東京デスロック「東京ノート」

◎あのとき劇場は満員電車に似ていたかもしれない
  イチゲキ 座談会「『東京ノート』を考える会」

「東京ノート」公演チラシ
「東京ノート」公演チラシ

 東京デスロック(主宰・多田淳之介)が今年1月、4年ぶりの東京公演をこまばアゴラ劇場で行いました。取り上げたのは、平田オリザの岸田國士戯曲賞受賞作「東京ノート」。青年団が平田演出でたびたび上演してきた代表作です。今回の多田演出では、観客が会場を自由に動き回れるようになっていました。そのため、どこにいてどのように時間を過ごしたかによって印象が大きく変わったようです。その変化を確かめようと、この公演を見た6人に体験を交えて話してもらいました。参加者は、観客同士が話をする場を共有しようと活動している「イチゲキ」のメンバーです。進行役の廣澤梓はイチゲキの中心メンバーの一人。今年1月からワンダーランド編集部に加わりました。参加者の略歴は末尾に掲載しました。オブサーバーとしてワンダーランド編集長の水牛健太郎が参加しています。(編集部)

廣澤:私が気になるのは、初めて東京デスロックを見た人がどう思ったのかな、ということです。初見の薬丸さん、垣谷さん、宗像さんの3名からまずお話を聞きたいです。
薬丸:僕は青年団の『東京ノート』は見てなくて、青年団はちょっとだけ見たことがあるけれどほぼ素人で、デスロック版は戯曲を読んだ上で見ました。戯曲には舞台装置も示されてあるじゃないですか。でも想像していたのと違った。デスロック版は観客席が存在していなくて、白いもこもこが敷いてある部屋にいくのだけど、そこにあるベンチの配置が戯曲通りになっていることに気付くのにちょっとかかりました。
水牛:もこもこというのは?
薬丸:劇場全体が舞台の上のようになっていて、その表面が全部白いファーで覆われている状態。で、劇場に入ると壁3面にスクリーンが設置されていて、そこにお好きなところにお座りくださいの表示がある。じゃあどこに座ろうか、ということをまず考えました。
垣谷:どこに座るんだろう、誰も説明してくれないの? と最初に思いました。役者っぽい人も壁にもたれかかったりして、そこにいるのに。すると、何人かが床に座り始めたんですよ。僕は最初に見たときにスーツを着ていたんですけど、ファーの毛が付くのが嫌だな、と。ベンチに座ってもいいんだろうけど、それは気恥ずかしいな、と。青年団版のDVDを見ていたので、ベンチに俳優が来てそこで芝居をするだろうということは分かってました。邪魔をしてはいけないと思ったけれど、他の人が座り始めたので、問題無さそうな端に座りました。
宗像:僕は前情報をまるで知らず、全く見たのが全く初めてだったので、ここで演劇始まるの? と思いました。何が始まるのか分からなくて不安でした。
廣澤:そうやって観客も俳優も同じスペースに押し込められていて、その中から俳優が立ち上がり発言を始めるわけですけど、宗像さんは誰が俳優かもわからなかったんですよね?
宗像:全然わからない。全く俳優の顔とか見たことなかったし。
大崎:ぼくは劇場に入ったときに、ベンチに座ってる人が役者だと思った。すごく綺麗な人が座ってたので。
垣谷:初日はベンチにスーツ族ばっかりだったんですよ。でも、感想のツイートを見たときに、石原慎太郎みたいなひとばかりがベンチを独占、と書いてあって、愕然としちゃって。だからもうベンチには座らないでおこう、スーツも着て来ないでおこうと思いました。(笑)

