さいたまゴールド・シアター「白鳥の歌」「楽屋」

◎劇場に根を張る巨木に
 木俣冬

さいたまゴールド・シアター公演チラシ

 劇場脇の通路を抜け階段を上がり、さいたま芸術劇場大ホールのステージ上に特設された劇空間に足を踏み入れると、左側の奥に複数の鏡とテーブルがあって、さいたまゴールド・シアターの俳優たちが座っている。そこがアクトスペースかと思ったら、違って、右側に階段上の客席が設置されていた。
 客席前のアクトスペースのつきあたりには、舞台裏を想像させる機材や小道具などの入った棚がいくつか並んでいた。
「こいつあしまった!」と老俳優ワシーリー・ワシーリイチ・スヴェトロヴィードフが上手からよろよろと登場し、チェーホフの短編戯曲「白鳥の歌」がはじまる。

 老俳優スヴェトロヴィードフは、ギリシャ劇の予言者役の衣裳という設定で、和テイストの布で作られたものを着ている。

 彼の科白によって、公演後、酒を飲んで寝てしまい、気がついたら劇場には誰もいなくなっていたことに焦っていることがわかる。老俳優の驚き、焦り、嘆きと、自身の人生を語る台詞を、6人の俳優(宇畑稔、葛西弘、高田誠治郎、髙橋清、遠山陽一)が代わる代わる出て来て演じながら、前の椅子に並んで座る。6人はそれぞれ違った動きで嘆きを見せるが、全員OVER70代なので、その身体の使い方、肌や髪の質感などが老俳優そのものだ。同じ科白を6回繰り返すことで、輪唱のような、合わせ鏡がずっと連なっているような、不思議な波動を空間に作り出した。

 お次は、老プロンプのニキータ・イワーヌイチ(ニキートゥシカ)。これまた5人の俳優(小川喬也、北澤雅章、関根敏博、竹居正武、西尾嘉十)が、プロンプの台詞を順繰りに言って出て来る。行き場がなくこっそり劇場に泊まっているというニキートゥシカは、混乱している老俳優の傍に寄り添う。

 ……あれ? ひとり足りない。スヴェトロヴィードフは6人、ニキートゥシカは5人。センターのスヴェトロヴィードフだけ、ペアになれず、ニキートゥシカがいない。これがとても気にかかるが、そのまま芝居は続く。

 スヴェトロヴィードフは68歳で病身ながら舞台に立っている。45年間もの演劇人生の中で、どれだけ舞台上で多くの観客に注目されてきたとしても、舞台を下りた途端、俳優なんて見向きもされないということを嘆く老俳優を誠実に慰めるニキートゥシカ。スヴェトロヴィードフは、もはや芝居でも人生でも出番も終わりかかっていることに気づき、夜の舞台裏のような暗黒の不安にかられている。本当は、天才的だったのに、その才能を無為にしてしまったと惜しみながら、ニキートゥシカを相手に、数々の芝居の科白を諳んじる。プーシキンの『ゴドゥノフ』『ポルタワ』、シェイクスピアの『リア王』『ハムレット』『オセロ』。もし、ものすごい名優が、これをやったなら、実にすばらしい科白術で圧倒し酔わせてくれるだろうが、スヴェトロヴィードフは喜劇役者という設定。ゴールド・シアターの俳優たちも、2006年から活動をはじめて早6年、目覚ましい研鑽の跡は見られるとはいえ、名作のタイトルロールのニンではないと思う。そこがこの舞台では、とても効いている。彼らの姿から、おそらく、これらの役を科白を暗記するほど練習しながらもついぞ演じることのなかった半生と、役を離れて舞台を下りた俳優の、むき出しの姿、その所在なさが立ち上ってくる。

 そんなスヴェトロヴィードフとニキートゥシカだが、科白を掛け合う時だけは、あんなにも生き生きと楽しそうで、実人生が終わりかけているにも関わらず、芝居をやっている限り永遠に生が続いていくような錯誤が起きる。ついには、11人のスヴェトロヴィードフとニキートゥシカは、客席ぎりぎりのところに立ち、手を広げ、グリボイェドフの『智慧の悲しみ』の一節を絶叫する時の、やるせなさといったらない。

