ロンドン演劇日和-シアターゴアー、芝居の都を行く(全7回)

 第7回 新聞批評と観客に乖離 「春琴」のロンドン初演状況
 今井克佳(東洋学園大教授)

 2月には大雪に見舞われたロンドンも、3月に入ると気温が上昇し、暖かい日々が続いている。気がつくとあんなに暗かった夕方も日が延びて明るくなった。水仙など草花もそこここに目につくようになり、本格的な春の訪れを予感する。しかし、私は在外研究期間が終わり、今月でロンドンにもさようなら、だ。まだまだ観たい芝居、訪れたい劇場も多く、これからいい季節になるというのに名残惜しい。

 年明けあたりから不況の影響か、ウェストエンドシアターのディスカウントチケットのオファーがネットでも増えた。RSCのロンドン公演でさえも、演目によっては割引チケットのお知らせが来た。皮肉だが、シアターゴーアーにとってはありがたい話だ。特定の劇場に限られるが、この連載でもお伝えした、Under 26 Free、25歳以下無料観劇の制度も実際に始まっているようだ。

 そんななかで、私にとっての2月の注目は、当然ながら、コンプリシテと世田谷パブリックシアターの共同製作、「春琴」Shun-kinのロンドン初演(バービカン・シアター)だった。昨年2月に東京で初演され、日本ではおおむね好評であった「春琴」が、一年後、ロンドンの観客の前に登場したのである。それにともない、ポストショートーク、「春琴」やコンプリシテ関連のセミナーやワークショップも各種開催され、サイモン・マクバーニーや関係者の話を聞く機会も多かった。

 「春琴」のロンドン公演は1月30日から2月21日の約3週間の予定であったが、初日のリハーサル中に出演者のアクシデントがあったようで、30日は上演中止となる波乱の幕開けだった。なぜか私は初日を避け、31日のチケットをとっていたため、結果として実質のロンドン公演初日を観ることとなった。(アクシデントは大きなものではなかったようで予定されていた出演者に変更はなかった。)

 出演は、東京初演のヨシ笈田(老人の佐助)と宮本裕子(人形ぶりの春琴)がそれぞれ、天井桟敷出身の下馬二五七と、松田正隆作品への出演などで知られる内田淳子に変わりそれぞれの出演シーンの印象が若干変わった。特に下馬の冒頭での語りは、もともと笈田の個人的な体験が生かされて作られたようで、東京初演ではそのライブ感、といったらいいのか、事実からフィクションへと入って行く感覚があったが、下馬に変わったためその感覚は弱まり、しかしセリフ回しやたたずまいから伝わる佐助の老境の様子は逆に深まりを見せたように思えた。

 主演の深津絵里をはじめ、上記二人以外の出演者は同じだが、上演は一年前に東京で観たものにさらに磨きがかかり、非常に充実していると感じた。いくつかのセリフや映像、そして少女時代の春琴の人形の動きや扱いが変化しているのに気づいた。

 まだ芝居が完成途上であった昨年の東京公演よりも、当然ながら完成度は高く、はっきりと作品が表現している構造が伝わってくる印象が強かった。会場の反応もよく、しばらくこちらの劇場でも出会わなかったカーテンコールでのブラボーやスタンディング(少人数ではあるが)もあった。観客はもちろん日本人も見かけたが、ほとんどこちらの観客が多く、コンプリシテの作品として注目されていることがよくわかった。

 会場の反応が上々だったにもかかわらず、数日後のプレスナイトを経て、各紙に出された批評は、大きく割れた。Telegraphは星を3つつけながら、本文では「19世紀の日本への西洋的偏見を確認しただけ」「二時間休憩なしの拷問に耐えているようなもの」と手厳しく、理解をしめさない。The Guardianは、言葉穏やかに舞台の美しさを認めながらも、サドマゾヒスティックな谷崎の世界には理解を示さず、あいまいな表現はコンプリシテの以前の作品より劣るとして、星は2つ。他にも厳しい評が多くみられた。

 これらに対して、The Timesは、重層的に語り手を配して、様々な価値観を提示していることをむしろ評価し、4つ星を与えている。少し遅れて出されたTime Outの評価も高くここも4つ星(ただしTime Outは6つ星が満点)をつけている。現在もTime Out Londonの当該ページに行くと、読者が、低い評価を与えた各紙を非難しているコメントがつけられていて、読むことができる。このことは、新聞批評と、実際の観客との捉え方が乖離していることの現れだろう。

 「春琴」に対してロンドンの批評が厳しかったことの理由を自分なりに考えてみると、まずは「春琴抄」のサドマゾヒスティックな愛の世界に対して、拒否反応が働いたということがあるだろう。これはもちろん日本の観客でも起こることであるが、日本語上演、英語字幕という上演形態の影響もあり、プロの批評家でもThe Timesが見抜いたような、語りの重層性による多様な価値観のゆらぎが表現されていることに気づくことができなかったのではないか。

