ユニット・トラージ「アチャコ」

◎博覧強記のリテレート
片山雄一(NEVER LOSE 作/演出)

「アチャコ」公演チラシ私にとって演劇はチラシを手に取った瞬間から始まる。
東京での折り込みの多さにはうんざりするが、そういう時は開演までの時間を利用して、気になるものだけを持ち帰るようにしている。その中にいつからか『アチャコ』のチラシが鞄の中に紛れていた。どうやら、北村想(私ごときが呼び捨ても恐れ多いのだが申し訳なく、敬称略)書き下ろしの『アチャコ』公演のために集まった面々が「ユニット・トラージ」だということだ。


「トラージ」とは何だろう。韓国語でキキョウのことを「トラジ」というが関係はあるのだろうか。英国ROKSANでアナログ再生にこだわるインド人、トラージ・モグハダム氏から取ったのか、それとも株取引のアービトラージなのか。
気になりながらチラシをひっくり返す。
いつも楽しみにしている北村想のチラシの裏面挨拶には、

ゴダールの『ウィークエンド』を観たのは、高校生の時で場所は京都である。なんしろ、滋賀には映画館なんてのはなかったから、(映画をやってたところはあったけど)洋画を観るなら京都まで行くしかナイ。ATG系の映画もみな京都で観ている。当時は十代で多情多感、何を観ても勃起したものだが(今は抗鬱剤の副作用によるインポテンシャル三年目に入ろうとしている。多情多感は変わんないけど)、とりわけ彼の映画の冒頭ではフランス語とその字幕で股間を熱くしたのであった。そこで目論見としてあるいは企みとして、いつかそのような戯曲を書いてやろうと内心狙っていたのだが、今度その機会が訪れた。このお下劣、お下品で、哀愁をさへ誘う作品を、変態小林正和の演出でお送り出来るのは僥倖であるが、もちろん、女優に出演依頼をするさいに、その内容においてなかなか決まらず、これには、過去の土居の悪行も関係していたことはいうまでもないが、しっか~し、高橋鐵先生の功績とその真摯なる学究を、微々配した戯曲の主題を読み取ってくれた有能なる実力派の女優も揃えることが出来、ついに作品を世に送り出すことが出来た。なおタイトルの『アチャコ』の意味するところは、作者の私にも依然として不明である。(北村想)

とある。
『ウィークエンド』はゴダールのヌーヴェルバーグ作品だが、渋滞シーンが延々と続き「週末」が「終末」の暗示であったり、様々な引用暗喩明喩の難解さとは裏腹に、大人が思い切りフザケている映画である。
結論から言うと『アチャコ』は、当初はもしか花菱アチャコのことかと思ったが、話しが進むにつれ、全く関係ないどころかアチャコの意味するところすらよく解らない。しかもアチャコとアチャラカは違うらしい。真面目に観ようとすればクモの巣にでも引っかかったように???といつのまにか罠でぐるぐると巻かれてしまう。
登場人物は5人のはずなのにいつの間にやら6人目が出ていたり、洒落や言葉遊びは当たり前、演劇のメタ構造から踊りや歌、お下劣お下品な言葉とシーンのオンパレード、リーディングからチャンバラ、唐十郎作品の説明や麿赤兒の読み方まで出て来る。
勿論そんな元ネタが解らなくても十二分に楽しめる、いい年した大人が思い切りフザケている芝居であった。

演出は小林正和(恐れ多くも敬称略)長年、北村想と一緒に芝居をして来た、元プロジェクト・ナビのメンバー。
記憶違い勘違いでなければ、確か北村想が「もうナビは東京でやらねえ」とかなんとか仰ってから、もう10年くらいは経ったのではなかったか。
ナビは解散してしまったし、確かあれから「作/演出」は東京でやってないよねえ。知らないだけ?え、ということは観れるのね?あの頃のプロジェクト・ナビの感じとか、多分観れちゃったりするのね?と楽しみにしながらこまばアゴラ劇場へと足を運ぶ。
アゴラの階段を上ると舞台セットはドラム缶風呂ひとつだけ。他には薪程度。
最初のト書きがまた面白い。