東京ノート2
【写真は、「東京ノート」公演から。撮影=石川夕子 提供=東京デスロック 禁無断転載】

■イントロダクションについて
斉藤:俳優は最初に東京に住んだときの印象、どういうことが嫌だったとか、電車に乗ったときにどうだったとか言う話をそれぞれ同時多発的に話しながら、劇場内をぐるぐる回るんですよね。
斉島:確か、そのとき出身地はどこですか? という質問が英語字幕でスクリーンに出たはず。字幕とともに、劇場内のライブであろう映像が映されてた。俳優は字幕の質問に答える形で喋り始める。
薬丸:更に入口側の壁の高いところには鏡があって、下に傾いて設置してあるので、観客がいるフロア全体が見渡せるようになっている。そこを見れば劇場内での死角がちょっと減るようになってた。
垣谷:背中しか見えない俳優の顔が鏡越しに見えたりするんですよね。
廣澤:でも、私はそうやってモニターや鏡を使って見たりはしなかったです。見たいものがあれば動いて見に行ってたし。映像も何かを確認するには不鮮明だったし、鏡も波打って像が湾曲してたから。そういうことを言ってるツイートを見て、後からそういう風に使えるって知ったという。
垣谷:ぼくも最初はスクリーンを見逃しました。ベンチに座ってる人は近くにやってきた役者を直接見てしまうので、スクリーンを見落としがち。壁に近い人なら見れる。
久保:鏡は見られているということを意識させる道具だったな。その役者がぐるぐる歩くシーンのあとに、タイムワープしてチーンみたいに演出の多田淳之介さんが登場するんですよね。
廣澤:映し出される「2013」の文字がカウントアップしていって「2024」で止まる。観客に2024年の東京の美術館へようこそ、みたいなことを言うんですよね。観客は2013年からやってきたという設定。
垣谷:この多田さんが登場するところ、初日にはなかったんですよ。私は初日どうしていいのか分からなくて、でも動いてはいけないと思ってじっとしていました。2日目に観客は自由に動いていいですよって説明してもらえた。そう言うことによってかえって動くように観客に強制がはたらくというツイートも見たけれど、私にとってはよかったです。1日目の体験は辛かったので。
薬丸:その話で言うと、さっきの出身地はどこですか、という質問には答えなきゃいけないのかな?と思った。あれに観客が答えだしたらどうなったんだろう。
廣澤:あれは答えなきゃいけないんじゃないか、と迷うことを想定してますよね。質問が表示された後、何も起こらない奇妙な間が居心地悪かった。あ、ちなみに垣谷さんは今回6回見ているそうなんですが、(一同ざわめく)質問に答える人はいなかったですか?
垣谷:6回とも無かったです。
廣澤:でも、意外と切り上げるのが早かったという印象。デスロックは以前『リハビリテーション』という作品で、レッツダンスみたいな字幕を出した後に、観客が踊りだすかださないかを迷わせるというのをやってたけれど、そのときはもっと長く感じました。
久保:俳優が出身地答える列に混ざりたかったな、と。適当なこと言って、ぼくは大阪出身で、とか。でも、やったら怒られるかな、と思ってやらなかった。
薬丸:混ざっても、あの直後に導入部分が終わってシーンが区切れてるから、どうにかなるようにはなってるよね。
水牛:でも、たぶん日本人としてはそれに答える人はかなり珍しいですよね。外国ならそれに答える人もいるでしょうけど。日本人を相手にやっているからには、まず答えないだろうということを計算していると思うんです。
廣澤:さっきの『リハビリテーション』のレッツダンスで外国人1人だけが立ち上がったのを見ました。確かにここで観客が喋り出すことはなかったのだけど、私はこのシーンによって初めて他の観客が見られるようになったな、と。隣に座っていた俳優が自分はこういう人間で、と言い始めたことで、発言しない隣の観客にも出身地があって、東京に来たときにいろいろ思ったであろう人として感じられるようになったと思いました。

