ダンスボックス「≒2」(エイブルアート・オンステージ)

◎豊かな混沌にいざなう表現へ エイブル・アートの出会い、共鳴、可能性
鈴木励滋(舞台表現批評)

「≒2」公演チラシ入り口反対側の奥まったところにあるトイレの方から強い照明が差し込み、ロビーに集い談笑していた人々は静まりかえり視線を送る。そこから大音量で音楽が流れてきて、光の中から現れた車椅子に腰掛けた女(山村景子)の手に抱えられたラジカセが音の源のようである。


車椅子を押す女が音楽を止め、山村に紙を手渡す。その紙を折る彼女の視線は前方の空に定められ、ぎこちない手でゆっくりと、感触だけを頼りにして折っているようである。紙飛行機だろうか?
引き込まれるように彼女の手元を見つめる人々が息を殺しているからか、ロビーには紙を折るかすかな音しかなくなっている。いや、スピーカーからも紙折りの音がしていて、それは次第に増していった。彼女は紙飛行機を飛ばし、するとまた、紙を渡された。車椅子を押され女が去ると、少女のように小さな女(白井宏美)とかなり小柄な車椅子の男(福角宣弘)が紙飛行機を次々に飛ばす。拾っては飛ばし、飛ばしては拾う。ハメルーンの笛吹きにいざなわれる子供たちのように彼女たちの後を追って私たちは会場へと向かったのだが、その道行きは少々面白味に欠ける雰囲気の通路であった。
それも致し方ないことで、ここは丸の内にある明治安田生命の本社ビルであり、辿りついた場所は株主総会なども開催されるというホールであった。

▽芸術の枠組みを問い直す

『≒2(にあいこーるのじじょう)』は、2004年から始まった「エイブルアート・オンステージ」活動支援助成の第4期に選ばれた7グループの内のひとつ、NPO法人ダンスボックスによる「循環プロジェクト」の成果ともいうべき作品であるが、そもそもエイブル・アートとは何なのか。

障害者芸術と呼ばれていたものから脱皮する形で、1995年に「エイブル・アート・ムーブメント」と名乗る運動が起こり、東京都美術館での展覧会を成功させた。障害がある人たちが努力して一定のラインを越えられたものを、既存の芸術の枠組みに加えてあげるというのではなく、その枠組み自体をも問い直す可能性を秘めた運動である。

「エイブル・アート」に影響を与えたものとして、昨年日本でもドキュメンタリー映画が公開され話題になったヘンリー・ダーガーなどを評する際に用いられる「アウトサイダー・アート」や、そのもとになったジャン・デュブュッフェの「アール・ブリュット」がある。「アウトサイダー・アート」も「アール・ブリュット」すなわち「生(き)のままの芸術」も、その名前が示すとおり、たとえ正統な芸術教育を受けていない者たちの表現に至当な評価をせんがためのものであったとしても、ひとまずは芸術の“主流”という概念をおいた上で、そのアンチテーゼとして存立していた。それに対して、それらを踏まえて提唱された「エイブル・アート」は、新たな選択肢(オルターナティヴ)を志向する、より挑発的で戦略的な意図が含まれた命名であったといえよう。

「エイブルアート・オンステージ」公演から
【写真は「エイブルアート・オンステージ」公演から。撮影=金子由郎 提供=エイブル・アート・ジャパン 禁無断転載】

最初は美術館での展示、とりわけ絵画の類が主であったが、書や写真や陶芸や裁縫というさまざまな形態での表現に広がりをみせ、とどまるところを知らない。従来であれば障害特性のこだわり行動だと切り捨てられていたような、たとえば紙切れに毎日ほぼ同じ文面の手紙を記したり、食べ残しを寄せ集めて積み上げたり、といった行為をアートであると展示してしまう人たちさえある。世田谷美術館など数々の美術館での展覧会やこの動きを扱った映画もすでに何本も撮られている。

