ハイバイ「リサイクルショップ『KOBITO』」<クロスレビュー>

「リサイクルショップ『KOBITO』」公演チラシハイバイは、作・演出の岩井秀人が2003年、引き籠もりの過去を取り上げた「ヒッキー・カンクーントルネード」で旗揚げしました。「だれもが持ってるトラウマ体験を露悪的に提示して悲喜劇状況を作り出す」(ハイバイwebサイト)作風で知られています。最近は「おねがい放課後」「て」などの舞台が評判になりました。今回取り上げた「リサイクルショップ『KOBITO』」公演は、母が営むリサイクルショップをモデルに「圧倒的な幸福を願った女たちの、ある果ての姿」(同)を描いた作品だそうです。東京公演はこまばアゴラ劇場(6月5日-16日)、大阪公演は精華小劇場(6月25日-28日)でした。以下、評価(五段階)とコメント(400字)をゆっくりご覧ください。掲載は到着順です。(編集部)

因幡屋きよ子(因幡屋通信発行人)
★★
引きこもり娘を励まそうと芝居をやる設定がまず強引で、男優の女装も意図不明である。反面、些細なやりとりを自然にみせる手腕には驚く。稽古のアドバイスをする演出家品川幸子に、最初は感激していたおばさんたちが、自分にもできないことをやらせようとする品川に反発して軽い集団暴行に発展する場面がそれである。後半おばさんたちの幸福とは言いかねる半生をたどるなかで、娘に金の無心をする母親が印象に残る。この母親はあまりしゃべらず表情も動かさない。そこにリアリティと括れない何かがあってより一層恐ろしく、娘の将来を閉ざそうとするかのような悪意すら感じられる。劇中劇の前半と人生を語る後半。全体的としては冗長な印象は否めないが、どちらにもおもしろさがあるので★はそれぞれひとつずつとする。「私戯曲」は岩井の持ち味であるが、普遍的なテーマに向かってもっと強く鋭く打ち出していく舞台をみたい。(6月6日昼の部観劇)

大泉尚子

ワクワク感ありありで臨んだはじめてのハイバイだったのですが、結論から言えば「うーん、ゴメンなさい」という感じ(謝ることもないのですけど、何だかそういう気がしてしまいます)。観劇から2週間たった今も、自分が受け取ったものをどう表したらいいのか、書きあぐねています。強いて言えば、輪郭線のはっきりしない曖昧模糊としたオバサン群像が、それぞれが人生を語るところも含めて、どうにも焦点を結ばなかったのです。ただ、舞台に大量の服が溢れて、自己増殖しちゃってるんじゃないかという、あの混沌としたさまは、イメージとしては面白かった。
この劇団は、最初にどの作品に出会うかで大きく評価が変わるのではないでしょうか。それもあって1回だけでもういいやとは思わないので、再演される「て」はゼッタイに見たいし、自分の中でこのまま終わるところではないんじゃあないかなあ…という予感はしています。(6月6日マチネー観劇)

藤原央登(劇評ブログ『現在形の批評』主宰)
★★★★★
壁に掛けきれず床に山を成す古着、その他雑多な物、もの、モノ! 女装しておばんを演じる男達はキャラなんか端から無視。おばんの記号を纏っただけの騒々しい男達だ。筋がどんどんスライドし、馬鹿だねぇと何度も苦笑させるふざけたテンションの連続。だが、スライド展開の連続はちゃんと、おばん達がリサイクルショップ経営へ至った波乱万丈な人生回顧を後半に屹立させる。使い古され無造作に散乱する物には価値があると言えるし、ないとも言える。それは波乱万丈な彼女達の人生そのもの。リサイクルショップは彼女達のユートピアである。と同時に、いつしか尾崎豊『時』でシメる熱さを垣間見せた彼等自身の暗喩でもある。この劇は彼達自身の自己表出なのだ。おばんを纏ったのは、まるでビートたけしが照れ隠しでコスプレするようなものなのだろう。とは言え、演劇をユートピアと捉えられては困るのだけど、そのことはまだ断定しないでおく。それよりも、客を意に介さないノリを貫きながら、次第に私から苦笑をなくさせる、マジな自己表出が良かったのだった。(6月27日 精華小劇場 ソワレ)

