ポコペン舞子「もう少し待っててください」

◎愛すべき“ブス”のゆくえ
 安達真実

「ダンスがみたい!13」チラシ 仮に、“ポップでキュート、ときどきブス。”という種類の魅力があるとしよう。軽やかで愛らしい、だけでは物足りない。ときにちょっとヘンテコなのがカワイイ、と。
 例えばそう、ファッションで言うところの「東京ガールズ」(裏原系、ロリータファッション等)は、抑圧的な日本社会において、自分たちだけの居場所を、ファッションというツールの活用によって獲得しようとし、消費を通してしか文化を創り出せなかったとされる。が、ここで敢えて、このポコペン舞子(ブス)というダンスカンパニーを、そして彼女たちを取り巻くまなざしを、「東京ガールズ」の文脈で捉えるとするなら、それはそれで、おもしろいかもしれない。

 少なくとも、初期のポコペン作品(後述)には、大人や、異性による尺度を拒否しようとしているかのような意思が、不思議な虚構感や、少女趣味といった形で現れていた。そこから、言うなれば“東京ガールズ臭”が、ぷんぷん臭い立っていたように思うのだ。この、愚直とも無邪気とも呼べる迷いのなさを、肯定的に「東京ガールズ」とポコペン舞子がもつ共通項として、筆者は捉える。その上で本作、そしてそこに滲むポコペンの今を、読み解いてみたい。

 冒頭、地明かりに近いのっぺりとした照明が入ると、ダンサーたちが入れ替わり立ち代わり、てくてく歩み出てきては、舞台上にぽかんと立ち止まってしばし留まり、また、何とはなしに去っていく、ということが繰り返される。そんな中、ふと視線を奥に移すと、アルコープ(die pratzeの壁面に一部開いている凹状部分)から別のダンサーが、身体の一部をちらりと覗かせていたりするのだが、概ね淡々としたシーンが、無音の中、延々と続く。衣装は揃いのアースカラー、デザイン違いで、かつて好んで着ていたビビッドな色合い、ややヘンテコな組み合わせの既製服を想定していたので、おや、と思う。

「もう少し待っててください」公演から
【写真は、「もう少し待っててください」公演から。撮影=前澤秀登 提供=ポコペン舞子 禁無断転載】

 やがて、ダンサーたちはやはり無音の中、電線に並んで止まるスズメのように、横並びのフォーメーションを取り始める。そして各々が彫塑的フォルムを形づくり、そこから同時・同方向に静々と、身体の向きを目線とともに移行させてゆく。そして、始まりとはまた別のフォルムに落ち着き、静止してみせる。何かを探しているような、待っているような、しかしあくまでも彼女たちの2本の足の裏は地に貼りつき、微動だにしないという様は、哀れに愛おしく、不思議に印象深い。カンパニーの今を投影するかのような密やかなリリシズムに打たれる。そのようなフレーズを何度となく繰り返すうちに、ちょっとしたおかしさが挿し挟まれる。

 やや太目の(と言っても、初期からすれば随分と痩せて、キレイになってしまった)宮崎喜子が、魅惑的くびれをもつダンサー小山綾子から、突如、腹の肉をわしづかみにされて困惑したり、全員が仰向けに寝た姿勢から起き上がろうという段で、ひとりだけ起き上がることができず、中途半端に叩きつぶされたゴキブリのように、無様に這い回っていたりする。このあたりが、たまらなくうまい。と同時に、その“ちょっとした”感じというのが、ひっかかりもした。つまり、かつてのポコペンならば、おそらくもっと過剰に破天荒に、例えば、弁当を凄まじい勢いで一気食いして、大量のごはん粒や卵焼きのかけらもろともブハッと吹き出していたところだろう(2001年『六人六色ブス6人』ワンシーンより)。そんなふうに、クスリではなくギャハハという笑いを、迷いなく誘っていたのが、かつてのポコペンだった。だが今回は、おかしさを挿し挟むという趣向は残しながらも、その塩梅を、図って、図りかねているような手つきが垣間見えた。より強く言い換えるならば、まるで“自粛”しているようだった。

