イプセンフェスティバル2012

◎イプセンフェスティバル2012に参加して-オスロレポート
 矢野靖人

【写真は、カフェ壁面の片隅にたたずむイプセン。撮影=筆者
禁無断転載】

 2012年、8月の終わりから9月初めにかけて約三週間、ノルウェーで隔年開催されているイプセンフェスティバル(注1)に参加して来ました。ブログに旅日記を記載していたので、それを元に簡単にレポートをまとめたいと思います。

 ここ数年、私が代表を務めるshelfではイプセン戯曲にこだわって繰り返し上演していて、その都度大使館から後援して頂いていたので、そのご縁もあってか若手演出家育成プログラムのような企画で渡航費を出して頂きました。

 ちなみに、大使館からは渡航費以外にも様々な配慮を頂きました。スタッフパスを頂いたので、全作品が無料で観劇できたことや、交渉すればリハも見せてもらえたこと。関係者向けの食堂であるカンティーナ(格安!)や、フェスティバル・バーが出入り自由だったことなどです。フェスティバル・バーでは、スタッフがドリンクチケットを持っていて、適宜便宜を図ってくれました。ノルウェーは物価が高いので(消費税が12~24%)とても助かりました。

 滞在中に観た作品はワーク・イン・プログレス作品やインスタレーション作品を含めて14作品。ノルウェーのナショナルシアター制作の作品数本の他に、ドイツから来た「人形の家」(by THEATER BERHAOUSEN)、ベルギーから来た「人形の家」(by TG STAN)オーストラリアから来た「野がも」( by BELVOIR STREET THEATRE)、オープニングを飾ったリミニ・プロトコルの新作「AN ENEMY OF THE PEOPLE IN OSLO」などなど、非常に多彩なラインナップでした。

フェスティバルスタッフ/ゲストパス
【写真は、フェスティバルスタッフ/ゲストパスと(下)、
現地スタッフに貰ったドリンク・フードチケット(上)撮影=筆者 禁無断転載】

 その他、新進の劇作家のドラマ・リーディングや、イプセンと直接関係ない若手作家の新作発表もありました。

 そう、特筆すべきは、イプセンアワードです。寡聞にして知らなかったのですが、ヨーロッパで最も権威のあるアワードのひとつなのだそう。今年(2012年)のイプセンアワードの受賞者は、Heiner Goebbelsというドイツ人でした。そのハイナー・ゲッべルスの作品も観ることが出来ました。

 彼はもともと現代音楽畑の人で、二作品、彼の代表作を今回のフェスティバルで観ましたが、ポストモダンというか、ポスト・ドラマというか…個人的には、え、これ演劇? という感じで、どちらかというと好きなタイプの舞台ではなかったのですが、(というのも僕は個人的には、テクノロジーやコンセプトに依拠した作品でなく、生粋の俳優芸術=人間が見たい方なので、)それでも、凄く刺激的な舞台でした。

 なにしろ一作品は、映像+音楽(弦楽四重奏)中心の一人芝居、もう一作品は、出演者すらいない機械仕掛けの巨大な舞台芸術(インスタレーション)だったので、そもそも舞台芸術とは何か? という根本的な問いを突き付けられました。そういった意味で、舞台芸術における既成概念の枠を広げるような仕事が、評価されたのでしょう。

 聞くところによると彼はもう演出という言葉では括れないくらいクロスオーバーな仕事をしている人らしく、これは現地コーディネイターのIdaに教えてもらったのですが、肩書きだけでも劇場向け作品の創作者、劇場監督、作曲家、音楽家、教師、フェスティバル・プログラマー…と実に多彩。クレイジーな人もいたもんです。通常、演出家のクレジットは、演出という意味で、”Regi” となっているんですが、彼の作品はただ、”of”のような意味で、”Av”と書かれていました。カテゴライズ不能なのですね。

 イプセンアワードは、そもそもイプセンの業績に匹敵するような、舞台芸術の世界に変革をもたらした人物に贈られる賞で、これまでの受賞者はピーター・ブルック(Peter Brook)、アリアーヌ・ムヌーシュキン(Ariane Mnouchkine)、ヨン・フォッセ(Jon Fosse)の各氏だけだそうです。

このようにして、滞在中は、後述するようなリアリズムで映像的な演劇作品から、象徴主義的な演劇、ポストモダンアートといっていいくらいの前衛的な舞台芸術など、非常に多岐にわたる作品を観劇することが出来ました。