これほどまでにエイブル・アートが広まりを見せる背景に、現代社会が「癒し」を欲しているという指摘がしばしばなされるが、その癒しについて栗原彬は〈消極的癒し〉と〈積極的癒し〉があるという興味深い見解を示している。
栗原によれば、資本主義の進展により、経済的利益と権力を追求する組織およびシステムが社会を征覇し、人間は生産と戦争に動員されるマンパワーにモノ化され、それにより生じた抑圧と苦痛に耐えかねた現代の人々は癒しを欲さざるを得ない。けれども人々が手にするもののほとんどは、システムを補完/補強する対症療法的で、なおかつ決して抑圧と苦痛を根治させることのない〈消極的癒し〉にすぎず、むしろ抑圧と苦痛を拡大再生産し続けるのだ。そのような現代社会の本性そのものを組み替えうる構造的で深い〈積極的癒し〉が、それとは別のものとして存在し、それこそがエイブル・アートの可能性の所以であるというのだ。
これは「現代社会における受苦と癒しの構造 エイブル・アートの意味」という文章の中で述べられていて、財団法人たんぽぽの家が発行した『アートフル・アドボカシー 生命の、美の、優しさの恢復 芸術とヘルスケアのハンドブック』に所収されている。

たんぽぽの家とは奈良にある施設で、運動を提唱し推進してきた「エイブル・アート・ジャパン」の母体でもある。
このような思想を屋台骨として展開してきたムーブメントが、さらなる表現の場を求めて、明治安田生命の社会貢献プログラムの協力を得て立ち上げたのが「エイブルアート・オンステージ」という舞台表現のプロジェクトなのである。

第4期の助成対象の内、山の手事情社の倉品淳子が演劇におけるマイノリティである60歳以上の女性たちと三島由紀夫に挑んだ『よろぼし』と、NPO法人ダンスボックスの『≒2』が、それぞれ福岡と大阪で盛況を呈したことにより選出されて都内で公演のはこびとなったのだ。

▽自信に満ちた舞台

そのような経緯もあって、丸の内のオフィス街に似つかわしくないであろう人々が集い、紙飛行機に導かれて明治安田生命ビル四階のホールへと足を踏み入れたのだった。
400㎡ほどの広い会場には会議用の机がロの字型に二重に、そう、回の字型のように配置してあり、まさに会議でも始まるのかという雰囲気であった。
一角には卓上ライトの下で何か書いている女性がいて、会場には二人の女性がささやく声が重なるように流れている。

さきほど先導していた車椅子の男は回の字の机の空間に入り込み、気づけは脊椎に側弯がある小柄な女(森田かずよ)が対峙するかのように反対側に立っていた。
明かりは天井から下げられた電球のみとなり、薄明るい中で二人はゆっくりと近づき、触れられるほどの距離まで行くと後ずさりし離ればなれとなる。幾度かそれを繰り返すうちに二人の速度が増し、四隅からの灯りが強まってくると彼女の走る影が壁に映し出され、その美しさに見とれているとさらに二人の勢いがついていき、つられてこちらの鼓動が速まっていく。彼女の走り方はギクシャクとしていて、どうやら片方は義足のようである。もはや危険なスピードに感じられハラハラしていると、案の定いく度目かの接近で衝突してしまった。
唖然とする間もなく車椅子にしがみついた女を引きずる男。必死でつかまる女を冷たい目で見下ろしつつ振り落とそうと車輪を前後する男。スピーカーからは金属がコンクリートに擦れるようなノイズ。缶や太鼓、ガムランのような響きが膨らみを増していく。
ここの絡みは振り付けを担当した砂連尾理の面目躍如、「じゃれみさ」の公演に勝るとも劣らないほどエロティックであった。
離れた男は激しく回転し、鍵盤ハーモニカが鳴る中で女は危ういバランスで踊る。

森田にとってはバランスを保ちつつ踊っているとしても、わたしの常識ではアンバランスで危険と見えてしまう。彼女たちの存在そのものも異形と映るわたしたちの歪んだ狭い常識が逆照射されて浮かび上がる。
とはいえ、同情タップリな慈愛の心持であろうが、かつての「見世物小屋」の客さながらな好奇の目であろうが、彼/女たちを消費するだけの特権的立場としての観客の位置にいることには変わりない。
けれども、同情や憐憫や興味本位でも出会いのきっかけはなんでもいいと大谷たちは考えているのかもしれないと思える舞台であった。「そこから引き摺り下ろせばよい」という自信に満ちた舞台に見えたのである。