いわゆるドラム缶風呂というのがどういう構造、仕組みになっているのか未だにワカラナイのだが、およそ直火でドラム缶内の水を湯にしたものなら、これに裸足で入るのは火傷をともなう。しからば弥次喜多が五右衛門風呂を勘違いして下駄を履いてこれに入浴したように、おそらくは下駄を履いて入浴したのではなかろうか。
ともかく、舞台にはそのドラム缶風呂が設けてあり、これが舞台装置の全てである。
とはいえ水をはる必要はなく、ちょいと湯気でも出ているような工夫があればいい。
ここにハダカの中年男性が(入浴しているのだからハダカなのはアタリマエなのだが)入っているとして、このドラム缶を沸かしている下男のような男がいて、さてそこへ、男とも女ともとれる、中性的魅力にあふれたる若者が鞄を抱えて登場する。
詳細にいうと、ドラム缶に入浴の男性は、小説家大河内伝三郎であり、下男にみえるのはその弟子(一番弟子)室岡半兵衛であり、やってきた若者は二番弟子木の坂小暮である。

「アチャコ」公演から
【写真は、ユニット・トラージ「アチャコ」から (C) ユニット・トラージ 禁無断転載】

構造がワカラナイものを唯一の舞台装置として置くのがまたすごいのだが、そのどういう仕組みかワカラナイ、ドラム缶風呂に入っているスキンヘッドの先生、大河内伝三郎は、やはり元プロジェクト・ナビ、現在は岐阜の劇団ジャブジャブサーキットの土居辰男(敬称略)一番弟子の室岡半兵衛は星の女氏さんの渡山博崇(略)二番弟子木の坂小暮は女優の空沢しんか(田各)が演じている。

室岡半兵衛「どうですか、湯加減は
先生「うむ、ちょうどいい。
室岡半兵衛「そうでおますか。
先生「ぬるくならんようにな
室岡半兵衛「といって、熱すぎるのもイカンと。
先生「まさに、そうじゃな
室岡半兵衛「いい加減がよし、と
先生「そう、いい加減だな。

とこうしてまさにこの「いい加減」な芝居は始まる。
そのすぐ後に木の坂小暮が登場して、小説の行き詰まりを相談すると

先生「じゃあ、あれ、したまえ
木の坂小暮「あれ、とは
室岡半兵衛「鈍いやつだな。リーディングだよ。読んでみろと仰っているんだ。
木の坂小暮「ああ、失礼いたしました。

読もうとするも、のらりくらりと先生に交わされ半ばしょうがなく、木の坂小暮は作品を読み出す。

北風
木の坂小暮
木枯らしを観ていた。
彼と私と、二人とも全裸だった。
ストーブが赤々と燃えて、薬罐からは湯気が出て来た。
六畳の私のアパートの部屋で二人して窓の木枯らしを観ていたのだ。
最初それを言い出したのは私だった。
「ねえ、犬のようにしない」
彼は、なんのことだかワカラナイ顔をした。
「犬になるの。着ているものは全部脱いで、四つんばいになって。コトバを使ってはいけないの。それで、舐め合って交尾するの」
彼は、こんどはたいそう驚いた表情になった。
だって、彼が私の部屋に入るのは初めてだったし、デートもこれが初めてだったからだ。
「どうせ、スルようになるんだから、刺激のあるのがいいの」
接吻さえまだ交わしていない彼には、私の提案は刺激的というよりも、ただただ驚嘆と、私という女性についての一種の畏れをもたらしたようだった。
しかし、彼はその若さから。私の申し出というか、誘惑を受け入れた。
私たちはお互いに最後の下着を脱ぎ捨てると、四つんばいになって鼻と鼻とをこすりあい、唇を舐め合って、舌をからませた。

なるほど、チラシ裏の「股間を熱くした」とはこのことかと思いつつ、思わず前に体を傾けながらそのリーディングを聞いていると、それがいつの間にか『南総里見八犬伝』の話にすり替わり、それどころか男の父が野犬になる前に小犬を処分した話に変わる。それを聞いた先生の感想は、

先生「勃った。

どうも、こちらが本気で観ようとせざるを得ない状況に追い込みながらも、肩すかしを食らわされ、「ゲラゲラアッハッハ」という笑いでは無く、大人の笑いというかなんというか「くすくす」「まあ」「いやぁね、もう」という空気に変えさせられる。
しかもまたその肩すかしも、本気とも冗談とも取れる、博覧強記の肩すかしだ。
演出の小林と俳優達はその戯曲を熱くもぬるくも無くまさに「いい加減」にコントロールする。
編集者神崎茜(斉藤やよい B級遊撃隊)は都合良く現れ、何故かと問えば編集者だけに登場のシーンは編集でカット。