 作品が進行し、それまで抑制的だった運動強度が、徐々に上がり始める。座位のまま跳ね上がって、どすんと床に落ちたり、反り返って飛んだりといった振りが、ずれながら反復、増幅して、群舞を形成する。まるで巨大バッタの大群のような風情で、音を立て、息を荒らげながら、懸命に移動する。そして、徐々におさまる。…そろそろ馬鹿踊りが始まるか?と期待していたところ、ダンサーたちは客席との際まで進み出て、前述の横並びのシークエンスを展開する。と、にわかに暗転。暗闇の中、まさかと思いながらしばし次なる展開を待つが、明転すると、これが作品の終わりだったことを知る。

「もう少し待っててください」公演から
【写真は、「もう少し待っててください」公演から。撮影=前澤秀登 提供=ポコペン舞子 禁無断転載】

 ポコペン舞子は、2000年10月日本女子体育大学舞踊学専攻在学中に、同期生7名により結成されたコンテンポラリーダンスカンパニーである。彼女たちは初期より、大学でみっちり仕込まれたであろう、いわゆる現代舞踊・モダンダンス系のテクニックや表現手法を全面に押し出すことはなく、かといって、敢えて隠蔽するつもりもありませんといった様子で、「勝手気ままに、私たち楽しくやってますが、何か?」という雰囲気を威風堂々と湛えていた。発表場所としても、中華料理店やお好み焼き屋、また活動領域としても、デザイン・フェスタやフリンジ・ダンス・フェスティバル(fFIDA)に参加するなど、勢いに任せてあちこち飛び出していっては、動き回っていた。が、2004年に活動休止。そして各々が、ソロダンサーやダンスインストラクター等として時を刻み、2010年に活動再開。翌年【ダンスがみたい!新人シリーズ9】にて新人賞を受賞した。

 今回の公演の位置付けは、前述の受賞を受けての【ダンスがみたい!13】へのラインナップである。上演作品は受賞作『もう少し待っててください』だが、本作はポコペンが活動再開した1年前から、20分作品(セッションハウス【シアター21フェス】)に始まり、30分作品(日暮里d倉庫【ダンスがみたい!新人シリーズ9】 )、そして今回の60分作品へと、短編から長編へ向かって紡ぎ上げられてきた経緯がある。更に今回は、オリジナルメンバーの“ブス”たちが、久々に揃い踏みすることに加え、初めて男子1名がダンサーとして参加するとのことで、そのあり方にも期待しつつ、席に着いた。

 しかし、新規参入の男子、石山優太については、残念ながらこの作品にとって、さしてリーズナブルな要素とは映らなかった。1人の男子が、“ブス”6人に不思議に馴染むでもなく、全く異質な存在を醸してアクセントを加えるでもなく、不安げに宙に浮いた様子であることが、正直むずがゆく感じられた。おそらく、本人もそうだったのではないだろうか。もし彼のあり方を、人選も含めてもう少し重要なものとして捉え、作品に織り込んでゆくプロセスを踏むことができたなら、これまで“ブス”たちでつくり上げてきた城に、何らかの新しい風を、スーッとなり、ゴーッとなり、吹き込むことができたかもしれない。「特定の演出家をもたず、全ての作品を全員の共同作業によって制作・発表」(当日パンフレットより)していくという、ポコペンの創作スタイルを貫こうとするならば尚のこと、こういった試みは大きな課題となるだろう。無論、それを解った上でのチャレンジとして今回の起用があったことは確かで、その意味で、カンパニーとして好感のもてる姿勢ではあった。

 筆者の目には、この作品が彼女たちにとって、ある時代の終末でありながら、同時に始まりのような気がしてならなかった。つまりは、節目である。そしてその時代とは、私たちの時代でもあると。前に敢えて“自粛”という言葉を使ったのは、無論、かの震災を意識してのことである。やはり3.11を境に、彼女たちは感じただろう。日常の中で、表現活動の中で、「楽しく元気に踊れない」「踊っていいのかわからない」というぬかるみに、しっかりと足を捕られ、絡め取られながら、ここまで進んできたことは訊くまでもなく分かる。実際に訊いてもみたが、やはりそのことには、今回の作品づくりにおいて大きな影響を与えられたと語っていた。彼女たちは言うなれば、二重苦を抱えたのかもしれない。

