連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第12回

||| 出身はまったく別の分野

-では、お二人が今の仕事に就く以前に何をなさっていたのですか。

近藤恭代さん近藤 私は、現代音楽の分野からスタートしました。高橋悠治という作曲家の制作事務所にいて、最初から、現代の作曲家やアーティストたちと新しいものを作っていくことが前提で、クラシック音楽などとは別のところでやってきました。その後、神奈川芸術文化財団に4年ほどいました。
 それでフリーランスでも仕事をしていたんですが、金沢の美術館の募集が、すごく面白いと思ったんですね。ご存知のように、舞台芸術の中でのプロデューサーの位置は社会的に保障されてるわけじゃないし、非常に低い。しかし美術では、博物館法で学芸員という資格が定められ、そこにちゃんと人材を受け入れるポジションがある。美術館に、プロデュースする人間を受け入れる枠ができたっていうことに興味をひかれました。金沢という地方都市で、そういう人たちを育てていける環境ができるのかな、という期待もあってチャレンジしました。美術館がオープンした2004年に来たので、8年目です。

藤田 高知県立美術館の場合、ホールが造られた理由は、1993年の開館当時、県内や市内にホールが少なかったので、美術館を建設するのに合わせて造ったらしいんです。開館当初はホールの企画に対する予算もあまりないし、学芸員でパフォーミングアーツや映画に興味のある人が担当していた。
 ところが、当時の橋本大二郎高知県知事が、ホールを造った以上はそのプログラムを組む専門の人間が必要だと。それで私がオファーを受けたわけですが、実はそれまでは地方銀行でサラリーマンをしていたんですよ。
 私は大学生の時からずっと、映画の自主上映をしていたんです。卒業して高知に戻ってきて、それまで見ていた種類の映画が地方では見られない。見る機会の少ないアート映画を県民にも見せたいという気持ちが強くなって、何人かの仲間と共に自分のこづかいの範囲で上映していたんです。
 実験映画、アンダーグラウンド映画、ドキュメンタリーや、当時はほとんど上映されなかったアジアの映画など。最大で5万円くらいの予算で、40人くらいしか入らない小さな部屋を借りて上映していたんですね。フィルムは、今の渋谷の場所ではなく四谷にあった頃のイメージフォーラムや、アテネフランセ文化センターからも、80年代初めにダニエル・シュミットという、当時はほとんど見る機会のなかった監督のフィルムを借りていましたね。
 そういう経緯があって、美術館ホールのコーディネーターをやってみないかと声がかかったのです。まあ、いきなり銀行を辞めるというのも、家族もあったし、なかなか簡単にはいかない。幸い、高知県文化財団には、私の出身母体の銀行がかなり出資をしていたんです。地方の財団はだいたいそうらしいんですけど、自治体が資金を半分出して、地元の一番大きな企業がその次に出す。その金額が決まったら、後は次々と新聞社とか他の銀行とかの割り当てが決まっていくらしい(笑)。最初は、出資している銀行からの「出向」という形で美術館に入りました。
 銀行から県に出向している人は何人もいますが、ほとんどは産業振興部門への出向で、文化部門には異例中の異例。知事と頭取が話し合って、まあいいでしょうということになったようです。
 その後8年経って「いつまでも出向しっぱなしじゃダメだ、そろそろ出処進退を決めなさい」(笑)という話になって、「じゃあ辞めます」と高知県文化財団に転籍しました。

-四国銀行の銀行マンでいらしたんですよね。以前このシリーズで話を伺った、三重県文化会館の松浦茂之さんも元銀行マンで、ホテル業界のサービスを劇場に、というユニークな発想をされていましたが、金融畑から文化畑に転身という例は少ないでしょうね。

藤田 そうですかねえ。他にも結構いらっしゃるんじゃないかと思ったんですけど。だって一般企業で揉まれてるから、かなり使えるんじゃないですか(笑)。

近藤 いわゆる社会性がありますね。収支のバランス感覚の欠如をいかに…。

-藤田さんは、資金調達もお得意なのではないかという気もするんですけど。

藤田 それはどうでしょうか(笑)。

近藤 いや、藤田さんはそのへんはうまいなって思いますよ。残念ながら金沢はたぶん、高知ほど助成金には恵まれないんです、特に公立の助成金にはね。イメージや評判も大きいと思うんですけど、「成功してしまってる美術館」だと思われているので、むしろマイナス。
 たとえば美術館の入場料収入はすべて市に返してしまうんですよ。つまり、今まで投資した分を返しなさいと。年間、間接的に市から受け取る事業費と入場料収入を合わせると、収入の方が多い。だから黒字と見なされ、もうその時点で、特に展覧会においては国の助成金がなかなかつかない。その黒字というイメージで、交流事業、パフォーミングアーツ部門も同じように見なされてしまうんです。

