劇団印象「匂衣」(におい)

◎人心の機微に迫り、表現の幅広げる
今井 克佳

「匂衣」公演チラシ4月というのにひどく寒く、雪の散らついた晩に、劇団印象「匂衣(におい)」の初日を観にいった。
下北沢のスズナリのすぐ隣に、ミニシアター(映画)用のスペースがあって、それがシアター711である。50席くらいか。とても小さな空間だ。ありがたいのは椅子がふかふかなこと。映画用のスペースならではである。ただ、床の傾斜はゆるいので、後ろの席に座ってしまったらそれほど見やすいわけでもなかったのだが。

観劇しながらまず思ったのは、少し作風が変わったのかな、ということ。印象の芝居は「青鬼」(初演)と「父産」(再演)しか観ておらず、あまりエラそうなことはいえないのだが、前回(2009年11月)の劇団公演「父産」(再演)は、初めて進出した吉祥寺シアターの大きな舞台を使い切れていなかった、という印象を持っていて、今後どのように対応して行くだろうか、と思っていたが、今回は小空間に戻り、従来の公演とは違った切り口で芝居を作っていると感じた。

劇団印象の芝居は、まずはとっちらかった笑いと茶番とも思えるありえない設定から始まり、見立てなどの演劇的ギミックを使いつつ、最終的には少しほろりとさせるようなヒューマニスティックな「落ち」に持って行くというスタイルがあるように思っている。それが観客を巻き込んでうまく機能する時もあれば、茶番のままに終わってしまったように思える時もあった。今回も基本的には以上のスタイルを踏襲しているように思えるのだが、見立てのような小細工を廃して、「感覚」を描こうとすることによって、以前より人心の機微に迫ろうとしているように思えたのだ。

今回の公演の特徴は二点。一つは「日韓国際交流公演」として、主演に韓国の女優、ベク・ソヌを迎えたこと。もう一点は目の見えない人物の感覚を素材として組み込んでいることである。

「匂衣」

「匂衣」
【写真は「匂衣」(におい)公演から。撮影=青木司 提供=劇団印象 禁無断転載】

また、今回はいつものようにたくさんの劇団員たちが出演する芝居ではなく、客演ばかり、それも劇団印象には初参加ばかりの5人芝居である。ベク・ソヌは小柄な女優だが舞台ではかなりの存在感がある。日本で二ヶ月生活して日本語のセリフを憶え、主役に挑戦したのだそうだ。

韓国との演劇交流の経緯については劇団のホームページにも若干の記述があるし、昨年末に韓国での演劇ワークショップに参加した作・演出の鈴木アツトの体験は本人の報告が「ワンダーランド」に寄せられている。今回の公演と同時期に、キラリふじみでは、芸術監督多田淳之介による「LOVE The World 2010」という日韓の俳優共演の舞台も上演されていたため、あわせて新聞などのメディアにも注目された感があるようだ。

ベクは、ほぼすべてのセリフを日本語で演じ切っている。日本語を習得し始めてからわずか二ヶ月とは思えない。もちろんたどたどしさは十分あるのだが、そこは、「韓国から来て日本で生活している小劇場の俳優」という本人そのままの設定であることも幸いして、役としての不自然さはまったくといっていいほどない。韓日の言語の文法的類似性ということもあるだろうし、ベク個人の才能もあるのだろうが、まずこれには驚嘆した。

別々の言語の国の俳優が共演する場合、人数のバランスにもよるだろうが、作品自体をあまり言語に依拠しないものとしたり、あるいは、言語の違いを異文化体験として強調するといった手法は今までもあったように思える。またヨーロッパ大陸のような多言語環境が当たり前の場所であれば、普段はフランス語で活動している俳優が英語の芝居に出るなどということは日常的にあると思うのだが、今回のように、韓国語で活動して来た俳優が、やすやすと(と外部からは見えた)言語の壁を超えてしまう、という例は、ほとんどなかったのではないか。これは特筆に値するだろう。

言語の壁以上に、歴史的経緯という壁が隔てて来た日韓両国であり、その文化交流であると思うが、新しい世代の演劇交流のあり方を一つ、ここで提示してくれた作品であったと思う。(もちろん逆に、日本の俳優が韓国語で韓国の芝居を演じる、ということとこれは対になるべきなのかもしれないが。)

今回のもうひとつのテーマは、目の見えない人の感覚ということを題材にしているということだ。作者は完全な暗闇のなかで盲目の人同様の感覚を体験するイベント、「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」に何度か足を運び、実際に目の見えない方に取材もして、執筆のアイディアとしたようだ。

「匂衣」

「匂衣」
【写真は「匂衣」(におい)公演から。撮影=青木司 提供=劇団印象 禁無断転載】

目の見えない娘のいる金持ちの母親が、娘のかわいがっていた飼い犬が事故死してしまったため、俳優を雇い、飼い犬の体臭を抽出したスプレーをかけ、毛皮の手袋としっぽを使って飼い犬が生きていると、目の見えない娘を納得させようとする。これはあらゆる意味で茶番だ。

