庭劇団ペニノ「苛々する大人の絵本」

◎困惑の無為と不可知論
伊藤亜紗(Review House編集長)

「苛々する大人の絵本」公演チラシ会場となった渋谷にほどちかいマンションの一室は、かつて王侯貴族のあいだで流行した「驚異の部屋」もかくやという標本空間である。剥製のオオツノジカやイノシシの頭と脚でできたテーブル、クロコダイルの模型、時代がかったワインなど奇妙なものが陳列され、それらの珍奇品と同じように役者もまた陳列される。物量がふえるのと同時に空間はますますちぢんでいくようにみえるが、もともとこの空間は何かの誤りであるかのようにせまい。背筋をのばせないほど天井が低いのに役者は頭におおきなかぶりものをしており、たちまちスカートやクロスに引火しそうな燭台をもってウロウロと歩き回っている。

黒づくめの二人の女は、ハンドアウトによれば「豚」と「羊」であるが、室内空間と同じくらいいびつな歯と歯茎を持っている。口を閉じることもままならず、猿ぐつわをはめられたような前歯のすきまから、ねちゃねちゃした白い食べ物や、わずかばかりの言葉を、かろうじて出し入れするのである。二本の樹木が天井と床から室内につきささっている。この樹木がだす白い液体を、流動食にかけて食べるのだ。「へえ…ここ粉吹いてる…ここ…ほら、粉吹いてるでしょ?…粉吹いてる…へえ」と「羊」は幹をさすって樹液の出の悪さを気にかけ、「豚」は豚で、死んでしまった小鳥を抱えて大声で泣きくずれている。

明らかに愚かな存在として描かれている二人(二匹)だが、その愚かさが、「困る」という解決の回避、行為の欠如として具体化していることに注目したい。部屋のほんとうのせまさは、この非-行為である。「樹木が部屋に突き刺さってきた」という異常事態や、「樹液が出ない」「小鳥が死んだ」などという非常事態に直面しても、彼女たちは、なぜそうなったのかと本気で理由を問うたり、疑ったりなどしない。対処するための現実的行動に出ることはなく、ただ部屋のなかをウロウロうろうろしたり、同じ台詞を反芻したり、ため息をついたりして、無為にすごすだけである。もちろん「困ること」は事実として、彼女たちの処世術になっている。事態が何も好転しなくとも、慣れてしまえば異常はそのまま常態へとスライドする。

「苛々する大人の絵本」公演
【写真は「苛々する大人の絵本」公演から。撮影=田中亜紀 提供=庭劇団ペニノ 禁無断転載】

閉じられた彼女たちの世界に変化があらわれるのは、中盤、「外部」が唐突に描かれてからである。その外部は床下に広がっている(つまり途中で床下を覆っていた板がはずされ、舞台は上下の二段構造になる)。霜のついた冷凍庫をおもわせるその世界は、ジオラマで構成されており、小人の国を訪れたガリバーのように、詰め襟を着た男がジオラマの風景の真中に横たわっている。この世界は、この横たわる受験生「ムラシマタケル」の世界である。ただし突然出現した二つの世界は、たんなる物理的な上下関係にあるのではない。どうやらムラシマこそ、豚と羊の世界におこっていたさまざまな出来事を、都合良く説明してくれる存在らしいのである。ムラシマの世界があるおかげで、豚と羊の世界におこっていたさまざまな出来事のつじつまが合うのだ。たとえば天井から樹木をつたって染みてきた雨水は、床下にたまってムラシマが枕にしている湖や周囲の氷結した山々を形作っていたのであり、床下から突き上げていたほうの樹木は、どうやらムラシマの変形したペニスだったのであり、ということは不思議な樹液はムラシマの精液なのかもしれず、もう一方の樹木はムラシマが淋病にかかったために樹液の出が悪くなったようである……。求めてなどいなかったにもかかわらず、「豚」と「羊」は自分たちの住まう世界のからくりを知らされてしまうのだ。

「外部」と出会った二人は、ほとんどはじめて会話らしい会話を始める。床板の割れ目から下界を覗いて、寝言をいっているムラシマによびかけるのだ。話を聴いているうちに、ムラシマがひどい妄想に取り憑かれていることが明らかになる。それは性欲が見させる妄想で、受験のプレッシャーを感じながらも(それじたい妄想の可能性が高いが)、妹「ミツコ」のかわいさがちらついて、勉強に手がつかなくなっている。ムラシマは、二人の目にとても「ムラムラしている」ようにみえる。夢オチ(妄想オチ)を予感させる展開だが、そうはならない。横たわっていたムラシマがむくりと起き上がり、「上がらせてもらいます」と言って、二人のいる床上の世界へともじどおり上がってくるのだ。

外部のこの暴力的な侵入は、二人にとって異常事態である。とはいえ、彼女たちはもちろん戦ったりなどせず、あくまで後追い的に事態に対応し、自発性を欠いたまま、無為のうちに時間がすぎようとしている。あまりに一方的な勢いに今回は困る余裕さえないが、ムラシマが「豚」に向かって「母さん、夜食ちょうだい」といえば彼女はとりあえず食事(といってもあの白い流動食)をもってくるし、「羊」に向かって「ミツコも何かつくってよ」といえば同じように料理をはじめる。身を守るためにムラシマの妄想につきあって演技をしている、というのではなく、とりあえず目の前の指令に応じているだけである。

だから、凸に対する凹として、攻めと受けが一体になっているわけではない。さまざまなミスや思い込みのせいで、彼女たちは受け身としての役割を逸脱してしまうのである。ムラシマと羊や豚の関係は、凸対凸である。ムラシマが豚を「ミツコ」と妄想して欲情すれば、その「豚」はムラシマをべつの男性(麗しのゲイボルグ様?)だと思い込んでいて、二人は誤解したまま接吻してしまう。あるいは「羊」が忘れていたと差し出すシカの頭部に、ムラシマは「おかーさーん」とアングラ演劇を思わせる絶叫の抱擁をする。つまり、上下の世界は物理的にはひとつになっているが、じっさいにはひとつになど全くなっていないのである。空恐ろしいのはむしろ、ひとつでないにもかかわらずかみ合っていることである。独り言をしゃべっているのに、たまたまとなりにいたために対話してしまっている人々(!)。三人の愚者たちは、テーブルのうえにおかれた三つの物のように、永遠におたがいを知ることがないだろう。フェティッシュなまでの物質的な豊穣さが庭劇団ペニノの特徴だが、それは、観念や意味からその確かさを剥奪するという戦慄の手続きによって成立しているのである。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第91号、2008年4月23日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
伊藤亜紗(いとう・あさ)
1979年東京生まれ。東京大学大学院にて美学芸術学を専攻。現在博士課程。ダンス・演劇・小説の雑食サイト「ブロググビグビ」も。08年1月に超自由な批評誌「Review House」を創刊。

【上演記録】
庭劇団ペニノ15th「苛々する大人の絵本」
日時 2008年4月11日(金)~26日(土)
会場 はこぶね(劇団アトリエ)

作・演出:タニノクロウ
出演 山田伊久磨・島田桃依・瀬口タエコ 他
料金 2300円(日時指定・入場整理番号付き自由席)

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