山下残「庭みたいなもの」

◎庭よりも広い「庭」
 中野三希子

「庭みたいなもの」公演チラシ
「庭みたいなもの」公演チラシ

 チケットを提示し、案内の矢印に従って進む。どうも既になんだかおかしい。観客が通るにしては、ここは暗いし雑然としている。無頓着に舞台裏を通らされているような気がしつつ、スタジオに入る。目に入ったものは、「庭みたいなもの 営業中」と書かれた、古ぼけて汚れた看板…はまだいいとして、板張りの、ステージと思しきばかでかい箱である。足元に気をつけて進んでください、といわれても正直意味が分からない。私はどこに行くんだろう。促されるままに数段の階段を踏み、入口をくぐって箱の中に入った先に広がっていたのは、…なんなんだろう。錆と埃の匂いがするような、作業小屋の廃墟、だろうか。

 棚にはレコード。洗濯ロープが張られており、曲がった針金ハンガーが数本。工具。電化製品。浴槽。足元にも頭上にも様々なものがひしめいている。おそるおそる歩きまわってみて、ちょっと心躍らせつつ、箱の外に出てみたら、ごく普通の客席がこちらを向いて整然と並んでいる。…ついさっき、わたしが通り抜けてきた空間の混沌はどこにいったんだ。普通に明るいし。客席に座って、私と同じく箱を通り抜けて出てきた観客たちの表情を眺める。箱の向こうには、いまから下にもぐる人たちも見える。色気のない板張りの「舞台」を眺める。スタジオの床の上にいきなり大きな箱があって、その上面を見下ろすようにひな段上の客席が並んでいるわけである。箱の奥は(わたしたちがくぐった入口部分以外は)絶壁だろうか。何も置かれていない舞台の中央には、下につながるがびがびの管、人ひとり分くらいの幅の、青っぽくて、蓋が閉まっている。金属を打つカンカン、という音や、ドリルの音が遠くに聞こえる。スタジオのあちこちから、代わる代わる、かすかにかつ立体的に響いている。

 開演。音が止み、冒頭に出てきたのは一組の男女だ。片方が一枚のTシャツを相手に向けて掲げる。沈黙が続く。長い。動かない。…長い。ようやく出てきたのは「ティーシャツ。」という一言だ。Tシャツ。そんなことは知っている。そしてまた沈黙。長い。「…ティーシャツ。」…知っている。「ティーシャツ。」「ティーシャツ。」ああ、相手が応えた。そして、「ティーシャツ」の応酬に、だんだんとリズムがついてくる。最初は掲げたTシャツを「ティーシャツ」という言葉で表すものだと教えていたようでもあったが、喧嘩のようになってきた。「ティーシャツ」だけで会話をする2人。この一語のリズムで遊びだす。

「庭みたいなもの」公演の舞台写真
【写真は、「庭みたいなもの」公演から。撮影=松本和幸 提供=STスポット 禁無断転載】

彼らの会話は、速度が上がりきったところでぶっつりとたち切られる。ひとり、またひとりと、舞台奥をよじ上ってきたり、舞台中央の蓋が空いて地下から上ってきたりして、新たな出演者が舞台上に現れるのだ。それぞれに何か一つを手に持ち、そのモノについて説明ともつかない説明をしていく。どうやら彼らは、下にあったものをひとつずつ持って上がってきているらしい。手にしたものが何であるかを知っているのか知らないのか、つながりのつかない言葉が続く。モノを挟んで、断片的な言葉で「会話」がなされる。
 ハサミ。髪を切るハサミだそうだ。でも、錆びていて切れない。といって語りかける相手は、「きたない!」。きれない。きれいない。綺麗無い。汚い。だろうか。と、飛び交う言葉に無理やりつながりをつけようとしている私がいる。おそらく本当に無駄な足掻きだったのだと思う。もう、こいつら(などと言っては申し訳ないのだが、呆れと愛着とが入り交じって絶対に「こいつら」がふさわしかったのである)のことを真面目に読み取ろうと頑張るのはやめよう、と途中で気付く。そうしてようやく、ちぐはぐな会話を介してモノが舞台に集まってくる様が心地よくなってくる。流木のような何か、虫捕り網、扇風機、ライト、台所にあるいろいろ。好き勝手に現れては動き回る人間たち。庭で宝探しでもしているようだ。頭の中で入れるツッコミを全て、自分の故郷の方言で発したくなる。

