劇団東京ミルクホール「水晶の夜『グーテンターク! 私たち、日本のとある  元祖有名少女歌劇団です。』」

◎宝塚でも上演ありそうな歴史喜劇へ
杵渕里果

「水晶の夜 グーテンターク! 私たち、日本のとある 元祖有名少女歌劇団です。」公演チラシグーテンターク!
普段ゼンゼン演劇をみないそこのあなた。それは正しい。
(1)当たり外れが多い。(2)時間帯が映画のようには選べない。(3)公演日数が短く他人と話題するころには千秋楽過ぎている。(4)金かかる。
話題やつきあいの加減で一、二本もみれば、多くの人は小劇場から遠ざかる。当然のことだ。
にもかかわらず、オモシロイ劇団や上演を知っていると、何かのおり他人にエバれるのもまた事実。
そこで、劇団東京ミルクホール。
ひごろ演劇をまったく観ない彼・彼女に、かる~い気持ちで勧めてみても、涙ながらに感謝してもらえそうな、そんな劇団ナノである。

劇団東京ミルクホールは2003年に結成。主宰の佐野崇匡は、それに先立つ五年間、多数のお笑い芸人の輩出でも知られるWAHAHA本舗の演出家・喰始の演出助手、また、宝塚歌劇団より昨年惜しまれ独立した演出家・荻田浩一の演出助手として研鑽を重ねた。最近は吉本興業神保町花月の演出にも進出中とのこと。
俳優陣も頼もしい。
主宰の佐野崇匡含め、総勢九名は、SET(スーパーエキセントリックシアター)仕込みの多芸多才と、『東京六大学お笑い選手権』特別賞受賞もいる明大落研の秀才が、だいたい半々の構成。「芸」に対する目線の高ぁーい面子が揃っているのだから、面白くないハズがない。大学系小劇場によくある、“話題騒然”で“無手勝流”と、ワケが違うのだ。
佐野は旗揚げの翌年、2004年に日本演出者協会主催「若手演出家コンクール」最優秀演出家賞を受賞。審査委員の流山児祥は、「演劇状況を粉砕しようぜ、友よ!!」と大絶賛。“話題騒然”で“無手勝流”と対戦したとたんKO勝ちした劇団、と私は考える。

さて今回『水晶の夜』。
宝塚歌劇団の、1938年に実際になされた伝説の欧州巡業がテーマなのである。
原作はドイツ文学者岩淵達治による歴史ドキュメント『水晶の夜、タカラヅカ』。
佐野崇匡は“脚色”というよりは“換骨奪胎”の、バックステージもの歴史劇に仕立てあげた。

まず驚くべきは、常人にはヒアリング不可能と思われる矢継ぎ早のギャグ。 冒頭シーンには、狭そうなアパートで、ホームヘルパーに“ボケたフリ”を駆使してやりたい放題の“三婆”がいる。彼女らは実は“モト宝塚”。 台詞の間に間に、古いヒット曲のパロディーだのアエラの一行広告のもじりだの、殆どサブリミナルメッセージに近い高密度のギャグが仕込まれ、これが入れ歯的に訛ってもいて、聞き取ろうする者の理性を麻痺させる。
観客の脳内に、“いまのはよくわからなかったけどとりあえず可笑しい”という、一つのモードを形成するのだ。
さらにすぐれた点は、この高密度ギャグに負けじと繰り出され往復する、卓球のようなドツキ。
欧州巡業に選抜された新人タカラジェンヌは、家族や親友と、上手と下手に体ごと飛び散りあって狂喜乱舞する。感情表現が激しい。
また、欧州へ移動する船は、途中、パイレーツに襲われる。負傷した船員をかばい、タカラジェンヌが大憤激。花組・月組、まさに“呉越同舟”の対パイレーツ攻防戦は、敵を投げたり自分で落ちたり。
こうした激しい身体の移動は、舞台全域を眺めていないと把握できない。
観客の視神経は、笑いとあいまって視野を広げる方向で緩和し、いわゆる“観劇による気分転換”が、生理的な方面でも可能になるのだ。