▽人間のつながりが見える

だからこそ大谷は、全幅の信頼を寄せるアーティストに声をかける必要があったのではなかったか。
今回はさまざまな障害がある人たちとスカンクが音楽、視覚障害がある人たちと川井ミカコが美術、身体障害がある人たちと砂連尾理がダンス、それぞれ担当したワークショップを積み重ねることでフレーズ/断片を作り、的確に組み合わせることで消費されるだけでは終わらない底力を得た。

「エイブルアート・オンステージ」公演から
【写真は「エイブルアート・オンステージ」公演から。撮影=金子由郎 提供=エイブル・アート・ジャパン 禁無断転載】

それぞれのパートがまことに多様な刺激に満ちていた。車椅子の男が回の字の机の周りを走るスピードの凄まじさ。壮絶に鳴らされる足踏みオルガンや、突如としてブラインドが開き現れる丸の内のビルや、扉を開けると響き渡る轟音とストロボ。
車椅子の女が客席の周りを運びまわるスピーカーからは、ウゥワァー、アァーウ、という悲鳴のような声が繰り返し、そこにドラムやピアノがかぶさっていった。ウゥワァー、アァーウ、という声は執拗に繰り返し、初めはわたしたちの狭義の常識によって黙殺されてきた者たちの叫び声なのではないかという気持ちが湧き、さらに何度も何度も聴くうちに、歓びの声であるかのようにも感じられるようになっていき、気づけば涙がこぼれていた。
スカンクたちが作り上げた音楽はあまりに秀逸で、ワークショップの充実した風景が見えるようであった。

緩急の施し具合も巧みで、脳性まひの女(福角幸子)が車椅子を押す女と連想ゲームのような言葉のやり取りをするシーンは、一転して静謐そのものであった。
「よろこび→祝福→出産→誕生→いのち→ひとり→孤独→暗闇→囲い→オリ→象→子供たち→むじゃき→笑顔」
福角の声の波長が、彼女の言語障害ゆえに聴き取り難いにもかかわらず、なぜか心の奥まで届いた者は少なくなかったはずである。

冒頭の男女の絡みとならんで印象的な振付に、右手を水平に一回サッ、さらに右手を縦に二回トントン、今度は左手を水平に一回サッ、そして右手を縦に二回トントン、それを繰り返すというものがあった。白井と森田のデュオで、サッ、トントン、体の向きを変え、サッ、トントン。白井が黙々と続けるなか、次第に森田の体が傾いでゆき、倒れんがばかりになりつつも踊る。大谷は一人でやると意味になるが、二人でやればダンスになると語っていたが、まさに、見事なダンスであった。
このパートは、白井が振りを憶えるのが難しいからとダンスから遠ざかってしまった際に、大谷たちが彼女の日々通っている作業所に赴き、彼女が日ごろしている仕事に目をつけ生まれたという。
水平に一回サッ、縦に二回トントン、あれは機織の動作だったのだ。
ここにも作品を通した人間のつながりが見て取れる。

終盤、舞台中央に光があたり、人々はそこで輪になる。ささやきとパーカッション、さらに弦楽器が重なりゆき、彼/女たちを包み込み、わたしたちにも降り注ぐ。あおいさちこを交えた五人のダンサーが手踊りを合わせ、両手でハート型を作る。ギャビン・ブライヤーズの「タイタニック号の沈没」を思わせる、かすかに悲しくも限りなく愛情に満ちた荘厳な音楽が高まりゆくなか、誰もが手や身体をちぎれんばかりに揺さぶりつづける。
そして、彼/女たちは両手をひらひらとしながら颯爽と退場し大団円を迎えた。

会議室様の会場内では少々酷な環境で、少し浮いていたかに見えた川井たちの美術は、最後にすごいものを用意していた。終演後の会場を出ると、暗くなったロビーの天井から吊るされた千数百の紙飛行機が照らし出されていて、息が詰まるほどであった。
そこには濃密な時間が見えるような気がした。むろん数量としての時間ではなくて、山村がたった一人で折ったというその見えない様が、その際の何千回もの紙擦れの音が、瞬時に立ち現れたかのようであった。一息ごとに彼女の想いがわたしの肺腑を満たしていくかのようで、その場でしばらく立ちすくむしかなかった。

