連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第13回

||| 「脱東京」で地域演劇を育てる

-いわき市の公共施設としての意義と活動を伺ってきたんですが、大石さんは地方の劇場同士のネットワークを作って活動したいと、東京で開かれた震災関連のフォーラムで発言していたと記憶しています(フォーラム「大震災と芸術文化 現場からの証言」20011年6月14日、早稲田大学小野記念講堂)。具体的に動き出しているんですか。

大石時雄さん大石 いわきの演劇関係者は、純粋に好きで演劇活動をしてます。東京ではないので、演劇活動でご飯が食べられるはずはない。テレビ局のドラマに出ましょうかという話もないし、CM出演料をもらうこともありません。普通に仕事をしながら舞台に立っている。そういうアマチュア劇団の芝居を見ているお客さんの目は東京ほど厳しくならないし、演劇状況もおいそれとは発展していかない。
 それを打開するためには、他者とネットワークを組んで刺激し合っていく、自分たちも別のところで公演していくことが広がっていかなきゃいけないとずっと思っていました。具体的には水戸、福島県内だと郡山と福島市、それから仙台、その先に岩手県の盛岡劇場や、青森県の弘前劇場などと、東北のネットワークを組んでいけたらいいなあと考えていたわけです。そこで物々交換じゃないですけど、いわきの劇団は例えば仙台の劇団を招聘して、責任もってお客さんを入れて、一緒に飲んで話し合う。お返しにこっちも呼んでもらって公演するような関係が展開していかなければいけない、そうしていかないとたぶん、地方の演劇は消えてしまうかもしれないという危機感を持っていました。ですから、それなりのことは始めていたんですよ。
 そこに震災が起こった。間もなく大阪のウィングフィールドという小さな民間劇場のオーナー兼プロデューサーの福本年雄さんから電話がありました。福本さんは、仙台の三角フラスコという劇団を招聘したり交流していたんですね。そういう事情もあって、震災が起こった時に何かできないかと考えて、関西の若い演劇人たちと話し合って仙台に行こうという話になったそうなんです。関西の演劇人は阪神大震災を経験して、被災地での活動経験もあるので力になれないかと。私は、同じように大震災を経験してきた人たちだから、いわきでも仙台でも岩手でも、きっと受け入れてくれるだろうと返事しました。
 その交流はもうすでに始まっていて、何回か行ったり来たりして、その途中に、福本さんや他の演劇人たちがいわきにも寄っています。
 いわきではアリオスがまだ閉鎖されていて、地域の演劇の人も稽古場や仕事をなくしたりして活動はまだです。ここの施設が再開して、いわきの演劇人たちが立ち上がろうとしていくのを待たないと、こっち側だけでは動けません。近くいわきの演劇の会を束ねている責任者の方がたとお会いして、これから一緒にいわき全体の演劇状況を立ち直らせていこうっていう話し合いをすることにしています。来年・再来年に向けた事業として検討しています。

-東京抜きで演劇の制作ネットワークを作ろうという話はありませんでしたか。

大石 いま東京の劇団がよく、地方にやって来るでしょう。でも人気の若手劇団と言っても、私から見れば東京のアマチュア劇団なんです。そのアマチュア劇団を招聘して、地方都市の人たちには、プロの劇団だと言って見せている。
 ぼくの師匠は、もう亡くなったんですけど、関西小劇場を支え、数多くの劇団を世に送り出してきた中島陸郎さんですが、彼の下で育った劇団新感線、南河内万歳一座、太陽族など、おもしろい舞台を創る劇団をたくさん見てきました。劇作家でも、京都の松田正隆さん、鈴江俊郎さんとか、すばらしい才能を持っていて、賞をもらった人もたくさんいます。東京のアマチュア劇団はおもしろくて、地方の劇団はおもしろくないなんていう、そんなばかなことは、全然感じたこともないし、むしろ逆だと思うこともある。実際アリオスでも、東京の劇団より、仙台からやってきたSENDAI座公演の方がおもしろかったりしますからね。
 そういう意味で、震災をきっかけに「もう少し地域演劇を見直したらいいんじゃないですか」ってことが言いたかったんです。
 東京からいまボランティアが東日本に行こうとしてるじゃないですか。東北地方が元気を取り戻したら、東北地方の演劇も注目してほしい、おもしろいものがいっぱいあるんだよってことを、意識的に感じてほしかった。早稲田大学のフォーラムで発言したのも、東京に暮らしてる人たちに地域演劇を見直してほしかった。「東京を外す」とか「脱東京」とかある新聞に書かれましたけど、そう意味ではないんです。でも、そう言われてもしょうがないかなあ、今は「脱原発」ですものね(笑)。
 東京はお金もあるし、お客さんもたくさんいる。マスコミもある。劇団の数も多いし、プロもたくさんいます。東京はもう別に、みんながネットワーク組む必要もない気がしませんか。むしろ才能以外は何も持たない地方こそ、単独では戦えないので、これを機会に、お互い支え合いましょうよという話ですよ。
 だから、東京を中心にして地方劇場とネットワークを組もうっていう考え方は、東京で生まれたいい作品を地方に流通させることになる、東京の劇団を支えていこうというという発想になってしまう。そういう流れはもう終わった。そうじゃなくて、地域で生まれる地域演劇というものをきちっと認める方向に持っていかなければ、それこそ、手足が腐れば脳も心臓も腐れて、体そのものが倒れてしまうような状態に、きっとなるだろうと思います。
 首都圏にはすばらしい作品、アーティスト、タレントもいるから、それが地方に巡業にやってくることを望むのは変わらないと思うけれども、でもやっぱり、日本の、東京の演劇がこれだけ商業化してしまうと、演劇そのものが相当危機にあることに気がつかないまま流れに任せて、あるとき突然、気がついたら演劇を見るお客さんがいない事態になるんじゃないか。声優志望の人が多くなっているのと同じように、演劇に違うものを求める人たちばかりになるんじゃないかと心配します。商業主義に走りたくも走れない地域演劇こそ、演劇本来のもっている力や良さを、守っていくべきではないでしょうか。