 もう一つあるとすれば、ロンドンでは非常に評価が高かったという日本との共同製作第一弾「エレファント・バニッシュ」のきらびやかなマルチメディア全開の世界と対照的であったので、期待感がそがれたのかもしれない。ちなみに「エレファント・バニッシュ」は日本でより、ロンドンでの評価がよかったそうであるが、「春琴」は日本での評価が高かったため、ロンドンでは逆になるのではないかという危惧は演出のサイモン・マクバーニー自身も持っていたとDaiwa Foundationにおける「春琴」セミナーで本人が話していた。

 もともと、プロの批評家であっても、ときに素人的な無理解を起こし、いいがかりにも等しい記事を書く傾向があるのがロンドンであることが一年いてうすうすわかってきた。口汚くののしるのがどの新聞であるかもだいたい決まっている。劇中の「偏見」や「差別」を批判しながら、実は自分たちがそれに染まっていることに気づこうともしないのだ。まあ、一種の「芸風」なのかもしれないのでまじめにとってはいけないのかもしれない。ロンドンの批評は厳しい、といわれるが、現実はこのようなものであって、決してほめられるべきものではないという気がする。

 「春琴」には実質の初日を含めて4回通うことになった。ポストショートークの日、そして日本から来ていた知人と一緒にもう一度。三度観て毎回少しずつ変化しているので、最後まで見届けたくなり最終日のマチネにもう一度。日本語のセリフ、俳優の動き、英語字幕も、少しずつ変わり続け、その度に新しい意味が付与されたり削られたりしたように思う。関係者の話によれば、サイモン・マクバーニーは、ほぼ毎日劇場に足を運び、修正を指示したという。俳優やスタッフにとっては気の抜けない日々だっただろうが、関連のセミナーで聴いたサイモンの、演劇は「現在」の芸術である、という意味の言葉を彼は実践しているのだと思わされた。

 4回ともほぼ劇場は満員で、カーテンコールでの反応も悪くはなかった。ただ、ひとつだけ気になることがあったので付け加えておく。2月21日、最終日マチネのカーテンコールで、観客からと思われる写真撮影のフラッシュが執拗に焚かれたのだ。多分複数の人間が撮影したのだ。この日は4回行った中で観客の日本人率が一番高かった。それはよいのだが、他の日には焚かれなかったフラッシュがこの日だけ焚かれたとなると、深津絵里あたりを目当ての日本人が撮影したとしか思えない。実際客席でデジカメのモニターが光るのがわかっ
た。

 どうも、こちらではオペラやバレエの劇場では、本来は禁止であっても、観光的な場所となっているため、カーテンコールでの写真撮影はある程度黙認されているようである。そうした写真を日本人のブログで見かけることも多々ある。が、演劇のカーテンコールであそこまで多くのフラッシュが焚かれたことはなかった。グローブ座やストラドフォードアポンエイボンの劇場で写真撮影禁止のアナウンスが最初に流れたことがあったが、バービカンでは多分当たり前のこととしてそうした注意はしていないのではないか。

 あまり観劇慣れしていない在住の日本人や観光客の方が入られて、つい撮影を行ってしまったというのが真相ではないかと考えている。しかし自分としては例の財務大臣の会見事件と同じくらい恥ずかしい思いだった。日本人に限らず、これもひとつの問題で、ロンドンでは日本よりも比較的簡単にチケットが入手できるため、どんな劇場でもマナーを知らない観客が多くなる傾向がある。これは、若い学生の団体観劇などがあると特にそれを感じる。

 長くなってしまったが、この2月はこうした大きなイベント以外にも、日本人俳優を中心としたカンパニー「一座」が行った寺山修司の「毛皮のマリー/犬神」の英語リーディング公演や、日本在住経験のある中国系イギリス人演出家によるサムライバージョン「夏の夜の夢」(東洋人の俳優、日本の装束、狂言や歌舞伎風の動き、日本語を交えた英語セリフ)のSouthwark Playhouse上演など、地道な日本関連の演劇活動もあったことを付け加えておく。
(初出:マガジン・ワンダーランド第130号、2009年3月12日)

【関連情報】
・バービカン「春琴」ページ
http://www.barbican.org.uk/theatre/event-detail.asp?ID=8038
・コンプリシテ「春琴」ページ
http://www.complicite.org/productions/detail.html?id=44
・Telegraph ‘Shun-kin’
http://www.telegraph.co.uk/culture/4528359/Shun-Kin-at-the-Barbican-review.html
・The Guardian ‘Shun-kin’
http://www.guardian.co.uk/stage/2009/feb/06/review-shunkin-barbican
・Times Online ‘Shun-kin’
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/stage/theatre/article5659189.ece
・Time Out London ‘Shun-kin’
http://www.timeout.com/london/theatre/event/127960/shun-kin.html
・「一座」http://www.ichiza.co.uk/index.html
・Southwark Playhouse ‘A Midsummer Night Dream’
http://www.southwarkplayhouse.co.uk/whatson_detail.php?record_number=113

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