リミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」

◎現実と対峙する演劇
松岡智子

2009年12月2日水曜日天気は晴れ。天王洲アイル駅を地上に出て、午後の穏やかな日差しの中、出発地点となる東品川のクリスタルヨットクラブ隣接の駐車場に向かう。運河と東京湾に挟まれた倉庫街は人通りが少なく、空も都心部より広く感じられ、非日常感が増す。受付で公演プログラムと赤い荷札を受け取り、出発時刻の15時近くなってからシンプルな外装の巨大なトラックの荷台に乗り込んだ。

乗車口は荷台の歩行者側の面の前方後方2ヵ所に設けられており、中に入ると車道側の面には窓が設けられ、その前に白い幕が降りている。客席は横長3段に設けられており定員は50名ほど。各自乗車順に着席し、シートベルトをしめる。

運転手の一人、畑中力さんが観客全員の乗車を確認し今回の作品の概要を説明。畑中さんは少し強面の、いかにもベテラントラック運転手といった風情だ。これから「新潟」を出発し横浜へ向かうとのこと。なぜ新潟なのか? という疑問が頭をよぎるが、どうやら通常は6時間ほどかかる新潟から横浜までの貨物輸送の行程を約2時間に凝縮し、観客に貨物の目線で疑似体験してもらう、というのがこの公演の趣旨らしい。荷札は各自腕にでもつけた方が良さそうだ。畑中さんの愛想のない口調になんだか可笑しくなる。畑中さんの姿が運転席に消えてからもスピーカーを通して声が荷台へ流れてくる。もう一人の運転手は青木ミルトン登さん。畑中さんと青木さんが交替で運転とナビゲーター役を務めていく。

デンマーク製だというトラックが進み始めると、正面がスクリーンとなり映像が映し出される。その内容は流通業界の歴史や関係者へのインタビューの様子、またリアルタイムの運転席の畑中さんや青木さんの様子など。乗り心地は意外と静かで、外界から遮断されどこを走っているのかわからない感覚は、例えるなら救急車で運ばれているときに似ている。おもむろにスクリーンが上がり、ガラス越し一面に外の景色が見渡せるようになる。真正面に隣の運転手の横顔や信号待ちの通行人。ガラス面には外からは見えないよう加工が施されているらしく、外の人々は荷台の観客からみつめられているとは思いもよらないようだ。また、タバコを吸いながら運転している人がとても多くて、車という場所が個室であることを改めて感じさせられて、無断で覗き見をしているような後ろめたい気持ちになる。ただ時折、中の見えない巨大なガラス面が珍しいのか、不審そうに凝視してくる人もいて、ふと外からも荷台の中が見えたとしたら、それも面白いのではないかと思った。この作品の意図するところではないかもしれないが、見る者と見られる者の関係は一瞬にして入れ替わり、荷台の中の観客は文字通り、貨物としてのパフォーマーにならざるを得なくなるだろう。“参加型演劇”だとしたら、観客もそれくらいのリスクを負っても良いかもしれない。

「Cargo Tokyo-Yokohama」
【写真は「Cargo Tokyo-Yokohama」公演から 撮影=©Jun Ishikawa 石川純 提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】

ガラス面中央には幅10センチメートルほどの白い線が縦横にひかれ、窓枠の一部かとも思われたそれには、時折小さな電子音が鳴るとともに、物語の状況設定や日本の物流業界の歴史などを説明するテロップが映し出される。他にも、湾岸道路を進んでいくトラックの行程とともにさまざまな仕掛けが工夫され、東京湾野鳥公園横を通過するときは野鳥の声がどこからともなく聞こえてきたり、湾岸線の料金所を通過するため一時停止しているときには新潟、横浜間の渋滞ポイントである地名がテロップに流されたりする。さらに仕掛けはトラックの外にも及び、自然渋滞でトラックがスピードを落とす中、目の前にゆるやかなカーブを描く歩道を走る一台の自転車が、ぐんとスピードを上げてトラックを追い越していく。運転している外国人女性のどこか周囲の景色とは異質な雰囲気に、もしかしたらと様子をうかがっていると、しばらくしてスピーカーから、すでに姿の見えなくなった自転車のベルの音が得意気に流れ込んできた。日常ではありえない状況でガラス越しに外の世界を眺めるたけでも観客にとっては充分事件だし、現実社会をそのまま舞台としたドキュメンタリー演劇だと主張できるかもしれない。しかし、リミニ・プロトコルはあえてそこには踏みとどまらず、演劇的なフィクションを意識的に加えている。

