国際サーカス学校「旅する道化師と大道芸人たち」

◎70日間全国巡演で広がった輪 放射能汚染で休校中に
 西田敬一

サーカス学校所在地
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 旅にでた。
 群馬県みどり市東町沢入という、渡良瀬川の上流に位置する中山間部の村落。この地で廃校になった小学校を借りて、10年以上も若いアーティストを育ててきた沢入国際サーカス学校は、福島第一原発の巨大事故による放射能汚染の影響で、休校という道を選んだ。今も、世界中に放射能をばら撒き続けている福島第一原発から、栃木県との県境にある、沢入という自然豊かな山間の部落までは、直線距離にして170キロもあるにもかかわらず、汚染除去地域に指定されるほどの放射能を帯びさせられたのである。

 これまで、モスクワのサーカス劇場で公演したり、日本に限らず海外のサーカス団で働いたり、大道芸で活躍するパフォーマーが巣立っているサーカス学校には、今も人数は多くはないが、全国から若者たちがサーカスの技を学びにやってきている。その中には女生徒もいたので、休校にするのが最良の道と思い、昨年12月の発表会を終えた後、休校の処置をとり、生徒たちにはとりあえず実家に待機してもらっている。

 だが学校を休校しようと決めたものの、休校期間をどのように過ごせばいいのかという問いが、半年あるいは一年ぐらいはぶらぶらしていればいいという気持ちのむこうからやってきた。そこで、放射能に汚染され休校にしている現状を PR しながら、大道芸の旅にでようと思い、計画を立てた。声をかけた、サーカス学校の卒業生2 名・あつしとケンタ、それに道化師のふくろこうじ氏が参加を快諾してくれた。ということは、大道芸パフォーマンスのほかに、ふくろこうじ氏の『出口あり』という70分の道化芝居の公演も可能になる。

 そこで、今、僕が最も高く評価している道化芝居『出口あり』の公演を何箇所かでできないかと、九州、四国の親子劇場などの鑑賞団体にDVD、資料を送ったが、ナシの礫。確かに、今年の3月下旬に出発しようと決めたにもかかわらず、サーカス学校休校以降の昨年暮れもとなれば、各地の鑑賞団体にしても、受け入れ準備の時間がなさすぎて、たとえ関心をもっていただいても公演にこぎつけるのは難しかったにちがいない。だが、既存の鑑賞団体に頼るのではなく、なんとか自分たちの力で、いろいろな人々にお世話になるのを覚悟して、その人々を口説き、なんとかコースを切ることこそ、放射能による汚染によって休校せざるえない状況を説明しつつ、旅公演をする意味があるのではないかと思い当たった。

 この手段を、“友達の友達大作戦”と名づけて、四国、九州の友人はじめ、四国、九州方面の人々を紹介していただき、少しずつ大道芸のできる場所、『出口あり』の公演ができる場所を探しだしていった。

「出口あり」のステージ
【写真は、ふくろこうじ「出口あり」のステージから。4月13日、福岡県太宰府市。撮影=西田敬一 禁無断転載】

 この『出口あり』は、ホームレスで空き缶やペットボトル、雑誌などを拾って生活している男が、それらの廃品を使って、おもしろおかしく遊んでいる仕掛けの物語で、お客のなかには涙がでるほどおもしろかったという方もいれば、ある公演では、お客が引いているなと感じるケースもあった。パントマイム、クラウン芸そのものを見慣れていないのでどのように反応していいのかわからないという地元の意見もあったが、笑いとペーソスが重要な要素であるクラウンショーであれば、初めてのお客に納得してもらいたい。ぼくらにとっては、ひとつの課題である。この『出口あり』は旅の期間中、12回の公演をこなすことができた。

 実は、この旅を思いついたのには、もうひとつ理由がある。
 両国にある前衛的かつ実験的な演劇活動で知られている劇場シアターXが、国の助成金などに頼った予算組みで、お金がなければ創作活動ができなくなっている状況を打破しようと、昨秋より自主公演の入場料を千円としながらも、独自の方法でさまざまな作品を作りだしている。このシアターXの自主企画のひとつに、IDTF(インターナショナル ダンス シアター フェスティバル)がある。隔年に行われている、このIDTFは今年10 回目。ここ何回かフェスティバルの実行委員を務めさせてもらっているので、千円チケットという革新的な試みに、なんとか僕自身も応えたいと考えていた。考えてみれば、確実なコースを切れないままの旅公演もまた、劇場外での千円公演のようなものではないかと思えたのである。

