プロペラ犬「マイルドにしぬ」

◎「死」をテーマにした連作コント集 持ち味出した水野美紀と河原雅彦
大和田建夫(大学講師)

「マイルドにしぬ」公演チラシテレビから舞台へその活躍の場を変えてきた水野美紀が脚本家と演劇ユニットを立ち上げたという不思議な舞台を見る機会に恵まれた。テレビタレントが様々なサイドビジネスをする例はあれども、テレビタレントがお金を儲けると副業としてレストラン経営などをする人が多いそうで、それをとあるタレントは、そんなノウハウも経験もないことに手を出すくらいなら、映画監督をやった方がまだ似たジャンルのことをやっているのだから、許されてもいいのではないか?というようなことを言っていたのを思い出した。

実際、テレビを主の活動場としていた役者が演劇の制作に乗り出すという例はあまりきいたことがない。よほどのことがあったのだろうと何か感じる予感があった。

テレビ女優から舞台へ、そして、舞台の制作へ・・・。面白い副業であると感じた(もっとも、制作の大半は楠野一郎が背負っているようではあり、実際舞台に立つわけだから副業というのは妥当ではなく、仕事の幅が広がった。もしくは手作りになったとか、そういうことなのであろう)。

ゲストに河原雅彦を迎え、数編のコントからなる水野と河原による二人芝居であった。コントの舞台というと私はシティボーイズライブなるものが毎年ゴールデンウィークにあるのを楽しみにしていて、そのシニカルな笑いを毎年楽しむという恒例行事がかれこれ15年ほど続いている。

この「プロペラ犬(水野美紀と楠野一郎による演劇ユニット名)」はコント全体に一本の主題「マイルドに死ぬ」と関係性を持たせようとしつつ、個々の作品の完成度を高めるという難しいことに挑戦しているようであった。

第一話の「はさみ女」の凍り付くような結末が舞台の最後に私たちを谷底に突き落とす罠があることを予感させながら、中盤には河原雅彦と水野美紀による軽快なかけひきが軽快な舞台へと私を引き込んでいった。

特に秀逸であったのは「湖の女神」である。井戸から出てきた役者志望の女性を役者に未練のあるサラリーマンがダメ出しをし、クリスマスにネタを見てやると時間を待ち合わせて1日待ちぼうけを食らう・・・。思いが伝わらないことを歯がゆく思うという様を河原の熱演と共に堪能できた。

そして、ゾンビが女優をやっているという奇怪な話がまた面白い。マネージャーがそのゾンビ女優(メロ)をオーディションに・・・というのが話しの流れだが、元有名女優がゾンビとなりそのゾンビであることを隠しながら舞台に上がろうとしている。オーディションの練習をやっていてもつい「ゾンビ」の仕草が出てしまい、うまくいかないながらも、マネージャーの言うことをだんだんきくようになってきたゾンビ女優。暗転後にはちょっとしたオチもついていて、ここにきて急速にこの本題に戻ってきたようである。ここで「テレビ番組」の恨み辛みが登場し、行きたくもない場所に連れて行かれたり、半裸にされたり・・・というやりたくもないことをやることに対する反論をさらりと言っていた。

そして、売れない脚本家と子どもの学芸会で主役の代演をやってしまった妻の話となる。アクションシーンが出てくると水野美紀の本領発揮ともいえよう。ブルース・リー(キル・ビル?)のコスチュームがよく似合う。プロペラ犬はここから登場してくることとなる。

最後のコントは、ゾンビに良い印象があったものを一気にかき消し、ゾンビが街中に襲ってきて、二人はビルの屋上に逃げ込むこととなる。絶体絶命の状況でプロペラ犬の登場となり、冒頭のコントの凍り付く結末に対して、熱い芝居による結末となるであった。

ここでこの舞台の全体を振り返ってみていくつか気になることがでてきた。
なぜ二人芝居だったのか?いや、二人芝居が悪いわけでもなく、河原雅彦も水野美紀も存分にお互いの持ち味を出し、シリアスな面もコミカルな面も堪能でき、芝居に対する熱い思いも存分に味わうことができた。