山内哲夫(編集者、「100字レヴュー」共宰)
★★★
古着や中古雑貨を積み上げたリサイクルショップを舞台に、おばちゃんの生態を描いたが暴走ぶりばかり目立つ仕上がり。小熊ヒデジ、岩瀬亮ら5人の豪華男優陣を中年女性役に起用し、勝手に喋りまくる異常空間が前面に出され、さすがに中盤でだれる。バブルによる打撃を被った挿話が入るが、十分には整理がつかず前衛的な印象のみが残ってしまった。昨年秋の企画公演である「オム二出す」での「落語」でも見られたが、大胆な発想を消化せずアイデアの素材として提出してしまう傾向は、小劇場界の憧れの先輩的存在ゆえの前傾姿勢ゆえか。傑作「ポンポン お前の自意識に小刻みに振りたくなるんだポンポン」や「おねがい放課後」など07年にアトリエヘリコプターで見せた強烈な勢いは見られず、理不尽な思い、痛みを鮮明に再現して見せる持ち味も後退した。ハイバイの随一の人気キャラである著名演出家=品川を岩井が演じたが、こちらも出番少なく残念だった。(6月11日19:30 こまばアゴラ劇場)

柳沢望
★★★★
集団性の演劇、という観点からポツドールと比較できる(集団性を世代や性別に還元する必要はない)。ただし『KOBITO』では個人史の束として集団の歴史性まで捉えている点で、遥か遠くまで射程が及ぶ。また、演者と役の入れ替えが常に可能であることが示唆されている点で、歴史を偶然の相において捉えている。近代的(新劇的)演劇理念に基づく劇中劇の指導が集団性により崩壊する前半と回想劇が遊戯的に多重化する後半が併置されることは、集団性の多面的な描写として理解できる(それを観察者の視点から結びつける処理は取って付けたようだが、瑕疵である)。衣服や商品は歴史を帯びた事物として舞台に散乱し堆積している。多視点的な歴史描写のモザイク的交差と事物の散乱が、二次大戦が寸断した断片の集積としての現在を見事に浮かび上がらせている。「現代口語演劇」を内側から乗り越える試みが演劇史への参照と重なる地点にある作品。(6月15日所見)

「リサイクルショップ『KOBITO』」公演から
「リサイクルショップ『KOBITO』」公演から

「リサイクルショップ『KOBITO』」公演から
【写真は「リサイクルショップ『KOBITO』」公演から 撮影=曳野若菜 提供=ハイバイ 禁無断転載】

谷賢一(DULL-COLORED POP主宰)
★★★★
うるさい、汚い、下品、人の話を聞かない、強引、ブス、デブ、毛深いなど、ある意味モンスター並みに嫌悪感を引き起こす「おばちゃん」像をコミカルに描く冒頭。その後も岩井節全開のシュールでゆるい笑いでふわふわしているうちに、いつの間にか僕は「おばちゃん」たちを悲劇の人物として見始める。ああ社会の歪みが世界の暗さが彼女の顔を少女のそれからおばちゃんのそれに変えてしまったのね。底抜けにダメでバカな人たちが、たまらなく哀しく切ない。それでいてダサく無粋にしんみりしたりしない。笑える悲しさ、笑える同情。集まる注目高まる評価を物ともせず、演劇と遊び続ける岩井秀人の胆の太さに恐れ入った。ハイバイの最高傑作とは言えないだろうから☆四つとしたが、ハイバイ以上に同時代の演劇人が観るべき劇団はそうそうない。男・岩井の旅のスピードはあまりにも速いのだから、未見の者は手が届くなる前に劇場に足を運べ。(6月10日観劇)

鈴木雅巳(カメラマン、デザイナー、「見聞写照記」)
★★★
タイトルにあるKOBITO、まさか小人が営業する店、とかいうファンタジーじゃあるいまいな、とも思ったが観劇後ちょっと納得。KOBITOって小市民って意味なんじゃなかろうか? じゃあ小市民って何よとなるのだが、それは定額給付金なんて無意味な政策とか言いながら、貰ったら喜んでワンランク上の牛肉を買うような市民。リサイクルショップで倹約と浪費を一緒にしてしまうような市民。それは多分私達。
親子、夫婦、プツッと切れていく絆、パタッと閉じてしまう心。繋がったらいつか離れる、なら繋がらない方がいい。繋がったように見えるだけの投げやりで粗雑な主婦達の関係性は、経験という汗を吸い込んでくたびれ、活かされることなく山と積まれただけの古着に例えられているのか。
個人的には、見つけた古着を本当に喜んで買っていく客のような、ささいな希望を舞台から感じたかった。(観劇日 6/13)

