燐光群「ハシムラ東郷」

◎研究は創作であってはならないが、創作は研究からも生まれる  松岡智子  チラシを一見しただけでは、坂手洋二作・演出による燐光群の新作だとは気がつかなかった。そして観に行きたいとも思わなかった。白地にあっさりとモノトーン … “燐光群「ハシムラ東郷」” の続きを読む

◎研究は創作であってはならないが、創作は研究からも生まれる
 松岡智子

 チラシを一見しただけでは、坂手洋二作・演出による燐光群の新作だとは気がつかなかった。そして観に行きたいとも思わなかった。白地にあっさりとモノトーンのイラストがあしらわれたチラシは地味だし、「ハシムラ東郷」という題名も地名なのだか人の名前なのだか意味不明。燐光群といえば現実の社会問題を真正面から捉えた、どちらかというと硬派な作風という印象を持っていたが、「百年前、アメリカでもっとも人気のあった日本人を、知っていますか」というキャッチコピーからは、単なる過去の人物の伝記のように思える。全然面白そうに思えなかった。料金も決して安くはないし、おそらく劇評セミナーの課題に挙げられなければ観に行かなかっただろう。でも、観劇が進むにつれ、この作品に立ち会えたことに感謝した。でも、全編夢中になって見入ったというわけではなく、正直なところ、膨大な台詞のシーンに意識が遠のいてしまうこともあった。それなのになぜか、決して良く眠れたからとかではなく、観劇後の気持ちが爽快だった。なんだか「演劇」という表現方法の自由奔放さがとても痛快だったのだ。

 ハシムラ東郷とは、1907年にアメリカの風刺作家ウォラス・アーウィンが仕立てあげた架空の在米日本人コラムニストのこと。当時のアメリカの一般家庭に多く居候していた「日本人学僕(=苦学生兼家内使用人)」の一人で年齢は35歳、新聞や雑誌にたびたび投稿してくる文章が面白いことから、逆に依頼され、日本人学僕でありながら各誌に連載コラムを担当するようになったという設定だ。アーウィンはハシムラ東郷という、文化の違いからとんちんかんな言動を行う架空の日本人の目を通して、逆にアメリカの一般家庭や社会をからかった。からかいの対象になった読者たちもまた、自虐的に喜び、ハシムラ東郷は一時アメリカにおいて大人気だったという。第二次世界大戦を背景に、ハシムラ東郷の存在はいつしか歴史の中に埋もれ、日米双方において忘れ去られていたが、最近になってアメリカ文学研究者の宇沢美子によって発掘された。坂手は彼女が発表した著作に想を得てこの作品を書いたという。

 公演会場は座・高円寺ホール1。間口いっぱいに舞台端から階段が数段作られ、その上に主舞台が設けられている。最前列の客席からは、かなり見上げる姿勢での観劇になる。奥には主舞台を取りかこむように天井まで届く縦長の壁が数枚配置されている。この会場にはこれまでも何度か訪れたことがあるが、どの作品も、広すぎる空間をどこか持て余している印象を受けていた。しかし今回は、さすがこの劇場を拠点とする劇作家協会会長の坂手洋二。演出家の腕の見せ所というか、舞台美術家の功績というか、空間的な密度の薄さは感じさせなかった。

 出演者は階段を登ったり下ったり、主舞台までを行き来しながら演技をする。最近は若い俳優の日常生活の延長線上のような演技を見ることが多かったので、燐光群の俳優達の芯のしっかりとした発声と立ち姿には、久しぶりにはっとさせられた。劇団以外の作品への客演でもよく見かける顔ぶれだが、さすがにホームグラウンドというか、個性の強い顔ぶれの俳優たちが互いに牽制しあうことなく、燐光群らしいキビキビと体育会系な舞台(といっても私が観たことがあるのは3作品ほどだが)を体現していた。客演の3名の女性、特にハシムラ東郷の女主人など3役を務めた田岡美也子の演技がチャーミングで印象的だったけれど、彼女たちも、キャスト表を見るまでは劇団員かと思うほど、よく作品に溶け込んでいたと思う。

 “溶け込んでいた”というならば、もう一点、この作品ではコンテンポラリーダンスカンパニー「ニブロール」の矢内原美邦が振付で参加していたが、彼女の振付もまた見事に溶け込んでいた。「ニブロール」の作品には、独自の音楽と映像を駆使しながら、舞台を縦横無尽に走り回り、時に叫び声を発しながら都会に生きる若い世代の等身大の葛藤を描く、というものが多い。でも「ハシムラ東郷」からはいわゆる矢内原らしい振付は見出されず、むしろ、どこに振付が施されているのかもわからないほどだった。(後日セミナーで聞いたところ、矢内原による振付は、ハシムラ東郷と同時代のフェミニズム活動家であるシャーロット・ギルマンをめぐる挿話における二つの場面で為されていたということだ。)

 個々の要素が溶け込む、ということが演劇作品にとって良いことか悪いことか、それはケースバイケースだろう。化学反応的な面白さはなくても、全体的な安定感と作品としての完成度は高まる。坂手の演出はそれを目指しているのかもしれない。

