マレビトの会「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」

◎表面張力への一滴 ―「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」と福島―
 前田愛実

 フェスティバル・トーキョー(F/T)2012の主催プログラム、マレビトの会(代表:松田正隆)による『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』は、第一の上演と第二の上演から構成された作品である。

 第一の上演では、ある架空の劇団「パトリオット劇場」が福島で一人の盲目の観客のためにギリシャ悲劇『アンティゴネー』を上演するという物語が、ブログやツイッターなどのSNSや動画を使ってウェブ上に配信されたのだが、SNS上では、パトリオット劇場の主宰や俳優を中心とする、登場人物たちの日常や生活などが書き込まれていた。つまりこの期間、物語の中の人間たちがSNSを介して現実に紛れ、この世界に生存していた(ツイッターでいうならサザエさんbot的に)というわけだが、それらを読むことで、三カ月ほどの間オンライン上で『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』の一部が上演されていたということでもある。
 また「パトリオット劇場」をめぐる様々な「出来事」の告知もされ、地図を手掛かりにその現場に立ち会うことも可能だった。
 このような形で、第一の上演は8月から11月まで行われ、観劇を予定している観客は、あらかじめ第一の上演を見てから来場することがオススメされていた。

 第二の上演はにしすがも創造舎で行われた。校舎会場の地下と三階では荒木優光による音響作品『横断の調べ』(『~福島の海岸へ釣りに行った男~』、『~煙にまかれたジュークボックス~』からなる)が展示され、これと並行して体育館会場では第一の上演を“再現する”形で7時間におよぶパフォーマンスが行われたが、観客は会場内を自由に移動して鑑賞できた。

 あらかじめ白状しておくと、筆者はこの作品の模範的な観客ではない。
 第一の上演はブログやツイッターを前日にのぞいただけだったし、「出来事」を目撃しに現地に赴くほどの行動力もなかった。7時間という長さのパフォーマンスをずっと見るつもりもなかった。ただでさえ過密な観劇スケジュールの時期で、そもそも観劇までに多くの準備を観客に要求するということ自体、めんどくさいなあという気持ちを禁じえなかった。よって、ややテキトーな態度で臨んでみたというのが正直なところである。だからこの作品の全貌は全く理解できていない。そんな自分にレビューを書く資格はあるのか? いやない。という気がしないでもないが、それでもこの作品を部分的に体験して受けたものは、予想外に稀有なものだった。

 にしすがも創造舎の校舎では、地下と三階で音の作品が展示されていた。
 地下の『~煙にまかれたジュークボックス~』では、部屋の壁面にカセットテープがたくさん貼り付けられており、それを観客が自由に取り出してカセットデッキに入れて聞くというもの。福島の様々な場所で採取された音と写真(テープケースにおさめられている)がアーカイブ的に提示され、再構築しようとしてもしきれない風景を脳内にぎこちなく再現しようとよびかけてくるようだ。
 三階の『~福島の海岸へ釣りに行った男~』では、教室と廊下のあちこちにスピーカーが設置されたり、観客用のベンチが置かれたりして、音の風景が立体的に演出され流されている。時おり耳に入ってくる人の声からは、福島に暮らす人々の存在が感じられる。子供の泣き声と親子の会話、日常的に耳に飛び込んでくるありふれたやりとりが、すぐそばに今いるように聞こえてくるのだが、あるべきところに肉体だけはない。瞬時に失われてしまった実体の不在を実感するようでもあり、それは幽霊たちに出会ったような心地だった。

 体育館に入ると、薄暗い空間にぱらぱらと点在する柔らかいスポットライトの下に、7~8名の俳優が一人ずつたたずんでいる。光に弱い貴重品を照らすかのように、どこまでも無機質に無防備な彼らを浮かび上がらせる照明は、自然史博物館を想起させ、まるで人間が展示されているような衝撃の光景である。
 数名の観客が俳優の至近距離でパフォーマンスに聞き入ったり、遠巻きに眺めたりしているが、一瞬誰が俳優で誰が観客か分からない。ここでは第一の上演が再現されているというのだが、俳優は一人ずつスポットライトの下に配置されているから、つまりは一人芝居、せりふはすべて独白ということになる。そしてその声は極端に小さく、囁くようで、言葉を判別することはほぼ不可能だ。だからこそ観客も俳優に近づくのだが、そういった光景を見ていると、やがて俳優をとりまく観客までもが登場人物に見えてくる。そして脳内では、観客と俳優の間に漫画のふきだしのようなセリフが浮かんでくる。「大丈夫ですか?」、「いい加減にしてよね」などなど。

