忘れられない1冊、伝えたい1冊 第9回

◎「宇宙 -そのひろがりをしろう-」(加古里子著、福音館書店、1978)
  柴幸男

「宇宙 -そのひろがりをしろう-」表紙
「宇宙」表紙

 すべてを知りたい、と思うときがある。人間には、知りたいという願望、欲求、快感がある。知的好奇心、探究心、特に、僕は、それが満たされた瞬間に、幸福を感じる。だから、知らないことが沢山あるのだと実感したときは、とても寂しいような気持ちになる。沢山の本、映画、音楽を、目の前にしたとき、一生をかけてもそれらすべてを享受ことはできないと瞬時に悟った、あの絶望。いや、さらに言えば、例えば、家の、玄関のドアを開けたとき、目の前に広がる光景の、すべて。例えば、名前、歴史、役割、仕組み、本当に理解しているのだろうかと、考えるときがある。そして、クラクラする。当たり前だが、そんなことは不可能だ。きっと日常生活は送れなくなる。そして、それが不可能だと理解したとき、自分もまた、その無数の、理解しえない、物質の一粒でしかない、ことを体感する。そしてまた、無力感に襲われる。それでも、いや、だからこそ、その一粒が、どこまで、世界を想像しえるのか、挑戦したくなるのかもしれない。

 そんな絶望に、ひとすじの光を当ててくれたのが、この本だ。人に薦められて知った、この本の中には、自分が欲しかったもの、そして次へと向かうための精神、姿勢が、詰まっていた。

 『宇宙』は、ノミのジャンプからはじまる。ノミは自分の身長の何倍をもジャンプする。人間ならば、高層ビルを飛び越すほど。最初のページには、ノミの名前、身長、飛ぶ高さ、が書かれている。対比として、マッチ箱の大きさ、鉛筆の長さ、窓の向こうには、高層ビルが並び、もちろん、その高さも、名前も、何年に完成したかも書かれている。ページをめくると、その高さと速さは、どんどん増していく。虫が空を飛び、そして、鳥がさらにその上を飛ぶ。もちろん、名前も、高さも、飛び方も、速度も、書かれている。人間は、成長し、身長やジャンプ力は増す。やがて、人類最速の速度、高さ、飛距離へ到達する。人体の移動の次は、投球、投擲、ハンマー、ブーメラン。道具の次は乗り物、車、鉄道、船、飛行機。そして、ロケットへ。こうして絵本は、宇宙へと飛び出していく。この本は、ノミのジャンプから、宇宙の果てまで、そのあいだにある、すべてを、記述したいという欲求の結晶だった。この仕事を、一人の人間が、行ったことに僕は、何よりも感動した。

 僕の作品は、神のつくった世界の解法だと思っている。僕は、無から何かをつくることはできない。できるのは、発見と、改造ぐらい。でも、それでいい。それが僕の仕事だと考えている。ときに無力や絶望を感じたとき、僕は、この本を眺める。人が、時間や、空間を、超越する、より大きな何かに触れかけている瞬間。きっと、この仕事は誰かに引き継がれていく。その一端を担えるなら、これほど幸せなことはない。

【筆者略歴】
  柴 幸男(しば・ゆきお) 劇作家・演出家・ままごと主宰。1982年生まれ、愛知県出身。「青年団」演出部所属。「急な坂スタジオ」レジデント・アーティスト。日本大学芸術学部在学中に『ドドミノ』で第2回仙台劇のまち戯曲賞を受賞。2010年に『わが星』で第54回岸田國士戯曲賞を受賞。何気ない日常の機微を丁寧にすくいとる戯曲と、ループやサンプリングなど演劇外の発想を持ち込んだ演出から普遍的な世界を描く。2011年には『わが星』を全国6都市にて上演するなど、全国各地にて精力的に活動している。またコラムやエッセイ、ドラマ脚本等、演劇外の活動も多岐にわたる。

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