ミクニヤナイハラプロジェクト「幸福オンザ道路」

◎前へ!前へ!前へ!
 山崎健太

「幸福オンザ道路」公演チラシ
「幸福オンザ道路」公演チラシ

 矢内原美邦は繰り返し時間を描いてきた。ミクニヤナイハラプロジェクトの1作目として上演された『3年2組』は学生時代に埋めたタイムカプセルを巡る物語であるし、第56回岸田國士戯曲賞を受賞した『前向き!タイモン』はその全体が「1秒の戯曲」「1秒の物語」であるとされている。そして『幸福オンザ道路』もまた、失われた時間を巡る物語であるとひとまずは言うことが出来るだろう。本稿では時間を切り口に『3年2組』以降のいくつかの矢内原作品に触れ、『幸福オンザ道路』に至る矢内原作品に流れる通奏低音とでも呼ぶべきモチーフを明らかにしていく。

 『幸福オンザ道路』では身体機能の停止が死であるかどうかという倫理的な問いを孕みながら、「動き続けること」と生きることが重ねて描かれる。「動き続けること」とはつまり流れる時間の中を進み続けることであり、それを象徴するのがタイトルにもある「道路」であるということになるだろう。あるいは、ほとんど無意味なまでに度々挿入される役者たちの駆け足は、進むことというモチーフ以上に、役者の身体の放つ生命力を感じさせるものとなっている。ただひたすらに真っ直ぐな道を進む映像が示すように、私たちは未来へと進み続けることしか出来ない。車窓を流れる風景のように、現在は瞬く間に過去へとその姿を変える。

 これまでの矢内原作品では映像作家高橋啓祐による映像が舞台に直接照射されることが多かったが、今回の舞台では映像は舞台片隅のモニターに控えめに映し出されるに留まり、代わりに四方から役者を照らす照明とそれが作り出す影が強い印象を残した。「動き続けること」が生であるならば、光の移動を遮ることで生じる影は死そのものだ。エネルギッシュに動き回る役者の身体に寄り添う影。舞台上には生と死の群舞が展開される。

 光が作り出す影=痕跡としての写真は「かつてそこにあった」過去を現在に呼び戻すが、それを私たちが見るためには現在の光もまた必要である。だから、写真は過去の光と現在の光の交点にある、と言うことが出来る。『幸福オンザ道路』では朗読会が登場人物たちの何人かをつないでいる。朗読という行為もまた、現在形の声として文字という過去の痕跡を召喚する、過去を呼び戻す行為である。その一方で「声に出さなくても言葉はあるからね」というセリフが示すのは、声に出すという現在の行為を伴わなくても、本に記された言葉=痕跡としての過去はそこにあり続けるということだ。過去は常に現在に潜んでいる。

 現在に潜むもの、いつか見出されるかもしれない、可能性としての過去。矢内原はこのモチーフを繰り返し描いてきた。それはときに現在の光の下で初めて見出されることになる。現在に届く過去という意味では『3年2組』のタイムカプセルが象徴的ではあるが、矢内原の作品に多く見出されるのは、意志を持って未来へと送り出されたものというよりはむしろ、忘れさられた過去であるだろう。タイムカプセルを埋めたことのある人間のうち、一体どれだけがその中身を覚えているだろうか。その意味で、過去は常に現在において改めて/初めて見出されるのだ。例えば『3年2組』においては、タイムカプセルを埋めた当時は別のクラスだったにも関わらず3年2組に入り浸っていた(それゆえ疎まれていた)関口という男が、タイムカプセルを掘り出すために3年2組のメンバーが集まるきっかけを作る。当時はそこに必要とされていなかった=意味を見出されなかった関口が、3年2組の再会という現在においては重要な意味を獲得しているのである。

 あるいは、登場人物の一人足利は成長して車掌になっているのだが、どうして自分がなりたいとも思っていなかった車掌になったのかがわからない。その一方、関口は車掌になりたいという夢を語るのだが、彼がどのような職についたのかは作品内で明かされることはない。関口が思い描いていた将来の姿を足利が体現しているというその事態に足利自身が気付くことはないにも関わらず、観客はそこに何らかのつながりを見てしまう。それは決して因果関係のように強い結びつきではないものの、全く関係がないとも言い切れない、そんな曖昧なつながりである。だが、そもそも人生とは大半がそのようなものではないだろうか。人生の全てを自らの意思の下に置くことはできない。意図しないつながりこそが私たちの時間を織りなしているのだ。

 このような時間の捉え方は、矢内原の演出方法とも密接に関わっている。矢内原の演出で最も特徴的なのが、超高速での発話と莫大な運動量による肉体の酷使である。この二つによって舞台上に生まれる情報はまさに過剰なものとなり、それを観る観客にも相当な負荷をかけることになる(というか、矢内原の演劇作品の上演中にセリフの全てを理解するのは実質的に不可能である)のだが、それについて矢内原は『青ノ鳥』のアフタートークで「リアルタイムで理解することは難しいかもしれないが、(中略)まったく思いがけないタイミングで、観ている時にはわかっていなかった筈の『青ノ鳥』のディテールが、ふと蘇ってくることがあるかもしれない、そう期待している」(佐々木敦『即興の解体/懐胎』青土社、2011、p.337より引用)という主旨の発言をしていたという。観客によるそのような作品の受容の仕方はまさに、『3年2組』において描かれていた現在‐過去のあり方と同じではないだろうか。