イプセンの書斎
【写真は、復元されたイプセンの書斎。許可をもらってガラス越しにパチリ。
撮影=筆者 禁無断転載】

すべてを紹介するのは難しいので、今も記憶に残っている作品をいくつか。

■Rimini Protokoll “AN ENEMY OF THE PEOPLE IN OSLO”

 最初に観た作品がフェスのオープニング作品である、日本でもおなじみのリミニ・プロトコルの新作「AN ENEMY OF THE PEOPLE IN OSLO」。ちょっと市民参加型のプロダクションなのかな? という感じもしましたけど、非常にコンセプチュアルで、またダイレクトに政治的な作品で、とても刺激的でした。

 全編ノルウェー語(ブークモール)で字幕なし。英語の同時通訳が、ヘッドセットで一応聞けるのですが、自分の英語力では、実質3割くらいしか聞きとれず。なにしろライブで、即興的なセリフを訳しているから、通訳もなかなか追いつかず。出演者同士でマイクの奪い合いもあるので、誰が何を喋っているのか、通訳も追っ掛け切れてなかったんじゃないのかな。それくらい、ライブなパフォーマンスでした。

 舞台上で繰り広げられるのは、統計的に割り出されたオスロ市民を代表する比率の、100人のオスロ市民(!)の問いと答え。これが男女比は勿論、世代の比率、在住の人種の比率、それも近年増加傾向にあるというたくさんの移民を含むものだから、それらの人々が様々な問いに答えながら舞台上を移動するだけでけっこうなスペクタクルでした。

 “AN ENEMY OF THE PEOPLE IN OSLO”とあるけど、イプセンのオリジナルの「人民の敵」ではぜんぜんなかったかな。というか筋らしい筋はほとんどなかったし。

 でも、これが面白かった。

 問いは、例えば「人民の敵」のストックマン博士を初めとした主要な登場人物と自分が似ていると思うかどうか、とか、同じような孤立した状況に置かれたら、一人でも正義を求めて同様の行動をとれるか。などから、そもそも自分たちはオスロ市民の代表であると思うか? とか、前回の選挙には行ったか? とか、移民をこれ以上受け入れるべきかどうか? とか、あるいはイエス/ノーで答えられる質問だけじゃなく、月収はいくらかとか、子供は何人いるか? などといった国内の問題から、テロに関する質問、世界の食糧問題に関するようなポリティカルでグローバルな問題まで、問いと答えの言葉の応酬が実に素晴らしかった。しかも答え次第で、舞台上で群衆の行動としてビジュアルに、エリア別に分れる。それが、2時間に渡ってたたみ掛けられるように続いていく。最後には観客席の照明をつけて、観客との問の応酬があったり。また舞台は回り舞台で、100人の出演者たちが、問に答えている間にも、舞台が回ってしまうので、もう通訳もしっちゃかめっちゃか、当然僕もついていけなかったけど、客席からは終始拍手や笑い声が聞こえていました。市民と劇場の関係がダイレクトに身体に伝わってきて、とても刺激的でした。

 とにかく映像処理といい、コロスの処理といい、プロットの配置といい実に巧みな演出でした。しかも題材もパフォーマンスもポリティカルでダイレクト。

古典戯曲を主題材にしながら、古典を再現する、のレベルに留まるのではなくコンテンポラリーでアクチュアルである作品に仕立て上げること。そのことについて、じっくりと考えさせられた作品でした。初日、一作品目から大満足でした。

 しかしこれは、フェスティバル全体を通しての感想なのですが、彼の国ではイプセンが依然としてアクチュアルで在り続けている。聞くところによれば、いまだいちばん世界で上演されているのはシェイクスピアで、その次に上演されているのはイプセンだとか。日本などでは、50年もすれば骨董品扱いされてしまう戯曲が多いなか、これは驚異的なことだと思いました。翻訳の問題なのかもしれませんが、古典戯曲と聞くとつい、埃をかぶってカビの生えているようなイメージが付きまとう。これは彼我の教育の違いなのか。ヨーロッパの国のように、自国の古典文学をきちんと教えているか否かの問題なのか。

 あるいは、これもよくいわれることですが、そしてこれこそが先の問いの答えなのかもしれませんが、そもそも社会における現代演劇の、あるいは文化の在り方自体が、ぜんぜん違うのですね。例えばフェスのオープニングセレモニーでは外務大臣がスピーチをしていたし、テープカットは王族の方でした。現代芸術というものの捉え方が、日本とはぜんぜん違うのかもしれません。

イプセンも立ち寄ったという「グランド・カフェ」
【写真は、イプセンも立ち寄ったという「グランド・カフェ」。壁面にはイプセンの画像も。撮影=筆者 禁無断転載】

 僕が出会って友人になったノルウェー人たちのライフ・ワークバランスは本当に見習いたくなるものばかりでした。みんな働くことがすごく楽しそうで、だけどプライベートの時間も確実に確保している。

