ナカゴー「黛さん、現る!」(クロスレビュー佐藤佐吉演劇祭編 5)

「黛さん、現る!」公演チラシ

 ナカゴーは2004年に作・演出の 鎌田順也らを中心に旗揚げ。どんな劇団かとWebサイトを探してみたけれど、結成の趣旨や旗揚げの意気込みなどは見当たらない。どうも、そういう構えた姿勢は好みではないらしい。淡々と並んだ過去の公演記録をみていると、強いて作り込まない世界がちょっとした非日常と同居しているように見えます。今回の第10回公演は、劇団の個性的なメンバーに加えて、これも個性的な客演陣が参加していました。一体どんな舞台だったのでしょうか。レビューは、★印による5段階評価と400字コメントです。掲載は到着順。末尾の括弧内は観劇日時です。(編集部)

原力雄(会社員)
 ★☆(1.5)
 これは呪術なのか? 親友に死なれて自殺願望を持った精神病の女性を恋人や友人たちが力を合わせて治癒させるという話なのだが、登場人物の実感に寄り添えば、悪魔祓い(除霊)だろう。作者に科学的な裏付けがあるのかどうかよくわからないが、舞台上で見られた行為は転んで皮膚をすりむいた幼児によくやるような「痛いの痛いの飛んでけ~」的なおまじないである。こんなんで精神病が本当に直るのだろうか? そんな疑問ばかりが頭に浮かんだ。延々と繰り返されたディオニュソス的狂躁はある意味で演劇の原形に近いとも言える。しかし、「近代」はどこへ消えてしまったのだろうか? 個人の歴史を掘り起こして精神病に立ち向かうという方法論は、もはや演劇的にやり尽くされてしまったと いうことなのか? 同じ身振りを反復してトランス状態へ没入して行った役者たちは爽快だったのかもしれないが、私はそれほど気持ち良くもなれずにただ「長いな~」と感じていた。
(7月29日 18:00の回)

小林重幸(放送エンジニア)
 ★★★
 この表現スタイルは、舞台ならでは。もっと言えば、舞台と客席の距離が近い小劇場ならでは。終盤のカタルシスは演劇のものと言うより、クラブやライブで得られるものに近いのではないか。
 序盤は、ちょっと意味深なシチュエーションを提示して群像会話劇かのように始まる。が、そのドラマはあっという間に決着が付いてしまい、あれっ? と思った以降は、ひたすら事態の暴走を見守るしかない。その暴走するキャラクターと、最終的には「ダンス」とでも言うしかない役者の熱演に、物語的な「意味」を超えた爽快さを感じるのである。
 展開上も、会話劇→キャラクター劇→ダンスと、「言葉から身体」「意味から無意味」とも言えるグラデーションを成している。バカバカしいとしか言いようのない印象とは裏腹に構成的にも工夫されており、その戦略は成功だったと言えよう。
(7月29日 14:00の回)

福田夏樹(演劇ウォッチャー)
 ★★★★☆(4.5)
 作・演の鎌田順也氏の人となりを僕は知らないが、一見どうしようもなく下らなく見せながら、ものすごく真面目な方なのではないか。
 年配の男性に付きまとわれているのではないかという心配から訪ねた高校の同級生宅で起きた、てんやわんや。当初の心配は彼氏や別の友人らにより既に解決されていたが、一緒に訪ねた別の同級生が、かつての親友の死を思い起こさせ、乗り越えられない死に狂気と化しながらも、最後はそれを受け入れていく。
 親友の不在に取りつかれる姿や、乗り越えられない死を看過したままその場の「空気」に流された解決を止めようとする姿は、狂気としてとにかく執拗に描かれる。その執拗さは、死に対する真摯さでもあり、真摯だからこそ、滑稽にも映る。表面上はとてもおかしいのだが、それを笑っていいのか、それとも笑った方がいいのか。今この時期だからこそ考えてしまうものもあるというのは、僕の飛躍にすぎるだろうか。
 また、冒頭の同級生宅へ向かうための待ち合わせの場面での人物描写は、ナチュラルに笑えるやり取りをしながらも丁寧で、それが劇世界への導入と、その後の狂気への伏線として効いている。
 これだけ笑わせられながら、しかも訴えるものもあれば星5つといきたいところだが、もっとすごいものを魅せてくれるのではないか、まだまだ先があるのではないか、という期待分削って星4.5つ。欲張りで申し訳ありません。
(7月30日 18:00の回)