集荷場前で大道芸
【写真は、集荷場前で大道芸。4月4日、京都府亀岡町で。撮影=長屋歩未 禁無断転載】

 今回の旅公演の試みは、かなりの人々から無謀だ、もっと準備に時間をかけろと忠告された。30年ほど前であれば、無謀であってこそ旅公演であった。いつのまにか、きちんとした計画が当たり前になり、不確かな旅公演はできないものという固定観念にとらわれるようになっているのか。その結果、旅公演そのものが多くの演劇集団の考えから欠落しているのかもしれないとも思えた。地震、津波、そして人災の福島第一原発事故で、福島はじめ東北地方のあちこちが壊滅している事実を受けとめようとすれば、この先、演劇に限らずなにか文化的な活動をしていくには、まずは、自分たちになにができるかを問いかけてみなければならないはずである。既存の考え、常識化していることをいかに打ち破ることができるか、そこから始めなければならないはずである。躊躇している暇はなかった。

 旅公演の始まり、『出口あり』の最初の公演は、静岡の“静岡アート支援機構/アトリエみるめ”という、工場を改造した小劇場から始まった。ここでの公演を準備してくれたのは、「静岡大道芸のまちをつくる会(=しまる会)」代表のあまる哲氏はじめ、そのメンバーであった。かれらは公演以外にもワークショップや大道芸の場所を確保してくれたのは、なんともありがたかった。

 こうした活動に汗をかいてくれるのは、いまや、大道芸やパントマイムなど、新しいジャンルで活動している、若い人々なのかもしれない。年配の演劇人はさておいて、若き演劇人たちの場合も、自分たちの劇団とその周辺の人々でまとまっていて、どこか閉鎖的なところがあるようだが、大道芸、パントマイムの人々は個人芸ということもあって、個人的な広がりでつながっていて、お互い協力しあう素地ができあがっているように思える。今回の旅でも、福岡、鹿児島などでは、そうしたメンバーが公演を準備してくれたことからしても、そこには新しい若者の動きがあるにちがいない。このことは、文化的な活動をしている人々が注目していいはずだ。

 もちろん、今回の旅が成功に終わったのは、そのほかにも多くの人々の協力があったからだが、いわゆる劇団関係者がそのなかにいなかったのは、なんとも不思議な出来事であった。確かに、これまで地方劇団とのお付き合いはないし、かつてカンボジアのサーカスを招聘し、自主興行でツアーを試みたときも、そうした劇団が関心をもってくれなかった経験から、今回の旅についてはそうした劇団に声をかけなかったのも事実だが。

 協力してくれたのは、京都では、南丹市日吉町の“アグロス胡麻郷”という、有機農業を行っている友人であったり、東京の友人の紹介で知り合うことのできた、水俣で、里山、棚田を守っていこうとしている“愛林館”の方々であったり、あるいは、先に述べた“友達の友達大作戦”で知り合いになることのできた、地方議員の方や各地でイベントをプロデュースしている方々であった。とにかく、約70日間の旅である。途中、東京に戻ることは考えていなかったので、公演地はもちろんのこと、宿泊場所などをなんとしてでも確保しなければならないので、大道芸の仲間だけに頼るだけでは、すべての日程をこなすことはのっけから無理だと知れていた。それで、友人からいろいろな人々を紹介していただき、片っ端に連絡をとったのはいうまでもない。

「旅する道化師と大道芸人たち」公演の写真1
「旅する道化師と大道芸人たち」公演の写真2
【写真は、子供たちと皿回し(上)ハラハラのアクロバットに拍手(下)。いずれも京都府南丹市の施設で。撮影=長屋歩未 禁無断転載】

 その努力が実ったともいえるが、たとえば、『出口あり』プラス大道芸公演の売り込みだけでは日程を埋めるまでには到らなかったであろう。旅の背景に、サーカス学校が放射能汚染によって休校になっている事実を、多くの場所で人々に関心をもっていただいたからである。このことは、別の見方をすれば、原発事故の事実、震災による被害の状況が、九州、四国には、現実感を伴って伝わっていないことを物語っている。いかに現実感のある情報の伝え方をしなければならないか。その仕事は今もぼくらにも課せられているにちがいない。

 ところで、約50回の公演を行った大道芸ショーは、どこでも大好評であった。水俣の生徒数約40名の中学では、小犬や花などをバルーンで作ることに女子生徒がとても関心を示したので、後日、バルーンと教則本を送ることになってしまったり、長崎では、来年も来てもらいたいとの相談を受けたりもした。

 実は、旅の途中、一度すべての日本の原発が停止した5月5日、僕は、瀬戸内海の島のひとつ、豊島というところで、『出口あり』+大道芸公演の後片付けの時に、梯子に登る途中、その梯子ごと転倒してしまい、背骨骨折という大怪我を負い、そのまま、高松の病院に運ばれ手術、入院となり、以降の旅は、アーティスト3人となってしまったのだ。だがやはりアーティストだけの旅は無理で、東京から旅の運営に助っ人を頼むことになったのだが、そうしたアクシデントがあったにもかかわらず、なんとか70日間、約7800キロの旅をこなしたことは、大きな成果といえるだろう。そして、この旅で培ったことを検証すれば、今後の旅公演の作り方に大いに参考になるのではないか。もちろん、わずか4人のメンバーである。これが10人ともなれば、全く違った仕組みを考えなければならない。

