COLLOL「フリキル」

◎COLLOL田口アヤコのミッション
 羊屋白玉

 久しぶりにCOLLOLを観劇した。満ち充ちとした観劇体験の余韻に浸っていたら、ワンダーランド編集部から劇評執筆の依頼をいただいた。三行なら書けますと答えたら、それはいくらなんでも…ということで、彼女を我が家に招いて、甘いものや温かいものを食べつつのインタビューに至った。劇評というものを書く立場ではないのだけど、インタビューの会話の中からわたしの感じた演劇ユニットCOLLOL主宰、演出家、劇作家、女優、田口アヤコの今や過去や未来の断片が少しでも伝わればと思う。

「フリキル」
というタイトルの作品である。ベースは、過去の作品に幾度か引用している「女中たち」。フライヤーのイラストは川崎由紀さん画のいたいけな女中ふたりである。
 タイトルの由来なんか聞かれても、わたしもいつも困ってしまうのだが、尋ねてみると「愛と裏切りについて→縁を切る→その他いろんなモノを振り落とす」そしてややあって「震災があって、放射能が全て降りきってしまった後、それからどうする?そんな感じです」と、答えてくれた。

「演劇が世界を変えるものだといいな」「演劇はすばらしい。うつくしい」
彼女が時々ブログやツイッターで、このように宣言したりつぶやいたりする「世界」と「演劇」と「芸術」の一体感的距離感なコメントに、わたしは違和感を抱いていた。同業者として自説を唱えるならば、その三者の一体は有り得ず、距離感としては、世界と演劇と芸術と、さらに言うなら地震も戦争も円高も併走関係、互いに隣を走っている。そしてそれらは影響し合ったり無視したりを繰り返すのだが、少なくとも、わたしが対峙している演劇は、ゴミみたいなもので、ゴミみたいなものですけど本気のゴミです、といったところだろうか。しかし彼女は違った。しかも「私が言わないのだったら、誰が言うのよ!」と語るその姿は、実に堂に入っており、彼女にはミッションが似合う、と勝手に思ったのである。

「フリキル」公演写真1「フリキル」公演写真2
【写真は、「フリキル」公演から。 撮影=鵜飼悠 提供=Collol 禁無断転載】

COLLOLの観客ターゲットは30代女子なんです。
「例えば、テレビをつけてみれば、30分ほどの間に、うるおい肌をつくるコラーゲンゼリーだとか、憧れのなんとかさんに変身できる口紅やマスカラだとかのCMが幾度も繰り返され、押し寄せ、購入を煽る。こういうものを見て過ごさなくてはならない女たちの日常ってなんだろうと思う。このような女たち、OLや主婦たちを劇場に誘いたいのです。」
「そして私は、彼女たちのために、覚醒した瞬間が作りたい。観客のそれぞれが『私の名前は……です』と気がついて、愕然とするというような、そういう劇場体験を提供したい。そういうメディアはあんまりないでしょう?」
 確かに「フリキル」は、会場に入ると冷蔵庫の中のように、白く光る世界が広がっており、アクティングエリアを囲む客席構造で、会場中も開演中も、俳優越しに向かいの観客の表情がよく見え、ということはこちらの存在も周りに明白ということだった。
「でも、ブラックボックスの心地よさというのもあるよね。」と言うと、「暗い観客席だと、観客が名前をなくしてゆくでしょう。観客A.B.C.D みたいに。人間が名前をなくしてゆく場所が劇場だなんて…」と、彼女は答えた。

覚醒した劇場体験をしてもらうために言葉を選んでいる。
登場人物は5人。常時、ステージのどこかに「親密なふたり」が存在している。この「親密なふたり」である主役のカップルは、どんどん交代され、しかも戯曲に交代のタイミングの指示がないので、関係は揺れつつも緊張している。向かう先は、「親密なふたり」であればあえて言葉にする必要のない、たとえば、「あのねー」「なに?」「いまはいいの」というたぐいの「親密」という現象である。だから俳優たちに彼女があらかじめ渡している出典の異なる言葉たちは「親密という現象」に向かうための準備運動用台詞であった。そして、俳優たちにラストのタイミングを委ねるのと同様に、観客にも準備運動を解放し経験させ、各々のラストを掴ませようとしていたのだろう。無名性のまま帰宅させない為の。

ほんとうは
ぼくの
たったひとりは
きみなのだ

複雑なものを複雑なまま扱う。

当然みたいに無料でセックスする。

失くすためのもの たとえば手袋。

もろい精神で世界をサバイブする。
フリキル。
振り切る。
降り切る。
(『フルキル』より)

「フリキル」公演写真3「フリキル」公演写真4
【写真は、「フリキル」公演から。 撮影=鵜飼悠 提供=Collol 禁無断転載】

だから、田口アヤコのミッションは、
ってことになるのですが、戻れるかいささか不安だけどちょっと脱線してみます。さて、ジャンル問わず、女性の作家は、その切っても切れない生身の女のなまなましさを、そのまま食卓になんかあげてやるものか!という意地だか見栄だかをどこまでふんばれるか、それが上品、下品を定める鍵だと思うのだが、どうだろう。実際、処理しないと死に至る毒や爆弾を孕んでいる自覚が己にあるかないかということなのだが。いや、これは作家に限らないことであった。そして自覚するのは若干しんどいことでもある。しかし自覚する場がないのはさらにしんどいのではないか。するのもしないのも同様にしんどいのであれば、するほうを選ぼう!と田口アヤコは声をかけるのだろうな。30代女子に?もしかしたら40代男子の中にだって声をかけてほしい人がいるかもしれない。
 彼女の声に返事をしたとたん、自分の名前とまざまざと対面することになり、しばし愕然としたまま、覚醒した時空間の中へと、田口アヤコに背中を押されるのだ。

【筆者略歴】
 羊屋白玉(ひつじや・しろたま)
 指輪ホテル主宰、演出家、劇作家、俳優。YUBIWAhotel shirotamaHITSUJIYA

【上演記録】
COLLO「フリキル
恵比寿site(2011年9月1日-6日)

出演者
齋藤陽介/東京ディスティニーランド/大木裕之/八ツ田裕美/田口アヤコ

スタッフ
劇作・演出:田口アヤコ
音響・演出:江村桂吾
照明:関口裕二(balance,inc.DESIGN)
舞台監督:吉田慎一(Y’s factory)
制作:COLLOL
制作補:守山亜希(tea for two)、高橋悌
宣伝美術:鈴木順子
イラスト:川崎由紀

主催:COLLOL
チケット予約 チケット料金
前売・当日とも 3,000 円
学生割引 2,000 円
カップルチケット(2 名) 4,000 円
リピーター割引 1,000 円

上演時間 65 分


「COLLOL「フリキル」」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 指輪ホテル
  2. ピンバック: 武藤大祐
  3. ピンバック: 田口アヤコ

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