小林重幸(放送エンジニア)
★★★
人に歴史あり、おばちゃんにも人生あり。人の一生のドラマに比べたら演劇なんぞ所詮は茶番。しかし、そういう意味での演劇の矮小さから目をそらすことなく、そこで諦めることなく、人生の哀しさと愉しさ、家族の脆さと愛しさに演劇の持てる力を尽くして斬り込んでいくから、この作品は心に刺さる。
劇中劇で披露される優等生的な演出手法など、下卑なおばちゃんパワーの前ではこっぱみじんに粉砕される。演劇好きとしては、おばちゃんを苦々しく見る向きもあろう。が、それこそ作者の術中。そこから、おばちゃんたちの波乱万丈な人生が、猥雑な舞台美術を乗り越えてパノラマのように眼前に投影されまくる。そのスペクタクルは演劇手法の成せる業か、はたまたおばちゃんの一人一人の生き様の重さ故なのか。涙なしには笑えない骨太な茶番に演劇の可能性を垣間見て、勇気まで出てくるような気がしたのである。(6.14ソワレ観劇)

杵渕里果(保険業)

舞台半分が古着の山。導入部分は、所謂「オバチャン」に扮した女装男優四人が、古着によじ登るように手塚漫画『火の鳥』を演じつ、手直ししていく。くだらないが可笑しい。次第に漫画全編の再現を観届けてやりたい気にはなる。小劇場の、ほぼ素人な演劇術にドンビキしがちな客の心に、稚拙さをネタに潜り込み、ドラマを実現しようという戦略か。演劇の約束事への疑義がテーマのメタ演劇のようで◎。が、後半は×。「オバチャン」たちの少女時代から現在に至る人生模様再現ドラマに突入し、極度にツマラない。パンフには母の店員の「おばちゃま達に取材とかもしましたが、凄く適当に書きました」と。「適当」に義理を感じたので生真面目な再現劇にしたとか、方法論が「適当」で作品として練りあがらないとか?。男優四人の付け胸もダメ。張り出して十代のオッパイに見える。「オバチャン」テーマで取材までして観察力が「適当」。まず「妥当な演劇」を目指せ。

高木龍尋
★★
ゴミ屋敷と見紛うほどのリサイクルショップに、延々と続く言葉……これだけ誰ひとり受け取ることのない言葉を投げつづけるのは難しいことだと思うし、よくこれだけのことができるな、と思う。日常にあるのは「おしゃべり」で「対話」などではなく、方向性など必要なければ、聞いてもらっている確証もいらない。「しゃべる」ことさえできれば、相手は誰であろうと構わない。ただ、「ひとりごと」になってしまうから、相手らしきものは必要なのだ。これを舞台に上げたらこうなるだろう、と感じられた。物語をつくるためには「対話」が必要なのだろうが、私たちはそれが現実に存在することが稀有であることもわかっている。物語自体が幻想で、現実に物語らしいことがあればこれほど怪しいものはないこともわかっている。この作品に物語や方向性が全くなかったわけではないが、多くの時間がその日常に飲み込まれてしまうと、私にはどうしても物足りなさが残ってしまった。(6月25日、大阪・精華小劇場)

カトリヒデトシ
★★(6日)★★★★(13日)
2日目である6日マチネは最後、「自分」とその正当性をまくし立てる「オバさん」たちの怒鳴り声が地獄のような喧噪を作り恐慌として差し出された。この衝撃から「逃げちゃだめだ!」という戦慄が生じた。
そして13日マチネ、反省をしない群像は変わらないものの、怒号は整理され、女性が「オバさん」になっていく過程が明瞭になって感情移入しやすくなった。怒濤の時代の中で「こうしかなれなかった」、「他にどうすればよかったんだ」という開き直りの強さが印象的だった。学ぶ気持ちと反省を失った時、人は最強の生き物になるのだと提示される。歴代のヒッキーのお母さん役男優陣の渾身の存在に脱帽であった。
公演開始と終了頃では、かなり印象が異なり、解釈の異なる芝居となった。それは決して未完成なもので初日を迎えているのではない。公演の期間中にも走りながら考えている姿なのだと思う。いつ見たかによって全く異なる感想をもつだろうと想像する。(6月6日、6月13日観劇)

