忘れられない1冊、伝えたい1冊 第11回

「プロセス 太田省吾演劇論集」(太田省吾著、而立書房、2006)
 西尾佳織

「プロセス 太田省吾演劇論集」表紙
「プロセス 太田省吾演劇論集」表紙

 遅いテンポと沈黙劇で知られる、太田省吾の演劇論集である。1975年、1980年、1988年に出版された三冊の演劇論集が収められている。私は太田さんに会ったことも、作品を生で見たこともないけれど、この人はきっと恐いくらい誠実で厳しい人だったに違いない、と読むたび思う。語られている内容以上に、語る口調にハッとする。読んでいる私が見られている気がする。ベッドで読むと寝てしまう。ってそれ、全然ハッとしてないじゃないのと言われそうだが、なんだか、だららんとは読めないのだ・・・。

 何しろ慎重で、言いたいことが分かりにくい。外堀から埋めるようにじわりじわり核心ににじり寄って、なかなか結論へ行かない。そもそも結論を出すことに、あまり重きが置かれていない。太田さんはいつでも、結論から逆算することをしない。おそらくあちらの方向、あの辺りに、自分の気になっている問題の核心があるんじゃないか、という予感を頼りに歩き出すのだが、ちょっと油断すると立ち止まっていたり、よそ見したりしている。しかもそれが、「話は脇道にそれますが・・・」といった扱いではなく、歩くというメインの行為と同じ重さでなされているものだから、こちらも立ち止まり、よそ見しないわけにいかなくなる。この本を初めて読んでいた当時、修士論文の締め切りが迫っていた私は「あーもう!この話題は一体何が言いたくてここに挿入されてるの!? いいから早く結論を! 言ってくれ!!」とじりじりしながらページをまくったけれど、そういう躁急こそ、彼の闘ったものの一つであった。

 太田さんは、「速さと分かりやすさ重視の資本主義的モノの見方(というか、速くて分かりやすくないと見られない目玉)」がインストールされてしまっている現代人の身体とどう付き合ったものか、考えていた人だと思う。私たちは損することを恐れている。「これは、自分の時間(またはお金、コスト)を費やすに値するものか?」といつもジャッジしている。自分の理解できる形で対価が得られないと、どんどん不満になっていく。でも太田省吾は強い意志で、そこに応えない。彼の言葉を咀嚼していく工程は、太田さんの足どりを一歩一歩追って、彼の道のりを読者が自分の足でもう一度歩むことであって、私たちは辛抱強く、彼の散歩に付き合わなければいけない。回り道をしたところ、足をとめ、佇んだところ、振り向いた目の先、ひとつ、ひとつ、と、拾い上げては足を動かすうち、拾い上げた個々のものだけでなく、それらの積み上げられ方、それから、拾わなかったものや周りの景色も、自然と私に入っていた。それは、太田さんの歩いた軌跡を鳥瞰図的に把握しても手に入らないものだ。「あのスタート地点から始めて、あそことここを通って、最終的にあのゴール地点にたどり着けばいいのね。オッケー理解した!」と要点を押さえてから歩いたら、きっと私はずいぶん早く、スマートに歩けるだろう。でもその私は、あまり景色を覚えていない気がする。目には映るのに、「見る」ことができない。散歩というより移動だ。こんなに早く、消耗せずに、目的達成でけたでい! というせせこましい精神だ。(でもこのときの、「目的」とは何だろう? 私は太田省吾を知りたいと思って、知らないからこそ関わり始めたはずなのに、「こういう知り方で知ることにする」なんてことを自分ひとりで予め、どうして持てるだろうか?)

 表現とは、表わされたことであると考えることができる。この考えに較べれば、私の考え、〈表現とは、表現への不信との関係の表現である〉は、ずいぶん煩雑に思える。なぜ、煩雑にしなければならないのだろう。

 表現への不信の基礎は、〈ほんとかね〉という無名の疑惑の用語で表わすことができる。(中略)この問いは、表現されたことについて吐かれるというよりは、もう少し表現者の方を向いた目である。つまり、表現されたことと表現者との関係を〈ほんとかね〉と見ているのだ、と測定することができる。

 「言葉ではどうとでも言える」と口癖のように、太田さんは繰り返す。言葉(=表されたこと)だけでは信じるに足りない、身体を伴って発語された言葉を相手にして初めて、私たちは信不信を抱くことができる、と言うのである(そう言う太田さんの言葉はいつも彼の身体を、存在を、伴っていて、だから読む側も、読む私が見られている、と感じるのでしょう)。