「水晶の夜」公演

「水晶の夜」公演
【写真は「水晶の夜」公演から 撮影=辺見真也 提供=劇団東京ミルクホール 禁無断転載】

さらに。
東京ミルクホール。“男の園”を自称し、オトコ劇団にして“女の園”タカラヅカものに挑むだけあり、メンバーに、日本舞踊の踊り手がいる。
無事、ドイツに到着。ベルリン国民劇場に降り立った少女歌劇団は、「カブキ・ダンス」こと鷺娘や紅葉狩を披露する(これは史実である)。
ドイツ観衆の前で展開される「カブキ・ダンス」は、花組組長と月組組長の、まさに夢のタイトルマッチでもある。この、芸によるツバ迫り合いと、それを縫うように行われる、組長による新人いじめ、また、新人の度胸試し。
陰湿なのか姉御肌なのか、“女の園”の繊細な感情の起伏を織り込みつつ、あらまほしい華麗なレビューが幻出する。
脳科学者茂木健一郎によれば、美は脳によく、感情を知覚するのも脳によい。 したがって東京ミルクホールの舞台は、脳によいのだ。

さて1938年の宝塚訪欧公演だが、これは実話である。
二次大戦勃発の直前、日独伊防共協定の締結をうけ、政界と繋がりのある小林一三が、親善文化使節として立案。
とはいえ、“女の芝居”への侮蔑感情で、ドイツ大使館は動かず、宝塚歌劇団一行が一ヶ月の船旅でベルリンに到着した時点で、劇場さえ未定だった。
歌劇団の総監督自身が、ベルリン現地で交渉に当たり、ベルリンほか、ワルシャワ、ドイツ十五都市、イタリア九都市の大巡演をとりつけた。
すべて列車移動、冬季の強行軍にも関わらず、女優三十名ひとりの脱落もなく、観客動員は一万人以上なしとげたという。

著者・岩淵達治はブレヒト研究で知られるドイツ文学者。1938年当時は、十一歳。
「僕はあんまり宝塚好きじゃないんダ」と今も呟く彼だが、リアルタイムの記憶がある。
ヅカファンのお姉さんがいたのである。
「歌劇」など雑誌が自宅にあり、岩淵少年はときおり眺めていた。宝塚ヨーロッパ公演は、当時としても破天荒な企画にみえたという。
時は流れ、1990年代。
還暦を超え、学習院名誉教授になろうという岩淵達治。演劇関係の仕事先で、事務作業を手伝っている女性が、かの訪欧公演に参加していた元・タカラジェンヌと知る。
彼女とその同胞、ふたりの元・タカラジェンヌへのインタビューと、その他の資料を発掘しまとめたものが、今公演の原作こと『水晶の夜、タカラヅカ』だ。
岩淵達治はまた、同じ取材により、戯曲『雪のベルリン、タカラヅカ-宝塚についての宝塚では上演できない歴史喜劇』も書いている。今回の佐野『水晶の夜』は、この戯曲のほうもかなり参照している。

「水晶の夜」。これは、1938年11月9日深夜、ドイツ各地でおこったユダヤ人住宅や商店の、襲撃事件のこと。
戯曲『雪のベルリン、タカラヅカ』、狂言回しの台詞にはこうある。
〈破壊された商店の窓ガラスが道路にうずたかく積もり、月光を浴びてキラキラ輝いたので、水晶の夜というロマンティックな名で呼ばれることになった。ユダヤ人がずいぶん暴行を受けたようなのですが生徒たちが誰もそれを見なかったのはせめてもの幸いでした〉
ベルリンに到着したばかりの歌劇団の、稽古場向かいのシナゴーグも焼き討ちにあっている。とはいえ、その襲撃は、昼。「水晶の夜」の翌日、稽古中だった。
戯曲、ト書きの描写。
〈ドーンという音。窓ガラスがびりびり震える。生徒たちはきゃーと叫びながら片側に逃げる〉
史実の再現風の、短い挿話だ。
宝塚歌劇団一向は、「水晶の夜」にまつわる凄惨な事件は目撃していないし、深いかかわりもない。しかし巡業について調査した岩淵達治は、『水晶の夜、タカラヅカ』と、ドキュメント本のタイトルには「水晶の夜」を書き添えずにおれなかった。
『水晶の夜、タカラヅカ』。このタイトルには、戯曲『雪のベルリン、タカラヅカ』にはない、史実によせるロマンティックな詩情がある。同じころ東京の破壊、戦災を経験していた彼としては、「水晶の夜」と隣り合わせのタカラヅカにこそ、深い共感を寄せるのかもしれない。