トラックは途中湾岸線をはずれ、大井ふ頭周辺の物流センターやコンテナヤードの間を進んでいく。日常生活で馴染みの深い企業名を冠した殺風景で巨大な建物が立ち並び、中に何が入っているのか想像もつかない重そうなコンテナが目に入る。たくさんの商品であふれかえっている東京の市場を支えているのが、この場所なのだと気づかされ、自分が暮らす日常がいかに表層的なものなのかと思い知り、途方もない気持ちになる。まるで社会科見学だ。昼夜関係なく働くトラック運転手のための郵便局や銀行なども備えられているというトラックターミナルでは、車道脇に数多くのトラックが縦列駐車し、窓越しに仮眠をとっているのだろう運転手の、ダッシュボードに乗せた足やうつむき加減の横顔が見える。畑中さん曰く「ターミナルの中には宿泊施設もあるが滅多に使わない。睡眠はたいていトラックの中で済ませてしまう」とのこと。過酷な労働に違いない。しかし自分にとっては物珍しく非日常でしかないこの光景は、畑中さんや青木さんをはじめとする物流業界関係者にとってはまぎれもない日常だ。その事実が胸に突き刺さり、ふと、この「Cargo Tokyo-Yokohama」という演劇作品に参加するということはどんな行為なのだろう、という思いが頭を過ぎった。私は高みの見物でもしているのか。

「Cargo Tokyo-Yokohama」

「Cargo Tokyo-Yokohama」
【写真は「Cargo Tokyo-Yokohama」公演から 撮影=©Jun Ishikawa 石川純 提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】

畑中さんと青木さんの会話は彼らの趣味や家族の話にも及ぶ。青木さんは日系ブラジル人で20年前に来日した。ボサノバと演歌が好きで、奥さんの誕生日には花を贈る。また、畑中さんの趣味はスキーや登山。山で仲間たちと楽しそうにワインをあけている畑中さんの映像がスクリーンに映る。どちらも地に足のついた幸福そうな人生だ。それを手に入れるまでに数多くのハードな仕事をこなしてきたのだろうが、少なくとも今の彼らの姿に悲壮感はない。また何より車と運転が好きでこの仕事を続けている。スピーカーから流される演歌に重なって、またどこからともなく歌声が聞こえてきたと思ったら、今度は路上の一角で、先ほどの外国人女性がマイクに向かって歌っていた。あきらかに異物として挿入される女性歌手が歌うのは、職業如何に関係ない普遍的な人生賛歌にも思えた。恐らく、トラック運転手の労働環境の苛酷さを知ることだけが、この作品のテーマではない。ある種の問題提起ではなく、あくまでも社会に普段とは別の角度から光を当てることに徹し、多様な人生を浮かび上がらせることがテーマなのではないか。

ふいにトラックが止まり方向転換を始める。どうやら車庫入れでもしているようだ、と思ったらスクリーンがあがり、トラック前方から順にガラス面に洗剤と水が吹き付けられていく。洗車されているとしか思えないのだが、車内テロップには「荷物をスキャン中」の表示。空港の手荷物検査でもあるまいし意味不明に思えたが、これも観客を楽しませるためのアトラクションなのだろうか。あるいは新潟から横浜までの実際の陸路にはこうした関所が本当にあるのかもしれない。ともかく巨大なトラックの荷台にいながらにして洗車機に入ったのもまた稀有な経験だった。

トラックは湾岸線に戻り、一路横浜に向けて走行する。ガラス越しを荷台の全面に夜叉や骸骨などの豪華絢爛なイラストを施したトラックが追い越していく。「すごいね」「あんなトラックには乗ったことないな」という畑中さんと青木さんの会話。しかしトラックの正面には高々と「芸術丸」という号が掲げられている。日々走行車数の状況が変わる高速道路での追い越しは危険そうで、まさか、とは思ったが、案の定大黒ふ頭を降りた先の広場で「芸術丸」が待ち伏せていた。さらに先ほど平然と前を通り過ぎていった運転手も降りてきて“デコトラ”と呼ばれるそのトラックの解説をしてくれる。イラストは彼自身の手によるもので、歩道側は歩行者の目を楽しませることを、車道側は隣を走行する車から格好良く見えることを、背面は後続の車に安全運転を促すことをコンセプトに描いているそうだ。しかし最近では規制が厳しくなり、デコトラを高速道路で走らせることもなかなか難しくなってきているという。「芸術丸」の内側はキャンピングカーになっていた。