■戯曲「東京ノート」上演パート
廣澤:多田さんのシーンのあとに始まるのがいよいよ『東京ノート』の上演なのですが、斉藤さんは青年団の『東京ノート』見てるんですよね。
斉藤:東京都美術館で見ました。物語の舞台になっている美術館のロビーを実際に使った上演で、そこにもベンチが置いてあって、観客はその周りをぐるっと取り囲んでいるという。(久保に)あのとき確か一緒にいたよね。
久保:いたいた。あと誰かもう一人いた。……(福田)夏樹さんだ!
廣澤:実は彼はこの会に来たくて、でも来れないからってメールで座談会どういう風にやろうか、と相談してたんですけど、彼曰く劇場の端と端に立って、観客を挟んで2人の役者が大きな声で叫ぶなんて無かったと言ってるんですよ。サン=テグジュペリの話をするカップル(石田、須田)のシーン。
久保:台詞はほとんど一緒で、変えてないはず。だけど、見せ方とか声の強弱とか身体の動きとかが違う。
垣谷:でも若干ですが戯曲と違いました。というのは3回目見たときに、戯曲集の第1版を持って行って、読みながら見てたから。そのときは、サングラスしてワークキャップ被って柄の靴下はいて。橋爪を演じる佐藤誠さんが腕を振り上げながら「戦争はんたーい。」と言うシーンで私もそれをやろうと思って。
久保:衣装だ(笑)
廣澤:なんてアクティブな観客……
垣谷:だけど演出が変わっちゃったんですよね。台詞は変わってないけれど、前は立ち上がってベンチのすぐ際で言ってたのが、ベンチから離れたところで片膝をついて言うようになって。そこでやったら変かな、と思ってやらなかった。
廣澤:なんでそこまでできたんですか?
垣谷:参加できるならしたいな、と。最初、石原慎太郎だと言われたから挽回したいな、と思って。
廣澤:石原慎太郎みたいだと言われたことで、演じて場に登場できると分かったということですか?
垣谷:それもありました。二度とスーツは着ないと思ってたけど、4回目に見たときに仕方なくスーツで行ったら、今度はスーツの人が全然いなくて。逆に一人ぐらいいてもいいかと思って、ベンチに座った。観客が他の観客を見てることを意識して。
薬丸:それで言うと、ぼくはベンチに座っていられる神経がわからない。
斉藤:あーわかる。役者が来て、邪魔だからどきなよーと思う瞬間があった。
薬丸:だって、自分越しに演技を見ている人がいることはすごく意識するじゃないですか。自分の体が障害になって、他のお客さんが右とか左とかに動いて、どうにか演技が見れるようにしてるのが分かるわけでしょ。よく座ってられるなーと。
斉島:逆に舞台装置になりきらなきゃやりようがないと思ったんじゃないの? 自分が動いたら演技の邪魔になるからだと思ったんですけど。
垣谷:最後のにらめっこのシーンが間近で見れるなら、と思って座ることを決心したということもありました。
廣澤:リピーターってたくさんいたんですかね?
垣谷:前売りは完売してたけど、2日目のアフタートークで当日券で来た人をどんどん入れると言っていて。
大崎:いや、ぼくはあれは入れ過ぎだと思ったんですよね。あれだけ入れると動けない。動いてください、どこからでも見てくださいと言われても、なかなか動けない。
薬丸:にしても、なんで観客はあんなに目の前で起こっている出来事に協力しないんですかね? 少なくとも、あのベンチが相当使われるということは分かるわけで、そこにみんなが座ったら芝居する余地がないじゃないですか。
垣谷:でもそれは多田さんがOKしているわけですよね。
廣澤:一旦ベンチに座ったら、立ち上がらないものですか?
垣谷:立ち上がらない。恥ずかしいから。
久保:ぼくもベンチには普通に座って、て言ったら怒られるかな。でも、次にどこに座るか分からないから、近くに俳優が座る度に、こっち来るのか、と満員電車に座るみたいに避けたりして。
廣澤:そこで席を離れるってことは考えなかったですか?
久保:役者の演技に併せて、自分が大きな動きをしてしまうというのはちょっと……一回座ったら動けなかったですね。
大崎:自由に動いてもいいってことは、役者みたいに振る舞うってこともあると思うんですけれど、見にくかったら動いていいってことでもあったと思うんですよ。
久保:見にくくて動いたって人はいますか?
斉藤:見にくくてって言うか、角度を変えたらどう違って見えるのかを検証したって感じ。
薬丸:ぼくは座るときに、思いっきり正面をとった。戯曲から正面だろうなというのが分かっていたから。その場で立ったり座ったりはしていたけれど。
垣谷:入って右隅がベストポジションというツイートを見て、そんなはずは、とそのときは思ったけれど、最終日に思いがけずそこで見たらすごかった。またベンチに座っているとにらめっこのシーンでは、普通に見ると首を降らなければ見えないところ、鏡を使うとちょうど二人の顔を同時に見ることができた。それぞれの場所で、それぞれのシーンの見え方があるというか。
廣澤:どこからどのように見てもいい、見る人の位置次第で、無限にそういう点があるってことだったんじゃないですかね。

