「春琴」(サイモン・マクバーニー/演出・構成)

◎近代が生み出す光と闇の構図
水牛健太郎(評論家)

「春琴」公演チラシ近代とは光であり、近代化とは明るくなることだ。近代へと人々を導く「啓蒙」を意味する英語(enlightenment)は直訳すると「明るくすること」という意味だが、それは単に比喩ではない。地球を人工衛星から撮影すると、北米、欧州、日本は、夜でも人工の照明でまぶしいほどに輝く一方、サハラ砂漠やアマゾン川流域は、深い闇の中に沈んでいる。韓国は明るいが、38度線の北は暗い。経済発展が続く中国の沿岸部やインドにはうっすらと光の網が広がり、徐々に輝きを増している。

思うに、闇を追放することが近代化にとって不可欠の条件だった。暗い場所に灯火を掲げ、空間をのっぺりと明るくするとともに、昼の一時間と夜の一時間を同じものにし、伸び縮みする時間を飼いならす。それと同時に、人間の心の底にひっそりと息づく太古からの闇をも追い払う。そして理性の光によって、社会から身分をなくし、隷従の鎖から庶民を解放して人間を平等にする。これらは全部、近代という一つの大きな出来事の多様な側面であり、それを一言で言えば、私たちの生活は「明るく」なったのだった。

「明るい生活」は、ほとんどの人にとって幸福に違いない。だが何事にも例外はある。暗闇の中でこそ幸福になる人たちもいる。そしてその幸福が、明るい生活を楽しむ現代の平凡な私たちを、その鮮烈さでたじろがせることだってあるに違いない。谷崎潤一郎の「春琴抄」と「陰翳礼讃」を原作とする舞台「春琴」が私たちに語るのは、その仮説に則った一つの物語だ。

舞台奥に立てられた木製の巨大な板は黒く塗られている。板の一部がドアのように開くと、その後ろには飲み物の自動販売機が置かれた廊下が蛍光灯の光でまばゆく輝いており、ドアを開けた女性(立石涼子)が黒い影となって舞台手前に向けて入ってくる。この女性は女優で、NHKラジオ第2放送の番組のナレーターとして雇われ、舞台中央のデスクでこれから「春琴抄」を読むことになる。光に満ちた現代から、江戸時代末期の大阪の商家の、薄暗い屋内で演じられる物語の中へ。鮮やかな導入。

主人公である春琴を演じるのは深津絵里。実年齢は35歳だが、その目を閉じた映像が、春琴が唯一遺した37歳のころの姿として奥の板に映し出される。37歳が数え年とすれば、ほぼ役柄通りの年齢といってよい。春琴はこの写真が撮られて間もなく何者かに襲われて顔にやけどを負い、佐助はその顔を見るまいと自ら目をつぶすので、この顔が、佐助が生涯脳裏に描いた春琴の像になる。深津はやけどを負ってから58歳(数え年)で死ぬまでの春琴を顔に包帯を巻いた姿で演じ、劇の最後に包帯を取って「37歳」の顔を見せる。演出と「女優が実際にその年齢であること」が巧妙に関連付けられていることがわかる。

物語は春琴9歳の年から始まる。深津は劇の最初から中ごろに至るまでは、黒い服をまとい、春琴の人形を操りながらセリフを口にする。その後は別の女優(宮本裕子)を人形代わりに操る場面が続き、自分が春琴となるのは劇も後半に差し掛かってからだ。春琴の人形は顔しかなく、胴体は和服である。これは文楽人形の型を踏襲したものだ。「陰翳礼讃」で谷崎は「私はこれ(=文楽人形)が最も実際に近いのであって、昔の女と云うものは襟から上と袖口から先だけの存在であり、他は悉く闇に隠れていたものだと思う」と書いている。ここで谷崎は美学の名の下に明らかに悪ノリしている。いくらなんでも生身の女性が「襟から上と袖口だけの存在」のわけはなく、文学的誇張があるのは明らかだ。しかし演出家サイモン・マクバーニーはそれを信じて、ないしは信じているふりをして、春琴を「襟から上と袖口から先だけの存在」という言葉そのままにしてみせる。その結果、「春琴抄」に書かれた「旧幕時代の豊かな町人の家に生れ、非衛生的な奥深い部屋に垂れ籠めて育った娘たちの透き徹るような白さと青さと細さ」が見事に「再現」された。ここにはこの劇の本質的な構図がある。

春琴が何者かに襲われたのは37歳の春である。春琴は文政12年(1830年)の1月生まれなので、数え年ならば1866年(慶応2年)、満年齢ならば1868年(明治元年)のことである。いずれにせよ、明治維新の前後だ。明治2年には士農工商の身分制が廃止され、やがて街にはガス灯が点され、鉄道が走り、日本の近代化が加速していく。屋内からも闇は追放されていく。

日本の近代が始まろうとするまさにその時、佐助は闇の世界に入る。ますます明るくなる現実の世界に背を向け、春琴とともに前近代の夢の中で生きる幸福を選ぶ。ここに二人の愛は完璧に成就される。

春琴と佐助の嗜虐・被虐を含んだ一方的な関係は、前近代の暗闇の中でしか成立しないものだ。佐助はトイレに付き添い、風呂で春琴の身体を洗い、足が冷えると言われれば、自分の身体に当てて暖める。春琴から対等の存在と認められることもなく、「生理的必要品」と見なされながら。そんないびつな幸福を明治の時代にも続けようとするならば、夢の世界に入るしかない。二人の幸福を想像すること。それは、日の光の差さない海溝に棲む深海魚の幸福を想うことに似ている。実際、奇怪に発達した彼らに、自分たちの想像もつかない幸福がないと言い切ることも出来ないのである。

「誰しも眼が潰れることは不仕合わせと思うであろうが自分は盲目になってからそう云う感情を味わったことがない寧ろ反対に此の世が極楽浄土にでもなったように思われお師匠様と唯二人生きながら蓮の台(うてな)の上に住んでいるような心地がした」。谷崎があえて選んだ「蓮の台」という大時代的な言葉そのままに二人を演じる俳優たちが蓮の台に見立てた畳の上を歩くとき、その言葉に思わず説得されてしまう自分がいた。

「春琴抄」に隠された、光と闇、近代と前近代の対照という骨太な構図。マクバーニーは「陰翳礼讃」を参考書として見事にそれを読み解き、ややベタな形で舞台上に構成してみせた。舞台「春琴」の持つ魔術のような説得力の強さは、そこに起因している。

ただ、劇中で読まれたテキストでも明らかなように、「春琴抄」はそもそも、谷崎にとっての現代(1933年(昭和8年))から江戸末期~明治初年という遥かな過去を振り返り、実際には存在しなかった人物、起こらなかった出来事を、彼の理想、「陰翳礼讃」に書かれた美学の実現として描き出したものだ。そのことを忘れると、観客は「自分の知らなかった古き日本の真の姿を見た」と誤解しかねない。

舞台「春琴」は、実際にその通りであったかどうか分からない「古き日本の美」を説く谷崎と、おそらくはそのことを重々承知の上で信じたふりをしてみせるイギリス人マクバーニーの共犯関係が作り上げた幻想である。それは、とてつもなく美しく、魅力的なペテンなのである。

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。そのほか経済評論も手がけている。

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