 確かに人は、言葉の中身と同じかそれ以上に、その人がその言葉を吐く仕方を見ている。どんなにいいことを言っていても、「上手いことを言ってやろう」という欲が透けたら興醒めするし、ステキっぽいことを、語る本人がウットリしながら喋っていたら、薄ら寒さを感じる。つまり、表現に胡散臭さを感じるときというのは、語られる内容に〈ほんとかね〉と思うばかりでなく、こちらが〈ほんとかね〉と思ってしまうようなことを疑いもなくペラペラと喋れてしまうこの人のセンスは大丈夫かね? と思い、茶化すでもなく発語されてしまっているこの言葉よ…ともう一度、〈ほんとかね〉が内容にはね返り、全体として〈ほんとかね〉と感じているのだ。

 表されたことを見るとき、私たちは同時に、そのことの表され方を見ている。表され方に、それを表した人の表し方を見ている。そうやってその人間を、見ている。複雑なようだが、こんな風にわざわざ言葉で理解するまでもなく、私たちは日常のコミュニケーションの中でこういうことをやっている。それなのにその判断が、「表現」に対して甘くなるのは何故だろう。

 劇場の客席で、断絶を感じることがある。私は感覚的に全然入っていかれない世界が舞台上で起こっていて、「おいおい、正気かよ…」とふと脇に目をそらすと、隣の人はとても感動しているようだ。あれっと思って逆隣を見ると、こちらも泣いている。どうやら会場中ほとんどが染まっている。孤独を感じる。それは、自分の見方が外れていると感じるせいだけではない。人と違っていることは、構わないのだ。通じ合いたいという気持ちは消せないけれど、人と人は、違うに決まっている。そうではなくて、ああ結局演劇は相手にされていない、と感じることが辛い。「普通の感覚」で見たらツッコミが入るであろうことが、なぜ素通しされ、喜ばれるのか。そういう状態を、「受け入れられている」とは言わない。相手にされていないのだ。「お楽しみ」のために演劇を見る人は、その人の「実生活」の方が大変になったら、劇場へ来なくなるだろう。

 「普通の感覚」と書いたけれど、これは「常識的」とかいう意味ではない。食って、寝て、出して、そしてそういう生活を保つために人間社会の中で何とかやってっている身体を持った感覚、という意味だ(誤解のないように書いておくと、私は演劇のリアリティが、現実のミニチュアをつくるような自然主義に宿るとは思っていない)。どんなに立派で高尚で感動的なことを言っていても、私たちは、例えばお尻の穴をふさぐことは出来ないわけで、でもそういうみっともないものが現実の身体なわけで、それを踏まえると、言える言葉は狭まる。発語できる仕方も狭まる。でも仕方ない。そこを誤魔化さず、〈ほんとかね〉の厳しい目をくぐり抜けて実現する表現を、私は見たい。

 演劇の受容のされ方が甘いんじゃないかと書いたけれど、作り手がそうさせている面もあるだろう。『プロセス』を読むために、当時の私が、自分の歩みを本のテンポへ合わせていかざるを得なかったように、観客に、対峙する筋力を求め、変容させる作品があり得ると思う。それはとても難しいことだとも、思うけれど。

 私は一体誰に向かって作品をつくってるんだろうとか、これでいいんだろうか、とか色々、しばしば心が弱ったときに頼みにしようと思って手に取ると、内容が全然理解できなくて驚き、ちゃんと読もうと集中するうち、気付けばシャンとなっている、という、お守りのような本です。

西尾佳織さん

【著者略歴】
 西尾佳織(にしお・かおり)
 作家・演出家、鳥公園主宰。1985年東京生まれ。幼少期をマレーシアで過ごす。東京大学表象文化論科にて寺山修司を、東京藝術大学大学院芸術環境創造科にて太田省吾を研究。2007年に鳥公園を結成以降、全作品の脚本・演出を担当。「正しさ」から外れながらも確かに存在するものたちに、少しトボケた角度から、柔らかな光を当てようと試みている。2011年3月、鳥の劇場(鳥取)の滞在制作で「家族アート(再演)」を上演。同年10月、「おねしょ沼の終わらない温かさについて」でF/T11公募プログラム参加。12年2月、大阪市立芸術創造館主催のコンペティション・芸創CONNECT vol.5にて、「すがれる」が優秀賞受賞。鳥公園の活動と並行し、07年~10年には劇団乞局(コツボネ)に俳優として在籍。現代美術やダンスなど、異分野の作品にも参加している。


“忘れられない1冊、伝えたい1冊 第11回” への 15 件のフィードバック

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  3. ピンバック: 悠々自適沖崎です。
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