shelf 「構成・イプセン-Composition/Ibsen」

◎現代の象徴劇としての『幽霊』
 片山幹生

「構成・イプセン」公演チラシ
「構成・イプセン」公演チラシ

序 写実劇から象徴劇への変換
 shelfの『幽霊』にはねっとりとした重みがあった。イプセンの精密な写実主義を決然と拒み、作品に含まれる様々な象徴の核を取り出して、それを隙間なく再構成することで新しい『幽霊』を提示しようとしているように感じられた。役者の演技は表現主義的にデフォルメされており、その過剰さがシンプルでスタイリッシュな舞台空間と対比をなしている。

 『幽霊』(1881年)は『人形の家』(1879年)とともに、イプセンの写実劇の代表的傑作の一つと言われている。作品は同時代を舞台とし、一般の人々が日常で陥る悲劇的状況をリアルな会話で再現することで、社会問題を描き出す。『幽霊』では性病、近親相姦といった社会的タブーが扱われていたため、発表時に大きなスキャンダルとなったという。 しかし現代の上演でそういった社会的側面を問題にしてもあまり意味が無い。

 shelfの演出家の矢野靖人は『幽霊』の 写実主義劇あるいは社会劇/問題劇としての側面を切り捨てた。『幽霊』にとって本質的ともいえるこの二つの属性を切り捨てることで、『幽霊』を抽象度の高い現代劇へと変貌させたのである。標題が示すように、この作品の基盤には象徴的な構造がある。shelfの『幽霊』は、精緻な写実主義によって再現された劇世界の奥底にある、様々な記号によって構築された象徴の体系を顕在化させていた。象徴劇としての劇構造を明確にするために、上演の脚本では、ドラマは徹底してアルヴィング夫人に焦点が当てられている。

1.遍在する「幽霊」たち
 開場は上演の二十分前だった。中に入ると出演者は既に舞台にいた。物語の登場人物は未亡人であるアルヴィング夫人、その息子で留学中のパリから数日前に故郷に戻ってきたオスヴァル、アルヴィング夫人の相談役のマンデルス牧師、そしてアルヴィング家の若い女中、レギーネの四名。shelf版『幽霊』ではこの四名以外に、原作にはない「男」と「女」という人物が加えられている。「男」役の男優は、レギーネの父親である大工、エングストランの声も担当する。ただしshelf版ではエングストランの登場場面は原作から大幅に削られている。「男」と「女」以外の役者たちは、ごわごわとした重そうな布地でできた白いドレス、あるいはコートを身につけていて、開演まで不動の状態を保っていた。

 彼らが身につけている白い衣服は、土中から掘り起こされたかのように汚れている。演技中の彼らの表情の動きは仮面をかぶっているかのようにぎごちない。物語の登場人物全員がいわば、このドラマの再現のために、今しがた墓から掘り起こされ、呼び出された幽霊なのである。

「構成・イプセン」公演の写真1
【写真は、「構成・イプセン」公演から。撮影=原田真理 提供=shelf 禁無断転載】

 原作ではタイトルの「幽霊」の正体は、一幕の最後で、アルヴィング夫人の言葉によって説明される。すなわち「幽霊」とは、家中で女中と姦淫した彼女の夫についての忌まわしい記憶である。しかし戯曲全体を読むと、タイトルの「幽霊」は、アルヴィング夫人が言及した夫の不品行に限らず、アルヴィング夫人自身の欺瞞、オスヴァルの病、レギーネの出生の秘密など、劇中に現れるあらゆる不吉な要素、不安を暗示していることがわかる。 演出家はテクストに現れるあらゆる幽霊の表象を汲み取り、それらを凝縮した上で、劇中人物として具現しているのである。

 死者として眠っていた彼らを呼び出したのは「女」である。舞台の右端を気まぐれに移動していた彼女は、禍々しい予言を託された巫女のようだった。開演が演出家によって予告されてしばらくたつと、「女」は感情の動きが感じられない冷淡な声で、『幽霊』第一幕冒頭のト書きを静かに読み上げる。彼女の言葉によって、何もない空間に演劇的な場が鮮やかに浮かび上がり、人形のように不動であった人物たちに魂が吹き込まれる。「女」によって死者の世界から呼び出された幽霊たちは、過去の忌まわしい記憶を再現することを強いられる。

2.「女」の正体-メタ演劇的構造の導入
 既存の劇作品にさらに外枠を設定して、メタ演劇的構造を作ることによって作品への批評的視点を強調するというやり方は特に珍しいものではない。shelf版の『幽霊』では、「男」と「女」という原作にない人物を設定することで、メタ演劇的構造を導入している。

 この「男」と「女」は、しかしながら、『幽霊』において常に物語の外部にいるわけではない。 「男」はときにエングストランとなり、劇中人物に介入する。そして時にマンデルス牧師とオスヴァルの台詞の一部を話す。「女」もまた、抗いがたい運命の不条理に苛まれる登場人物たちを、物語の外側で眺めているだけの存在ではない。何よりもまず「女」はこのドラマを呼び出した張本人なのである。

「構成・イプセン」公演の写真2
【写真は、「構成・イプセン」公演から。撮影=原田真理 提供=shelf
禁無断転載】

 三幕で構成される『幽霊』の第一、二幕では、 彼女は、さして興味がなさそうに悲劇を舞台の脇から傍観していることが多い。ときに退屈しのぎのように劇中人物を外部から挑発したり、嘲笑したりする。しかし三幕目に入ると、「女」は前の二幕より積極的にドラマに介入し、とりわけアルヴィング夫人に重なっていく。

 オスヴァルが「太陽」と繰り返しつぶやく原作通りの結末が提示された後、舞台は束の間、暗転する。暗闇のなか、ぼんやりとした照明のなか、ひと組の男女の姿を浮かび上がる。そして『人形の家』の一節がこの男女によって演じられる。気がつくと「女」はノラに、「男」はヘルメルとなっていた。 それまで維持されていたメタ演劇構造が最後の最後に反転し、ドラマの傍観者であったはずの存在が、ドラマの世界を構成する一部としてとりこまれてしまったのである。 劇中世界に囚われの身となる「女」は、われわれ観客自身の姿の暗喩にもなっている。

 アルヴィング夫人は、『人形の家』のノラの未来の姿であることがshelfの『幽霊』では暗示される。となると「女」は自分に将来起こる悲劇を目の当たりにしていたことになる。そしておそらく、『幽霊』が舞台上で再現されているときには、「女」は自分がノラであることを知らず、そしてアルヴィング夫人が将来の自分の姿であることも知らなかったのだろう。それゆえ「女」はアルヴィング夫人がもがき苦しむ様子を舞台脇で冷笑しながら眺めていることができたのである。あるいは「女」は、自分が気づかぬあいだに、舞台上の「幽霊」たちに取り憑かれ、ドラマのなかに引き入れられてしまったのかもしれない。

 『人形の家』の結末では、ノラには希望が提示される。しかし『人形の家』の後日譚として『幽霊』を想定したとき、夫を捨てて家を出たノラは、失意のうちに家に戻り、アルヴィング夫人としてさらなる地獄を経験することになる。『幽霊』の結末に付け加えられた『人形の家』の一場面は、絶望の円環のなかを未来永劫に彷徨い続けなければならない「女」の悲壮な運命を暗示するものになっている。

3.対話なき対話が作り出す情景
 shelfの『幽霊』は、ほぼ素舞台で上演され、役者の演技も写実主義とはかけ離れたスタイルが用いられている。演技の面でとりわけ印象的なのはその特異なダイアローグの処理である。台詞はほとんどすべて正面に向いて話されていて、登場人物同士が向き合って話すことはない。私が見る限り、唯一の例外は、 三幕目の最後、オスヴァルが自分の頭がおかしくなったと母親に訴える場面である。この時だけ、母と息子の目が合う。

 正面を向いて話される台詞は、観客に向けられているのかと思えば、実はそうではない。役者の話す様子を観察すると、その視線は観客を見ているとは思えないのである。役者たちは自分の目の一メートルほど前の虚空に向かって、あたかもそこに対話者が存在するかのように話しているように、私には見えた。本当の対話者はすぐ隣にいるにもかかわらず、彼らは正面を向いたまま、見えない存在に向かって語りかけているのである。

 台詞の内容と発声は明晰すぎるぐらい明晰なのであるが、受け手のいない台詞は、無意味なノイズと同様のものになってしまう。観客が受け身の状態では、言葉は虚空のなかに吸い込まれ、何の意味も伝えてはくれない。観客は身を乗り出すようして能動的に台詞を捉えようとしないかぎり、言葉は世界を形成してくれないのである。いささか過剰に思えるほど精緻にくみ上げられたイプセンの言語世界は、このような対話の扱いによって不安定で曖昧なものになった。観客が少しでも気を抜くと、ディスコミュニケーションの混沌が場を支配する。観客は観劇中、常に緊張感を強いられる。

「構成・イプセン」公演の写真3
【写真は、「構成・イプセン」公演から。撮影=原田真理 提供=shelf 禁無断転載】

 『幽霊』の第一幕はアルヴィング夫人とマンデルス牧師の、第二幕はアルヴィング夫人とオスヴァルの緊張感に満ちた対話が中核をなす。この論争的対話が、互いにモノローグを見当違いの方向に投げ込むようなやりかたで続くのを追いかけるのは、正直なところかなりの苦痛だった。役者の表現は粘着質で、投げ出されるメッセージのすべてを受け止めろ、と言うかのように、観客にまとわりつく。これがshelfの表現に私が息苦しさを感じた一つの要因であろう。

 しかしこの「苦行」を抜け出たあとに続く第三幕は本当に素晴らしいものだった。shelfの『幽霊』では三幕構造が「序破急」に対応しているように私には感じられた。二幕で、孤児院が火災によって焼け、オスヴァルの放蕩と病も明らかになる。戯曲としてのクライマックスは二幕の最後に置かれているのであるが、shelfの『幽霊』では、三幕に最高の見せ場が用意されている。古い西洋絵画を思わせる茶色の照明に照らされた美しい空間で、しびれるような緊張感のなか、悲劇のクライマックスが高い密度で展開していく。傍観者であったはずの「女」と「男」、そして観客であるわれわれはこの三幕で一気に劇中世界に飲み込まれてしまうのである。

結び
 作品に含まれる写実主義的要素を排除することによってshelfの『幽霊』では、イプセン劇の楽しみの一つであるサスペンスの効果は失われ、劇の筋の展開の推進力は低下し、停滞感の強い、重苦しいドラマとなってしまった。しかしその一方で徹底した表現のストイシズムは、象徴劇としての『幽霊』の可能性を切り拓いている。

 『幽霊』の象徴性を引き出し、強調するにあたって、shelfの舞台では、能が効果的に用いられている。外枠構造を設定し、死者たちを舞台に呼び寄せ、彼らに語らせるという形式(もっともそのように見えたのは私の解釈であるが)は、明らかに複式夢幻能を連想させる。能の枠組みを利用して現代劇を表現しようとする試みは珍しくはないが(最近では燐光群がイプセンの作品に基づく能形式の作品を発表している)、shelfの『幽霊』はその成功例であると思う。

 能を連想させる技法で原作を研磨することによって、作品は高密度の純粋な結晶体のような厳格さと輝きを獲得した。そこで立ち現れたのは象徴の構造体としての『幽霊』のすがたである。登場人物たちは寓意的表象となり、悲劇の極限的状況を再現することで、われわれに絶望の深淵を提示するのである。
(観劇日:10/21(金)夜、10/28(金)夜)