神崎茜「『北風』いいタイトルじゃありませんか。
木の坂小暮「ちょっと読んで頂きたいんです。
神崎茜「もう脱稿したんですか。
先生「脱肛は、私の痔だけど。(いってみただけ、無視される)

とまあ、その後の展開も北村節は冴えわたる。
次のト書きも「いい加減」ながら、真面目に観ていると演劇の本質が見えて来る。だが、ここまで来るともう笑うしかない。真面目に観たら馬鹿をみる。

で、ドラム缶風呂から出るのだが、私は、いつも不思議だったのだが、その上がり方で、映画でも、そのシーンを観たことがナイ。というのもドラム缶はけっこうタッパがあるから、へりを跨いで出るとき、ケツを一旦、へりに置くのだろうか。

なるほど、言われてみればその通り、そんなシーンは観たことがない。ならばこのドラム缶から出る処理を、一体どうやって解決するのか。
「照明は誰がつけたのか」「音響は誰が鳴らしたのか」という平田オリザの提唱と同じく、これはもしかして重要な提言ではなかろうか。ト書きは続く。

しかし、大胆にも、褌をしているとはいえ、大河内伝三郎はそのまま一気にドラム缶を跨いだのである。当然ながら、ケツのはざまにドラム缶のへりが来ることになる。外に出した足はドラム缶より短いので、地につかない。薪をくべる分、ブロックで高くなっているので余計にそうである。
こちらに背を向けているとはいえ、大河内伝三郎はのケツは、ドラム缶のへりを挟むカタチになった。つまり、片足はまだドラム缶の中、肛門を中心のやじろべえである。
ここに、大河内伝三郎が脱肛の持ち主であることの布石は、みごとに、その役目を果たしたことになる。

ここいらで真面目に観るのを諦める。人間、そのタイミングを見誤ってはいけない。戯曲も台詞誰々のところに「先生」と書いてあるのがここら辺りから「大河内伝三郎」と変わる。かなわないなあ、もう。
へりで宙ぶらりんになっている大河内伝三郎の為、室岡半兵衛は踏み台を探しに引っ込む。木の坂小暮と神崎茜は意に介さずになぜかピザ屋に行ってしまう。
とそこに女がスススと現れ四つんばいになり、踏み台代わりに大河内伝三郎を助けだす。聞けば高橋鐵先生(実在の人物)の弟子になる寸前、高橋鐵に亡くなられた樋口葉子(ジル豆田 てんぷくプロ)とのこと。
あ、先生って名前だと混乱するから「大河内伝三郎」にしたのかしら。樋口葉子はまんまと大河内伝三郎の三番弟子になり「樋口三つ葉」との名前を貰う。

とまあ、ここら辺りから、弟子達を交えて(時には6番目の登場人物を交えて)「お下劣」「お下品」がどんどんと展開していくのだが、これ以上内容に触れあまりに引用しすぎると、まだ大阪名古屋公演が控えているのでどうにもよろしくない。しかし『アチャコ』が意味するものの一端が、私のような者が書いた文章で少しでも伝わってくれれば幸いである。
観劇後は、是非戯曲の購入をオススメする。別に買収はされてはいない。本当にされてはいない。戯曲を読み直して気付いたのは幾つかのシーンが書かれていなかった事だ。実際に観た人は解るけどあの、あれ、アソコね、NHKに北村想が出た話のシーンとかね。あのウルトラマンのところで、カラータイマーが点滅して「あ、ウルトラマンが危ない!」と北村想さんも一緒に頑張っちゃうアレとかは販売戯曲には書かれていない。

そして何よりト書きの指定が面白い。ということは読み物としての「戯曲」の物語性と「俳優の身体を通した舞台表現」とが、しっかりと疎外されているということだ。表現としての「いい加減」のちょうど良さを支えたのは、長年北村想と連れ合った演出の小林の「いい加減さ」と、個々の俳優の「いい加減」さは別々のものだということでもある。自らを現実からフィクションの世界へ転化する俳優はその過程を経て、現実に在る時とは違った変容をうけながら存在する。

