろう。超矮小空間を二通りに使い分ける悪魔的頭脳に感心してしまった。この壁が狭い空間に不思議な雰囲気を与えていた。

音楽が入り客電が落ちると、闇の中、汽笛と汽車の駆動音が響きわたる。すると花道(=客席通路)に奇妙な風体の男女が3人。照明が当たるや彼らは中原中也の「サーカス」の詩に節をつけて歌い始めた。(映画「メリー・ポピンズ」の「チム・チム・チェリー」のメロディーが、<ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん>にぴったり合うとは意外だった)。彼らはサーカス一座の芸人であるらしい。歌が終わると3人は、運んできた旅行鞄の中身を物色し始める。と、そこへ、彼らを追って一人の男が舞台に駆け込んで来る。列車の中で奪われた鞄を取り返しに来たのだが、どうやらそれをネタにここへおびき寄せられたものらしい。意外にあっさりと男に持ち物を返してやったサーカス一座は、舞台奥の壁に掛けられた布を引き剥がす。すると、あら不思議(でもないか)。舞台は障子のある六畳和室に転じる。しかもそこは地底世界で・・・。

というのがプロローグ。この作品はプロローグ、第一幕、幕間劇、第二幕の四部で構成されている。暗転後の第一幕:部屋に和服の女が女房然と端座している。男は最初、自分がどこにいるのか分からないが、女の顔をしかと見て、彼女が自分の妻であることを思い出す。しかし自分が誰であるかは相変わらず分からない。それに汽車に乗っていたのは、あれは夢だったのか? 男が妻にそのことを話すと、妻もまた自分が見た夢の話をする。それは天上の星が悉く地上に落ちてくる夢で、彼女は何か恐ろしい事件が起きるのではないかという予感におびえている。男は売れない小説家であるらしいが、妻は彼の才能を信じて貧乏な暮らしに耐え、二人は仲むつまじく暮らしていたらしい。だがそれにしても、この部屋はやはり奇妙である。時計は止まったままだし、唐突に現われるスーパーエキセントリックな女中は、やることなすことすべていかがわしい。このいかがわしい状況は、地底世界の役人や青年実業家が登場するに及んで、ハイパーエキセントリックの域に達する。実業家はまず妻に一目ぼれして、彼女にプロポーズする。次に、この部屋は地球の中核にある天然資源の宝庫だから、掘削して新事業を始めたいと言い出す始末。訳が分からず混乱の極みに立たされた夫は(観客もだが)、自分が誰であるかを妻に尋ねるが、妻は夫を失うことを恐れて沈黙する。

ここでいきなり幕間劇:ギリシア神話のオルフェウスとエウリュディケの物語が指人形と紙芝居を組み合わせた形で上演される。琴を弾じ歌を歌えば風浪さえも鎮めてしまうというオルフェウスが、死んだ妻を取り返すために地底の冥界へと降りて行くあの物語だ。

第二幕:夫はうすうす分かってはいたのだが、自分が地底世界へ来たのは死んだ妻に呼び寄せられたためだと認識する。それでも妻を深く愛するがゆえに、彼は死者の世界に留まろうとするのだが、新聞配達人や私服刑事が現れて、彼に現実と正対せざるを得ない情報を与える。地上は今、昭和十九年。日本は戦争のさ中にあり、夫の姓は「ハラ」である。夫を生者の世界へ返したものかどうか迷っていた妻は、彼女を恋慕するだけの情けない夫を見て、地上に隕石が落ちて来て大勢の人間が死ぬ予感(原子爆弾という言葉は劇中一度も使われない)のことを考える。そして死者たちへの鎮魂歌を書くことが夫の使命だと確信し、それを夫に伝えて姿を消す。悲嘆にくれる男の名前はハラタミキ、妻の名はサダエで、彼は妻の遺骨を故郷広島の墓へ収めるために汽車に乗っていたのであった。車中でうたた寝をしたつかの間、夢の中で妻に再会することができたのだ。消えた妻のあとを追おうとする男をサーカス一座が引き止めると、六畳和室の天上から突如、古ネクタイを繋いだぼろ布が何本も落ちて来て、スダレ状に吊り下がる。この屋台崩しで今までの和室は消えてなくなる・・・わけではないが、異空間に変わる。男は必ずや鎮魂歌を書くであろうという内容の「オルフェウスの唄」(メロディーは「アランフェス協奏曲」)をサーカス一座が歌って、劇は終わる。

「隕石」公演
「隕石」公演
「隕石」公演

「隕石」公演
【写真は「隕石」公演から。撮影=平早勉 提供=サーカス劇場 禁無断転載】

以上が「隕石」のあらすじだ。作品の芯にあるのは、ある男(原民喜)が鎮魂歌を書くに至る経緯だが、それがベタに展開されるわけではない。オルフェウスとエウリュディケの物語が幕間劇として挿入されることから察せられるように、神話と相似形の地底世界を導入することで、モデルとなった話をベタに展開するのとはひと味もふた味も違う、荒唐無稽な世界の構築に成功している。仮にある男の物語を本筋とするなら、そこにいかがわしい人物たちが割り込んできて脇筋を作り、本筋をかく乱してゆく。そのかく乱の手つきは、劇に異化効果を与えるというような穏やかなものではなく、もはや言葉と身体のバトルとしか言いようのない狂騒状態を舞台に創り出す。では芝居全体が狂騒へ突っ走るかといえばそうでもなく、脇筋はいつの間にか本筋に戻っていたりする。

