地域演劇の未来形を求めて 枝光本町商店街アイアンシアター(北九州市)

 市原幹也(枝光本町商店街アイアンシアター芸術監督/のこされ劇場三主宰)

市原幹也さん
市原幹也さん

 ぼくが芸術監督を務める北九州市の「枝光本町商店街アイアンシアター」について、紹介の記事を書いてほしいとワンダーランド編集部から依頼を受けた。アイアンシアターは、地元企業経営者を中心とした有志が結成した、まちおこし団体「北九州お手軽劇場」(http://otegarugekijou.org/)が運営母体となり、「枝光本町商店街アイアンシアター応援団」という地元企業団体からの年間準備金と、助成金、そして来場者からの募金や寄付によって運営されている劇場である。

 所在地は福岡県北九州市八幡東区。この街は、1901年の八幡製鉄所(現新日本製鉄)の操業開始から「鉄の街」として、発展した。もともと人口1700人程度の村だったが、戦前、従業員だけでも6万人を越える街へと急成長した。しかし、戦後、工場の合理化により規模縮小や移転が進み、出向、配置換えが進む中で従業員の減少が進んでいった。1975年から1995年までに約人口は4万人減少。それに伴って少子高齢化が進み、2005年国勢調査における少子高齢化率で見ると、政令市では大阪市西成区に次ぎ、全国2位となった。かつて、多くの労働者の生活を支えていた枝光本町商店街(約120店舗)は、現在20店舗ほどの「シャッター商店街」となり、経営者の高齢化も進行している。2006年、近隣に開業したイオン八幡東ショッピングセンターの影響もあり、いよいよ、買い物客もまばらになった。
 そんな状況のなか、街の再生・活性化を目指し、商店街の空き物件を再利用した劇場「枝光本町商店街アイアンシアター」が誕生した。

 アイアンシアターは、「ものづくり、ひとづくり、まちづくり」という三つの使命を掲げてスタートした。「ものづくり」は、「舞台芸術の新しい価値をつくる」ということで、鑑賞の機会だけでなく、市民が文化活動や作品に参加できる機会を積極的につくり、次代へ引き継ぐことを視野に入れながら、記憶に残る優れた舞台芸術作品をつくるということ。「ひとづくり」は、「未来を切りひらく人材をつくる」ということで、子どもから体験できる文化交流事業を実施し、新しい志向を持った市民を輩出する。また県内の大学生や若手アーティストを劇場に招聘し、文化芸術人材を発掘・育成する。「まちづくり」は「コミュニティ同士のネットワークをつくる」ということで、県外や国外のアーティストを地域に滞在させながら、芸術文化交流の交差点として賑わいをつくること。文化活動を通じ様々なコミュニティと対話し、劇場の可能性を模索しながら新たな使命を発見し続けていくことだ。

アイアンシアター
【写真は、枝光本町商店街アイアンシアター。提供=アイアンシアター 禁無断転載】

 2009年度には、ぼくが主宰を務める劇団「のこされ劇場三」(三は本来は横三本線。以下同)との共同運営がスタートした。高齢化が進むなかでの若者の到来は大変歓迎され、劇団が、商店街のイベントや、地元のお祭りに実行委員として参加することで、新たな賑わいを創造した。それら地域の関係団体と劇団とのマッチングは、地元企業の仲介・ご協力によるもので、その成果は大きく、次々に協力者が現れ、劇場に必要なネットワークの礎を築くことができた。また、空きビルを劇場へと改造するため、商店街をはじめ、企業や工務店、イベント会社が協力し、木材や機材などを揃えていった。

 9月から11月の3ヶ月間には、公演とワークショップを中心に「えだみつ演劇FESTIVAL」を開催した。
 商店街との連携も強く意識し、来場者へのオリジナル食べ歩きマップの作成・配布や、商店街ポイントでの割引などを実施。これにより、商店街の回遊率が向上した。さらに、特色ある活動による話題性も高く、伸び悩んでいた劇団の新規客が増大した。

 このフェスティバルは、劇団と街の初めての出会いだっただけに、心に残る思い出が多い。劇場には当初クーラーがなく、夏の間は、サウナ状態での作業&稽古であった。お祭りの実行委員会議の打ち上げを居酒屋でしていた時、それを知ったリフォーム会社が、余っているクーラーを提供すると言い出した。しかし、劇団には室外機の購入費や工事費がない。その時、ひとりのおっちゃんが、枝豆が積まれていたザルを空にし、目の前に差し出しながら大声で「おーい!今からザルをまわすから、こいつらのための金を入れろー!」と、居酒屋を一周して帰って来たザルには、驚きの金額が!こうして劇場の一角にクーラーを備え付けることができた。

 枝光は、製鉄所で働く人々の「労働者の街」だったので、かつては劇場も含め数多くの娯楽があったらしい。街の人たちの多くが劇場にまつわる思い出を持っていたが、アイアンシアターが開業したとき、彼らが一斉に、その思い出を引っさげて来場してきたのだ。

 空襲警報の度に演目が中断し、そして再開するのを楽しみに待ったもんだ、と教えてくれるおじいちゃん。いつも商店街でみるおばあちゃんは、一張羅のワンピースを着て、白粉(おしろい)して、紅をさして。ブレスレットなんかしちゃって、ホントにおしゃれで、若い頃買ったものかと思われた。ソワレ公演では、曲がった腰が、暗い歩道をひょこひょこ歩いて来て、茶飲み仲間だといって友達を紹介してくれ、そして、来月もね、といって帰って行った。演劇やっててよかったって、本当に思った一瞬であった。