菊池太陽(大学職員)
★★★★
この店では、本来固有の意味をもつ「語り」は「ざわめき」というそれ自体大きく無意味な匿名性へと束ねられていく。しかし劇中、演出家が少女に述べる「このざわめきの中から立ち上がるものに耳をすませなさい」というセリフは、メタレベルにもオブジェクトレベルにも機能しており、それに導かれるかのように、匿名のおばさんは固有名を持つ存在として発見される。「~のために」という行動様式こそ他者(とそれを介しての自己)を発見する手段だ。そもそも、この物語は少女「のために」披露される小芝居から始まるのだった。冒頭ですでに他者への眼差しの萌芽は提示されているのだが、その小芝居に至る動機を説明する安直さだけは慎重に避けられていて、そこにはただ一切を肯定的に受け入れる岩井秀人の眼差しもまた同時に存在しているように思えた。
説話の形式の斬新な試みが物語にうまく回収されていて、今後のさらなる深化を予感させるに十分な作品だった。

鈴木励滋(舞台表現批評 「記憶されない思い出」主宰)
★★★★
『て』で身近な他者の視点を手に入れた岩井が、さらに踏み込んだ感がある。敢えて、意思疎通できない「獣」のおばちゃんたちの内に在るものを、混沌のまま舞台に上げた。どんな他者でも〈わたし〉とは異なるし理解なんてできない。それでも近づこうとすれば想像力をたくましくするしかなく、富子と山本の半生が描かれたのは至極当然のことだと思う。全く異なる人生を歩んできた二人が、あるクリスマスに銀座でニアミスしたかのごとく時間と空間が交錯するシーンは、ジム・ジャームッシュの映画を思い起こさせた。一瞬のねじれの位置の先で、混沌を具象化したかのようなリサイクルショップで交わる軸や、最近流行りの一人を複数の俳優が演じるという演出も、奇策というより共感/共苦や普遍性の方への格闘だ。数多の悲しみを織り上げていった美しさは友子だけではなく、多くの観客にもまだ伝わってはいない。本作も再演を重ねる中で練磨されることを期待したい。(観劇日 1回目5日・2回目14日)

北嶋孝(本誌編集長)
★★
ハイバイの舞台を何本かみてきたが、あとの印象にすこぶる落差がある。イメージの軸に自己視点が据えられる公演は、発信する電波が強力。その世界も見通しがいい。「ヒッキーカンクー・トルネード」「おねがい放課後」「投げられやす~い石」(ジェットラグ・プロデュース)などがこの系列に入るだろう。しかし作者はこういう作品におそらく飽き足らなくなった。そこで取り組み始めたと思われる「おいでおいでぷす」「オムニ出す」、それに今回の舞台など、外部の出来事や他者的世界を描こうとする作品は電波が微弱で、かつ散乱する。対象とそれを描く方法がうまくかみ合わないのではないだろうか。だから指向性の強い高性能アンテナを持った人でないと反応できそうもない。ぼくは残念ながらホワイト・ノイズにまみれ、舞台の周波数を捕まえ切れなかった。(6月6日夜観劇)
(初出:マガジン・ワンダーランド第146号、2009年7月1日発行。購読は登録ページから)

【上演記録】
ハイバイ「リサイクルショップ『KOBITO』」
▽東京公演 こまばアゴラ劇場(2009年6月5日-16日)
主催 ハイバイ・有限会社quinda
提携 (有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場(東京)
協力 シバイエンジン・有限会社レトル・(有)マッシュ・krei inc
▽大阪公演 精華小劇場(2009年6月25日-28日)精華演劇祭vol.13 参加作品

作・演出: 岩井秀人
出演:金子岳憲、永井若葉、坂口辰平、岩井秀人(以上ハイバイ)
有川マコト(絶対王様)、岩瀬亮、斉藤じゅんこ、小熊ヒデジ(てんぷくプロ/KUDAN Project)

舞台監督:西廣奏
照明:松本大介(enjin-light)
音響:長谷川ふな蔵
衣装・小道具:mario
宣伝イラスト:岩井秀人
宣伝美術:土谷朋子(citron works)
制作:三好佐智子


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