 国土もそうだけど、何より街が適度に小さくて、そして人口の少なさ(首都オスロ市の人口は約58万人。世田谷区が約83万人)も相まって、政治や文化が凄く身近にあるんですね。生活の中にある。何より自分たちの国を自分たちで運営しているんだ、というムードがあって、それをとても羨ましく思いました。北海油田を持っている、ということもあるのかもしれませんが、何よりも経済の発展ではなく、如何に人が豊かな生活をおくれるようにするか、ということのために、全政治力が傾注されている、という印象を持ちました。

イプセンの詩や戯曲のテキストが書かれているストリート
【写真は、イプセンの詩や戯曲からの言葉が書かれているストリート。
撮影=筆者 禁無断転載】

■“THE WILD DUCK” by BELVOIR STREET THEATRE (AUSTRALIA)

 邦題にするとイプセンの「野がも」ですが、舞台は完全に現代に置き換えられていました。置き換えというか、大筋は原作を読んでいれば追える程度に残しながら、ぜんぜん違う話になっていました。

 全面ガラス張りのスクエアに仕切られた空間が舞台で、二面方向に客席が仮設。

 俳優のセリフは全部、俳優が装着しているヘッドセットのマイクを使ってスピーカーごしに流され、1シーンが長くて10分、短いと1分位で次々と暗転を挟んで場転を繰り返すのだけど、舞台全部がクリアに見えるときとほんの片隅しかライトアップされないときとのバランスがとても気持ち良くて、しかもその暗転もぜんぜん速くて、意味深じゃなくて、

 ああ。そうか。これはきっとテレビCMに慣らされた現代人の感覚なんだな。と、途中で、気づきました。それにフィットする時間感覚を、演出が綿密に計算していたのでしょう。とにかく芝居運びがとても心地よい、リズム感溢れる舞台でした。

 パソコンや携帯電話やタクシーが出て来たり、原作にないシーンがラストに付け加えられたりしていて、そのシーンだけ、ガラス箱の外で演じられていました。他の観客に聞いてみたら、最後のシーンは一家の一人娘、ヘドヴィグの死後、一年後の1シーンで、それもオリジナルテキストにはありません。

 ともかくディテールしか書けないのが情けないのだけど、まるきり違う話になっていました。が、観客は芝居が終わった瞬間にオールスタンディングオベーション。僕も思わず立ち上がってしまった。

■ARCHIV 1,336-1,337

 洗練された、映像美のような演出に心を奪われたBELVOIR STREET THEATREの「野がも」と同様、大きな衝撃を受けた作品をイプセン以外から一つ。

 情報を、本当に直前に知らされたから、余計にショックだったのだけど、とにかく俳優が一人、忽然と消えたのです。このフェスティバルに参加する直前に。8月に。エチオピアを出国する前に。

 観劇後、エグゼクティブプロデューサーのハンナに尋ねると、おそらくunder arrest なのだ。He is in prison. という。なぜなら演劇をやっていたからだ、と。

 ソロパフォーマンスになった女優の演技はもう一人の俳優の不在を補って余りあるほどにパワフルで、それでいてとってもキュートでファニーだったのですが、それがゆえに、もう一人の俳優の不在を物凄く感じさせる舞台でした。

 きっとオスロに着いてから完全に作り直したんだと思います。まさに“ドキュメンタリー”演劇でした。過去のパフォーマンスの記録映像を巧みに使って、もう一人の出演者の不在を浮き彫りにし。半分のパートは彼女が演じて、居なくなった彼が演じる芝居の部分は無音で。

 パフォーマンスは虚実入り乱れて、もとからストーリーらしいストーリーのない、ポストモダンな作りをしていたのですが、感想は? と聞かれたら、面白かったとは、いや、猛然と面白かったんだけど、面白かったとは軽々に言えないものを観てしまった。という感じです。とにかくショックでした。

 他の作品は、これは僕の感覚なのですが、ナショナルシアター制作の新作等、ノルウェーで制作される演劇公演は、ずいぶん現代ドイツの演劇に影響を受けているな、というのが素朴な感想でした。先述のハイナー・ゲッべルスの作品も(一人芝居の方)も、四重楽団は(確か)オーストリアから来ていて、俳優はフランス人、演出家はドイツ人というくらいだから、国際交流というか、国際協働作品が実に多かったことが印象に残りました。といってもそれも日本やアジアでやるような堅苦しい感じのする交流が目的の企画ではなく、地続きで、文脈を共有し、共同制作を、その必要性を感じて、しかしごく当たり前に行っている。

