時間堂「廃墟」

◎多層的な「行き場のなさ」から生まれる時代の俯瞰
 齋藤理一郎

 2011年3月30日ソワレにて時間堂「廃墟」を観ました。
 戯曲に描かれたキャラクターたちの個々を実直に演じつつ、終戦直後を生きる人々それぞれの「行き場を失った」感覚をしなやかに作り上げた、奥行きとボリューム感を持った舞台に浸潤されました。

 劇場に入るとまず目に留まるのは、舞台の中央におかれた木のテーブルと何脚かの椅子。水壺やバケツなどが置かれた舞台前方下手には手作り風の食器棚も。上手隅には小さな座卓があり、敷布団なども目に入ります。書籍なども部屋のあちらこちらに積まれて、どこか雑然としているけれど生活の匂いを感じる。

 その部屋に戦争で片腕を失った学生、清水が訪れるところから物語がはじまります。応対をする住人らしきせい子のモンペ姿や、前方上手にしつらえられた防空壕の入り口から顔を出すその家の主人柴田欣一郎。彼らの会話から観る側が終戦間もなくの時間へと取り込まれていく。
 柴田が学校の先生をしていたが終戦後は休職していることや闇物資に手を出すことを嫌っていること、さらには自らの考えにもとづいて復職を固辞し続けていることなども会話の端々から伝わってきます。

 シーンには生活の音が重なる。部屋の中を歩いたり、薪を割ったり、バケツから柄杓で水を注いだり。湯を沸かすためにせい子が火をおこす。汗をぬぐう仕草から観る側がその場の温度を感じる。言葉づかいなども今では聞かれなくなったような言い回しが端々に使われて、当時の空気が舞台だけではなく劇場全体を満たし、観る側の感覚を終戦直後へと導き入れる。

 掛け取りに来たお光との会話からも、世相やその家の事情が浮かんできます。飢えがあたりまえに登場人物たちを支配し、清水が栄養失調ぎみの柴田へと持参した馬鈴薯が観客にまで輝いて見える。清水と柴田やせい子の間でのばつの悪い雰囲気も顧みず、お光がその馬鈴薯すべてを自分の袋に入れて持ち去る仕草は浅ましくもあるし、お光の着物の袖を引き裂くまでの勢いで掴みかかって取り戻そうとするせい子の形相はますますのこと。
 女たちの尖がった雰囲気からも、誰もが生きることに追い詰められた時代の感覚が切っ先を持って伝わってくる。

 やがて、家族たちが戻ってきます。共産主義に傾倒した長男の誠は戦時中拘留されて胸を病んでいるようだし、買出しにあぶれた次女の双葉には顔面に醜い火傷の痕があって。柴田の弟である富本三平は過ごしていた南米での蓄財が換金できずその部屋に住みついているらしい。次男の欣二は終戦の日に自殺した長女の友人であったというダンサーの圭子を連れてきます。
 清水が場を辞した後の、その場で交わされる会話からそれぞれの抱える事情が次第に解けていく。欣二が特攻(人間魚雷)の生き残りであることや圭子が家族のために体を売っていることも、会話の中に織り込まれていきます。ヒューズが飛んで電灯がつかずその家に闇が訪れる中で、誠のせい子に対する想いやせい子がそこに暮らす事情も明らかになっていく。

 緻密に組まれた登場人物たちの出入りでシーンが構成され、一人ずつの事情が物語に編みこまれていきます。様々な想いや事情が幾重にも、丸められたりないがしろにされることなく重なりあい、その部屋に満ちていきます。

 食事の支度。裏庭から摘んできた菜の色。包丁の音。家族の蒸かしパンをすべて盗み食べて裏庭の犬小屋で寝ていた、良心も感情も全てダメになってしまった浮浪者が連れてこられて、部屋の奥に立ちすくんだまま捨て置かれる。

 スープとちしゃの塩もみの夕餉。欣二が持ち込んだジンのボトルをらっぱ飲みにして三平にも振る舞いはじめる。
 柴田の欣二への説教が語り口をそのままオウム返しにされて、そこからドミノが倒れていくように家族は互いに自分の考えを溢れさせていきます。それぞれが抱いた理想が擦れあうなかで、空気が熱を帯び始める。貧しい食事はあっという間に終わり、食卓が片づけられていくなかで議論が重なっていくのです。歴史学者として生きてきた父には自らが貫く矜持があり、獄中で共産主義に目覚めた誠にも、虚無にとらわれながら世の中を眺める欣二の言葉にも、さらには双葉の想いにも理があって。父子のいくつもの長台詞がそれぞれに正論であり、語られる言葉はひととき観る側をも凌駕します。しかし場を満たした正論は別の正論にあっけなく足元をすくわれてしまう。
 さらには三平や欣二たちの酔いがまわり、欣二がそれぞれの理想をあけすけな現実で切り裂く中で舞台は混沌とし坩堝のようになっていく。最後には、欣二に無理やりジンを口に注がれた柴田が鉈を振りかざし机に突き立て、床に崩れ落ちます。照明が落ち、慟哭が響いて舞台は幕を閉じるのです。