 そしてパフォーマンスはあっけなくも、ただそれだけだった。延々と俳優たちの演技は続いているが、電車の中や街中の待ち合わせスポットで、人待ち顔の人を観察すると見えてくること以上のことは何も起こらない。だからそこから物語を汲みとることは難しい。
 俳優は交代で休憩するのだろう、スポットがさりげなく消えると、いつの間にか観客に混じって退出し、同じようにいつのまにか登場している。とっかかりが少なく、不親切極まりないそれっぽっちに、まずは「これで3000円なの?」という気持ちが湧いた。
 しかし気をとりなおして自分も「雲雀うめ美(パトリオット劇場ではアンティゴネーを演じる)」役の俳優に近づき、声を聞き取ろうと努力してみる。そしてしばらくその囁きに集中していたら、突然、自分の意識より先に、何かを感じる暇もなくただ発作のように胸がつまり、落涙していた。
…これはなんなのか?

 通常、人が深刻な様子で告白したり泣いたりしていると、周囲にいる人間は、相手の状況に合わせて居住まいを整え、ある時は表情を装い、共感や励ましの雰囲気、あるいは反発の意を唱える空気を作り出そうとする。これは関係者、当事者のふるまいであり、観客、傍観者のそれではない。
 考えてみれば観劇とは、忘我して周囲の状況にとてつもなく無頓着になり、他人の様子を無遠慮にじろじろ見ることができる、という異様な状況である。けれどあの時私は、演劇では通常ありえないパーソナルな距離に踏み入ったことで、日常の常識的な身体感覚で、俳優の状況に協調していたのではないだろうか。つまりその瞬間、私は演者と観客という境界を越えて、雲雀うめ美/アンティゴネーに“出会った”と思うのだ。それは、私自身が当事者/登場人物にされてしまった瞬間でもあるのだろう。

「Waiting for Something」1
「Waiting for Something」2
【写真は「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」公演より。撮影= 田村友一郎© 提供=F/T12 禁無断転載】

 私の体験した『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』は、3.11が具体的に取り上げられた何かではなかった。けれど、「第二の上演」で感じた一瞬の越境は、福島へと確実につながっていたように思う。権力に抵抗し死者を弔おうとしたアンティゴネーに重ねて冷静に反芻すれば、原発を継続しようとする勢力への強い反発、母国を放射能で汚染した施政者に対する恨みが一滴、涙としてふいに飛び出たものだったのだろう。けれど震災以降胸のうちにとどこおっている感情は、このように冷静に明文化できるものではない。だからこその、発作的なリアクションだったのかもしれない。
 そして、そこで瞬時に湧いたものは、今まで観劇を通して体験したことのある感動の涙ではなく、自分自身にふりかかってきたものを払うために絞り出すのと同様の、せっぱつまった、我がことの涙だった。表面張力状態の水面に落ちる一滴のような衝撃で、震源へと連れ去られたような気がする。あのように、さらわれるようにあちら側に取り込まれた経験はない。
 もしかしたら事の中心にいる被災者と傍観者の間にある境界も、現在の日本では、一滴と同じくらいかすかなものなのかもしれない。

【筆者略歴】
前田愛実(まえだ・まなみ)
 英国ランカスター大学演劇学科修士課程修了。早稲田大学演劇博物館助手を経て、現在はたまに踊る演劇ライターとして、小劇場などの現代演劇とコンテンポラリーダンスを中心に雑誌やwebなどに執筆。ダンス企画おやつテーブルを主宰し、20代~60代の階段状、歳の差メンバーたちと活動。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/maeda-manami/

【上演記録】
マレビトの会『アンティゴネーへの旅の記録とその上演

プロジェクト・メンバー
アイダミツル、荒木優光、生実 慧、牛尾千聖、桐澤千晶、児玉絵梨奈、駒田大輔、島 崇、新保奈未、武田 暁、中本章太、中山佐代、西山真来、藤原佳奈、藤原康弘、松田正隆、三宅一平、森 真理子、山口春美、吉田雄一郎 ほか

舞台監督:寅川英司+鴉屋、田中 翼
製作:マレビトの会
共同製作:フェスティバル/トーキョー
助成:芸術文化振興基金、公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団
主催:フェスティバル/トーキョー、マレビトの会 プログラムトップ

料金 : 一般 前売 3,000円(当日 +500円)
学生 3,000円、高校生以下 1,000円(前売・当日共通)

「マレビトの会「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」」への5件のフィードバック

  1. ピンバック: marebito_no_kai
  2. ピンバック: 森 真理子
  3. ピンバック: marebito_no_kai
  4. ピンバック: 水牛健太郎
  5. ピンバック: Yuya

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