さて、ここで最初に引用した

このお下劣、お下品で、哀愁をさへ誘う作品

最後に残った「哀愁をさへ誘う」作品について触れてみたい。
少し脱線するが、話に名前や本のタイトルだけでて来る性科学のパイオニア「高橋鐵」先生は、 随分と強烈な方であられたようである。

高橋鐵は日本における性科学の開拓者。生涯の著書の数が50余冊、60万冊といわれる蔵書の間からは巨大な男根や女性器の石膏型、性具などが置かれていた。
戦前の大学時代はマルクスとフロイトに傾倒しながら、カルピス宣伝部に勤めた。「カルピスは甘酸っぱい初恋の味」という良く考えたらとんでもない宣伝文句もあったものだが、高橋邸を訪れると寒い季節は別だが「初恋の頃を思い出して下さい」と言われカルピスを出されたらしい。
昭和9年に「裸体解放、恥毛解禁」を提唱し、昭和12年には「フロイド賞」を受賞。昭和15年に『太古の血』という小説を出せば憲兵に銃剣を突きつけられとっ捕まり、その一方でトンボ鉛筆の「太平洋に一線を引け!強く、濃く、正しき線を」という斜めに線の引かれた新聞広告では商工大臣賞を貰う。その種明かしは「右上方の空間に突き出ている一本の斜線こそ、ペニスの勃起角度なんだぜ」というアチャコなお人。

戦後の翌年、昭和16年に設立していた「日本生活心理学会」を正式に「私的」な性研究団体へ、昭和24年に出した『あるす・あまとりあ-性交態位62型の分析』は戦後初めて日本人男女のセックスを、心理的肉体的技術的に余すところなく分析解明した、百万部を越えるベストセラー! まだまだ食べ物が無い時代だとは思うが、やはりそれでも性欲か。
この本の帯には「この本を他人にお貸しになってはいけません!! あなたのお手許には再びもどらないことでしょう 全国の家庭人が一家に一冊は備えて一生を豊かにされるよう 日本人に最もふさわしい問題の性愛書遂に公刊!!」と書いてある。

その後も性科学を真面目に研究するが、昭和33年にわいせつ図画配布で逮捕告発。猥褻犯というハレンチな罪科の為か、母てふはその年末に他界、昭和45年まで最高裁で争うが一審判決をくつがえせず罰金刑に。また先生、実は胃潰瘍なのに深酒がたたり翌年昭和46年に直腸癌のため死亡。新聞記事の死亡欄には「社団法人生活心理学会会長・性風俗評論家」という肩書きで毎日新聞に掲載された。
戦前から、性の問題を直視して大島渚には「ひどいと思いませんか。みんな。おのれの貧しい歪んだセックスを直視しないで、自分をいつわったままそのセックスを抱いて墓場へ行くんですよ!」と顔を紅潮しながら激した人が「性風俗評論家」か。明治以前の日本人の性はもっと大らかだったはずだが、ただの評論家か。
その七年後に未亡人は家に灯油をまいて焼身自殺。
交遊関係は広く、吉行淳之介や野坂昭如、大島渚、山田風太郎、南部僑一郎、江戸川乱歩などなど……とまあ、何だ、その、ねえ、凄いね、この人とその周りの方々は。 はたしてこれもアチャコなのだろうか。

時代は若干違えども、南方熊楠と同じ様な匂いがする。
南方熊楠も性に興味を持っていたというのもあるのだが(ある日陰茎を蟻に咬まれたら2倍にも膨らんだ。そのあと実験のため陰茎を蟻に咬ませようと数日に渡り陰茎に砂糖や鶏のスープを塗布し、咬まれた場所に横臥したが失敗したなどなど……水木しげる著『猫楠』 しかし、話がずれるなあ、えーと、)私が感じた共通点は「在野の学者」というところだ。
熊楠曰く「小生は米国の大学を卒業せば24歳にて博士くらいにはなれたるを、日本にては西洋とかわり自学というもの一人もなきを遺憾とし、わざわざ独学を始め今におし通し申し候」と友人との手紙の中で。
また「官学者がわしのことをアマチュアというが、馬鹿な連中だ。わしはアマチュアではなくて英国でいう文士即ちリテレートだ」とも発言している。
リテレートは「literate」 熊楠は「在野の研究者」あるいは「在野の教養人、博識人」と言いたかったのではないか、日本では何故か今イチ尊敬されない立場の方々であったりする。
アジアの「官」って考えはそこがいかんよな。 いったい「民」のどこが悪いのか。官と民の関係は本当はそういうものではありはしないのに。私の実家近くの町工場には、手で触っただけで機械でも感知出来ない微細なゆがみが分かる人とかいらっしゃいますよ。