 ずいぶんとふざけた個人的な体験の記述になってしまった。というのも、会場に入ってまず巨大な舞台美術に度肝を抜かれ、意表を突かれ、出演者たちのやり取りに翻弄され、呆れ、笑い、としているうちに、観客である私たちと舞台の上との関係はずいぶんとフラットになっていた、と思うからである。彼らに対して格好つけて観客ぶっても仕方ないのだ。一度、出演者が観客に向かって語りかけ、質問をする。衣裳の帽子の評判が悪くって、良いか悪いか手を挙げてください、と。それを身につけて舞台に上がっておいてなんだ。とは言えない。あまりに彼らがフラットだからだ。構えてみても、面白くなくなるだけだ。心地よく楽しむ方がいいではないか。

「庭みたいなもの」公演の写真2
「庭みたいなもの」公演の写真3
「庭みたいなもの」公演の写真4
【写真は、いずれも「庭みたいなもの」公演から。撮影=松本和幸 提供=STスポット 禁無断転載】

 山下残の作品を観るのは、2010年にSTスポットで上演された『大洪水』と今回の『庭みたいなもの』とでようやく2回目だったのだが、舞台の上に言葉が「生まれ落ちる」とでも言うべき瞬間が、どちらでも際立っていた。たとえば『大洪水』では、STスポットの小さな舞台の中でダンサーたちの視線と動きが妙にすれ違い続けたあとの「おはなしをしませんか」という一言。『庭みたいなもの』では、「ふるいいえのおと」という一言。

 作品を観ているうちに少しずつ観客の身体の中に積もってくる感覚が、物凄くシンプルな言葉で、物凄くあっさりと呈示される。噛み合わないように見えるやりとりの中に、わたしはこの一言を思い描き、この一言を期待していたに違いない、とハッとする。表面張力がいっぱいに働いた水面についに一滴が落ちたような、ある種の爽快感を感じてしまう瞬間だ。

「ふるいいえのおと」。開演前に遠くから響いていた音、出演者たちが様々なモノで遊ぶ音、モノで遊ぶ様にも懐かしさを感じさせるようなモノたち。開演前に通り抜けたのは、どうも誰かの家らしかった。古い、家。家の、音。古い音、でもあったのかもしれない。作品の匂いが通り抜けていく。モノと、身体と、そしてそれらの間に響く、言葉を含めた音が入れ代わり立ち代わりしていったあとに私たちの中に残った点を、さらりと一気につないでみせるような何かを私たちは待っていた。あるいは、言葉を聞いてやっと自分が「待っていた」ことに気付くのである。
 といっても、語りたいものを語りきれずに言葉で表現してしまうような安直さでは決して無い。あくまで、詩の中のひとつの言葉にすぎないのだ。作品の匂いを感じ取ったと思ったのも束の間、さらに「庭みたいなもの」は大きく広がっていく。

 箱の上面になっていた平台が取り除かれていき、舞台の中央にはぽっかりと穴があく。穴からはまず浴槽が引き揚げられ、さらに一枚ずつ平台が立ち上げられ、掛け声とともに次に眼前に現れたのは、船だ。舞台いっぱいに広がるほどの大きさの、朽ちた船が舞台上に登場する。ついに彼らはこんなスケールのものまで拾ってきたのか。痛快にもほどがある。これまで出てきたモノたちは、全て出演者たちの手の中にあった。だが、今は船の中に出演者たちがいる。相も変わらずそれで遊び倒しているけれども。
 巨大な船の残骸を前にして感じられる風景は、もう会場の中だけに留まってはいなかった。『タイタニック』の真似をして船の先頭に立った一人を観たときに、その向こうがKAAT大スタジオの壁であるということよりも、彼らが立っている「場」の広さが想像される。これは庭だろうか。河原ではないか。いや、もっと広いどこかだ。
 モノを持って遊ぶ出演者たちを眺め、途切れ途切れの言葉を聞き、モノで遊ぶ音を聞く。そうやって舞台に次々に出てきたモノを、私たちは開演前に自分の身体の感覚で味わっていたはずだ。たとえあるモノをそれと認識していなくても、私は「あの中」を知っている。会場に足を踏み入れた最初から、作品と観客とのコミュニケーションが始まっていたのだ。いま、「あの中」にあったものは、中と外を裏返されたように舞台の上にある。自分が通り抜けた狭く薄暗い空間が、明るい灯りの下に現れて、妙に気持ちよく広がっていっていく。それを眺めている自分。この不思議な感覚はなんだろう。