 秀逸な戯曲だと思う。二時間半ほどの比較的長いお芝居なのですが、構成のバランスがとても良く澱みなく舞台が広がり流れていくので観ていて時間を感じることはまったくありませんでした。前半部分で描かれる戦後まもなくの空気が中盤以降の登場人物たちの姿に実存感を与え、それが終盤の舞台の底力へと繋がっていく。
 夕餉の食卓以降がとにかく圧巻。まずは組み上がる議論や長台詞を貫く役者たちの演技の力感にぐいぐいと押される。青空文庫で戯曲も読んだのですが、台詞自体に受け取る側が高揚を感じるだけの説得力があり、しかも演じる役者が真っ向勝負で場面を演じ切っていて。
 でも、演出の秀逸とその場に立つ全ての役者たちの献身的な演技は、それだけの力をもって語られる台詞をしても舞台全体をひと色に塗り込めさせないのです。場を席捲するがごとき役者の演技とともに、同じ空間に立つ他の役者たちが居場所を作りそれぞれに空気を醸し部屋に流れる時間を保ち続けていく。食卓をかたづけるせい子や双葉、食器を洗う水音、配られる飲み物。立ち尽くし頷くだけの浮浪者にしても、所在なげに座り込み虫をはらう圭子にしても。所作や音で編み上げられた密度や色が、力感溢れる家族の議論を別の側面から照らしだしていきます。
 淡々と刹那を重ねるその場にいくつもの交わらない議論が踊る。演劇という表現方法だからこそ創りえたであろう、強い台詞だけでは表しえないその場の肌触りが、観客に複数の視座を与えその時代や家族の俯瞰へと導いていくのです。

 かつては柴田家の人も、死んだ長女も含めてそれぞれに真摯で家族愛にも溢れていたことがいくつも台詞やエピソードから伝えられていて。しかし「三半規管をよこせ」という欣二の台詞が表わす通り、戦後の「廃墟」には、家族にも世間にも確たるモラルや価値観の共有はなく、戦中や敗戦の体験から導き出された柴田や誠、さらには双葉のばらばらな理想が折り重なっているだけ。そのどれかひとつを支えるにも現実はあまりに貧しく乱れて厳しい。理想たちは現実から乖離し、互いの足元をすくい、議論を止めに入ったまわりまでが巻き込まれるその場は混沌へと変わり、柴田は鉈を机に振り下ろす以外に行き場がなくなる。
 その「行き場のなさ」は、何かを突き抜けて滑稽さにまで至るほどの「行き場のなさ」で、だからこそ、一見突飛でドタバタ喜劇のような幕切れにも、暗転してからの慟哭にも違和感がなく、それどころか観る側がある種の必然を感じながらその姿を受け入れてしまうのです。

 見終わって、思わず息が漏れるほどのボリューム感に満たされていたのは、上演時間の長さからばかりではない。登場人物それぞれの閉塞感が舞台から観る側にこぼれ落ちることなくしっかりと渡されていたことにも思い当って。この感覚の共有は、言葉に留まらず空気の濃淡や色合いで観る側を染めることができる舞台ならではのものだと思う。

 初日の観劇では、家族が戻ってくるまでの部分とそれ以降のつながりが若干切れてしまっているように感じたのですが、楽日前日に再度観た時にはひとつの流れの中に物語が収まっていて。よいお芝居は公演を重ねるごとにさらに育っていくのだと今更ながらに感心。

 終演後、大きく拍手をしたあとでも、「行き場のなさ」の多層的な感触は散ることなく残り、しばらく席を立つことができませんでした。
(初出:マガジン・ワンダーランド第237号、2011年4月20日発行。無料購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 齋藤理一郎(りいちろ)
 1956年生まれ 福島県出身。4歳より学生時代までを概ね関西で過ごす。和歌山大学経済学部卒。現在は会社員、埼玉県戸田市在住。勤務地は東京都中央区。個人Blog「R-Club Annex」に芝居の感想等をまとめています。ここ数年は小劇場を中心に年間200本強の観劇。演劇だけではなくダンスや落語なども好物。

【上演記録】
時間堂 シアターKASSAI提携公演『廃墟
池袋・シアターKASSAI(2011年3月30日-4月10日)

脚本:三好十郎
演出:黒澤世莉
出演:鈴木浩司(時間堂)、菅野貴夫(時間堂)、浅井浩介(わっしょいハウス)、小川あつし、小田さやか、酒巻誉洋、猿田モンキー、高島玲、武井翔子、百花亜希

スタッフ
舞台監督:藤本志穂
照明:工藤雅弘(Fantasisita?ish,)
照明操作:吉村愛子(Fantasisita?ish,)
衣装:阿部美千代
宣伝写真:松本幸夫
宣伝美術:立花和政
Web制作:小林タクシー(zokky)
ビデオ撮影:$堂
演出助手:北見有理、石高由貴
制作:北澤芙未子

前売/予約・当日:3000円 学生:1900円 自由席

▼ポストパフォーマンストーク
3月31日 吉田小夏(青☆組主宰)
4月 1日 小栗剛(キコ主宰)
  5日 オノマリコ(趣向主宰)
  6日 徳永京子(演劇ジャーナリスト)

「時間堂「廃墟」」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: jikando
  2. ピンバック: seri kurosawa

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