 フェスティバルでは、小学生からの年齢を対象にしたワークショップを毎月、計3回実施、毎月通ってくれる子どもたちがいたが、最終回の11月は、子どもの間でインフルエンザが大流行し、欠席者が多かった。

 そのワークショップの開始前、アトリエでひとり、小さな女の子が泣いていた。理由を聞くと、毎月会っていた友達が欠席することを知った、というのだ。劇団員の「でも、また会えるよ」の声に「もう会えない。ここでしか会えんし、連絡先知らん。会えると思って来たのに…」と。
 そっか、学校も学年も違う、でも特別な友達とは、会えなくなってしまうんだ。ぼくもとても寂しい気持ちになっけど、これにより、劇場が果たす大きな役割を肌で感じることができた。劇場は、子どもたちへ、新しい友達やコミュニティを提供でき、さらに別の世界を提示できるのかな、と。
 こうして劇団と街との関係は、友好関係から信頼関係へと発展していった。枝光本町商店街アイアンシアターは「街の劇場」として、子どもから高齢者まで気軽に来館できる施設となった。

 2010年度に入り、劇団「のこされ劇場三」は、シアターの私有化を防ぐことや、劇場運営業務と創作活動を区別するために、劇場運営から離れることになった。しかし、地域の方々から、劇場運営継続の声が多くあがったこともあり、芸術監督制を導入した運営を開始した。ぼくが初代芸術監督に任命され、以来、枝光本町商店街アイアンシアターの運営方針・プログラム決定を担当している。街の活性化に加え、地域演劇の活性化を視野に入れた特色ある活動を行っている。

 また、レジデントカンパニー制を導入し、のこされ劇場三を含む若手劇団3団体が、劇場(機材含む)を無料で利用できるようになった。3団体は運営母体の北九州お手軽劇場と協議・協力しながら、地域の賑わいづくりへの積極的な参加と、劇場の維持(清掃等)や自主管理を行った。これにより、互いの劇団や、地域の方々とさらに交流が深まり、それらが交差した新たな出会いが数多く生まれた。地元小学校での演劇ワークショップ、地元ホテルとの共同企画「ミステリーツアー」、地元ケーブルテレビでの番組コーナー担当などである。秋には前年に引き続き、「えだみつ演劇フェスティバル2010」を実施、地域と演劇の交差点をつくる、みんなが繋がるための演劇フェスティバルとして、日本各地から、地域で特色ある活動を行っている劇団をセレクトしたラインナップになった。
そのなかでも、のこされ劇場三は、前年度の実績を大いに発揮。「商店街を劇場に!」と公演を、商店街のアーケードで行った。

 2010年度の活動成果の特徴を裏付ける数字を紹介しよう。市外・県外からの来場者の割合は2009年度の22%から40%にアップ。来場者に占める10代の割合は7%から18%に増えた。このように、枝光本町商店街アイアンシアターの認知度や関心が高まり、また、少子化が進むこの街の子どもたちの多くが演劇に触れる機会を得ている。劇場から小学校へのアウトリーチを含むと、演劇を体験した子どもたちの人数はさらに多いはずだ。

 枝光本町商店街アイアンシアターでは、劇場を、友達との待ち合わせ場所にしている子どもたちの姿が見られる。彼らは、友達を待つ間、演劇のDVDを観て時間を潰している。晩ご飯までの時間まで、稽古を見ている子どももいる。学校の新しい友達をぼくに紹介してくれたり、商店街を歩いていると、後ろから名前を呼んでくれる。また、劇団公演でのワンシーンを友達とモノマネして、再現してくれる子どもも。
 このように、この街の子どもたちにとって劇場が大切な場所になっていることは、ぼくにとって何よりもうれしいことだ。

 枝光本町商店街アイアンシアターは、2年間で、数多くの出会いと演劇を生んできた。しかし、それは、劇場ありきの事業ではなかった。この街のなかにこそヒントがあり、そこに暮らす人間にこそ答えがあるのだと感じている。この劇場は、この地域だからこそ存在する劇場だ。これからも、この地域といっしょに悩み、人といっしょに育つ劇場だ。

 「地域で、演劇は可能か?」
 この問いに真摯に向かい合った。これからも、たぶんきっとそうすると思う。ここでなら「なぜ、演劇は社会に必要か?」の答えを、肌で感じられると信じている。
 地域演劇の未来のかたちのひとつを、これからも考えて、実行していく。とまあ、難しいことを考えるのも大事だが、自分の街を歩き、人に会うことを面倒くさがらない限り、ぼくらの演劇は可能だ。
 この記事を読んでくださった皆さまと、いつか枝光本町商店街を歩ける日を楽しみにしています。
(初出:マガジン・ワンダーランド第229号、2011年2月23日発行。無料購読は登録ページから)

【参考リンク】
・「のこされ劇場≡による商店街との演劇活動」(映像
・「えだみつ演劇フェスティバル」特設サイト
・「枝光本町商店街アイアンシアターの活動成果資料

【著者略歴】
 市原幹也(いちはら・みきや)
 1978年、山口県出身。北九州市立大学在学中より演劇活動を開始。のこされ劇場≡主宰として、2003年より全作品の構成・演出を手掛ける。のこされ劇場≡の作品以外にも、北九州芸術劇場での演出、地元イベントショーの脚本・演出などを手掛ける他、白井晃、鐘下辰男(演劇企画集団THE・ガジラ)、桑原裕子(KAKUTA)等の演出助手を務める。一方、子ども向けのアウトリーチ活動にも定評があり、北九州芸術劇場主催の小学生向け演劇ワークショップや公演の講師・演出も務める。元・東筑紫学園高等学校普通科演劇類型非常勤講師。

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