 この作品の構成にはシステムデザイン(濱哲史/YCAM)が関わっている。舞台美術はカミイケタクヤ。最初に通り抜けたあの一室は、彼が「高松の川の中州で小屋を建てて生活していた場所そのまま」(注)だという。プログラミングと、川の中州の小屋での生活という振れ幅の大きさ。それらが作用して身体に働きかけるこの肌触りが生まれたというのが面白い。
 そして、「振付・演出/山下残」。振付、とはいっても、全体に言葉が多用され、踊りらしい踊りは見られなかった。語られるものを言葉として理解するというよりも、それが積み重なっていく過程を含め、全体のリズムと流れと、そしてその中で喚起される景色を身体で感じ取る。「振付」というよりもっと適切な言い方は無いものだろうかと戸惑ってしまいはするが、この作品は、やはりダンスなのだ。
 山下は、京都、高松、山口、横浜を何度も行き来してこの作品を制作したのだそうだ。京都でじっくりと創作をすることが多かったという山下が、日本のあちこちに拠点を持ち、西から東へ、東から西へと移動することで現れたのではないかと思える、『庭みたいなもの』という作品の空間の広がり。観ている側の身体感覚も広がっていく。山下が各地での出会いと移動の道中を楽しみながら少しずつこの作品を組み上げていったことがよく分かる。緻密さとダイナミズム。山下残の「庭みたいなもの」は、いったいどこまで広がっていくのだろうか。

(注)…『庭みたいなもの』当日パンフレット内、山下残のコメントより引用

【筆者略歴】
 中野三希子(なかの・さきこ)
 1984年、福岡市生まれ。2010年よりSPAC‐静岡県舞台芸術センター制作部所属。東京大学文学部卒業(美学芸術学専修課程)、第15、16回日本ダンス評論賞佳作入賞。上京後にクラシック・バレエを中心に劇場通いを始めるが、だんだんとコンテンポラリー・ダンスや演劇など他ジャンルにも魅かれ魅かれていまに至る。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/12587/#more-12587

【上演記録】
 山下残「庭みたいなもの
神奈川芸術劇場大スタジオ(2011年9月22日-25日)
<チケット>前売り 2,800円/当日 3,200円/学生 2,500円(全席自由席)

【伊丹公演】 アイホール9月9日-11日
【山口公演】 2012年1月28・29日 YCAM山口情報芸術センター

振付・演出:山下残
出演:黒田政秀、小坂浩之、酒井和哉、末森英実子(おかっぱ企画)、立蔵葉子
(青年団)、富松悠、増田美佳
舞台美術:カミイケタクヤ
照明:三浦あさ子
音響:宮田充規
システムデザイン:濱哲史(YCAM InterLab)
舞台監督:浜村修司
チラシ画提供:青木陵子
宣伝美術:かなもりゆうこ

主催:NPO法人STスポット横浜
共催:横浜市
提携:KAAT 神奈川芸術劇場(指定管理者:(公財)神奈川芸術文化財団)
共同開発:YCAM InterLab
助成:神奈川県、芸術文化振興基金、財団法人アサヒビール芸術文化財団、公益財団法人セゾン文化財団
協力:急な坂スタジオ、NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター、象の鼻テラス、横浜市民ギャラリーあざみ野
企画制作: STスポット、アイホール[伊丹市立演劇ホール]、山口情報芸術センター[YCAM]

「山下残「庭みたいなもの」」への12件のフィードバック

  1. ピンバック: ナミカワサヤ。
  2. ピンバック: 鬼島/KIJIMA Daisuke
  3. ピンバック: STspot Yokohama
  4. ピンバック: ogura yukako
  5. ピンバック: 稲森明日香
  6. ピンバック: akiko takeshita
  7. ピンバック: akiko takeshita
  8. ピンバック: akiko takeshita
  9. ピンバック: trnb
  10. ピンバック: 酒井和哉
  11. ピンバック: カミイケ タクヤ
  12. ピンバック: shimejitachi

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