 矢内原作品において未来が常に不確かなものとして描かれるのは、このような現在‐過去の捉え方の裏返しである。意図しない過去が現在を作り出すのならば、未来を確定することは出来ない。不確かな未来のモチーフは天気予報という形を借りて繰り返し登場することになる。「天気予報って嘘ばっかり」という『3年2組』のセリフは『幸福オンザ道路』では「お天気なんて、あたる時もあるし、あたらない時もあるから」と変奏される。あるいは作品のタイトル。2009年の『あーなったらこーならない』に続き、2010年に愛知トリエンナーレで初演されたNibrollの作品は『This Is Weather News』というタイトルであった。『This Is Weather News』は愛知での初演と東京での再演との間に東日本大震災を挟み、演出に大幅な変更が加えられたという。2011年に東京で上演されたバージョンの『This Is Weather News』冒頭のシーンは、カスヤマリコのソロダンスの力強さと、その背後に映し出される階段を延々と落下し続けるマネキンのような人体の映像の寒々しさのコントラストが鮮烈なイメージを残した。並置されたダンスと映像が示すのは、震災を経て対峙せざるを得なくなった、今たしかにここに存在しながら明日はどうなるかわからない、そんな私たち自身の姿である。そして『幸福オンザ道路』でもやはり、私たちがいかに「今」に向き合うべきか、という問いがその根幹にあるように思われる。

 『幸福オンザ道路』では15年前の過去が現在と接続される。登場人物の一人ウィーは墜落死を引き起こした犯人とされ、冤罪で15年を刑務所で過ごした過去を持つ。一方朝木は、母親の飛び降りに巻き込まれその肉体を激しく損傷。移植手術の結果、一命は取り留めたものの長らく人形のように動かず、意識もない状態にあった。刑務所から解放された男と意識を取り戻した男。彼らの時間は15年前から直接現在に接続する。同時に、当時研修医として事件に関わった三人(祐子、遠藤、美田)もまた、朝木が現れたことで15年前の過去と向き合うことになるのだが、彼女たちは「見ていることしか出来なかった」と言い、そしてまた現在において再び死の淵に向かうことになる朝木に対して手を差し伸べることもしようとしない。彼女たちは徹底して傍観者だ。

「幸福オンザ道路」公演の写真1「幸福オンザ道路」公演の写真2
【写真は、「幸福オンザ道路」公演から。撮影=佐藤愓隆 提供=プリコグ 禁無断転載】

 情報網が発達した現代に生きる私たちにとって、「決定的な瞬間」に「ただ見ていることしか出来ない」という状況は日常となってしまった。テレビに流れる遠く隔たった場所での「決定的な瞬間」を目撃する私たち。舞台上のモニターには繰り返し死のイメージが映し出されていた。窓の向こうで繰り返される死を眺め続ける役者たちはそのまま私たちの姿だ。光の速度を手に入れた私たちはおよそ地球のあらゆる場所での出来事をリアルタイムで目撃することが出来る。そして矢内原がアフタートークで語ったように、私たちはその瞬間、「見ていることしか出来ない」。

 だが一方で、ウィーは見ているだけだった15年前の自分を恥じ、朝木に対して謝罪の言葉を口にする。また明と欄は朝木を救うために手を差し伸べようとする。そもそも、物語の始まりは行き倒れていた朝木を明が助けたところから始まったのであった。ウィー、明、欄の三人が朗読会のメンバーであることは示唆的だ。彼らは現在において行為する人物としてある。『幸福オンザ道路』では、「見ていることしかできない」という諦念が描かれる一方で、それでも働きかける人の姿もまた描かれている。天気予報はweather forecastとも呼ばれる。『幸福オンザ道路』では朝木は救われなかった。だがそれでも、私たちは自らを前へと(fore)投げ出して(cast)いかなければならない。それこそが未来の「可能性」となるのだから。

 7月からの上演が予定されているNibrollの新作は『see/saw』と題されている。見ることをめぐる現在と過去。「見える」と「見えた」の協同作業によって普段とは異なる視点を得る遊具であるシーソー。その名が冠された新作でNibrollはどのような景色を見せてくれるのだろうか。

【筆者略歴】
山崎健太(やまざき・けんた)
 1983年東京生まれ、早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系幻影論ゼミ1期卒業生。現在、同大学院文学研究科表象・メディア論コース所属。演劇研究。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ya/yamazaki-kenta/

【上演記録】
ミクニヤナイハラプロジェクトvol.6「幸福オンザ道路
横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール(2012年3月22日-24日)

作・演出・振付 矢内原美邦
出演 光瀬指絵、鈴木将一朗、NIWA、守美樹、柴田雄平、たにぐちいくこ、米田沙織

舞台監督 鈴木康郎
舞台美術 細川浩伸(急な坂アトリエ)
照明 木藤歩
映像協力 高橋啓祐
宣伝美術 石田直久
イラスト アベミズキ

企画・制作 precog(中村茜、奥野将徳、山崎奈玲子、河村美帆香、黄木多美子、園田祥子、ケティング菜々)
制作スタッフ 土屋光、竹之内葉子
主催 ミクニヤナイハラプロジェクト
共催 横浜赤レンガ倉庫1号館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)
助成 芸術文化振興基金
後援 神奈川新聞社、tvk、RFラジオ日本、FMヨコハマ、横浜市ケーブルテレビ協議会
特別協力 急な坂スタジオ
協力 STスポット

チケット料金(日時指定・全席自由・整理番号付き)
前売り:2,800円
学生:2,500円
小中学生:1,000円
当日:3,200円


「ミクニヤナイハラプロジェクト「幸福オンザ道路」」への4件のフィードバック

  1. ピンバック: 矢内原美邦
  2. ピンバック: YAMAZAKI Kenta
  3. ピンバック: 薙野信喜

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