劇団チョコレートケーキ「起て、飢えたる者よ」

◎理想主義と保身と糾弾欲求
 北野雅弘
 

「起て、飢えたる者よ」公演チラシ
「起て、飢えたる者よ」公演チラシ

 劇団チョコレートケーキの「起て、飢えたる者よ」を観た。新宿御苑駅の近く、サンモールスタジオでの上演だ。
 スタジオが三つの空間に分けられ、中央の舞台を挟んだ形で客席が作られている。舞台はあさま山荘の小さな居間。テーブルに椅子が四脚、片方に窓、もう一方に本棚。セットは柱を何本か残し、観客の視界をさえぎる。

 冬になって利用者のいない軽井沢の山荘。管理人の妻で、一人山荘に残った西牟田が居間に入ってくると、突然五人の男たち(坂上・坂内・吉田・江藤兄弟)が乱入してくる。男たちは家具をひっくり返して窓際にバリケードを作り、自分たちは、「連合戦線」で、銃による殲滅戦を遂行する革命戦士だと名乗る。

 本作は、1972年に起きた連合赤軍の「あさま山荘事件」を題材にした戯曲で、2010年に初演され、今回は三年ぶりの再演である。固有名詞は少しずつ変えられているが、舞台で語られる「連合戦線」についてのエピソードはほぼ「山岳ベース事件」と呼ばれる連合赤軍の凄惨な「総括」殺人の事実に沿っており、資料をよく調べて作られていることが分かる。

 冒頭の場面は、彼らの側からの「あさま山荘事件」が描かれるのではないかと期待させる。しかし本作では一つのフィクションが挟まれ、物語はその仮定に基づいて全く別の展開を遂げて行く。それは、警察がいつまでも山荘の異常に気づかない中、メンバーの一人が西牟田をオルグする(組織に引き込む)ことを提案し、西牟田がかれらの新しいメンバーになる、というフィクションだ。

 彼らの指導者であり、「山岳ベース事件」の中心になっていた永山と林は既に逮捕されており、連合戦線の五人のメンバーの中にはいない。この二人、特に永山は、「同志」への容赦ない執拗な攻撃によって、他のメンバーたちからとても恐れられていた。今までの小市民的思想を自己批判しオルグされた西牟田は、新しく組織された人にありがちな潔癖さで会議をリードし始める。その姿は、この場にいない永山を思い起こさせ、若い江藤兄弟は、彼女を「永山さん」と呼ぶほどだ。

【写真は「起て、飢えたる者よ」公演から。撮影=池村隆司 提供=劇団チョコレートケーキ 禁無断転載】
【写真は「起て、飢えたる者よ」公演から。
撮影=池村隆司 提供=劇団チョコレートケーキ 禁無断転載】

 このフィクションを受けいれられるかどうかで、作品の評価はずいぶん変わるだろう。西牟田が簡単に彼らに非常に強い影響力を与えるようになることにリアリズム的な説明は与えられておらず、またそれは与えることが出来そうにもない。しかし、それはこの舞台にとっては必要な設定である。
 それは、この設定によって、作品の焦点が「総括」殺人に当てられることが可能になったからだ。実際には、連合赤軍は、あさま山荘では「総括」ゲームを続けることはなく、その殺人の対象は外部に向けられた。しかしこの舞台では、西牟田の加入によって、「総括」が最後の一人まで続く。出来の悪いギャグのようなこの筋立ては、しかし「総括」の論理の必然的な帰結でもある。
 
 連合戦線は、銃による殲滅戦を担うためには、内なる反革命的傾向を徹底的に自己批判する「総括」を通じて自らを「共産主義化」しなければならないという原理主義的な理論を作り上げ、幹部の方針に疑問を投げかけたとかキスをしたとか、どんな些細なことでも構わず「弱点」が見いだされた「同志」に「総括」を要求し、「総括援助」と称する集団暴行によって殺害し続けていた。殺された「同志」は十二人に及ぶ。そして、暴行による死を、自らを「総括」しきれなかった「敗北死」であると呼んだ。江藤兄弟のさらに兄であった江藤能高も、吉田の身重の妻も「総括」で殺害されていた。舞台上では「許可なくクッキーを一枚食べた」ことまで「総括」の対象になっていた。一旦「同志」への「総括」を受けいれたメンバーは、その後も「総括」を否定できない。その途端、「同志」の死は、彼自身の責任にすることができる「敗北死」ではなく、彼ら自身の殺人行為になってしまうからだ。江藤弟と新規加入者の西牟田が総括のスパイラルの罠に嵌まっている。