▽一段と厳しい歩み

以前観た障害がある人たちの舞台作品の多くに、学芸会での発表ような印象を持った。それは、質が低いと言いたいのではなく、観る者を意識する作り手としての客観性が足りなかったように思えたということだ。
音楽やダンスを専門とするアーティストが創作に加わり、障害がある人たちと共に楽しむようなスタイルは、内輪受けに陥りやすく、初見の観客は置きざりにされてしまうこともある。

訓練を重ね唯一の“正解”へと向かうような作り込みをしていくと、こぼれてしまう人が出てくる。それゆえに一緒に楽しむという余暇活動の延長のような形態が広まっているのだろう。だが、身内が観に来てくれるからよいというのではなく、金を取って他人に見せるというプロ意識は必要なのではないか。ジョン・パルマーとジェニー・シーレイの作品を観て、その思いを強くしたものだ。

下着姿の五人の障害がある人々と洗濯物干しというシンプルな仕掛けと最小限の言葉のみを用いた『Scene Changes』(2005年8月、国立オリンピック記念青少年総合センター)で格の違いを見せ付けたFull Body & The Voiceのジョン・パルマーの『Stepping Stones』と、自らもろう者のジェニー・シーレイの『血の婚礼』は、シアタートラムで上演され大きな反響を呼んだ。

それが「演劇先進国」のイギリスからの二人だからできたので、日本のアーティストにはできないなどという愚かな分析になるのではつまらない。それはむしろ、日本においてアーティストと社会とが断絶していることの証左なのだと言えまいか。

パフォーマンスユニットくらっぷの『掟の門』(2006年10月、新宿タイニイアリス)は、一人芝居を得意とするもりながまことが奈良の施設から委託を受け、デイサービスの一環から派生させた作品である。
あなざーわーくすのわたなべなおこは、観客を引きずりこみ演技させつつ作品を成り立たせる独自の演出手法を援用して、障害がある人たちを巻き込んで『ぶらり途中下車 銀河鉄道の夜』(2006年5月、西荻窪 アトリエカノン)を上演した。
このように、身内のみを対象としたものから抜きん出た作品が国内にも現れ、日常的な関わりに入り込み創作する形や楽しみつつ一緒に作り上げていく参加型はひとつの到達点を見せたのではなかろうか。

『≒2』は、そこからさらに一段と厳しい歩みを進めたように思う。

「障がいのある人・ない人の境界線を、舞台表現を通じて、どのように越えることができるかという試みです。私たちは〈差異〉ということを、自然に受け止め、優劣という物差しではなく独自性として発見できるように、孤立している人々や状況に橋をかけ、幾重にも循環していくような関係性をつくり出したいと考えます。」というのは、「循環プロジェクト」についての大谷の言葉であるが、字面だけ見たときには、境界線を越えるとか〈差異〉を独自性ととらえるとかいう発想が、単なる価値の相対化を目指しているのではないかと思われた。
つまり、明らかに〈差異〉によって疎外されている人たちに対して、「違いがあったっていいじゃないか」と臆面もなく言ってのけるのではないかと、心のどこかで疑っていた。

だが、次の二つの確信によって、それが杞憂であったと思い知る。
まず、「循環プロジェクト」に携わる人々は、障害がある人たちに一方的に何かを与えるという傾斜関係ではなく、彼/女たちと肩を並べる覚悟を持っていたこと。そして、〈積極的癒し〉ともいえる、社会や人間の関係性の組み直しを志向していたように思えたことである。

大谷は、自分たちに厳しくするように障害がある人たちにも厳しく接したと語っていた。つまり、何かをしてあげるという関わり方ではなく、彼/女たちをプロのアーティストとして扱い、共に作品を織り成す同志と見なしていたということだ。だからこそ「循環プロジェクト」は、〈差異〉を相対化し曖昧にするのではなく、〈差異〉を際立たせた上でそこに付着している負の価値を転倒させる可能性を手に入れたのだ。
すなわち、自ら表現者であることを放棄したかのような、障害がある人たちを指導するという固定された立場に身をおいてしまった者の関わりからは、〈積極的癒し〉に到ることは土台無理なのだということでもある。

なぜならば、「障害」という言葉で名づけられるのは、ある人の機能形態や能力だけではなく、その人と他者との“関係”そのものでもあり、「障害者」と括られた人たちだけが関係性における障害の解決に努めるというような問題ではなく、関わりを持つ誰しもが主体として共に立ち向かわねばならないものなのであるから。

