忘れられない1冊、伝えたい1冊 第7回

◎「氷点」(三浦綾子著、角川文庫 上下)
 サリngROCK
「氷点」表紙

 大学生になるまで、私は「当たり前」について悩んでいた。「死は怖い」「敵は悪い」「悪口は悪い」「悪いことはしてはいけない」「良いことをしなければいけない」そういう、「当たり前」なことを「当たり前のように」思わないといけないという強迫観念に囚われていた。
 だけど一方で、「ほんまに!?」とも思っていた。いや「ほんま」かもしれないけどでも「なんで!?」と思っていた。悪いと言われることをしてはいけない理由って何なの、良いと言われることをしなければいけない理由って何なの、と思っていた。例えば、「悪口は悪い」という「当たり前」があったとして、その理由は「言われた人が傷つくから」かもしれないけれど、では、絶対に本人の耳には入らない状況だったら、悪口は悪いんだろうか……などと悩んでいた。

 そんなことをグズグズ考えて哲学科に入学した私は、キリスト教系の大学だったこともあり三浦綾子さんの小説『氷点』に出会うことになった。
 三浦綾子さんはクリスチャンで、ほとんどの作品にその思想が反映されている。そしてその思想が、なんと私のモヤモヤを解けさせてくれることになった。(解けさせてくれることになったが、当時も今も私はクリスチャンではない…。)

 『氷点』は、医師である辻口啓造が自分の娘を殺した犯人の子を引き取り育てようと決意し、聖書の言葉「汝の敵を愛せ」を実践しようとする苦悩が描かれている。啓造はクリスチャンではない。ただ、妻を苦しめようという下心と、「汝の敵を愛せ」を実践してみようという思いつきで、犯人の子を引き取ることにする。

「敵ってナーニ、おとうさん」
「敵とは一番仲良くしなければならない相手のことだよ」
「ルリ子ちゃんが敵なの?」
「ルリ子は徹の妹だよ。敵というのはね、憎らしい人のことだ。意地悪したり、いじめたりする人さ(略)とにかく、うんと仲のわるい人だよ」
「仲のわるい人とどうして仲良くしなければならないの?」

 驚いた。確かに「仲のわるい相手」というのは「仲良くしよう、と最も頑張らないといけない相手」だと言い換えられる。仲が悪くなければ、仲良くしようなんてわざわざ思わなくていい。「汝の敵を愛せ」なんて到底無茶な聖人の要求のようだけれど「仲のわるい相手は、愛そうとわざわざ思わないと仲良くできないよね」と言い換えられると考えると、クリスチャンじゃない私も「ほんまや!その通りや!」と思える。
 そう思えたとき、「敵=憎い」という「当たり前の概念」は、私の中では「当たり前」ではなくなったのだった。
 聖書に、マリアが処女で妊娠したくだりがある。夫ヨセフはマリアが自分を裏切っていたのだと疑って離縁しようとするけれど、天使に「マリアの子は神の子だから大丈夫」と言われてそれを信じる。

 <ヨセフが、マリヤの処女妊娠を信じたことで、マリヤの日ごろの人となりが、啓造にもうかがうことができた。ありきたりの、清純、正直なぐらいの女性ではなかったのだ。崇高といえるものがあったのだ。そう啓造は思った。>
 <ヨセフがマリヤを信じたように啓造も、夏枝の人格を信じたかった。>

 聖書の言葉はファンタジーを伝えようとも、無理を強いようともしていないのだと大学生の私は思った。ただ、「人を憎む」ということを避ける考え方を提示してるんだと思った。「憎い」に辿り着くのを避けられる思考の道がある。「身に覚えがないのに妻が妊娠した。そしたら憎い」それは「当たり前」のことのはずだけど、「当たり前」ではないんだと知った。

 「当たり前」を「当たり前」だと思わなくていいと思えた私はこの時点で目からウロコが飛び出す気持ちだった。色んな思考の道があっていい。そして「憎む」ということに関しては、「憎まない」という思考の道筋のほうが「カッコイイ」と思った。

 <犯人を一生憎んで暮すか、汝の敵を愛せよという言葉を生涯の課題としてとりくんで生きて行くか、この二つしか今は生きようがなくなったんだよ。憎んで生きて行くのはみじめだからね。わたしはその子を愛して生きていきたいのだ>

 二つの道の選択肢があり、どちらを選ぶか決める場合、「一方がみじめだから、そうじゃない方を選ぶ」そういうことなだけだった。「みじめじゃない方を選ぶ」「カッコイイ方を選ぶ」そういうことでいいんだと思った。

 悪口は、相手が傷つこうと傷つかまいと、言わない生き方をしたい。誰も悲しまないとしても、人を傷つけない生き方をしたい。誰が見てようと見てまいと、カッコ悪いことはしない生き方をしたい。実践するのは難しいし、出来るかどうかはまた次の問題だけれど、目標としてそう決めれた大学一年生の私だった。

【著者略歴】
 サリngROCK(さりんぐろっく)

サリngROCKさん 作家・演出家・俳優。突劇金魚主宰。1980年生まれ。大阪府東大阪市出身。関西学院大学文学部哲学科卒。大阪を拠点に活動している。2004年突劇金魚を旗揚げ。以降、全ての作品において作・演出を行う。2008年『愛情マニア』で、第15回OMS戯曲賞大賞受賞。2009年『金色カノジョに桃の虫』で第9回AAF戯曲賞優秀賞受賞。2011年11月には、小説『しまうまの毛』を創英社より出版。劇団公演の他にも、渡辺えりユニットえりすぐりに短編脚本を提供するなど、外部にも作品を書き下ろしている。「現代の若者の抱える悩み」や「コンプレックス」を作品の下敷きとし〈なにものにも縛られない、自由奔放で毒のある独自の世界観〉で注目されている。

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