■観客の見る/見られる体験
廣澤:壁際のちょうど自分が立っていたところに、由美さんを演じる松田弘子さんがやってきて、間近で芝居を、しかもすごくいいシーンを始めてしまったということがあって。観客が皆こっち見てるっていう。宗像さん、ちょうど同じ回見てるから、ニヤニヤしてるんだと思うんですけど。(笑)
斉島:裕二は子供の頃角(かど)が苦手で、みたいなくだりのシーン。
大崎:同じシーンでちょうど足元にいて見上げてたんだけれど。そのときは観客の視線が来るのは意識しました。
廣澤:そういえば、由美さんと好恵さんが『星の王子さま』の話をするシーンで、目の前に座ってた男性の観客のところに、余所で見てた彼女らしき人がひょいと戻ってきて、ぎゅって感じで接近して座って。いいなーと思いながら、俳優そっちのけで彼らのことを見てた。
薬丸:ぼくは観客ばっかり見てて、『東京ノート』の内容は全然頭に入って来なかった。俳優の演技に対して観客がどう動くかってことばかり見てた気がする。ぼくは本編始まる前の俳優がぐるぐる回ってるときに、左隣にいる流れを止めている人に違和感を感じていて。というのが最初にあったから、その後も観客ばっかり気になるようになった。
大崎:ぼくはその観客だったかも。僕の体で流れを変えたい。どう役者は動くんだろう、と。
薬丸:でも、その人は本当に無神経な人だと思う。その後寝てたりしてたから。あと、すごい暇そうにしてた子どももいた。そういう人ばっかり見てた。物語に関しては一旦読んだ『東京ノート』の記憶を呼び起こしながら、何が起きているかを理解する感じ。目の前の出来事から印象を受けるんじゃなくて。
廣澤:私は観劇後に戯曲を読んだんですけど、あ、こんなことが行われてたんだーと思って。全然その場では何が起きたのか分からなかった。
斉島:話は追いかけてなかったです。というよりも、観客の動きが面白かった。椅子とりゲームみたいになっていて、ちょっと空いたスペースがあると必ず別の誰かがそこに行く。動いてみたい欲求がある人たちがいて、同じ人たちがぐるぐるしていた。
薬丸:確かに中でやられている『東京ノート』自体には意識がいかないんだよなー。戯曲自体を面白くやったとは思わない。
久保:ストーリーを増幅する装置として演出を使っていないですよね。
水牛:ということはこの上演において、戯曲は『東京ノート』でなくても良かったんでしょうか?
久保:『東京ノート』だったからよかったと思っていて。面白いなと思ったのは、青年団版は映画『東京物語』と比較しながら見ていて、視線の不一致とかを考えながら見てたんですけれど、デスロック版を見たときは青年団版と比較してました。カメラ・オブスクーラの話が出てくるんですけど、この戯曲の主題の「見る」を意識させる。今回の上演はどこで見てもいいと言われていて、またあなたも見られてますよ、といった状態になる。これについては青年団版よりもデスロック版についてのほうが強く意識させられた。その点で『東京ノート』じゃなきゃいけなかったな、と。
斉藤:なんで『東京ノート』だったのかを考えたときに、私はデスロック版については戯曲によって分断されているような印象なんですよね。戯曲の上演については(平田)オリザさんの書いたものに忠実なんですけれど、その前後の部分と『東京ノート』との繋がりが弱い気がして。だったら別の作品にしても良かったのではないかと。
宗像:『東京物語』って、映画の?
薬丸:『東京ノート』は小津安二郎の『東京物語』を意識して書かれたと、オリザさん自身が言ってるんですよ。
廣澤:物語としても、東京に地方から人がやってくるというのは一緒だよね。
薬丸:でも、『東京物語』が東京を描いているわけではないと思うんだよね。
斉藤:東京観光をする老夫婦の話ですよね。
廣澤:でも、余所から人が集まってくる場所としての東京っていうのはありますよね。
薬丸:『東京物語』は老夫婦のロードムービーなので、行く場所はどこでもよかった。東京の特性については描いてないと理解してるけどね。
久保:家族を描いた物語っていう点では一致してる。
薬丸:ぼくは『東京物語』から『東京ノート』に援用されているのは、そこじゃなくて視線の問題だと思ってる。映像の作法として、誰と誰が話しているかわかりやすくするために視線をばっちり合わせるというのがあるのだけれども、『東京物語』で有名なのは、登場人物たちの視線が交わっていなくて、これが小津独特の演出であるとよく言われる。でも、観客からしてみればそんなに違和感がない。というのは、そもそも我々は普段視線を合わせて喋らないから。この日本人は視線を合わせてないのが自然だねというのを、デスロック版はすごくうまくやっていたと思う。
廣澤:だいぶわからなくなってきた。(笑)
薬丸:例えば満員電車とかだと、周りの人をいないものとするじゃないですか?都会に住んでると、なんとなく隣と視線を合わせないといったことに通じていると思う。
久保:観客を意識的にシャットアウトしている。
薬丸:観客は話の筋を理解するために、他の観客をいないことにする。そして役者も観客がさもいないかのように演技をする。でもお互いに少し避けたりなんかして、なんとなく意識はしている。
廣澤:確かに自分が幽霊になったような気はしました。けれど、私が見に行った回は最終日で足の踏み場もないくらい混んでて、最初の俳優がぐるぐる回るシーンで、役者はぶつからないようにものすごく気を遣っていた。だから『東京ノート』の上演に入っても、俳優が私のことを認識しているということは分かってる、と思って。
薬丸:これが外国人だとガンガンぶつかってくるじゃない。彼らはその一方で近さに立ち入らない作法も持ってるけど。でも、日本人は黙ってすり抜ける。満員電車なんかだとそうも言ってられないわけで。無意識に我々がやっていることをデスロック版では意識させられたな。そういう視線の問題であって、場所としての東京は関係ないと思う。
廣澤:お互いのことを気にしつつ気にしない、シャットダウンするというのは東京の作法だと思うんですよね。
斉藤:気づかないフリをしてあげる、みたいな?
薬丸:マナーとして無関心を装うってことじゃない?
廣澤:それはマナーなんですかね? しんどくて仕方ない、みたいな。いちいち反応してたら大変だから、そうしていればエネルギー温存できていいじゃないか、とか。
薬丸:社会学では儀礼的無関心というそうですよ。
一同:へー。
宗像:聞き耳を立てるような感じがあったんだけど。
薬丸:ベンチの人は特にそうで。真隣で芝居をしていても、そっちの方を見ない人がいるんですよ。でも、意識はそっちに向いてるのが分かる。膝に手をついて、下ばかり見ているような人。

