平田オリザ+石黒浩研究室(大阪大学)「ロボット版 森の奥」

◎ロボット演劇 感心と感動のあいだに
 鳩羽風子

「ロボット版 森の奥」公演チラシ
「ロボット版 森の奥」公演チラシ

 「ロボット」という新語がチェコの作家、カレル・チャペックの戯曲「R.U.R」で生まれてからちょうど90年後。ロボットと人間が共演する舞台「ロボット版・森の奥」が8月、世界で初めて劇場公開された。名古屋市で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の開幕を華々しく飾り、新聞やテレビ、雑誌などでも大々的に報道された。

 ロボット演劇は、劇作家・演出家の平田オリザと知能ロボット研究のトップランナー、石黒浩・大阪大教授の研究室が共同で進めるプロジェクト。以下の記述は「ロボット演劇 ロボットが演劇? ロボットと演劇?」(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター編集、大阪大学出版会)を参照した。それによると、石黒教授がソフトウエア会社「イーガー」の黒木一成会長と組み、五年ほど前から研究を始めた。人間と関わるロボットを開発する中で、ロボットを人間らしく見せるにはどうすればいいのか。その点が関心の的だった。そこへ平田が大阪大教授就任を機に4年前から加わった。

 今公演のアフタートークなどによると、鷲田清一・阪大学長に「阪大でやりたいことは?」と聞かれた平田は、ロボット演劇と即答した。ロボットと出合った実感は「本物の駒を得た」。自らが唱える現代口語演劇を象徴する決まり文句、「俳優は演出家の駒にすぎない」を踏まえている。

 リアルを生むのに俳優の内面表現は重要ではない、せりふを言うタイミングや間の取り方こそがかなめだと主張してきた。喫茶店や待合室で繰り広げられる日常会話の風景を舞台に乗せ、同時多発や語尾を重ねる会話をト書きに細かく書き込んできた。こうした記述を数値化してロボットに与えた結果、リアルを生み出せるなら科学的にも実証できるというわけだ。平田がロボット演劇と出合うのはある意味、必然だったのかもしれない。

 ロボット演劇の初公演は、2008年11月の大阪大構内での「働く私」。家事をするために開発されたロボットが働く意欲を失い、悩む姿を描いた。上演時間約30分の短編。マスコミ関係者や研究者ら小人数対象で一般公開されなかったが、報道を通じて話題となった。「あいちトリエンナーレ」の建畠哲・芸術監督がその評判を聞きつけ、開幕公演で上演されることが決まった。トリエンナーレの舞台公演は「複合性」をテーマの一つに掲げており、最先端科学と演劇が融合するロボット演劇は最適という判断だった。

 「森の奥」で使われたロボットは、「働く私」の際と同じ三菱重工製のwakamaru。コミュニケーションできるロボットというコンセプトで開発された。高さは園児ぐらいの大きさ(1メートル)、黄色のボディーに黒いまんまるの目で、かわいさ追求のデザイン。カメラやセンサーが内蔵されており、人間の顔や声を識別して目を合わせたり、声を掛けたり、握手できたりできる。足がなくて車輪で移動するものの、首や肩、ひじの関節は人間と同じように動かせる。動き方は文楽人形やパントマイムを参考にしたという。

 ロボット2体が演じるのは、2030年、中央アフリカ・コンゴ(旧ザイール)にある類人猿ボノボを飼育する研究施設の研究助手。役名は「タカハシ・イチロウ」と「ササキ・ヨシエ」。サル研究者のサポートをしている。

 あらかじめ台本に書かれたせりふやしぐさ、舞台位置をプログラミングして演技をつけた。ロボット特有の台本は位置の指定。舞台全体を方眼紙状に約200のマス目に分けて数値で表した。その上で立ち位置や会話の間といった微調整は、オペレーターによって遠隔操作した。

 wakamaruのバッテリーが連続稼働できるのは最長2時間。「森の奥」の上演時間は1時間20分なので、能力の限界に挑んだことになる。

 最後までシナリオ通りにやり通せるのか。一度入力したら絶対に間違えないロボットのこと。関係者の気をもませたのは「体力」だった。

 招待公演前日の8月19日の最終リハーサル。テーブルをぐるりと回ってコーヒーのミルクなどを配る場面などで何回か立ち往生して、最後までやり通せずに終わった。着せていた白衣でモーターなどの熱が内部にこもって過熱したのが原因だったという。袖を短くしたり、一部分をメッシュにしたりしてカイゼンを施し、初日に臨んだ。ロボットがダウンした場合に備えて、ラストシーンに人間を登場させる別バージョンも用意された。1軍の2体に加え、予備2体も帯同したが、途切れた場面から急きょプログラムを再開させることは不可能。ウオームアップできる時間的猶予がないのだから当然だろう。

 全6公演のうち、少なくとも1回は別バージョンで上演されたが、目立ったトラブルもなく無事終わった。

「ロボット版 森の奥」公演から
【写真は「ロボット版 森の奥」公演から。撮影=南部辰雄 提供=あいちトリエンナーレ実行委員会事務局、青年団 禁無断転載】

 実際の舞台はどんな様子であったのか。「森の奥」は08年にベルギーの劇場から委嘱を受けて平田が脚本を書いた作品のロボット版。旧ベルギー領であるコンゴが舞台になっているのもそのためだろう。

 08年版は類人猿ボノボを飼育する研究者たちの姿を描いた。ロボット版は新たにロボットを登場させることで、人間、サル、ロボットの関係性をより錯綜させた上で、三者の境界を揺るがそうとした。