「芸術丸」と別れしばらく埠頭を走る。空には大きな満月。夕闇に沈む流通センターに入っていくと、今度は実際に職員の方が解説をし、フォークリフトでコンテナを運ぶ様子を見せてくれる。先ほど「芸術丸」の運転手にしてもそうだが、マジックミラー越しに見えない観客に話しかける、というのはどんな心地がするのだろう。「無事に運ばれてください」という言葉に送られて、その後流通センターの螺旋状の傾斜路を上り詰めると、眼下に貨物船の点在する横浜湾が広がった。暗闇の一角にライトが立てられ、ここでも外国人女性が情感たっぷりに歌い上げていた。陸側には夕焼けを背景に富士山の黒いシルエットが見えている。畑中さんによると、大晦日には年明けとともに湾内の貨物船が一斉に汽笛を鳴らすのだそうだ。

「Cargo Tokyo-Yokohama」
【写真は「Cargo Tokyo-Yokohama」公演から 撮影=©片岡陽太 提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】

横浜ベイブリッジを渡り、本牧方面に高速を降りると、クリスマスのイルミネーションに彩られた元町の商店街に出迎えられる。中華街を経て桜木町方面に進み、みなとみらい地区に到着すると時刻は17時半。トラックが停車すると、横に「芸術丸」も姿を見せて同じように停車する。どうやらずっとトラックの後についてきていたらしい。(もしかしたら出発地点から?)青木さんも畑中さんも「芸術丸」の運転手も降りてきて、外国人女性も一緒に大観覧車やランドマークタワーを背景に「新潟から運んできた日本酒」で乾杯。参加者にも飲み物がふるまわれ、流れ解散となった。

2時間半というのは、劇場内で行われる通常の上演スタイルの演劇公演の公演時間とほぼ同じだ。この短い時間内に、現実世界がぴたりと切り取られ、それだけでなく各所に様々な脚色が施されていたことに、リミニ・プロトコルの創作に対する気概を感じた。彼らは決して既存の演劇の上演スタイルを見かぎって劇場の外に飛び出したのではなく、現実社会の手ごわさを認識した上で、それに対峙していくための演劇という手法に信頼を寄せているのではないだろうか。この公演は「言葉」と「身体」による芸術ではなかったかもしれないが、人間の生きざまを多かれ少なかれ創作者の感性を通して再表現するという演劇の根底にある動機に基づいているように思う。圧倒的な現実世界に演劇はかなわない、という諦観ではなく、現実社会に演劇は必然的に生まれるという確信だ。

日常生活で接点のない他者のことを知るという意味で、「Cargo Tokyo-Yokohama」は、一種のツーリズムとも呼べるかもしれない。ツーリズムすなわち観光とは“国の文化を観る”ことだという。それはまた劇場内での演劇を見るという行為にも共通することなのではないか。この作品で私は確かに新たな光を観たように思った。それがたとえ安全を約束された状況で行われる仕掛けを施された擬似体験であったとしても。他者との出会いと経験により、着実に個々人にとってのリアルは深化していく。
(初出:マガジン・ワンダーランド第173号、2010年1月13日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
松岡智子(まつおか・ともこ)
1977年生まれ。慶應義塾大学文学研究科修士課程(美学美術史学専攻アートマネジメント分野)修了。出版社を経て2002年、財団法人東京都歴史文化財団に入団。助成金制度の事務に係わる中、劇評に関心を持ち、2008年より度々ワンダーランド「劇評を書くセミナー」に参加。現在、東京芸術劇場管理課に勤務。

【上演記録】
リミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」(フェスティバル/トーキョー09秋)
公演場所:
出発地点 クリスタルヨットクラブ駐車場(「天王洲アイル駅」徒歩5分/「品川駅」からバスで10分)
到着地点 横浜市内・みなとみらい地区(みなとみらい線「馬車道駅」徒歩10分、JR「桜木町駅」徒歩15分)
公演期間:2009年11月25日-12月21日(1日1回公演、乗車人数45名)
開演時間:全公演 15:00開演、受付14:30~14:55、全23回公演(日曜休演)
公演時間:約2時間

構成 シュテファン・ケーギ
演出 イェルク・カレンバウアー
製作 HAU劇場ベルリン
出演 青木ミルトン登、関口操、畑中力、サブリナ・ヘルマイスター ほか
日本版テキスト構成・通訳 萩原ヴァレントヴィッツ健
制作 ウルリケ・クラウトハイム 小島寛大 (急な坂スタジオ)
テクニカル・コーディネート 遠藤豊(ルフトツーク)
テクニカル・スタッフ ミカエル・レナッシア(ルフトツーク)、堤田祐史(レイー)、細川浩伸(急な坂スタジオ)
主催 フェスティバル/トーキョー、急な坂スタジオ(NPO法人アートプラットフォーム)
共催 アーツコミッション・ヨコハマ(横浜市開港150周年・創造都市事業本部/横浜市芸術文化振興財団)
助成 平成21年度文化庁国際芸術交流支援事業
協力 ドイツ文化センター
後援 ドイツ連邦共和国大使館

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