▽可能性の芸術である証

公演から一月ほど経て、大谷たちNPO法人ダンスボックスの活動について話を聴く機会があったのだが、これまでの彼らの仕事を知れば知るほど、「循環プロジェクト」とエイブル・アートと連なりは然るべきものであると思うようになった。

大阪・新世界の活気を取り戻すために42年ぶりに盆踊りを復活させたり、さびれた「ニュータウン」に乗り入れている電車内や駅構内で作品を発表したり、学校や障害がある人たちの施設にダンスのワークショップを出張したり、中年男性をターゲットとした「アート・キャバレー」を展開したり、子供たちに本物の公演を体感させたり、街のあちこちにダンスの現場を立ち上げたりと、人と人を繋ぐためにダンスができることを精力的に模索しているように思われた。

そんな大谷たちが、障害がある人たちの受ける抑圧や苦痛と出会った時、共に踊ろうとしたのは極めて自然の流れであろう。

アーティストが単に講師として参加するのでもなく、もちろん自らの表現の場を得るために障害がある人たちを利用するのでもなく、もともとダンスによって社会や人間の関係性をよりよいものへと組み替えようとしていた彼らが、同じように社会に働きかけているエイブル・アートという運動と出会い共鳴したというわけだ。

『≒2』を観た者は、エイブル・アートがまさに可能性の芸術である証をそこに見て、心が躍るはずである。それは、「障害者」が救われるからではない。もう手の施しようもないようなわたしたちの世界と、もうダメかもしれないわたしたち人間が、救われるわずかな方途がそこに立ち現れる瞬間を目の当たりにするからである。

「エイブルアート・オンステージ」への明治安田生命による助成は5期で一段落ときいた。なんとも残念で、ぜひ支援を続けてほしいものである。そのステージは、ただアーティストと障害がある人たちを繋ぐにとどまらない無限の可能性の地平を現出させる。まさに、アーティストと社会を結ぶ場、そしてそこにある可能性は、現代社会の抑圧と苦痛を真に癒しうる舞台なのである。

本作『≒2』は引き続き第5期の助成対象にも選出され、今後は各地を巡回するという。コンドルズ、BATIK、Nibrollといった現代を代表するカンパニーに続いて招聘される桜美林大学での公演を皮切りに、兵庫や再びの東京へと大谷たちの旅は続く。ベルリンでの公演も計画されているという。

その中でさらに磨かれることで、より多くの人たちを揺さぶりそして繋げ、孤独の寄せ集めのような社会を、豊かな混沌へといざなうような表現とならんことを期待してやまない。
(初出:マガジン・ワンダーランド第125号、2009年2月4日発行。マガジン購読は無料。手続きは登録ページから)

【筆者略歴】
鈴木励滋(すずき・れいじ)
1973年3月群馬県高崎市生まれ。栗原彬に政治社会学を師事。障害福祉の現場で喫茶店の雇われマスターをしつつ、「ワンダーランド」などで演劇やダンスの批評を書いている。ウェブログ「記憶されない思い出」を主宰。

【上演記録】
エイブルアート・オンステージ コラボ・シアター・フェスティバル Aプログラム
NPO法人ダンスボックス 循環プロジェクト公演『≒2(にあいこーるのじじょう)』
明治安田生命 MY PLAZAホール(2008年12月12日-13日)
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上演時間:約60分
統括:大谷 燠(DANCE BOX)
■ダンス
ナビゲーター:砂連尾 理
出演:あおい さちこ、白井 宏美、福角 宣弘、福角 幸子、森田 かずよ、以倉 里江子
■美術
ナビゲーター:川井 ミカコ
制作・出演:山村 景子、磯貝 直子
■音楽
ナビゲーター:スカンク
演奏・編集:酒井 徹、谷口 亜紀、宮園 稔、村上 理恵、ホタ

【スタッフ】
舞台監督:大田 和司
照明:三浦 あさ子、三枝 淳
音響:スカンク
アシスタント:以倉 里江子、濱見 彰映、森本あやこ
協力:松本 じろ、椎名 保友、中西 恵子
記録:金子 由郎、佐々木 友輔
イラスト:阿部 真理子
オリジナルチラシデザイン:杉崎 真之助
宣伝美術:京
制作:文(DANCE BOX)、長津 結一郎

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  1. ピンバック: suzukireiji

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