これに娘が少しでもだまされてしまうようでは、まさに茶番のまま終わってしまうと危惧したのだが、やはり感覚のするどい娘はすぐに気づいてしまう。犬のふりをする俳優に対して、本当は誰なのか問いかける娘。しかし母親との約束のためにあくまでも答えない俳優。

目の見えない娘役の龍田知美もまたたいへん存在感があり、演技もよかったためにその後の展開にも引き込まれた。特に途中から犬の役を俳優とともに強要される化粧品セールスマンが、結局は正体がバレてしまった後、娘の希望で娘に化粧をほどこし、目の見えない娘が、恥じらいつつも自分がどのように見えるのかを問いかけていくシーン。さらに、娘と俳優とが心を通わせ、娘が子どもの時に踊ったというデタラメなダンスを二人で踊るシーンは心にしみいった。

また、最終部で、韓国人女優が同棲していた日本人の恋人が、実はすでに別れた相手であり、イメージとして作り出していた話し相手であったことが明示されるシーンでは、演劇的な手法の面白さや驚きもあるがそれだけではなく、われわれにとって、「見えているということ」は何か、「感じている」ということはどういうことか、不在となったものの記憶を「見る」「感じる」といったことは何を意味するのか、といった、作品そのものが内包する問いかけを強く打ち出しており、ここも秀逸であると思う。

ただ、初日であることを考慮しても、まだこうしたテーマは全体としてはあまり深まってないと思うし、まだ書き込めるホンではないか、俳優の演技からもう少し意図を明確に読み取れるようにしたほうがいいのではないか、という気持ちも持った。

たとえば、「もし目が見えたら何か見たいのか?」というセールスマンの娘への問いかけは、無神経な質問としてなされているのか、そうではないのか、はっきりしなかった。

あるいは最後の最後で、ベクが恋人の幻像を消すために、数を数えるシーンでは、日本語で数え始めるが、途中から韓国語になってしまう。唯一芝居のなかでベクが韓国語を話すシーンでありここも一つのポイントだが、だんだん小声になって行くため、日本語から韓国語になったということが伝わりにくかったように思う。素人考えではあるが、むしろ数えるだけではなく韓国語で何か語らせてしまった方がよくなかったか。
(ただし以上指摘した各シーンの印象は、初日観劇のあいまいな記憶によるも
のであるので、その後改善された部分もあると思う。)

また本作は、目の見えない人の感覚を扱っているが、目の見えない人自身はこの芝居を鑑賞し得ない(もちろんイヤホンガイドなどの設定をして観てもらうことはできるが厳密な意味では全体を鑑賞できない)というパラドックスも背負っている。このあたりを追究すると様々な問題も現れてくるように思うが、今はその余裕がないので、様々な問題を孕んでいるようだ、とのみ記しておきたい。

いずれにしても、「匂衣」は、劇団印象の従来の表現とは少し違った可能性を見せてくれたのが嬉しかった。これらの試みが本公演に生かされて行くのか、あるいは今回のようなタイプの公演が「番外公演」とでもいえるものとして幅を広げるかたちになるのか、今後も期待したいと思う。

なお、千秋楽前日の公演で主演のベクが足に怪我をし、翌日の一公演が中止、最終公演はベクが出演したものの別演出となったようである。異国での生活と、4月の不順な陽気が疲れを蓄積させてしまったのだろうか。ベク・ソヌの一日も早い回復と今後の活躍を祈りたい。
(初出:マガジン・ワンダーランド第190号、2010年5月12日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
今井克佳(いまい・かつよし)
1961年生まれ、埼玉県出身。東洋学園大学教授。専攻は日本近代文学。ブログ「ロンドン演劇日和&帰国後の日々
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/imai-katsuyoshi/

【上演記録】
劇団印象-indian elephant- 第13回公演「匂衣(におい) ~The blind and the dog~」
下北沢・シアター711(2010年 4月16日-25日)

【作・演出】
鈴木アツト
【出演】
ベク・ソヌ (劇-發電所301)
高田百合絵(快楽のまばたき)
龍田知美(T1project)
深尾尚男(企てプロジェクト)
泉正太郎(東京コメディストアジェイ)
【スタッフ】
舞台美術:西宮紀子
舞台監督:川田康二
照明プラン:小坂章人
照明操作:志田順一
音響:斎藤裕喜
絵:大野舞〝denali〟
hair stylist:田中講平
制作:北野絢子 金川慧子 鈴木枝折 石原菜々子 田中ゆみ 荻沼恵(T1project)
プロデューサー:まつながかよこ
プロジェクト・アドバイザー:金世一
主催:劇団印象-indian elephant-

【料金】早割 2,000円・前売 2,800円・当日 3,500円(一部指定席扱い、他自由席)

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