■アウトロダクションについて
廣澤:『東京ノート』のパートが終わって、再度字幕で語りかけられるというのが始まるんですけれど、そこでは「あなたたちがどこから来たのかは気にしない。だってわたしたちは今ここにいるんだから」といったような文章が出てきたと思うんですけど。
垣谷:誰だって気にしないよ、話をしようよってことじゃない?
大崎:その話だと気にしないよ、は薬丸さんの満員電車で隣の人を気にしないっていう、さっきのにつながらない?
廣澤:電車の中で隣の人をいないことにするみたいな意味での気にしないって話?
大崎:それもあると思うんですよね、両方あると思うんです。もう一方が上手く言えないけど。もうちょっとポジティブな意味での気にしないもあるんじゃないか、と。
薬丸:『東京ノート』では血の繋がった人たちは、家族だという意識はあるんだけど、話があまり通じていない。血の繋がりのない由美さんと好恵さんだけが話が通じる。話をしましょうよって単純な話といえば、そうかもしれないね。そこだけ取り出すと。儀礼的無関心ばっかりやってても、何も話通じなくなってきちゃうよねっていうこと。
廣澤:そのときに、対地方って考えているのかな。家族的な血の繋がりのある場所としての地方。由美さんは東京に憧れてるけれど、親の介護で地方に住んでる。
垣谷:登場人物(橋爪)が結婚したら故郷の福島に戻ろうと思うって台詞ありましたよね。
薬丸:東京は単に人口密度が高いから、顔を合わせた気になるよね。同じ場所にいるだけで、なんとなくお互いを承認したような気にはなる。けれど話はしてないよね。
水牛:近代化が進んだのは東京が中心であって、地方の老夫婦が、時代の流れのギャップに落ち込んじゃうっていうことについて、『東京物語』における地方と東京の関係はあると思う。兄弟がたまたまみんな東京にいるわけではない。東京にいけば仕事があるとかいろんな理由があって、大阪でも札幌でもよかったわけではないです。広島出身の兄弟が札幌に集まって『札幌物語』にはならない。
斉藤:尾道から出てくる夫婦の話だから、『大阪物語』はあり得たんじゃないですか?
水牛:ある時期からそれもなくなった。大阪も今や地方の一つですよね。