 もうひとつ、この旅の成果は、これまで、現在の場所で続けるのが難しくなっているサーカス学校を、どこでやればいいかという問題に対して、一条の光というか、ある柔軟な考えが浮かんできたことである。

 それは、移動サーカス学校というアイディアである。
 これまでは、現在のサーカス学校を全面的にほかの場所に移す考えにはためらいがある一方、そうしなければ、現在の場所で、放射線量がある程度低くなったときに再開するか、そのどちらかであろうと判断していた。だが、半年、一年単位での移動という考えをとりいれれば、現サーカス学校を放棄することなく、また、再開を先伸ばしすることなく、ある期間、受け入れてくれる場所さえ見つければ、そこでの再開はすぐにでもきるのではないかと思い当たった。こうした考えに到ったのは、今回の旅をやり終えたからこそであろう。

 確かにある考えからみれば無謀に見えた計画も、視点を変えてアプローチすれば、計画を実現できる場合もある。その経験が、サーカス学校が直面している問題に、別の解決の糸口を与えてくれたのかもしれない。実際のサーカス学校再開の道は、今はまだ、見えていないが、焦らず待ってみようと思う。三年寝太郎というわけにはいかないだろうが。

板を指さす筆者
【写真は、原発誘致派の看板を指さす筆者。4月9日、山口県上関町で。撮影=ふくろこうじ 禁無断転載】

 なお、サーカス学校のある東町沢入地区の放射線量は、市の発表によれば、昨年末、最大値0.536マイクロシーベルトだが、僕が今年6月に、サーカス学校体育館の排水溝で測定した数値は、0.6マイクロシーベルト以上。市は、この7,8月中に、校庭に盛り土し、排水溝などの汚泥などは除去するとのことである。この点に関して、今は、除染の状況待ちである。


【著者略歴】
 西田敬一(にしだ・けいいち)
 1943年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業後、演劇活動を続けるなかでサーカスに出会う。2001年群馬県みどり市に国際サーカス学校を設立。NPO法人国際サーカス村協会代表。(株)アフタークラウディカンパニー(ACC)代表。今年1月、シアターΧで花田清輝「ものみな歌でおわる」を構成・演出。著書に「果てしなきサーカスの旅」(現代書館)、「サーカスがやってくる」(旺文社文庫)、「サーカス物語」(大揚社)など。

【上演記録】
国際サーカス学校「旅する道化師と大道芸人たち」
2012年3月26日-5月31日
静岡市、京都府南丹市、亀岡町、京都市、滋賀県大津市、山口市、福岡市、福岡県志免町、長崎県佐々町、北九州市、熊本市、水俣市、鹿児島市、香川県・男木島、女木島、豊島、丸亀市、高松市、松山市、高知県南国市、香南市、四万十町、高知県立大学(高知市)、神戸学院大学(神戸市)、徳島県北島町、鳴門市、小豆島、岐阜県可児市、静岡県伊豆の国市、東京都立川市、シアターΧ(東京)
【出演】
あつしとケンタ、ふくろこうじ


「国際サーカス学校「旅する道化師と大道芸人たち」」への6件のフィードバック

  1. ピンバック: 薙野信喜
  2. ピンバック: firewaltz1961
  3. ピンバック: yk_okmr
  4. ピンバック: Mamezakura Mame
  5. 何故か知人から貴NPOのことを聞き、貴サイトを読ませて頂きました。
    正直 全部は読みませんでした。
    一言 頑張って下さいと申し上げます。
    唯 驚くのは、悔しいのは170kmも離れて未だ放射能の影響が有るのですね。東電に補償して頂きたくどうなって居るのかと心配します。
    知人のお子様が某大学で初めて大道芸クラブを作りました。当時 近くの大学に声を掛けて地方のお祭り等に出かけアルバイトで稼いでいたと聞きました。
    小生、リタイヤ組でボランテェアで家で出来ることなら、せめてお手伝いさせて頂こう?と思いました。
    大変失礼ですが、お若い方かと思っていましたが、私より5歳先輩ですね。
    近くを通ることが有ったら、建物等 近くで拝見したいと思います。
    丁度 70歳ですね。健康に気を付けてご活躍下さい。
    貴NPO 益々のご発展をお祈り申し上げます。

  6. 正直 全部は読みませんでした。

    失礼な書き方ですみません。
    正直 未だ全部は読んで居ませんが…でした。

    今 全部読ませて頂きました。
    梯子から落ち骨折までなされて、…
    関東の市町村へ問い合わせれば、廃校になっている学校はその他にも有るのでは無いでしょうか?
    東京の千代田区の小学校も以前廃校になったと聞いたことが有りますので…
    ご発展とご活躍をお祈りします。

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