■VILLANDEN by NATIONALTHEATRET

 ナショナルシアターも、そのうち一本(VILLANDEN)は、スウェーデン人を演出に招聘して制作していました。でもってまたこれも凄く面白かったです。年齢は忘れましたが、Webで調べたら、演出家のAnders Paulinは演出だけじゃなくドラマトゥルクもやるフリーランスの演劇人らしい。スウェーデンは、ストックホルム在住とのこと。超ポストモダン演劇で、いや凄い。ぜんぜんわかんなかったです! オリジナルの「野がも」のテキストを扱ってはいるんだけど、役は固定してないし(というか後述するような構成なので役を固定出来ない。)俳優が発語する言葉も、どんどん、いわゆる“役”のセリフからそれを俯瞰した「語り」へと、入れ替わり立ち替わり表れるし、オリジナルのテキストに加えてデリダ、ドゥルーズなど哲学者のエッセイの引用は差し挟まれるし、みんな歌うし、カフカの短編(そもそも最初のシーンがカフカの「掟の門」の全文引用だった!)や、果ては「マトリックス」(!)や「エスケープ・フロム・ニューヨーク」などの映画のセリフまでが引用される。しかも英語字幕はあっても上記のような哲学者の言葉で難しいし、最後、完全暗転になってしばらく上演が続くのだけど、そのときには字幕も、ノルウェー語で喋っているのに(完全暗転だから)消されるし…。

 ハイパーテクスチュアルというか、インターテクスチュアルというか、ぜんぜん分からなかった。それでも観られて良かった。すごく知的な刺激を受けました。分かんなかった、というか難しかったのは、つまり、しかし演劇ってやっぱり本質的に言葉に依拠した芸術だなということ。つまり、刺激的だったのは、もし自分が英語がもっと堪能で、ノルウェー語も分ったらどれだけの興奮を味わえただろうか、ってことなのですが、

そもそも前提として、「分らない」って、ホント面白いことなんですよね。自ら足を踏み入れたことのない世界にこわごわ踏み入れる。すると当然、今まで見たことがない景色が目の前に広がる。もちろん、一歩踏み出した先が崖で、そこから真っ逆さまってこともあり得るかもしれないけれど、だからこんなに怖いことはないのだけど、こんなにスリリングな体験もなかなか出来ない。その点は、観客よりも作り手のほうが実感持って共感して貰えるかもしれない。

観客はウケてたなあ。反応がいいというか、歌っているシーンでは拍手も起きていたし。

とまれ、イプセンフェスティバル、何年後になるか分かりませんが、次は自作を持って参加したいと心から思いました。芸術が文字通り“生きて”いる街オスロ。政治が手の届く距離にある街。無い物ねだりをしてもしようがないのですが、では、翻って日本で、この国で僕らはどう生きていけばいいのか。そのことについて、非常に考えさせられた三週間でした。

注1)1990年に、当時国立劇場のディレクターだったStein Wingeが、隔年の8~9月に開催されるイプセンフェスティバルを創設しました。国立劇場は最新のイプセン劇の舞台を公開するとともに、過去2年間に海外で上演されたトップレベルのイプセン劇を招聘しています。イプセンフェスティバルはContemporary Theatre Festivalと交互に開催され、独自の作品のほか、ゲストを招いて制作した現代劇を発表しています。初回は2001年に開催されました。2003年は資金不足により中止されましたが、2005年にノルウェーの別の国立劇場、Det Norske Teatretの協力を得て再開されました。
(在日ノルウェー大使館公式サイトから >>

▽イプセンフェスティバル2012公式サイト(英語ページ) >>
 

イプセンの墓で記念撮影
【写真は、町はずれの記念墓地にあるイプセンの墓で記念撮影。
ほかにもムンクの墓などがあった。提供=筆者 禁無断転載】

【筆者略歴】
矢野靖人(やの・やすひと)
 演出家・プロデューサー。演劇ワークショップファシリテータ。1975年名古屋市生まれ。Theatre Company shelf代表。代表作に『R.U.R. a second presentation』(作/カレル・チャペック)、『構成・イプセン ─ Composition / Ibsen』(作/ヘンリク・イプセン)、『悲劇、断章 ― Fragment / Greek Tragedy』(作/エウリピデス)、長久手文化の家×三重県文化会館合同プロデュース「三島ル。」(作/三島由紀夫 より「班女」「弱法師」)等。日本演出者協会会員、(財)舞台芸術財団演劇人会議会員。


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