-収益を自治体に返さなければいけないかどうかは、公共劇場の運営にとって分かれ目とも聞きます。三重県文化会館はそれを勝ち取って、年度末の剰余金を返納せずに、自分のところに活用できるシステムにしたそうです。せんがわ劇場も、調布市とのやりとりの末、チケット収入を劇場に残すことができるようになったと伺いました。それができなくて悔しいと仰ってるところもあります。

藤田 もともと文化財団のような財団は、県や市役所の職員の定数が限られていることから、定数条例を守るために、派遣先として作ったところだと聞いています。指定管理者制度を導入する以前は、県や市からの委託料で展覧会の事業をし、収入は県ないし市に直接入っていた。だから財団は支出だけ管理していればいいシステムだった。その考え方は今でも職員に染みついてて、指定管理者制度導入後も意識をなかなか変えられないんです。
 今は利用料金制を取っているので、収入が入れば年度内であれば使えるんです。たとえば事業費1億円が県からきて、そこにチケット収入と獲得した助成金を足して、3月までにやり繰りする。ほんとに何かやりたいと思ったら、がんばって収入をあげれば、いくらでもやりたいことができる。収入を上げるためには宣伝費をどれだけ使ってもいいと私は言ってきたんだけど、なかなか浸透しないんです。総務関係は県からの出向で、「入」の管理のやり方が分からない。「出」の方は予算以上には絶対使えず、1円まで必死で管理しているのに。
 で、仮に300万円の助成金を獲得しても「入」の予算を膨らませないんです。それで予算通りにしか「出」を使わないから300万円余っちゃいますよね。余って県に返してもいいと考えているから。それがもったいないとか、それを効果的に使おうという発想がない。事業をグレードアップするために助成金を申請しているのに、結局、それが使えなくて県の方に吸い上げられかねない。

近藤 収支バランスという考え方はないんです。最終的にマイナスになるかプラスになるかっていうのが赤字黒字だと思うんですが、市の感覚って、予算が決まると「それ」はもう「それ」。余分に入ってこようが何しようが変わらない。下手すると助成金が入った分、補助金を減らされる可能性さえもあるんですよ。そうすると、一生懸命ほかから助成金を獲得する必要がなくなっちゃう。もっと悪いのは、「去年1,000万円あったのに600万円でやれたでしょ、じゃあ600万でいいじゃない」ってことになる。余らせると持っていかれる。でも決まった予算を上回ると、それはそれで駄目だと言われる。非常にモチベーションが上がらない仕組みなんです。

藤田 出向職員は県に帰ってもらって、財団をプロパー職員だけで運営する形もあり得ると思うんだけど、うちはあまりその話が出ませんね。幹部職員は県の派遣かOB・OGで運営している出先機関のようなものだから、もう独立しなくていいじゃないかという話もあるんです。

―三重は、徐々に出向の方を減らして、今はプロパーだけになっているそうです。

藤田 そういう動きは一時的には高知にもあったけど、最近はなくなりましたね。
 今、財団が指定管理を始めて5年目で、1期目は3年間、2期目は5年間ですが、その2期目なんです。1期目は、仮に収入が上がったらそれは貯めて翌年使うことができたんだけど、幸か不幸か3年間の成績がすごくよくて、利益だけで1億円くらい、税金を引いても5,000万円くらいあった。それを内部留保したんですね。そこに目をつけられちゃって。
 そのため2期目は「国に税金を払うのはもったいない、利益は県に返してくれ」と言われたんです。「その交換条件として財団職員の給料と退職金は県が保証する」と。うちが貯めたかった理由には、退職給与引当金が積み上げられてなかったので、何とか原資を確保したかったんだけど、それを保証すると言われて、その条件をのんだんです。
 実情は、理事長も県の現役の出向もしくは退職者の天下り先なんですよ。財団本部も県の職員が何人もいるし。どこもそうでしょうけど、事実上県の職員が運営の中枢を占めていて直営みたいなものです。
 うちの財団は統廃合の対象になってないし、このまま今の状況の中で最大限できることをやればいいと考えています。