この空中ブランコのような離れ業を可能にしているのはおそらく、耐震構造のような柔軟な劇構造だろう。大きく揺れても崩壊しないのだ。この手法は戯曲の構造だけでなく、セリフの文体や演技態にも援用されている。

セリフはおおむね言葉遊びありギャグありの現代語で書かれているが、その要所要所に原民喜の語彙が楔のように打ち込まれている。たとえば「死ぬ」を「死ぬる」と言い、小説家として成功することを「文学の発展」と言い、変な味を「面妖な味」と言うなどがその例だ。これらの言葉は現代語のセリフの中で突出して聞こえて来るので、観客の注意はおのずとセリフに向かう。この時観客は、頭の中で言葉のサーカスを体験することになる。

また演技態は主に漫画チックなオーバーアクションだ(と思う)。それが意図的なのか成り行き上そうなっているのか判然としないが、語られる言葉と身体表現は、乖離すればする程、事柄そのものの重大性を浮かび上がらせることは確かだ。たとえば夫は妻が丹精していた草花が、地底の庭には咲いていないと知って驚く場面がある。夫は「えええー?」と両手を虚空に泳がせながら腰を落として数歩下がり、じゃあ、じゃあ、あれはと言いながら両腕を突き出し、手招きのような手つきをしながら妻に近づいて行き、両手で花を包むような手つきをしながら、いとおしむように別の草花の名前を挙げてゆく。このオーバーな動作によって印象づけられるのは、かつての心豊かな暮らしが失われたことへの絶望感だと思うのだが、じつはよく分からない。それが目論まれているのだとしたら、あまり成功しているとは思えないからだ。だがこの場面に限らずこのグループは、セリフと身体表現の模索をしているらしいことは確かなので、今後どうなってゆくのか見てみたい。

実在した小説家、原民喜に取材して書かれたこの作品が、原に最も依拠している点はおそらく、予感と悲嘆というモーメントだろう。原は妻の死と、その翌年に起きたアメリカによる広島への原爆投下を体験したことによって、後世に残る作品を書くことになった。彼が作品を書いたのは2つの事件のあとであり、であるからこそ妻の予感と自己の悲嘆を契機に、個人の嘆きを無数の嘆きとして描く客観的視点を得ることができた。「隕石」でも男を地底へ呼び寄せたのは悲嘆であり、彼が生者の世界へ返る契機となるのは妻の予感である。隕石が原子爆弾のメタファーであることが劇中一度も語られないのは、それが原爆だけでなくすべての災厄と不幸のメタファーでもあるからだろう。この芝居を縦軸に沿って敷衍すれば、ギリシア神話にまで遡る夫婦の純愛物語と受け止めることが可能だろうし、横軸に敷衍すれば日々劣化してゆく地球環境への警鐘を感じ取ることも可能だろう。どう受け止めるかは観客に開かれている。

スピード感溢れるサーカスのような芝居を観て楽しかったと思いつつ地底窟から地上へ出たあと、意外と端正でまっとうな芝居だったという感想がそれに重なった。原民喜への敬愛の思いが芝居全体に流れていたからだろう。
(上演時間、1時間半。9月28日と30日の2回にわたり観劇。楽日の30日は30人以上の観客で座席はすし詰めだった)。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第65号、2007年10月24日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
芦沢みどり(あしざわ・みどり)
1945年9月中国・天津市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。1982年から主としてイギリス現代劇の戯曲翻訳を始める。主な舞台「リタの教育」(ウィリー・ラッセル)、「マイシスター・イン・ディス・ハウス」(ウェンディー・ケッセルマン)、「ビューティークイーン・オブ・リーナン」および「ロンサム・ウェスト」(マーティン・マクドナー)、「フェイドラの恋」(サラ・ケイン)ほか。2006年から演劇集団・円所属。
・wonderland掲載劇評一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/

【上演記録】
サーカス劇場第14回公演「隕石」
東京・下高井戸 不思議地底窟 青の奇蹟(2007年9月1日-30日)
作・演出:清末 浩平

出演:
森澤 友一朗
柳瀬 絹子
石井 良治
阿部 あさみ
島津 嘉人(9月1日-14日)
清末 浩平(9月15日-30日)

舞台監督 :槇原 直
美術 :大泉 七奈子
照明 :須賀谷 沙木子(colore)
照明操作 :相澤 知里、小川 貴大、槇原 直
音響:清末 浩平
音響操作:菅原 春瑠佳
衣装協力 :野中 万紗子
制作 :植野 晶

日替わり特別出演:
伊藤 敬市
伊藤 新[劇団ダミアン]
大久保 了[劇団リサイクル]
河野 泰士
錫村 聡[手作り工房錫村]
そのだ りん[劇団世界劇場]
中村 理恵
前田 裕己[劇団唐ゼミ☆]
町野 啓介
森 学士

入場料:
一般前売 2500円 一般当日 2700円 学生前売 2000円 学生当日 2200円 早期観劇割引 1日-7日までの公演は300円引き。リピーター 500円割引

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください