マームとジプシー「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」

◎ジャンルをまたぎ、、、こっきょうをこえて、、、
 芦沢みどり

 「マームとジプシーが初の海外公演をするそうだ。その作品が横浜で上演されている」という話を聞いて、4月27日夕、勇んで横浜・吉田町まで出かけて行ったのであった。

 そもそも私が日本の演劇の海外公演に関心を抱くようになったのは、『Theatre Record』というイギリスの劇評誌を定期購読し始めた10年くらい前からだ。この雑誌はロンドンおよびイギリスの地方都市で上演された舞台の新聞評をコピペしただけ、と言っては失礼だけれど、まあ、あまり編集の手間がかかっていなさそうな紙媒体だが、網羅的なのがすごいと言えばすごい。2週間おきに発行されている。

 で、この10年間にロンドンで上演されて新聞に劇評が載った(あるいは無視された)日本の現代演劇も結構たくさんある。ニナガワのロンドン公演は20年前からだし、ヒデキ・ノダは2003年の『RED DEMON』以来、公演をすれば必ず新聞が取り上げる日本の現代演劇の代表格になっている。蜷川はビジュアルの圧倒的美しさで長年ロンドンを驚かせ続けていたが、最近は演劇としての強度が問われる批判評に変わって来ている。逆に野田秀樹の場合、はじめはchildish(ガキっぽい)と受け止められていたのが、2007年の『THE BEE』あたりから内容を分析的に語る論調になった。

 そういう劇評を読んで何が面白いかと言えば、国内で上演された時とは別の視点から作品が語られることがあるという点だ。例えば鴻上尚史の『トランス』が2007年にイギリスの俳優を使って翻訳上演された時、新聞評はピランデッロやジュネの名を挙げて批判していた。ちょっと日本では考えられないことだが、考えてみれば(考えなくても)当たり前のことかもしれない。鴻上のようなテクスト演劇をヨーロッパの文脈に置けばそうなるわけで、日本で観ている限りではピランデッロやジュネは参照項にされないだろう。これで終われないと悔しがったかどうか知らないが、今年8月、彼は『ハルシオン・デイス』をロンドンで上演する。新作ではないが、テクスト演劇の本場でリベンジする蛮勇にとりあえず拍手。
 あちらへ行って勝負ではなく、国内にいながら「発見」された日本演劇もある。岡田利規だ。2006年、F/Tの前身である東京国際芸術祭に招待されてやって来たイギリスの劇評家が、東京演劇見聞録ふうの文章を書いたことがある。彼は『三月の5日間』について、東京滞在中に観た歌舞伎やブトーも含めた様々な舞台の中で一番インパクトがあったと言い、「オカダ独自のコリオグラフィー」と「話の中の人物とは直接関係のない語り手が発話する、きわめてポストドラマ的な」手法が「不思議な効果を上げていた」と書いていた。(*1)イギリスの劇評家はおおむねコンサヴァだが、それでも2006年の時点で岡田利規の斬新な手法に注目している。日本の保守系劇評家がポストドラマ演劇を評価することはまずなさそうなので、この記事も印象的だった。

 つい前置きが長くなってしまった。マームとジプシーの横浜公演へ戻ろう。
 主宰の藤田貴大は方法論の斬新さで注目されている演劇人、と言ってもいいだろう。切断されたシーンを舞台上で何度も繰り返す(彼はそれをリフレインと呼んでいる)こと、ダンスというよりは器械体操的な、セリフと関係のない身体表現が取り入れられていること。セリフを区切って明瞭に発話すること。新しさはこの3点に集約されると思う。セリフと関係のない身体表現は岡田利規がすでに「発明」しているので、新しいとは言えないかも知れないが、岡田の身体表現のだらだら感と違って、こちらは全力疾走しながら発話している感じがある。

 リフレインと呼ばれるシーンの反復は、クロノロジカルではないのでストーリーは捉えにくいが、筋のようなものがぜんぜんないわけではない。今回、公演テクストが入手できなかったのでウロ覚えながらここに再現してみると―

 <舞台は森に隣接した田舎町。6人の登場人物が小学生だった2001年、3歳の幼女が誘拐されて殺され、用水路に捨てられる。皆がこの事件にショックを受けたが、中でもアヤという少女は事件をきっかけに家出して森の中にテントを張り、そこで生活を始める。周囲は困惑し、アヤ・アユミ・サトコの仲良し三人組の友達関係も崩壊してゆく。10年後の2011年春、アヤは病に冒されて余命いくばくもない。アユミは地元に残っており、サトコは受験競争を勝ち抜いて都会へ去っている。そして2013年。アヤはもうこの世にいないはずだ。彼女に想いを寄せていた男の子が地元に戻って来て・・・>。

 これだけなら埒もない子供時代のほろ苦い思い出話なのだが、時間軸を2001年と2011年に設定して9.11と3.11を暗示することにより、個人の記憶を歴史の記憶に接続させようとしている。藤田はどうやら記憶のメカニズムに精通しているらしい。と言うのは、個人的記憶は時間が経つにつれてその時に起きた社会的事件に接合され補強されてゆくからだ。これは誰にでも思い当たることだろう。起きた時点では個人にとって私的な出来事の方が大きいが、時が経つにつれて同じ年に起きた社会的事件の重要度が増して行く。にもかかわらず、繰り返し思い出されるのは個人的な出来事だという逆説。

 一番印象的なシーンは、サトコがアヤへの悔恨の念に駆られて、自身を鞭打つような激しい動作を繰り返す箇所だ。観客はその痛みと悲しさをじかに受け止めるが、そこから先に、その感覚が9.11や3.11への想像力へつなげることが期待されていた。と思う。

 この作品は横浜公演のあと、イタリアとチリで上演された。チリについては評価を知り得る資料を入手できなかったが、fabbricaeuropa(@フィレンツェ)というフェスティヴァルへの招聘公演は、さいわいイタリア語の劇評を日本語訳してくださる方がいて(*2)、読むことができた。詩のような長いタイトルは「DOTS, LINES AND THE CUBE-A WORLD AND THE OTHERS IN THE CUBE THAT SHINES」と、短いパンチの利いた英語になっている。

 今年20年目を迎えたフェスティヴァルは4月中旬から6月中旬まで、フィレンツェ市内の複数の会場で、演劇、ダンス、ワークショップ、ビジュアルアートの展示など、30以上のイベントが行われた。舞台作品はDANZA INTERNAZIONALE、 DANZA ITAIANA、TEATRO INTERNAZIONALE、NEW VISIONの4つに分類され、マームとジプシーはNEW VISIONに入っていた。ここに分類されたマーム以外の6作品は、ドキュメンタリーふう一人芝居や映像・音響・パフォーマーによる即興コラボ、並行六面体のスペースを使ったダンスなど、実験的かつ領域横断的な作品ばかりである。ちなみにTEATRO INTERNAZIONALEはピーター・ブルックの『魔的』をはじめピランデッロなどだが、紹介記事を読むと、それぞれかなり実験的だ。したがってNEW VISIONというタームは、ダンス・パフォーマンス・演劇の新しい波という感じだろうか。

 あとで知ったのだが、マームとジプシーの「てんとてん・・・」は吾妻橋ダンスクロッシングでプロトタイプが創られ、横浜では登場人物が一人ずつ増える3バージョンがあった。こういう創り方も新鮮だ。私が観たのは最後のバージョンだったので、イタリア公演に近いものを観たのだと思う。「近いもの」と言うのは、会場のレオポルダ駅は写真で見る限り十六夜吉田町スタジオよりはるかに広く、またクレジットを見ると横浜公演にはなかったジャズ演奏も組み込まれている。したがってこれは横浜公演を拡大させたイタリアン・バージョン言うべきかもしれない。

 イタリア語の劇評は劇の内容に触れたあと、次のように続く。
 「観客として喜んで劇の夢幻的な現在におぼれてしまいそうになる。それは役者の優れた身体能力と音節に分けて明瞭に発話する声によるものだ。その結果、目まぐるしいリズムと完璧なコーラル(合唱)が調和したコンサートになっている」。「さまざまなレベルで調子を変えながら時間と空間の軸が互いに交差しているこの劇において、ジャズプレーヤー、ヨシオ・オオタニ(大谷能生)の音楽が音のベースを創り出す。それは登場人物たちの動作や発話に力を貸している」。(*3)

 大谷能生のジャズがどんなものだったか、フィレンツェへ行っていないので分からないが、イタリア公演が極めて音楽的だったことをうかがわせる劇評だ。マームとジプシーの言葉を区切った発話は、まず意味を捉えようとする日本人の耳には、よほど音感のいい人でない限り音楽としては聞こえて来ないだろう。しかし言葉の音楽性に注目した劇評を読むと、なるほどと思う。象徴的なシーンの繰り返しは単なる反復ではなく、登場人物の視点によって変調するからだ。なるほど。シーンの反復をリフレインと呼ぶわけだ。

 ダンス、音楽、詩―マームとジプシーは多方面でジャンルの越境を試みている。

[註]
*1 “Can You Hear Me In Tokyo?” by Ian Herbert. Issue06-2006/Theatre Record.
   和訳は筆者。
*2 チンツィア・コデン氏(Cinzia Coden)。東京在住のイタリア語講師・演劇研究者。
*3 Krapp’s Last Post
掲載の劇評をコデン氏が翻訳。引用部分はその後半を筆者がまとめた。

【筆者略歴】
芦沢みどり(あしざわ・みどり)
 1945年、天津(中国)生まれ。演劇集団円所属。戯曲翻訳。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/

【上演記録】
マームとジプシー
『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。
そのなかに、つまっている、いくつもの。
ことなった、世界。および、ひかりについて。』
横浜・十六夜吉田町スタジオ
出演者&日程(1週ごとに出演者が1人増える)
【A】4月16日-19日 荻原綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 吉田聡子
【B】4月21日-24日 荻原綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 波佐谷聡 吉田聡子
【C】4月26日-5月1日 荻原綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 波佐谷聡 召田実子 吉田聡子
作・演出:藤田貴大
舞台監督:熊木進 照明:吉成陽子、富山貴之
音響:角田里枝 舞台美術協力:細川浩伸
チケット
■ 前売・当日とも 2,500円
主催・企画・制作:急な坂スタジオ

▽イタリア公演
FABBRICA EUROPA 2013
DOTS, LINES AND THE CUBE
A WORLD AND THE OTHERS IN THE CUBE THAT SHINES
Mum&Gipsy
May 7, 2013 21:00
Stazione Leopolda

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください