モナカ興業「43」(クロスレビュー挑戦編第17回)

「43」公演チラシ モナカ興業主宰の森新太郎は演劇集団円の演出部所属。現代作家の戯曲を進んで取り上げ、内容を汲み上げるオーソドックスな演出で知られています。千田是也賞や文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞したのも内外の期待の表れでしょうか。
 しかしご本人は数年前からモナカ興業を立ち上げ、フジノサツコ 作品に取り組んで「人間本来の渾沌とした“生”を再発見すべくより実験的な舞台を志向」しているそうです(公式Webサイトから)。
 今回もフジノ作。どんな実験的な舞台を見せてくれたのでしょうか。レビューは★印による5段階評価と400字コメント。掲載は到着順です。
(ワンダーランド編集部)


瀬戸川貴子(看護師)
 ★★★★
 たとえば、あなたが、死にたいと思ったとしよう。それは失恋? 仕事? 家庭のこと? 白くて四角い舞台の上で、キャストの皆さんは窮屈そうに世界をうろうろ歩いている。若い夫は自分と同じように世界に怯える子供が生まれることに恐怖する。今いる自分がゆるせなくて、変わりたくても変われない女がいる。人びとは、こんなに近い世界のなかで、すれ違いながら、孤独をかかえる。
 北京の蝶がはばたくと、ハリケーンがおきる、という。その、ほんのちょっとの可能性を信じて、私たちは明日を生きるしかない。きっと、誰もあなたのことがわからなくても、呼吸するあなたは、ただすれちがっただけの誰かといつか繋がりをもつだろう。明日、倒れて、立ち上がれなくても、大丈夫。私たちには、演劇という繋がりが、ある。
 これは、誰にでもありそうな、でもとても個人的な心の闇の話なのだと思う。
(11月12日14:00の回)

柾木博行(シアターアーツ/ステージウェブ)
 ★★★
 冒頭、10人の役者が登場し、蛍光灯の照明が消え、青白いフットライトで能舞台のような四角い舞台がぼんやりと浮かび上がる。その美しさが、この舞台の最高に良かった場面だったかもしれない。
 劇中、アマゾンで小さな蝶が羽ばたいた風が、遠く離れたニューヨークでハリケーンを起こす可能性がある、という科学理論“バタフライ効果”が紹介されるが、作品自体が問題としてその理論を抱えていたように思う。定年を過ぎた男役の西本裕行は、新劇の俳優らしい情感のこもった発声で台詞を話すが、周りの役者との小さな演技の差が、演出家の劇場空間の捉え方への疑問へと私の中で成長していった。全体として、あの小さな空間では観客が受けとめきれる以上の情報を、役者の発声や動きで─常に舞台上に10名の役者がいることも含め─出していたのではないか。
 物語とその展開する構成は面白かっただけに、できればどこかで再度取り組み直してもらいたいと感じた。
(11月10日19:00 の回)

「43」公演の写真1
【写真は、「43」公演から。撮影=小尾幸春 提供=モナカ興業 禁無断転載】

宮本起代子因幡屋通信発行人)
 ★★★
 鋭利な刃物で切りつけるのが前作『理解』なら、今回は素手で殴り、突き飛ばす印象だ。
 姉妹と老いた父、若夫婦など十人の人物の話が異なる地点で始まり、あやうい接触を重ねつつも、明確な劇的展開には至らない。
 みごもった妻が懸命に伝えようとする愛の言葉は、心を閉ざした夫に届かないまま、舞台は時間切れのように終わってしまう。
 舞台と客席に双方向の関係が生まれれば充実の観劇になるが、点滅と点灯を繰り返すギザギザの蛍光灯や、独白やト書き、小説の地の文らしきものも入りまじる台詞が、こちらの安易な感情移入を拒絶している。
 小劇場楽園の空間や俳優の個性、タイトルの『43』の活かし方があとひといき確かな手ごたえに結びつかなかったため、星は3つとした。
 しかし足を運ぶたび作者の心象を計りかね、終演後は心の持ってゆき場を失う。その不安定な心持ちが、モナカ興業の舞台から得られる複雑で奇妙な幸福であるという実感はますます強くなった。
(11月11日 15時30分の回)

岩崎俊一(警備員)
 ★★★
 とんでもない劇だ。観続けるのに覚悟を迫られるし、不快に耐える忍耐力がいる。どこかで見たような嫌なシーン、どこかで聞いたような嫌な話-老いて自信を失った老人、崩壊する家庭、父親になれない若者、祝福されない妊娠、暴走する少年、無気力、依存、怒り、未来の見えない人生、などなど。そんな嫌なモノばかりを寄せ集めて舞台に載っけてしまったのは、無謀というか大胆というか。孤独で寂しい人間たちが織り成す、不協和音に満ちた人間関係、苦しみと傷つけ合いが延々と続く日常、それを情け容赦なく見せつける舞台は、何もかもが行き詰まりつつある今の日本の縮図のようだ。観終わった後、カタルシスの代わりに心に残るのは焦燥感。「ひどい劇だ」と言ってしまえばそれまでだが、この劇は観客を挑発しているのかもしれない。「おまえはこのクソな現実、クソな日常を直視する勇気があるか? おまえもあそこにいるような連中の一人なんだぞ」と。
(11月13日18:30の回)

オオシマタエコ
 ★★★
 演者一人一人が発するそれぞれのドラマを見ているこちらにもそれぞれの物語があることを気付かされ、それは不思議なことに並行して進行していく。観客みながそう感じているような、妙な一体感を体験したのは私だけだったろうか。事柄(事件)の一つ一つが平凡かつ卑近な出来事だからかもしれない。舞台の鑑賞には思いがけない世界への飛躍という楽しみもあるが、わが身を反映させてくれるものもあることをこの芝居は示している。最後に自死を拒んだ青年がこの後自己に向き合って前に進んでいくことを示唆してくれたように感じ、少し安堵して帰途についた。
(11月10日19:00の回)

新野守広(演劇批評)
 ★★★★
 はじめは物語の小さな断片がいくつも演じられる。徐々に登場人物たちのつながりが明らかになる。親切な舞台ではない。引用する形で語られる台詞もある。励まされもせず、突き放されもしない距離感。しかし手ごたえがある。痛みに似た重い感情が伝わる。次第に明らかになる全体は、行き詰った私たちの状況を暗示していた。
 放射状に蛍光灯が設置された天井。輝く光がまぶしい。正方形の舞台は四囲が限られ、床が高いため、長身の俳優は背を屈めるほどの狭さ。この窮屈な空間に10名の俳優が入り、演じる俳優以外は、舞台奥の壁にもたれたり、床に横向きに寝ていたりして、最後まで居続ける。外に出たくとも外部がないのだ。狭さと暑さのせいでお互いにひどく生々しいのに、どこか投げやりな人々。濃厚な人間関係に無関心さを混在させた演出には、緊迫感があった。
 生徒のためを思い、体罰も辞さなかった厳格な元小学校校長が、二人の娘に裏切られ、元教え子の不良たちに暴行される。妻の死後43年、時代の価値観は変わった。10名には何らかのつながりがあるが、誰もが行き詰まっている。ここに劇作家は、生まれてくる赤ん坊のために未来に希望を見いださざるを得ない一人の若い女性を登場させた。彼女は元校長と直談判をする。出ていこうとする夫を引きとめて言う-「たとえ明日世界が終わろうとも、私はあなたと一緒よ」。気恥ずかしいほどストレートな言葉。一途な思いから生じた滑稽な行動。にもかかわらず私にはこの言葉が忘れがたかった。
(11月13日18:30の回)

「43」公演の写真2
【写真は、「43」公演から。撮影=小尾幸春 提供=モナカ興業 禁無断転載】

都留由子(ワンダーランド)
 ★★★
 白い真四角の舞台、天井には白い蛍光灯が輝く。10人の役者は最初に登場すると最後まで舞台上にいて、台詞を言わないときは、壁にもたれたり、うずくまったり、床に横たわったりしている。登場人物相互の関係が少しずつ明らかになっていき、最後は全ての人たちの関係が見えてくる。その関係を示す手際はとてもうまくて、役者もうまい。惹きつけられる舞台だった。
 ただ、明らかになった全体像は、DV、子どもの頃のトラウマ、そのせいで自分の子どもを産み育てる自信が持てない男、引きこもり、実は崩壊している教育者の家庭、体罰、ひったくり、ひったくった相手を殴り倒してけろっとしている少年など、現在のわたしたちのやりきれない現実を示すものではあるが、そういう事実が全部明らかになったあとに示されたものが何だか唐突で、最後に置いてきぼりを食った気分だった。
(11月12日18:30の回)

大泉尚子(ワンダーランド)
 ★★☆(2.5)
 ひとつひとつのエピソードの丁寧な描かれ方と俳優のこなれた演技には安心感があり、真っ白な床や放射線状の蛍光灯の点滅やノイズィな音響がスタイリッシュではある。だが、バラバラのピースをはめこんでいったら、ジグソーパズルのように物語が浮かび上がってくるという手法は、決して新しいものではない。登場人物たちは、それぞれの関係において“暴力”を媒介にしてつながっているようにも見えるが、ラストシーンの愛と希望に満ちたセリフが、まさに暴力的ともいえる昨今の状況の中で、観客の耳にどう響くのか疑問が残った。
 ニートっぽい2人の男がしていた、アマゾンで蝶が羽ばたくとアメリカ大陸にハリケーンが起こるという「バタフライ効果」の話が面白い。通常の因果関係から遠く逃れ、物語の檻から解き放たれたものを見てみたい。むしろ、できあがったかに見えるこのラストから、新しい不定形の物語が始められるのではないだろうか。
(11月11日15:30の回)

北嶋孝(ワンダーランド)
 ★★
 公演が始まるとまず、10人ほどの俳優がゾロゾロ登場する。だらけた足取り、丸めた背中、前方をキッと見つめる視線、などなど。狭い舞台に多人数を上げて、あとはどうするのだろう-。松田正隆の「天使都市」や、マーティン・マクドナーの「ロンサム・ウェスト」「コネマラの骸骨」公演を手がけた腕を知っていたから、先の展開に期待が高まった。だが、期待は半ば叶えられ、最後に裏切られた。
 登場したのは、妊娠した妻に中絶を求める若い夫、厳格な元校長の父と姿の見えない引きこもりの息子、ひったくりを繰り返す若い2人組、異性関係で揺れる姉妹など、どこかで見たような人間関係や家族風景。細切れのエピソードが短いシーンで繋がるモザイクスタイルだった。
 見慣れた情景ではあるけれど、しかし特異なのは、当該シーンに登場しない俳優は基本的にフロアに転がったりしゃがんで壁に寄りかかったりしていることだった。自分たちの番が来ればむっくり起き上がってしゃべり始める。終わってしまえばまたゴロリ。森演出は、登場人物をほとんど「死人」扱いする。陳腐な人物像と生気のない家族関係にゾンビ印を押してしまったのだ。このあたりは台本の指定かどうか分からないが、それにしても凄い腕力である。
 しかしその腕力も最後まで持続しないのが玉に瑕。中絶を迫られた妻が「それでもあなたと一緒よ」と夫に言い放つメロドラマ的昂揚を、最後にあっさりなぞってしまう。リアルと劇構造の密通を看過して、折角の舞台に緩みと中途半端な性格を与えてしまった。
(11月9日19:00の回)

【上演記録】
モナカ興業第10回公演「43」
下北沢「小劇場 楽園」

◇STAFF
作/フジノサツコ
演出/森新太郎
美術/吉野 章弘
照明/佐々木真喜子(ファクター)
音響/中村光彩
衣裳/koco
グラフィックデザイン/やまねまい
宣伝写真/STUDIO DE VUE
舞台撮影(写真)/小尾幸春

◇CAST
西本裕行
佐治静
はやしだみき
日向野敦子
岸井ゆきの
加藤圭
森尻斗南
力武修一
内田悠一
長瀬知子

◇入場料
全席自由(日時指定)/前売・当日共¥2,800
早割り¥2,500(10月1日-9日に予約の方・劇団のみ取扱い)

◎企画制作:モナカ興業
◎協力:劇団昴、劇団俳優座、演劇集団円、円企画、ラッキーリバー、ユマニテ、revifront artist management
◎芸術文化振興基金助成事業
◎平成23年度(第66回)文化庁芸術祭参加公演

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