忘れられない一冊、伝えたい一冊 第30回

◎「貧者の宝」(M.メーテルリンク著 平河出版社)
 吉植荘一郎

【「貧者の宝」表紙】
【「貧者の宝」表紙】

 韓国演劇を見ると思っていたのは「ナゼこれほど頻繁に“死者や異界との交流”が登場するのだろうか?」という事でした。というよりも韓国演劇の生ある俳優や演出家たちは、オバケや亡霊のバッコする世界(舞台)で、一体ナニと向き合っているのだろうか?と。
 私が昨年出演したジョン・ソジョン作『秋雨』もそうでしたし、この2月に東京でリーディング上演された韓国の新作戯曲『海霧』等はいずれも“死者や異界との交流”がテーマもしくはモチーフに…新国立劇場で上演された日韓合作劇『アジア温泉』(鄭義信作)もそうでしたね。
 オ・テソク作『自転車』とかソン・ギウン作『朝鮮刑事ホン・ユンシク』にはメタファーとかじゃない、もうそのものズバリの死人や亡霊、妖怪が“役として”登場して生者と対話したり相撲取ったりします。コレって何なの(笑)? 霊やオバケの登場を韓国文化に由来するものと理解するとして、じゃあ霊やオバケを演じたり、それと向き合う人間はどうやって演じたらいいのか?……それっぽく見せればいいだけかもしれないけど、何だか逆に本質からは遠ざかっていくような気がするし……。
 こんな事を考えている時に出会った本がメーテルリンク著『貧者の宝』でした。

 日本でいうと幕末生まれで、戦後の昭和24年まで生きたノーベル賞作家のメーテルリンクはもちろん『青い鳥』の作者にして、哲学や博物学にも詳しい人物。『貧者の宝』も彼の該博な知識と深い洞察を反映し、多くの名著からの引用を伴って記された本。エッセイ集とはいえ、寝そべってフンフン読み進められるものではありませぬ。

 そもそもが私自らが手に取った本ではなく、公演の為の「課題図書」として提示された教科書的なもの。正直ムズカシイ部分も多く、恥ずかしながら未だに全部は読めておりませぬ。

 にもかかわらず『貧者の宝』が私にとって“宝の持ち腐れ”にならずに済んだのは、韓国演劇のモノノケや闇たちに向かい合う手がかりを与えてくれたからであり、逆にそれがメーテルリンクの言う「沈黙の世界」への興味を掻き立ててくれたからであり、かつ同時に東洋の“異界”が西洋的知性であるメーテルリンクのいう「沈黙の世界」とダイレクトに繋がるのか!?という驚きの発見をもたらしてくれたからに他なりません。興奮しましたがな。

 メーテルリンクが述べていることは一言でいえば、私達が自覚的に認識・理解している世界=言葉の世界、通常の世界というものが存在している。そしてその周囲には夢、本能、無意識などを通じてしか触れることができない広大な宇宙=沈黙の世界、闇の世界、魂の世界が存在していると。そして人間にとって真に大事なことは沈黙の世界における魂の営みであり、日常的な興奮や言葉によるコミュニケーションは、人間にとって表面的なものに過ぎないということです。

 ……言葉が眠りにつくと魂が目覚め、活動を始めるが、それは魂が互いに自由に理解し合える場が、驚異や戦慄や至福にみちた沈黙の世界だからである。
 ……だが、沈黙をあれこれ詮索しても徒労に終わる。すべてを知ろうとする精神の衝動は、この神秘の中に生きているいま一つの命にとっては、かえって妨げになる。真実の存在を知るためには、己れの内に沈黙を育まなければならない。(中略)金や銀の重みが純粋な水の中で計量されるように、魂の重みは沈黙の中で量られる。(第一章「沈黙」)

 ナゼそうなのかとか、根拠を示せキサマとか迫ってみても、メーテルリンクが言う通り徒労に終るだけでしょう。彼は当時、学問ではなく、感情と直観と適切な(詩的な)言葉を用いて“感じ取らせ”、「あの宇宙そのものへわれわれを連れ戻す」(研究者の言葉)存在だったからです。

 演劇とは、俳優の身体をよりどころにして、目には見えないものがあたかもそこに存在するかのように見せる芸術表現のこと。しかし、その見せ方は必ずしも、すべてに光を当ててみせるアクティブなものでなくてもよかった。暗闇の中で、聞こえない音にこそ耳をそばだてるようなこの上なくパッシブなあり方でしか感じられず、伝えられないものもあるのだ。近しい人の死を思い返すとき、人は雄弁に語る為の言葉をさがしたりするだろうか。

 こんな風に気づいた時、今までワケのわからんかった韓国演劇の異界や死者たちが、ああそうか、彼らは沈黙の世界の魂のカタチなんだと得心がいったものです。多くの場合、私達は彼らを自分の知っている世界の同類として演じてしまうけれど、そうではない。こちらがアチラ側=魂や沈黙の世界へ行けるよう、声をひそめ、言葉を磨き、闇の中にいるような繊細な身体にならなければならないのだな、と。

 ……そしてこの作業は私に於ては韓国演劇のモノノケに向き合う為にではなく、正にメーテルリンクその人の戯曲であるクロード・レジ演出『室内』を上演する為に進められました。一番遠い所に位置するものは、実は背中合わせに等しい近さで存在するのでした。
 東の彼方からのびてくる幾つもの道と、西の異邦からのびてくるあまたある道の交叉点にいて、不思議な風に吹かれているような体験でした。私が演劇をやめない限り、『貧者の宝』は小さな宝の箱であり続けてくれるような気がします。

【撮影=本城典子 禁無断転載】
【撮影=本城典子 禁無断転載】

【筆者略歴】
 吉植荘一郎(よしうえ・そういちろう)
 俳優。1963年千葉県生まれ。大学卒業後、呉羽化学工業(株)(現・クレハ)に入社。会社勤務の傍ら演出家・宮城聰が主宰する冥風過劇団に参加し、1990年宮城のク・ナウカ旗揚げに加わったのを機に俳優業に進み今日に至る。2009年からは主に静岡県舞台芸術センター(SPAC)に出演して国内外で活動中。2012年の韓国・密陽演劇祭に参加した金世一演出『秋雨』で4役を演じ演技賞を受賞。
【主な出演作】[宮城聰演出作品]◆ワイルド『サロメ』…親衛隊長ナラボー ◆泉鏡花『天守物語』…朱の盤坊/近江丞桃六 ◆同『夜叉ケ池』…代議士穴隈鉱蔵 ◆モンテヴェルディ『歌劇オルフェオ』…プルトーネ/ジャージの人 ◆ピランデルロ『作者を探す六人の登場人物』…父親 等
[クロード・レジ演出作品]◆メーテルリンク『室内』…老人
[今井朋彦演出作品]◆ワイルダー『わが町』…ワレン巡査
[李潤澤演出作品]◆シェイクスピア『夢幻能オセロー』…ブラバンショー
 次回出演作品はSPAC秋のシーズン2013、今井朋彦演出『わが町』。11月16日、17日、23日、24日、静岡芸術劇場で一般公演。

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