そして、どのコントも概ね「いいモノ」であったことは間違いない。演題の「マイルドにしぬ」とある通り、「死」というものがどれにもテーマになっているということも今更ながらに気がついた。その死には色々なテーマがあり、はさみ女の「予期せぬ死」。「ゾンビの話の「既に死んでいる」状態。役者を目指す女のどうしていいか分からない「死んだも同然」の状態と、日々の仕事に疲れて希望を失って「死んだも同然」な男。仕事に活路を見いだせぬ夫は自分を殺すことで脚本家として生きようとする。そんな中でプロペラ犬に希望を見いだそうとする。

シティボーイズの場合、早い段階でそのコント個々の関連性にはこだわることを放棄し、いいネタを沢山見せるように方向転換をしていた。一方、ナイロン100℃の「わが闇」の場合には(比較するのは唐突かつ無茶ではあるが、ラジカル・ガジベリビンバ・システムをルーツにもつ演劇と私の中ではこの3つを位置づけることにしたので強引な比較をご容赦いただきたい)、長いものがたりの中にスパイスのきいた短編(エピソード)をちりばめそれらの短編の結末は放棄するという凄技で大きな物語を完結させていた。では、このプロペラ犬のスタイルは、果たしてどちらを目指すのであろうか。

コントの積み重ねが一つの物語とならなくても観客は充分に堪能できるので、個々の作品のつながりを余り気にする必要はないのではなかろうか?それとも、舞台としての完成度は一つの物語の完結性であるとこだわるのなら、始めから物語としての構成を固めるべきなのではなかろうか。そうなると水野美紀の七変化のキャラクター作りを楽しむということがなくなるのがなんとも残念である。

では、今回の公演で、プロペラ犬はその目的を達成したのであろうか?
コントを「マイルドにしぬ」というつながりで串刺しにするという目論見にこだわることが個々のコントとコントのキャラクター作りの足かせとなっていたのではないかと不安感じた。個々の作品には充分な魅力と、演技者の力を出し切ったものとなっているのではないか?何よりこのユニットの旗揚げ公演を観衆は歓迎していることは間違いなかろう結論としては、1年間どんどんネタを温めてそのなかの秀逸なものだけを厳選してやればいいのではなかろうか?確かに、シティボーイズは舞台の前に、「シティボーイズ教室」なる小劇場の実験空間を設けて、料理教室までやってのけていたのであった。とウエブを見ると、すでにその実験空間は毎月やっているということであった。流石である。

もともと、このプロペラ犬というユニットは水野美紀と楠野一郎が「やりたいことをやる」ために旗揚げしたものなのだから、とやかく批評すること自体がナンセンスであり、また行くか、もう行かぬかの判断は来場者の好きなようにすればいいだけということなのであろうか。

次回どのような展開を仕掛けるのか興味深い。11月に第2回公演を決めているようである。季節折々の観劇の楽しみがまた一つ増えた。次回共演者には、小林高鹿・玉置孝匡あたりはどうであろうか?と勝手に想像している。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第77号、2008年1月16日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
大和田龍夫(おおわだ・たつお)
1964年5月東京生まれ。東京都立大学経済学部卒。現在は武蔵野美術大学・専修大学非常勤講師(メディア論)、金融業に従事。季刊InterCommunication元編集長。

【上演記録】
演劇ユニット プロペラ犬旗揚げ公演「マイルドにしぬ」
作:楠野一郎
演出:入江雅人
出演:河原雅彦、水野美紀

東京公演
・日程:11月27日(火)~12月2日(日)
・場所:赤坂RED/THEATER
大阪公演
・日程:12月7日(金)~9日(日)
・場所:大阪HEP HALL
追加公演『マイルドにしぬ』延長戦!
・日程:12月12日(水)~12月13日(木)
・場所:ラゾーナ川崎プラザソル
企画・製作
プロペラ犬(水野美紀×楠野一郎)
制作協力
キューブ

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