 話を内容に戻すと、作品には、ハシムラ東郷とシャーロット・ギルマンと、彼らを取り巻く同時代の人々のほか、現代の日本人女性・美子が登場する。美子は作品冒頭から登場し、「シャーロット」という女性との出会いを通していつしか歴史を遡り、作品の進行役を兼ねていく。美子とは、この作品の原作者ともいうべき「ハシムラ東郷」の研究者である宇沢美子その人だ。フェミニズム研究を専門とする宇沢にとって「シャーロット・ギルマン」は特別な存在であるらしい。研究者とその研究対象との関係がどのようなものなのか、研究というものに縁のない一般の人々にとってはわかりにくいけれども、きっと、相当切実なものなのだろう。作品設定を理解しないでまま観ると、宇沢は本当はギルマンの子孫なのではないか、とか余計な解釈を抱いてしまいそうになる。子孫が自分のルーツを求める話は演劇でもテレビドラマでもよくありがちだが、研究者が研究対象を追い求める話というのは、考古学者の話くらいであまり観たことがない。

 場面は次々と入れ替わり、コラムの中で繰り広げられるハシムラ東郷と女主人とのほとんどコントのような会話、鬱で幻覚症状に陥ったシャーロット・ギルマンによる『黄色い壁紙』の挿話、ウォラス・アーウィンの仕事風景、ギルマンと彼女が手放した実の娘との会話、女性だけが存在するフェミニストたちの理想郷、などのシーンが繰り広げられていく。その中で、アーウィンとギルマンが出会い、ギルマンと美子が出会い、そして最後の場面では、ギルマンと架空の人物であるはずのハシムラ東郷が出会う。このように登場人物が時空を超え、現実には遭遇しえない者同士が出会い、めくるめくように様々な場面が展開していく手法は、以前観た燐光群の『だるまさんがころんだ』や『チェックポイント黒点島』にも共通するもので、坂手洋二作品の特徴の一つと言えるだろう。世界の重層性を想わせられて、いやがうえにも胸に迫る。

 この作品において、様々な挿話の要となっているのは美子にほかならない。ハシムラ東郷も、シャーロット・ギルマンも、共に宇沢美子の研究対象だ。上演後のアフタートークで触れられていたが、宇沢は一時、精神的に追い込まれシャーロット・ギルマンの研究に行き詰まったことがあり、別の切り口から同時代を研究しようとした時に、ハシムラ東郷を発見したのだという。ギルマンが女性というマイノリティの権利を主張した活動家であると同時に、ハシムラ東郷は当時のアメリカの日本人蔑視、すなわち人種差別の象徴と捉える見方もある。宇沢の中では、同時代のマイノリティ研究として、ギルマンとハシムラ東郷は矛盾することなく共存している。しかし、実際には、ギルマンが人種差別問題、ましてハシムラ東郷に関心を持ったというような史料は発見されていない。ハシムラ東郷とギルマンの邂逅は、現段階では何の根拠もない夢物語といっていいだろう。

 こんな事実があったらきっと面白い、という仮説を立てることはできても、(立ててはいけないかもしれないが)それを証明するために、研究者は多大な労力と年月を費やして調査を行わなければならない。また、その結果辿りつく事実が期待はずれのものであるかもしれない。そうした研究活動は、はた目に見るととても地味だが、人間の生き方としてドラマティックなものに違いないと想う。坂手洋二がこの作品で描こうとしたのは、ハシムラ東郷という知られざる架空のキャラクターというより、むしろ宇沢美子という研究者の研究活動そのものだったのではないだろうか。

 これもアフタートークでのことだが、宇沢は坂手に対して、笑い半分に「ネタを盗まれた」と言っていた。でも、彼女は自分自身ではとうてい発表できないハシムラ東郷とギルマンの交流という仮説を、軽々と演劇で実現してしまう坂手が愉快だったのではないだろうか。

 化学や物理など理系の研究の成果は、医薬品の開発につながったり、生活の質を上げたり、比較的わかりやすいと言えるかもしれない。でも、なかなか成果がわかりにくい地味でマイナーな文系の研究だって、着実に人間の創造を豊かにしていっている。また、演劇をはじめ芸術と呼ばれるものは、一人の研究者が探り当てた些細かもしれないが紛うこともない真実を、想像力と創造力でふくらませ、よりたくさんの人の心に訴えかける作品に発展させる可能性をもつのだという、そんな確信を持たせてくれる作品だった。
(劇評を書くセミナー2009「座・高円寺」コース作品から)
(初出:マガジン・ワンダーランド第174号、2010年1月20日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 松岡智子(まつおか・ともこ)
 1977年生まれ。慶應義塾大学文学研究科修士課程(美学美術史学専攻アートマネジメント分野)修了。出版社を経て2002年、財団法人東京都歴史文化財団に入団。助成金制度の事務に係わる中、劇評に関心を持ち、2008年より度々ワンダーランド「劇評を書くセミナー」に参加。現在、東京芸術劇場管理課に勤務。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/matsuoka-tomoko/

【上演記録】
燐光群「ハシムラ東郷」(日本劇作家協会プログラム)
座・高円寺1(2009年11月16日-30日)

作・演出:坂手洋二
美術:島次郎
照明:竹林功
音響:島猛
衣裳:宮本宣子
舞台監督:森下紀彦

出演:田岡美也子 平栗あつみ 植野葉子 中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋 樋尾麻衣子 杉山英之 安仁屋美峰 伊勢谷能宣 いずかしゆうすけ 西川大輔 武山尚史 鈴木陽介 矢部久美子 渡辺文香 横山展子 根兵さやか 橋本浩明

☆ポストトーク
24日(火):宇沢美子(慶応義塾大学文学部教授)
25日(水):斎藤憐(座・高円寺館長)

一般3,600円 ペア6,600円(※劇団予約・燐光群オンラインチケットのみ扱い)大学・専門学校生 3,000円 高校生以下 2,000円

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