【筆者略歴】
片山幹生(かたやま・みきお)
 1967年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学ほかで非常勤講師。専門はフランス文学で、研究分野は中世フランスの演劇および叙情詩。ブログ「楽観的に絶望する」で演劇・映画等のレビューを公開している。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ka/katayama-mikio/

【上演記録】
shelf volume12 『構成・イプセン-Composition / Ibsen』
原作 / ヘンリック・イプセン 『幽霊』 より
翻訳 / 毛利三彌 ほか
構成・演出 / 矢野靖人
出演 / 川渕優子、三橋麻子(Ort-d.d)、櫻井晋、春日茉衣、鈴木正孝(一徳会/K・A・G)、沖渡崇史(一徳会/K・A・G)
音響・ドラマトゥルク / 荒木まや
照明 / 則武鶴代
衣裳 / 竹内陽子
写真 / 原田真理
宣伝美術 / オクマタモツ
提携 / atelier SENTIO、アトリエ劇研、七ツ寺共同スタジオ、アトリエみるめ
後援 / ノルウェー王国大使館
制作協力(名古屋) / 加藤智宏(office perky pat)
広報協力(東京) / 三村里奈(MRco.)
協力 / にしすがも創造舎、stage office
製作 / shelf・ 矢野靖人

【東京公演】
日時 /2011年10月21日(金)~10月29日(土)※全10ステージ
10/21(金)20:00 ★
10/22(土)14:00 ★ /19:00 ★
10/23(日)14:00
10/24(月)20:00
10/25(火)休演日
10/26(水)20:00
10/27(木)20:00
10/28(金)14:00 / 20:00
10/29(土)14:00
★の回は、プレビュー公演:料金一律1,500円
料金 / 一般前売 \2,500 当日 \2,800 (日時指定・全席自由席)
学生前売・当日共 ¥2,000
場所/ atelier SENTIO

【京都公演】 <平成23年度(第66回)文化庁芸術祭参加公演>
日時 /2011年11月1日(火)~11月3日(木・祝) ※全3ステージ
11/1(火)19:00 ☆
11/2(水)19:00 ☆
11/3(木・祝)14:00
☆の回は、終演後、演出家とゲストによるポスト・パフォーマンス・トークを開催します。
11/1(火)ゲスト 田辺剛氏 (劇作家・演出家、劇場「アトリエ劇研」ディレクター)
11/2(水)ゲスト 筒井潤氏 (劇作家・演出家・俳優、dracom leader)
料金 / 一般前売 \2,500 当日 \3,000 (日時指定・全席自由席)
    学生前売・当日共 ¥2,000
場所 /アトリエ劇研 Atelier GEKKEN

【名古屋公演】<名古屋市民芸術祭2011参加>
日時 /2011年11月5日(土)~11月7日(月) ※全4ステージ
11/5(土)19:00 ☆
11/6(日)14:00 / 19:00 ☆
11/7(月)19:00
☆の回は、終演後、演出家とゲストによるポスト・パフォーマンス・トークを開催します。
11/5(土)ゲスト 平松隆之氏 (劇団うりんこ/うりんこ劇場)
11/6(日)ゲスト 山上健氏 (建築設計者)
料金 / 一般前売 \3,000 当日 \3,500 (日時指定・全席自由席)
    学生前売・当日共 ¥2,000
場所 / 七ツ寺共同スタジオ Nanatsudera Kyodo Studio

【静岡公演】
日時 /2011年11月11日(金)~11月13日(日) ※全4ステージ
11/11(金)19:00 ☆(プレビュー公演)
11/12(土)14:00 / 19:00 ☆
11/13(日)14:00
☆の回は、終演後、演出家とゲストによるポスト・パフォーマンス・トークを開催します。
11/11(金)ゲスト 都築はじめ氏(劇作家・演出家、劇団らせん劇場代表)
11/12(土)ゲスト 西川泰功氏(ライター)
料金 / 一般前売 \2,500 当日 \3,000 (日時指定・全席自由席)
    学生前売・当日共 ¥2,000
場所 / アトリエみるめ


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