 人間の俳優が6人。ロボットは2体。新たに研究者の仲間入りをすることが内定した女性心理学者が研究施設を訪れるところから芝居が始まる。研修施設の説明や人物紹介に絡めながら、人間とサルの優劣をめぐる論議が展開される。かつて博覧会にアジア人が展示されていたこと、あいさつをするように性交をして許し合う関係をつくるボノボ、子殺しをするチンパンジーなど、興味深いエピソードが積み重ねられていく。

 研究者のプロフィールも次第に明らかにさせる。女性心理学者は自閉症の5歳の息子がいる。この研究施設で働こうとしたのも、自閉症の症状に似たボノボのクローンをつくり、治療法確立に役立てるためだった。ボノボに愛情を注ぐ女性サル研究者は6歳の娘を病気で亡くした。その後、チンパンジーが子殺しをする場面に出くわし、不介入のルールを破って子どものチンパンジーを助けてしまった過去を持つ。男性の観光業者は研究費を稼ぐためにボノボを使ったテーマパークを作ろうとしている。

 日常的な対話の中からそれぞれが抱える事情や哲学的な主題を浮上させ、ロボットが当たり前に存在する風景を描く手腕は鮮やか。「ええ、まあ」「いえ、あの」。一本調子の人工音声でたどたどしく言葉を発するにもかかわらず、自然体だと思わせたのはやはり間の取り方やタイミング、しぐさだった。気遣いを見せるロボットを同じ仲間のように接する人間たち。

 ロボット側からは時折、自分たちの特徴を訴える場面も。「鬱病になれない」「いきなりしかしゃべれない」「回りくどい比喩は使えない」。申し出はいちいちもっともで、だからこそおかしい。会場からクスクス笑いが漏れた。

 このクスクス笑いを成分分析してみると、愛らしさ、従順さへの安心感が背景にある。「森の奥」で造型されたロボット像は、人間に危害を与えない、人間の命令に従うなど、いわゆるアメリカのSF作家アイザック・アシモフが唱えた「ロボット3原則」に忠実だ。

 wakamaru演じるロボットは確かに豊富な知識を持っているが、例えばロボコップやターミネーター、鉄腕アトムのように超人パワーを持っているわけではない。万が一、誤作動で研究者に対して反抗するような展開になったとしても、人間の優位は揺るがない。

 「観客がロボットに対して『感心』するではなく『感動』する、先例のない演劇作品である」。パンフレットにそう書いてあった。モノが自発的に動いて見えるという、見たこともないものを見ることができたのだから観客が感心したのは間違いない。最先端を見せる「トリエンナーレ」の目的は果たされた。

 「ロボット以上に、脚本の内容に知的好奇心を刺激された人が多かった。それだけでなく、ロボットの内面を切実に感じさせる場面も、ロボット2体が対話する終盤に織り込まれていた。

 好奇心が持てるか、鼻唄が歌えるようになるのか。ロボット2体はそうつぶやく。素朴な自問自答に「答え」は用意されていない。その代わり、それまでの人工音声とは打って変わった、ゴリラの鳴き声をまねて「ウゴウゴ」と言いながら、両手で胸を打つドラミングをする。

 性能や知識は人間を超えても、決して人間になることはできないロボット。ないはずの心に宿るのは、哀愁か、切なさか。見る者の心に新たな感情を呼び起こした。

 世界初の取り組みに挑戦して、演劇史に新たな1ページを刻んだロボット演劇のプロジェクトチームには心から拍手を送りたい。

 その一方で目新しさだけに目を奪われてはいけない。「森の奥」を見ていて思い浮かんだのは、文楽や人形劇のこと。人ならざるモノを動かし、人の心の機微をあれだけ表現できるのは、やはりすごい。ロボット演劇は遠隔操作で動く点が確かに新しいが、原理や考え方は伝統芸能に案外近いのではないか。演劇で重要なことは「道具」の新しさではなくて、感動の器に何を盛ることができるのか。その1点に尽きると思う。

 平田らは今度は若い女性そっくりの最新型ヒト型ロボット「ジェミノイドF」を使った新作を、9月30日に名古屋市で上演すると発表した。ロボット演劇は始まったばかり。新しい演劇の可能性を切り開き、1ジャンルとして根付いていくのか、ワクワクしながら見守っていきたい。
(初出:マガジン・ワンダーランド第207号、2010年9月15日発行。購読は登録ページから)

【著者略歴】
 鳩羽風子(はとば・ふうこ) 横浜市出身、名古屋市在住。記者。国際演劇評論家協会(AICT)日本センター会員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/hatoba-fuko/

【上演記録】
平田オリザ+石黒浩研究室(大阪大学)「ロボット版 森の奥」(世界初演)(あいちトリエンナーレ2010

愛知芸術文化センター・小ホール(2010年8月21日-24日)
脚本・演出:平田オリザ
テクニカルアドバイザー:石黒浩(大阪大学)
ロボット側監督:黒木一成((株)イーガー)

出演:小林智 能島瑞穂 大塚洋 大竹直 荻野友里 堀夏子(以上「青年団」) ロボット「wakamaru」2体
舞台美術:杉山至
照明:岩城保
舞台監督:中西隆雄
演出助手:渡辺美帆子
ロボット側ディレクター:窪田修司((株)イーガー)
プログラマー:伊藤順吾((株)イーガー) 築坂宗樹(大阪大学・石黒浩研究室)
wakamaruデザイン:喜多俊之
宣伝ビジュアル:工藤規雄
制作:野村政之、岩佐暁子(あいちトリエンナーレ実行委員会)
企画制作協力:愛知県文化情報センター

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