 やがて舞台装置の壁が開き、ホンモノの真っ暗な劇場空間が現れ、静かに去っていく俳優たちを見ながら、ひとり不在のニキートゥシカのことを思った。既にこの世にいない、確かに、この劇場にいたはずの人間の、白鳥の歌が真っ暗な空間に響いたような気がして。
 当日パンフの演出家井上尊晶のあいさつに「今年7月この稽古の半ばで亡くなったゴールド・シアターの小林博さん(享年86歳)に捧げます」と記されている。
 不在ということが、この舞台では、最も美しく哀しい歌になった。

 この作品が終わると15分間の休憩があり、観客は劇場から一旦出される。その間にセット替えが行われるのだ。なんて慌ただしい。そして、いったいどんなふうに変わるのだろうと期待して戻ると、先ほど舞台と間違えた、左側の複数の鏡とテーブルがやや中央に移動していて、その前に先ほどの階段状の客席が設置されていた。

 ちなみに、会場案内係がさいたまネクスト・シアターの俳優たちだ。若い彼らが、単純に公演を手伝っているということではなく、ここからして芝居がはじまっているような奇妙な感覚に陥ってしまう。なぜなら、ファクトリーで行われる芝居が2本とも、舞台裏で起こる、俳優の実人生を描いたものだから。

 もうひとつのバックステージものは、清水邦夫の「楽屋」。「白鳥の歌」から90年後に書かれた戯曲だ。
楽屋の装置いっぱいに女優A(大串三和子、神尾冨美子、佐藤禮子、谷川美枝、田村律子、ちの弘子、都村敏子、徳納敬子、渡邉杏奴)B(石川佳代、小渕光世、滝澤多江、寺村耀子、中村絹江、林田惠子、百元夏繪、宮田道代、吉久智恵子)が立ち並び、科白を語りだす。コロスのように、ひとりひとりが短い科白を順々に語っていく。ひとりひとりの個性が際立っているにも関わらず、強く、速く、哀しく、狂おしく科白を連携していく中で、ひとつの蠢く何かのようになっていくダイナミズムを作りあげるために、俳優たちは緊張感をマックスにまで高めていることが近い客席に伝わってくる。特に、冒頭、センターにいた女優は、他の者が科白を言っている時も口を小さく動かしながら自分の番に備えていて、全身を震わせていることに心打たれたが、これが演出のうちなのかはわからない。が、一緒にするな、と怒られることを承知で書くと、それはまるで、AKB48における不器用な前田敦子がセンターに必死に立つことと同じ効果(予測不能な不安定さの魅力)を観客に与えていて、センターに彼女を配置したのは演出家の狙いなのではないかと思ったのだ。

 やがて、女優Aは上手、女優Bは下手の鏡前に座る。女優Aは洋風の衣裳、女優Bはもんぺのようなものを着ていて、二手に別れると、その違いが際立つ。ここは、チェーホフの「かもめ」を上演中の楽屋。ニーナ役の女優C(石井菖子、田内一子、益田ひろ子)が、あたふたと科白の練習などして舞台に出ていくのを尻目に、女優AとBはメイクなどしながら、Cへの愚痴や昔話などに花を咲かせる。昔の戯曲を巧みに引用しながら、軽妙なAとBのやりとりを清水邦夫が書いている。シェイクスピアの「マクベス」、三好十郎の「斬られの仙太」、チェーホフ「かもめ」の科白を諳んじる彼女たちは、演劇に情熱を注いでいるが、プロンプばかりで役に恵まれていない。「白鳥の歌」から90年、劇場の裏側では、同じような嘆きが繰り返されていた。ふたりの女優の科白を、18人で分けてやることで、かしましさが増幅する。ただ、興味深い女優の楽屋裏話と思っていると、とんでもない。