近藤 でもそれって、今までの評価がそういう形でされてるってことですよね。高知県にとっても、離しちゃったらもったいないと。

藤田 文化施設については、ほぼ県の直営もしくは指定管理者であっても直指定ですね。ただ、観光施設的要素の強い坂本龍馬記念館という館だけが一般公募で競争になったんです。それで、この記念館だけはプラスが出たらプールしていいことになっていたんですが、ご存じの通り、去年はNHK大河ドラマの効果で坂本龍馬の大ブームで、大変な利益が出たんですよ。ひどいのは、県が、おたくだけの努力で人が入ったんじゃない、県を挙げて観光客を誘致したのだから、そのアガリは県にももらう権利があると言い始めて、利益の使途は記念館の自由にならずに、県と協議して使うという形になっちゃったんです。ちょっとでも余裕資金があるとすぐに目をつけられちゃうんですよ(笑)。

近藤 そこが職員のモチベーションをぐっと下げるんですよね。今、昇級もほとんどの場合年齢に合わせるんですよ。民間では収益を上げていくことが企業の一番大きな目的だけど、それが公共という立場ではどうしてもあいまいになってしまう。つまり、我々がどんなに一生懸命頑張って目標の数値を出したとしても意味がない。年齢だけ重ねれば昇級はしていくけれども、給料に反映されるわけでもない。これだけの集客、目標を達成しましたという成果を出しても、来年度の事業費を上げてくれることもなく、次年度予算はすべて一律。それどころか全施設そうだからという理由で10%カットされたりもする。徐々に首を締められて、自転車操業で、点検をする暇もないツルツルの細いタイヤで走ってます(苦笑)。

藤田 金沢21世紀美術館は非常に成績がいいのに、きちんと評価されてないんですか。

近藤 評価されてないです。財団の幹部の方も「いやあ、頑張っているのは分かっているよ」とおっしゃりはするけれど、ただ、じゃあ我々にいつも数値目標を設定させるのなら、逆に、我々がどれだけ頑張っているかという評価もそちらから数値でくださいと言うと「んっ」て黙るんですよね(笑)。

-両美術館の年間の予算はどのくらいなんでしょうか。

近藤 総事業費が約2億円弱、そのうち展覧会費が約1億1000万円。うち市からの補助金は約9,000万円、カタログなどの物販収入費として約2,000万円。交流事業費が約2,300万円のうち、市の補助金が1,800万円弱、入場料など自主収入が500万円です。ほか教育普及、広報、調査研究・資料費などです。

藤田 うちは展覧会費が大体5,500万円くらい。ホール事業が外部の助成金2,000万円くらいを獲得できるとして、合計4,000万円くらいです。
 さっきの委託料の話に戻ると、指定管理者制度導入前は、展覧会事業は県からの「委託料」という形で予算が付いたんですけれど、私が担当していたホール事業だけは「補助金」という形だったんですよ。入場料収入は県からの補助金に上乗せして使えるという形。最初は、何で私の担当部門だけ事業費は自分で稼げという形になるんだと、かなり疎外されたような気持ちになりましたね(笑)。

-逆にいえば、がんばればそれだけ事業費に使えるということですよね。

藤田 そういうことなんですよ。しかも指定管理者制度が導入されそうだということになってから、県は少ない経費で施設を運営するという方針になり、財団側、美術館側も経費を圧縮しなければ指定管理者を勝ち取れないのではないかとの方向になった。それですごく展覧会経費を落としたんですね。展覧会予算も最大で9,000万円くらいあったのを落とした。
 ただ、展覧会予算をどんどん落とした結果、その金額がベースになってしまって、結局自分で自分の首を締めることになっちゃったんです。そんなことせずにのんびりと、いや、もちろんのんびりとしてはいけませんけど(笑)、結果的には自ら予算を切り詰めない方がよかったんです。
 当時、私は県からの補助金は最大限効率的に使えばいいと考えていました。もらえるものはもらってきちんと事業をして、県民のために還元していく、それは悪いことじゃないと。ホール部門は予算を落とさなかったので、その額がベースとして残ったのです。
 がんばって良いことをしているつもりなのに、それが決して良い結果とかプラスの方面には還元されないということがよくありますよね。(>>

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