とここにきて「哀愁をさえ誘う」作品の「哀愁」には北村想の哀愁が入っていると思うのは少々穿った見方すぎるだろうか。
しが県民芸術創造館の芸術監督を任期途中でほぼ強制的に退任させられ、劇作家協会も辞した北村想の哀愁が入っていると思うのは。
私には高橋鐵も南方熊楠も北村想も、主人公大河内伝三郎も博覧強記のリテレートである。

さあて最後に一つだけ。
『アチャコ』は、北村想という私が大尊敬する劇作家から叩き付けられた「東京々々言うけれどお前にこれが解るのか。果たしてこれが解るのか。解るんだったら書いてみな。こっちは所詮「地方」名古屋の劇作家。高橋鐵と同じ在野だよ。在野ではあるが、こちとらいっぱしの教養人だい。おいお前、東京様なら解んだろ。さあ、俺に言ってみろ、どう思ったか感想を言ってみろ」そういう挑戦状だとお受け取り致しました。

私ら小劇場の劇作家や演出家は、所詮在野の研究者。
私、あえて劇作家協会にも演出家協会にも入っておりませんが、下手を打ってTV新聞に載ったら「自称演出家」「自称劇作家」「劇団員」くらいの扱いでございます。
なぜかよく職務質問されますが、そんな時「ナグリ(舞台用のトンカチ)」「タイガーマスク」「包丁」とか普通の人が持ってないものを持ってたりしますしね。
まあ、所詮ピンキリのキリ。安い方の文士でございます。もっとも昔はキリが上位をさした様ではございます。 実家には毎年「ほら、劇評出たよ」「新聞に載ったよ」と言わないと安心してもらえない立場でもございます。
とはいえこれでもリテレート。資格といえば文化教養専門士、書道初段にペン字一級。官名は無し、職名は世間様から言われれば、良いところで自営業、悪くはニートかフリーター。 私は立場も土地も端も端、現在は東京は葛飾小菅をネグラにし、三代続いたチャキチャキの東京人でございます。決して伊達や酔狂で作演出を名乗っている訳ではございやせん。 以下、ユニット・トラージの当日パンフから勝手ではございますが、北村想さんの文章を引用させて頂きます。

実父が急逝した。といっても三度目の入院で、ここ1~2年は自宅で療養(つまり介護されてた)ので、今回はもう覚悟を決めていたが、こっちが出向く前にたった二日の入院で逝去した。母に訪ねると、3~4時間ばかり眠って(これが実に気持ちよさそうな眠りだったらしい)で、例の機械がパッと急変ランプとなり、そのままポックリである。浄土真宗であったので、大往生かな。こちらは深夜のことであったから、死に目には会っていない。それももう覚悟の上の渡世だから特に何がどうしたということではナイ。さてと、父が死のうが、尊い御方が亡くなろうが、当方は『アチャコ』のごとく品性お下劣、人間の生きざまについての波瀾万丈、喜怒哀楽をコミカルに描かねばならぬ。作品内に名前だけ登場する高橋鐵は実在の人物で、性科学の先駆者である。こういういとき、芝居などでは「おめこのパイオニア」などとふざけたふうにいうのだが、高橋センセイの『人生記』などは、いまの若いひとが読むと爆笑ものらしく、いやあ30年で時代は変わった。私が高校生の頃なんかはですね、女性雑誌の相談室に「結婚して初めて性交したのですが、あまり気持ちいいので驚きました。私は異常でしょうか」てな相談が寄せられ「女性もオメコをすると気持ちがよくなるのです」という回答が書かれてあったりしたんだからねえ。ともかくも「死」と「性(生)」、タナトスとエロスの饗宴ということになってしまったが、とどのつまり人間はそれだけのものである。    北村 想