||| 「劇場法」を語る以前に必要なこと

-そこでやっと、いわゆる劇場法の話につながってきます。内閣官房参与だった平田オリザさんらが昨年来、精力的に主張したのは、演劇は商業主義、自由競争を建前とする市場圧力にきわめて弱いということでした。市場主義は必ずしもクオリティの高い舞台芸術をもたらさない。だから公的助成が必要で、そのために法律的な枠組みを作ろうとしていたと思います。そういう議論についてはいかがお考えでしょうか。

大石 まず、劇場法に関して、これまでも言ってきたんですけど、演劇系の人たちは公共劇場っていう言葉を使います。地域の文化芸術活動を支援している財団法人地域創造では、音楽ホールも美術館も助成の対象に入ってますから、公共ホールっていう言葉を使います。そこで劇場とかホールとかいう言葉の定義や概念がはっきりしていない、関係者の間でも国民のレベルでも共有できてないと思うんです。
 例えば、いわき市の全校生徒4人の小学校とか、小中学生合わせて11人の学校で聞いてみると、図書館や美術館は知っていても、劇場を知ってる子はいない。子供も大人も、図書館・美術館に比べて、劇場のイメージを共有できてないのが現状でしょう。
 劇場法っていう単語が出てきた時に、公文協(社団法人全国公立文化施設協会)に参加している2000~3000館の担当者から、「劇場法ってうちは関係あるのだろうか?」とか「うちは町民会館で小規模だから関係ないよね」みたいな声があっちこっちから上がってくる。劇場や芸術監督の定義がこれだけマチマチな中で、劇場法についての国民的な議論がはたしてできるのかがまず疑問でしたね。
 なぜかというと、劇場とは創造集団があるべき、劇場とは作品を作ってこそ劇場であるという、それは誰が一体決めたんだと思うような見解がまかり通っていて辟易してたんです。そんなことは法律で決まってないし、一部の演劇人たちはそう思ってるかもしれないけど、でも少なくとも、国民のほとんどは、そう思っていない。
 地域によっては、貸し館事業をちゃんとすればすばらしい劇場になるのに「貸し館はだめです」と、切って捨てるような物言いはやめてくれないかと思っていた。
 特に、アリオスをどうしようかっていう設計にかかってるときに、そういう劇場の概念をいったん否定して、新しい、市民に合ったものを造ろうとしていたときだったので、余計に辟易しました。だから地方の劇場で働く友人とは「やっぱり、俺たち、公共劇場か公立劇場なのか、公共ホールなのか音楽堂なのか劇場なのか、言葉の整理をしないとだめだよね」って話してたんです。
 それで、公文協アンケートへの回答を全部読んだけど、劇場も劇場法も、みんな何かわけが分からないんですよね。劇場や芸術監督という言葉の定義と概念があいまいなところで、国民的議論は成立しません。ほんとに国民にとって必要な法律は、国民的議論を経なければならないでしょう。きれいごとかもしれないけど、法律は全国民のために整備するべきだと思います。
 劇場法制定の動きの中で、議論が高まらないと思ったのは、そこが一番大きいのではないですか。平田さんたちが実現したいことは分かるつもりでいます。それはすばらしいと思うけど、その前提となるものが足りない気がします。

-地域の実情を踏まえた率直なご意見ですね。

大石 続けて言わせていただければ、東京の劇場と、北九州や新潟みたいに百万都市にある劇場と、うちみたいな地域の劇場と、3つのタイプに分けてみます。その上であるべき姿を整理してみましょう。将来的に道州制に移行したら、福島県は東北州に入る。すると東北州の首都は仙台になるだろうから、青森からも秋田からも山形からもいわきからも、高速道路を走る高速バスを使えば、日帰りで仙台に行けます。
 そうすると、仙台にすばらしい国立のコンサートホールとすばらしい国立劇場、それに普通の県民会館が3つ並んでいれば、ウィーンフィルやベルリンフィルがやってきたら必ずそのコンサートホールで演奏する。ロイヤルシェイクスピアカンパニーが「ヘンリー六世」をもってきたらその国立劇場で公演するとしたら、青森でも秋田からでも、高速バスの日帰りで、その公演を見られる。県民会館は貸し館だけ。コンサートホールには仙台フィル、劇場には仙台の劇団がレジデントカンパニーになって東北州全域の学校などにアウトリーチ活動をしてくれればいいと思います。東京から誰かが来て芸術監督になってもいいんですけど、そういうふうになってほしい。
 そう思っていたころに劇場法(の話)が入ってきて思ったのは、道州制で首都になる仙台に国立のコンサートホール・国立の劇場を造ってよろしい。そこに文化庁のお金をガッと投資して、カンパニーをもつ、芸術監督を置くっていう事業を何億円で運営していくことをよしとするために劇場法を作る。いまある自称公共劇場、集会場、公共ホールを整理淘汰するための劇場法じゃなくて、新しく造る建物と機能性のために、お金を集中投資するための法律でなければ意味がないんじゃないかと思う。
 劇場法の実現を考えるには、演劇や劇場だけのことではなくて、日本全体のあり方、文化政策、経済的・社会的流れ、人口の動向などを踏まえた上で考えなければ、そう簡単に実現するものではないというのが、私の考えです。(>>

「連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第13回」への10件のフィードバック

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