 女優D(重本惠津子)が「病気が治った」と枕を抱えてやってくるところから、楽屋の中は異次元化していく。

 Dもまたプロンプばかりやっていたが、ニーナをやらせてと女優Cに迫り、Cは血をはくほどの女優の苦しみを赤裸裸に語り出す。清水邦夫は、実際、とある劇場の楽屋の壁についたアイロンの跡を見て、この作品を思いつき、Cは清水邦夫が妻である女優・松本典子のために書いた役だというが、このCの語りが壮絶極まりない。彼女は過去から現在まで生まれては消えていく、すべての女優たちの声を背負っている。AとBは戦中、戦後に生きた女優の幽霊で、楽屋にずっと住み着いていたことがわかる。Cの苦しみは、AとBの苦しみでもあるのだ。これが冒頭の、個々が次第にひとつの巨大なうねりとなっていくコロスの姿と重なった。
 ゴールド・シアターの女優を全員出演させるために、4役のうち3役を複数で演じる方法をとっていることが、偶然、この戯曲に出てくる「すべてのよるべなき漂白びとを助けたまえ……」という科白を色濃く表出させる。一番若い女優Dを劇団最高齢86歳の重本が担当することも、芝居をリアルな日常の話から飛躍させる。これは、たった4人の女優ではなく無数の女たちの思いであり、消えていった人たちは女優たちだけでない。楽屋は、世界中で志潰え消えていった多くの人たちの魂の眠る場所である。女優Cの科白に薄々その感じを抱いていたが、今回の公演ではっきりそれが示された気がする。

 シミーズ姿になったAとBとDは、三人姉妹の「生きていかなければ……」のくだりを語りだす。腕、足、デコルテ……さらけ出された皮膚は彼女たちの生きてきた年齢の分、たくさんの感情が綾を成している。目をこらせば、そこに、彼女たちの人生だけでなく、長く長く遡った時間までが宿っているようだった。女たちの声は祈りとなって劇場を満たした。

 この2作は、87年から蜷川幸雄に師事し、長らく演出助手をつとめ、現在は演出補として蜷川演劇にはなくてはならない存在である井上尊晶の、05年「新編・吾輩は猫である」(宮本研作)以来の本格的な演出作である。ゴールド・シアターの集団性を生かした演出は、ゴールド・シアターの演技レッスンの講師や公演の演出補を務めてきた井上ならでは。70年代生まれの井上は、ゴールド・シアターの俳優たちの子供世代。ひとつの集団で共に歩んできた父や母くらいの年齢の俳優たちへの尊敬と、そっと寄り添おうとする視線を感じたが、ひとつだけ、使用楽曲は蜷川作品でよく使われているものではなく、違うものを選んでみても良かったのではないか? それともこれはゴールド・シアターの生みの親・蜷川幸雄と歩み続ける井上の矜持と覚悟の表明だろうか。

 いずれにしても、さいたまゴールド・シアターは、さいたま芸術劇場に根をしっかりと張って立ち続ける一本の巨木と、そこに絡むツタの群生のように、何やら荘厳なものになりはじめている。


【筆者略歴】
木俣 冬(きまた・ふゆ)
 フリーライター。著書に「挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ」(キネマ旬報社)、共著に「蜷川幸雄の稽古場から」(ポプラ社)、ノベライズに「マルモのおきて」「リッチマン、プアウーマン」などがある。個人ブログ「紙と波」。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kimata-fuyu/

【上演記録】
ザ・ファクトリー1
さいたまゴールド・シアター『白鳥の歌』『楽屋』
日時: 2012年10月16日(火)~26日(金)[全8回公演]
会場: 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール内特設劇場
作: アントン・チェーホフ(『白鳥の歌(カルカース) ひと幕の習作』)
清水邦夫(『楽屋 ―流れ去るものはやがてなつかしき―』)
翻訳: 松下 裕(『白鳥の歌(カルカース) ひと幕の習作』)
演出: 井上尊晶
出演: さいたまゴールド・シアター
主催・企画・製作: 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
チケットインフォメーション
料金:
一般2000円 高校生以下:1000円


“さいたまゴールド・シアター「白鳥の歌」「楽屋」” への 7 件のフィードバック

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