『アチャコ』で大河内伝三郎が叫ぶ。

大河内伝三郎「(ケツを押さえて唸りながらこっちも四つんばいになっている)う~む、ムムムンチョ。ここは何処だ。
室岡半兵衛「(立上がって)はっ、何と。
樋口葉子「ムムムンチョとか。
室岡半兵衛「そのアトだ
大河内伝三郎「ここは何処だといったのだ。
室岡半兵衛「ここは何処だとは、
樋口葉子「どういうことで、
木の坂小暮「ござんしょう。
大河内伝三郎「聞いているのだ弟子たちよ。お前達の師匠が、ここは何処だと訪ねているのだ。どうしてお前たちは、それに答えることが出来ぬ。

私は固まり、答える事が出来ませんでした。
ここは東京であり、いや劇場であり、いやここは舞台であり、いや客席であり……そうこうしているうちに大河内伝三郎は再度叫ぶ、

大河内伝三郎「私はもう犬のようになってしまった。カフカの小説のラストシーンにも、そういう台詞があったな。こんなふうにして四つんばいになって、世間というヤツを観てみると、ついつい、こんなコトバも口に出ると言うものだ。けだし、ここは何処だ、だ。もう、ほんとうのことをいうヤツもいなければ、ここが何処だと答えられるヤツすらいない。魑魅魍魎、我が弟子諸君、観えぬかね、それが。観えぬなら、私のように四つんばいになってみろ、犬のようになってみろ。

先月末、わたしの父も入院致しました、母は自転車ごと倒れ足の靭帯剥離でギブスをしております。 私も「生」と「死」がそれぞれ現実と劇世界と別の位相で曖昧に表出されていくことを、ひしひし感じる毎日でございます。
このユニット・トラージの、身近な「死」にさらされながらも身を削りコミカルで下品な言葉を紡ぐ劇作家や、それを知りながらもお下劣な世界を構築する演出家、初の東京公演で12ステージという無茶な挑戦をするプロデューサー、昼間は普通に働きながら夜は稽古の俳優達の行き行き着く先は「いい加減」でございましょうかそれともそれが『アチャコ』でございましょうか。
四つんばいになっても答えられぬ未熟者故失礼ですが「返歌」ならぬ「返文」を引用にてお渡しいたします。
返歌は変か変化なのか、はたまたカタヤマの片なのか、それならまさか返文は変文か、ヘン!という文か、あるいは変文と少し似ている恋文か。

「閾三寸男が跨ぎゃ にがい浮世の裏街道 夢も浅いよ 白刃の旅は こぼれ松葉が降りかかる」 『けんかえれじい』(鈴木隆)
「死ねば死に切り、自然は水際立っている」(高村光太郎)

上二つの引用をもってお返しの文とさせて頂きます。
どうでしょう。評論と言いながら恋文を書く私は『アチャコ』の端くれにでもなれたでしょうか。
『アチャコ』は「お下劣」「お下品」でありながら「哀愁を誘う」まさしくそういう作品でございました。

【筆者略歴】
片山雄一(かたやま・ゆういち)
1975年、東京都出身。舞台芸術学院本科演劇部46期在籍時に金杉忠男に師事。卒業後は劇団「青年団」に俳優として入団するも「どうも自分の考え方は俳優の考え方ではないみたい」と自主退団。現在はNEVER LOSE(ネバールーズ)座付の作/演出家。舞台での活動だけでなく、近年は『Standard Songs Vol.2 -Dream are my reality』などコンサートの演出や『横濱・リーディング・コレクション』では三島由紀夫の『わが友ヒットラー』の演出を手がける。名古屋演劇シーンとの親交も深く、2003年からワークショップや公演を多数行っている。

【上演記録】
ユニット・トラージ公演「アチャコ
作・北村想
演出・小林正和
CAST
ジル豆田(てんぷくプロ)
斉藤やよい(B級遊撃隊)
空沢しんか(フリー)
渡山宏崇(星の女子さん)
土居辰男(劇団ジャブジャブサーキット)

東京公演  こまばアゴラ劇場 2009年4/4~12 (公演終了)
大阪公演  アトリエS-pace     7/26、27
名古屋公演 七ツ寺共同スタジオ   7/30~8/3

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