齋藤理一郎(会社員 個人ブログ rclub annex
 ★★★★
 舞台にはキャラクターたちの存在感があり、一方でその関わりや距離がひとつに束ねられないままに醸し出される全体の空気があって。
 ナチュラルに生まれるものや次第にほどけてまわりを巻き込むもの、有名女優の登場のごとく一気に立ち上がるものやクラスメイトの過去の関係のように場を跨いでの奥行きとともに描かれるものと、様々に織り上がる雰囲気に役者達が貫くキャラクターが埋もれてしまうことなく、それぞれに場を染めあるいは場に染まりつつ同床異夢の感覚や場との距離感を紡ぎ出していく。緻密に作りこまれながらどこか噛み合わずひとつにまとまらない舞台の居心地の悪さが、やがてこの劇団独特の癖になるようなテイストに変化して強く惹かれる。
 終盤の大立ち回りも圧巻。伏線に裏打ちされた踏み出しや熱の帯び方には唐突さやあざとさがなく、煽られ解き放たれていくキャラクターたちの臨界点を越えての溢れ方がお馬鹿で明け透けで手がつけられないくらいに可笑しい。そして、導かれた笑いの先には、そのお馬鹿さが観る側が日々に捉われている感覚のデフォルメであることへの気づきがありました。
(7月26日 20:00の回)

藤原ちから/プルサーマル・フジコBricolaQ
 ★★★★
 冒頭、火の付かないライターをカチカチと鳴らす音。ここからすでにイライラが始まっている。その序盤は、オウム返しやセリフの反復を多用した3人+αのトーク。都電に乗って作・演出の鎌田氏が登場するなど、発想はユニークだし、相変わらず妙な間をつくるのがうまいなーと思いつつ、いつものナンセンスな軽妙さにはやや欠け、テンポの遅さにジリジリする場面も。とはいえ壇れい役(?)の菊池明明が金麦片手に華々しく登場すると、そこから一気にダダダダダ、ダン、レイ!とゴージャスでナルシスティックな彼女を中心にパワハラ的に話が回っていく。ここまでが前半。
 ところが後半は一変して予想外の展開に。この爆発ぶりが凄まじかった! 親友の死を受け入れられない女(高畑遊)による提案で「海、行こう!」と口々に集団催眠的に言い合う面々。その中で唯一、恐怖心からか覚醒した女3(墨井鯨子)が、壇れいのおじいちゃんの形見であるカナヅチ片手に発狂し(しかし狂っているのはどっちなんだろう? とにかく記憶に残る名演技!)、「海、行こう!」「海、行かない!」のやりとりだけでひたすら続くスラップスティック・ホラーの大乱闘! 女子プロレスやゾンビ映画を思わせるこの狂騒劇は、ただハチャメチャに暴れ回っているだけにも見えるけど、実はもの凄い役者たちの意思統一と演出があってこそ為せるワザであり、その執念にも似た過剰さも含めて、ちょっと忘れられない舞台となった。アゴが外れそうなくらい笑った。
 そしてある意味でこれは、瞬間風速的な意見や炎上といったものに流されやすい世の人々に対する、ナカゴーなりの痛烈なアンサーなのかも?
(7月28日 15:00の回)

大泉尚子(ワンダーランド)
 ★★★
 4人の女性が友だちの家を訪ねる話と書き出すと、なぜあの超ナンセンスな事態が次々に勃発するのかを説明するのに、ものすごいエネルギーを費やさなければならない。とにかくこれはもう、真夏の我慢大会というか、辟易させてくれること間違いなし(!?)。舞台上には暴発的な遠心力が働き、それによって吹っ飛ばされるのは、ストーリーや辻褄や感情の理由付け等々、普通は話を推進していくはずのものたちだ。
 ただ、こうしたアナーキーな作品を継続的に作り出し続けるのも、本当に大変なことだと思う。数打てば、どうしたって整合性や自己模倣という落とし穴に嵌まる可能性も高くなるから。今回、意外にありがちなところに回収されそうな、というか、ちょっと“きわきわ感”を受けた。いつまでも、観客を振り切り続けてほしい。
 墨井鯨子がエアコンのスイッチを入れるラストは秀逸。ナカゴーの落ちをつけない、まとめない、やり逃げ的な終わり方は、あまたの劇団の中で一頭地を抜いており、これがオリンピックの体操なら着地には満点を入れる! 少し迷ったが、ここで星の数を決めた。
(7月29日18:00の回)