■「なんか話したいじゃない、絵見たあととか。」
廣澤:無関心を装いつつ、隣の話に耳を傾けているような観客の様子を見る経験って何だったんだろう。その一方でぐるぐる動き回っている人もいる。
垣谷:戯曲で示されている同時多発が観客同士で行われていたとも言えるのでは?
久保:『東京ノート』のパートの最後に由美さんと好恵さんがにらめっこをするシーンがあるんだけど、これは顔を見合わせないとできないじゃないですか。これってさっき言ってた都会の人は無関心だとか、気にしないとか言った話と繋がるかも。
薬丸:そのコントラストを際立たせるってことじゃないかな。見ていないことを思いっきり見合わせることで目立たせる。でも、そもそも何でデスロックは東京公演やめたの?
廣澤:私が理解するに、東京は何もしなくても芸術の一形式としての演劇って表現が可能な場所だからじゃないかな。劇場もたくさんあるし、それなりに観客もいる。けれど、地方に行って演劇やりますっていったところで、それを必要とせずに生活してる人ばかりなわけで、そういった時に演劇はどう役に立つかとか考えなきゃいけないってことかな、と思ってる。
薬丸:東京には演劇を見ることに完全に慣れきってる人ばっかりってことね。そうすると、今回は明らかに観客には違和感があるよね。僕が初めて見たからってことかもしれないけど。常に考えながら見てた。ダラッと見るんじゃなくて。緊張感というか。
斉藤:ドキドキした。これがあの『東京ノート』にどう繋がって行くんだろうってヒヤヒヤ感はすごくありました。
久保:確かにずっと考えながら見てた。
薬丸:あんなに床がモフモフなのに。気持ちよかったって経験じゃないよね。
久保:2回目見るときは、もっかい挑戦してみよう、みたいな気持ちになるよね。
廣澤:こうやって話をするために、これだけの人が集まるということ自体も、『東京ノート』の投げかけを受けたからこそなんじゃないかと思いました。今日はありがとうございました。