 「東京ガールズ」は、抑圧された日本社会だとか、大人や異性による尺度だとか、抗う対象があっただけ幸せだったかもしれない。それが仮想にせよ、過剰にせよ、そこに抗うべき確かな対象があるなら、それは、反発あるいは逃避としての“おあそび”や“おふざけ”に、真剣に没入していくための安心感にもなり得る。しかし今はもう、何に対して、怒っていいものか、泣いていいものか、笑っていいものか…それがよくわからない。という事態が、きっとポコペンの今なのだ。確かに震災という出来事は、日本社会や世界を単に抑圧的とは呼べなくしたし、大人や異性による尺度というものも、結成から10年の時を重ねた“ブス”たちには、これまでと違った意味合いと色味を帯びて迫っていることだろう。それは決して楽な状況ではない。その苦しみが残尿感として、みる者に残ったのだとすれば、それだけ彼女たちが真摯に作品と向き合ってきた証とも言えるだろう。

 筆者は思う。よくわからないながらにも確かに思うのだ。そもそもエンターテインメントやアートなんてものは、不謹慎のかたまりであってそれでよく、その馬鹿らしさや、くだらなさや、危なっかしさにこそ、人は精神の解放を求め、救われてもしてきたはずだ。「こんなときに…」も「こんなときこそ!」も、常に個人の中に起こるべくして起こるもので、周りと目配せしあって、声を揃えてそう叫んだ途端に、胡散臭い。いつだって、私たちは何かを畏れ、裏切られ、傷つき、失いながら、それでも生きるということをしてきた。そしてそこにはいつも、なくても構わない、だけどあったら嬉しいときがある、“おあそび”や“おふざけ”があり、多分、“ポップでキュート、ときどきブス。”も、あったのだ。それを、みたくないならば、みなければいいだけの話。聞きたくないならば、聞かなければいいだけの話。やる方は、もっとワガママで、きっといい。

 迷いと戸惑いの中に半分身を浸したような姿で、今ここに確かに身を置き立っているポコペン舞子の今に立ち会ってしまった以上、筆者はこの愛すべき“ブス”たちのこれからを、見続けたいと思う。『もう少し待っててください』と、言われても、言われなくても。

【筆者略歴】
 安達真実(あだち・まみ)
 福岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院 人間文化研究科 人文学専攻舞踊・表現行動学コース 博士前期(修士)課程修了。舞踊学会会員。 『「脱ぐ」身体表現の位相―ストリップにおける踊り子の表現意識を巡って―』(2004年)で新風舎出版賞ノンフィクション部門奨励賞受賞。関心領域は、カウンターカルチャー、ジェンダーアート、アウトサイダーアート等、と呼ばれるものたち。
アダチマミとして、2000年よりソロパフォーマンス活動を展開。2005年「アダチマミ×無所属ペルリ」を立ち上げ、振付・演出・構成を手がける。2005年『トランポリンの上で殴り合い』で【ダンスがみたい!7新人シリーズ3】批評家賞を受賞。作品に、2005年8月『まな板の泳ぎ方』(神楽坂die pratze)、2011年5月『大衆セルフ』(タイニイアリス)等がある。

【上演記録】
ポコペン舞子『もう少し待っててください』(【ダンスがみたい!13新人シリーズ9 新人賞受賞者公演)
神楽坂die pratze(2011年7月19日-20日)

振付・構成:ポコペン舞子
出演:川端慧,小山綾子,杉田亜紀,原田香織,箕島桂,宮崎喜子,石山優太
音響:牛川紀政
照明:三枝淳
衣装:AMI
写真撮影:松本和幸,安富芳乃
記録映像:たきしまひろよし
企画・制作:die pratze,ポコペン舞子

「ポコペン舞子「もう少し待っててください」」への14件のフィードバック

  1. ピンバック: 小山綾子
  2. ピンバック: 原田香織
  3. ピンバック: nakashima misato
  4. ピンバック: にしさや
  5. ピンバック: よしこ
  6. ピンバック: 牧野琢磨
  7. ピンバック: プラトー
  8. ピンバック: 牛川紀政
  9. ピンバック: ありふー
  10. ピンバック: 小山綾子
  11. ピンバック: ami

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