都留由子(ワンダーランド)
 ★★★
 高校時代の友人がストーカー被害にあっているかもしれないと心配した同級生三人が友人を訪ねる。ストーカー被害はすでに解決していたのだが、同級生宅には別の友人たちも集まり、事態は意外な方向へ展開。心配されていた友人はかつて一心同体と言えるほどの親友を亡くしていて、そのトラウマからなぜか一同は集団自殺を図る宗教団体みたいになる。ひとり正気を保ち、脱出して帰ろうとするひとりと、それ以外の全員との間で延々と続く大立ち回り。終わったかと思ったら最後には悪魔祓いに突入、ストーリーはどうでもよくなってしまった。
 役者の身体的負担が思いやられる大立ち回りなど、迫力は抜群だが、それだけではない引力を感じる作品だった。しかし同時に、そういう力技で持っていっちゃうのはちょっとずるいんじゃないかとも思うので★は3つ。
(7月26日 20:00の回)

中野雄斗(学生)
 ★★★
 4人の女性が徐々に集まる冒頭のシーンからして、何やら不穏な空気が漂う。4人のうち3人は同級生で、同じく同級生の宅を訪問することになっていた。その同級生はストーカーにつきまとわれているらしいのだが、4人が問い質すと問題は既に解決していた。しかし、訪問した内の1人「黛さん」とその宅の女性とのある因縁がきっかけで惨劇が繰り広げられてしまう。
 先の読めない展開、というよりあまりの突飛さに驚かされる。ストーカーの話をしていたはずが死んだ親友の話になり、その親友にみんなで会いに行く=海に行って入水しよう、と暴走する人々を同級生の1人が金槌で殴って制止し続ける……あまりに暴力的なのに、なぜだか爽快な気分にすらなる。そして我に返った人々は死んだ親友の思い出を追い払おうと、今度は除霊まがいの儀式に没頭する。くどいほどに繰り返される行為の数々が観客までも取り込み、一種のトランス状態になっていたのではないか。
(7月28日 15:00の回)

北嶋孝(ワンダーランド)
 ★★★
 公演を見て確かにおもしろかったのだが、どこがおもしろかったのだろう。われながら、振り返ると怪訝な思いでもやもやしている。
 冒頭で待ち合わせの女性二人のライターはいずれも火が付かない。ごくありふれたやり取りなのに、間の取り方がそこはかとなくおかしい。ストーカーに追い回されているらしい友人宅を訪ねたとき、突然現れた女性がその場にいた女性たちを押し倒して両足を抱え、足先で股間をグリグリえぐりまくる。おいおいおい、そこまでやるかと、思わずのけぞってしまった。ぼく(ら)の性的な意識を微妙に揺さぶったのだ。
 そこまでは分かったつもりになれた。でも、そのあとの悪魔祓いならぬ除霊や調伏の儀式モドキの場面は笑いにまみれたけれどつかみ所がない。小刻みな繰り返しが徐々に笑いのエネルギーを高揚させる仕掛けは珍しくないだろう。別の女性がはゴム製の金槌(?)で海に行かないと居合わせた面々を殴りまくって最後には鎮まったのだから、舞台上では除霊効果があったのだろう。しかし客席にいたぼくの睡魔は祓われずじまい(笑)。長々と続いた狂騒状態からホントに、新しい何かがうまれたのだろうか。その現場に立ち会っていのたのだろうか…。大いに笑わせてもらったけれど、笑いの出所をつかめないと考えていくうちに、ぼくの熱はやや下がってしまった。(8月1日部分更新)
(7月27日 15:00の回)

【上演記録】
ナカゴー第10回公演「黛さん、現る!」(佐藤佐吉演劇祭2012参加作品)
王子小劇場(2012年7月25日-30日)

【作・演出】
鎌田順也

【出演】
鈴木潤子
髙畑遊
鎌田順也
篠原正明
( 以上、ナカゴー )
甘粕阿紗子 ( カムヰヤッセン )
菊池明明 ( ナイロン100℃ )
佐々木幸子 ( 野鳩 )
墨井鯨子 ( 乞局 )
田畑菜々子

【スタッフ】
制作:原夏希(VIATICUM)
宣伝美術・Web:tutoji
照明:井坂浩
音響:許斐祐

【協力】
カムヰヤッセン、キューブ、乞局、スターダスト21、ナイロン100℃、野鴨

【チケット】
前売り予約2500円 当日2800円 高校生以下無料 ( 枚数限定・予約のみ )

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