【座談会メンバープロフィール】(50音順)
大崎晃伸 埼玉県出身。1984年生まれ。福祉施設勤務。東京歴25年。
垣谷文夫 兵庫県出身。映画『演劇1・2』を見てから青年団にはまり、小劇場に通う。東京歴8年。イチゲキ初参加。
久保聡介 大阪府出身。携帯会社勤務。30歳。小劇場を中心に演劇を見ている。東京歴2年10ヶ月。
斉島明 福島県出身。出版社勤務。fuzzy dialogue主宰。東京歴27年。
斉藤朋子 千葉県出身。広告制作会社勤務アートディレクター。イチゲキ中の人。東京歴6ヶ月。
廣澤梓 山口県出身。1985年生まれ。イチゲキ中の人。ワンダーランド編集駆け出し。東京歴0年(横浜在住)。
福田夏樹(企画段階で参加) 茨城県出身。1984年生まれ。演劇ウォッチャー。東京歴9年。
水牛健太郎 静岡県出身。ワンダーランド編集長。日本語教師。現在京都在住。『東京ノート』は見ていない。東京歴10年。
宗像芳明 埼玉県出身。演劇初心者。勉強中。東京歴0年。イチゲキ初参加。
薬丸仁平 千葉県出身。映像編集職。2012年は映画を150本鑑賞。演劇は35本。東京歴33年。

【上演記録】
東京デスロック「東京ノート」
こまばアゴラ劇場(2013年1月10日-20日)

作:平田オリザ
演出:多田淳之介
出演(〈 〉は出身地)
夏目慎也〈愛知県〉、佐山和泉〈東京都〉、佐藤誠〈青森県〉、間野律子〈埼出県〉(以上東京デスロック)、松田弘子〈長野県〉、秋山建一〈東京都〉、石橋亜希子〈岡山県〉、髙橋智子〈東京都〉、山本雅幸〈神奈川県〉、長野海〈神奈川県〉(以上青年団)、内田淳子〈石川県〉、大川潤子〈東京都〉、大庭裕介〈神奈川県〉、坂本絢〈神奈川県〉、宇井晴雄〈富山県〉、田中美希恵(贅沢な妥協策)〈山口県〉、永栄正顕〈千葉県〉、成田亜佑美〈神奈川県〉、波佐谷聡〈石川県〉、李そじん〈東京都〉
スタッフ
セノグラフィー:杉山 至
照明:伊藤泰行
音響:泉田雄太
衣裳:正金 彩
舞台監督:中西隆雄
演出助手:橋本清、杉 香苗
宣伝美術:宇野モンド
制作:服部悦子
企画製作:東京デスロック
協力
青年団、(有)レトル、krei inc.、(株)ユマニテ、(株)クリオネ、(有)エフ・エム・ジー、夢工房、渡辺源四郎商店
贅沢な妥協策、フォセット・コンシェルジュ、シバイエンジン、水天宮ピット、公益財団法人セゾン文化財団
助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
提携:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:東京デスロック、一般社団法人unlock
☆…アフタートーク
10日(木)『東京復帰記念トーク』…東京デスロックメンバー全員
11日(金)『地域と東京とこの4年の活動』…多田淳之介
16日(水)『地域と東京と東京ノート』…多田淳之介×平田オリザ氏
チケット
日時指定・整理番号付自由席
【一般】 前売・予約 3,000 円/当日 3,500 円
【学生・シニア(65 歳以上)】 前売・予約 2,500 円/当日 3,000 円
【中・高校生】 前売・予約・当日共 1,000 円
【小学生】 無料

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