今回の東京ミルクホール『水晶の夜』は、本来ベルリンに別々にあった宝塚の一行と悲劇「水晶の夜」を、まさに、タカラヅカ仕込みのアクロバティックなラブロマンスにより、ドッキングさせた。
-欧州までの航路、東京ミルクホール演ずるタカラジェンヌたちは、花組・月組の組長がタイマンはったり、一致団結でパイレーツと戦ったり、切った張った、めまぐるしいのだが、その傍らで、花組新人と密航者のユダヤ人青年との間に、灼熱の恋が芽生えるのだ。
途中、生き別れたり、再会したり。若い二人は徐々に距離を近づけてゆく。
しかし終盤。
ある「カブキ・ダンス」レビューの夜が、その「水晶の夜」として、更けてゆく。
舞台袖での暴行シーンをよそに、大階段に並び、ライトを浴びながら華麗に舞いつづける乙女たち。

〈本日終演後、客席で息を引き取っている方がいたら、その方こそ岩淵先生です。
憤怒、後悔の形相でないことを切に願って、一生懸命頑張ります〉
配布物の、代表挨拶。佐野崇匡の言。

たしかに、史実を偽る荒唐無稽なラブロマンスを戯曲に持ち込むのは、ブレヒティアン岩淵達治に難しそうだ。
戯曲『雪のベルリン、タカラヅカ―宝塚についての宝塚では上演できない歴史喜劇』は、今回の佐野崇匡の『水晶の夜』で、“宝塚でも上演ありそうな歴史喜劇”へ再生してみえた。

終演後のロビーでは、岩淵御大が、絢爛豪華なレビュー衣装のキャスト一同に囲まれて、上機嫌に歌を、うたいはじめた。
歌う傘寿の仙客と、その歌を聞く、ヅカ衣装の男たち。
この光景に反応したお客たちは、退場の足を止め、バシャバシャ、携帯で撮影をはじめた(私も)。男優の一人が我に返り、「みせモンじゃねーぞ」と牽制する一幕も。

歌っていたのは、あとでご本人にお伺いしたところ、ベルばら替え歌、《ワイあればこそ》。
「僕は入れ歯で、“あいうえお”がンまくナイんだな」とのこと。超老人力・オリジナルヴァージョンである。
ワイ。
愛でなくワイ。
これも、岩淵達治と宝塚、そして、「水晶の夜」という詩的な絶唱との距離を、広げていたに違いない。
(初出:マガジン・ワンダーランド第169号、2009年12月09日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
杵渕里果(きねふち・りか)
1974年生れ。保険業。都内の演劇フリーぺーパー『テオロス』に演劇批評を書き始める。『シアターアーツ』も掲載あり。いまのところ好きな劇団:三条会、少年王者舘。好きな俳優:山村崇子(青年団)、稲荷卓央(唐組)。復活してほしい劇団:劇団八時半。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kinefuchi-rika/

【上演記録】
劇団東京ミルクホール第14回本公演「水晶の夜『グーテンターク!私たち、日本のとある元祖有名少女歌劇団です。』」
東京芸術劇場・小ホール2(2009年11月12日-15日)

作・演出 佐野崇匡(岩淵達治著『水晶の夜、タカラヅカ』/青土社 脚色)
出演 哀原友則、小野寺崇、北村直也、コースケ・ハラスメント、佐野崇匡、J.K.Goodman、浜本ゆたか、ヤギー蟇油、吉田十弾(以上、劇団東京ミルクホール)
田中稔、古木将也、星浩貴、三塚瞬(以上、東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校)

前売3,300円 当日3,500円 [全席指定]

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