【写真は「起て、飢えたる者よ」公演から。撮影=池村隆司 提供=劇団チョコレートケーキ 禁無断転載】
【写真は「起て、飢えたる者よ」公演から。
撮影=池村隆司 提供=劇団チョコレートケーキ 禁無断転載】

 他方、多くの登場人物は「総括」を建前としても利用している。「総括」は江藤兄にとっては個人的な復讐のための、指導部(坂上・坂内・吉田)にとっては相互監視の道具でもあった。「同志」の欠陥を激しく糾弾しようとする態度は、理論的な根拠はともあれ、私たちの本能的な振る舞い方とよく一致する。人間の完全な「共産主義化」などは不可能なので、「総括要求」は適切なタイミングで持ち出せば自分を優位に立たせ気に入らない相手を排除できる魔法のカードになる。そしてそれはコツを覚えれば誰もが行使できるテクニックだ。クッキーを食べたことは革命のために用いられるべき資源の私物化であり許されないという理屈を並べるのは西牟田だった。
 
 それでも、西牟田がわずか数日で彼らの論理を受けいれ、活用するようになるのに合理的な説明を与えようとしても不可能なのも確かだ。作品はその説明の努力を払わない。だから、あの時代を体験した人からはこの舞台はリアリティを欠いているように見えるだろう。しかし本作のポイントは設定のリアリズムではなく設定を受けいれた後の出来事のリアリズムにある。そして、理想主義と保身と糾弾欲求が混じり合った人間関係とそのもたらす破滅的な結末を「起て、飢えたる者よ」は丁寧に描き出している。柱が視界を分断するセット(舞台美術:鎌田朋子)もよく考えられているし、「異議なし!」とか「ナンセンス!」とか、この時代の符丁の響きも、作品が求めるグロテスクな異化を実現するのに効果的である。江藤兄弟を演じた西尾友樹と菊池豪はさすがに十代には見えないものの、西牟田役に文学座の渋谷はるかを迎えたことも成功している。彼女と他の俳優たちの演技様式の微妙な違いが、集団にとっての他者としての西牟田を際立たせることになった。西牟田を含めて六人いた「連合戦線」は、最後には西牟田とリーダーの坂上(岡本篤)しか残らない。西牟田を逃がそうとする坂上の配慮は彼女を逆上させる。彼女は「欺すんなら最後まで欺しなさいよ!」と言い放ち、坂上を猟銃で射殺し、一人で、死んだメンバーの歌う「インターナショナル」に支えられて、ようやく現れた警官隊にむけて発砲する。さすがに現実離れしたこの最後のシークエンスを緊張感とともに演じきったのは渋谷の力量だろう。

【写真は「起て、飢えたる者よ」公演から。撮影=池村隆司 提供=劇団チョコレートケーキ 禁無断転載】
【写真は「起て、飢えたる者よ」公演から。
撮影=池村隆司 提供=劇団チョコレートケーキ 禁無断転載】

 社会運動に参加しようとする人に徹底的な「自己批判」と「純化」を求める態度は、結局は運動の硬直と少数精鋭化を生みだし、大きな変革に結びつかない。その認識は、この作品が初演されてからの三年間に、特に原発事故の後、様々な領域で深まっていったように思われる。それは新しい形態の社会運動の発展と結びついてきた。関東に関して言えば、シングル・イシューにこだわる反原連の官邸前抗議も、ヘイトスピーチをまき散らすデモへのカウンターアクションもその認識を共有しているだろう。そうした時代精神とも関わる若い世代の演劇として「起て、飢えたる者よ」はとても興味深く思われた。

【筆者略歴】
 北野雅弘(きたの・まさひろ)
 群馬県立女子大学文学部美学美術史学科教員。専攻は美学。しんぶん赤旗の劇評を月一度担当(2006年から)。ソフォクレス「オイディプス王」(『新版ベスト・プレイズ』論創社2011年所収)の翻訳あり〼。

【上演記録】
劇団チョコレートケーキ第22回公演「起て、飢えたる者よ」
サンモールスタジオ(2013年9月19日-9月23日)

脚本:古川健(劇団チョコレートケーキ)
演出:日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)
出演:浅井伸治、岡本篤、西尾友樹(以上劇団チョコレートケーキ)、加藤大輔、菊池豪、渋谷はるか(文学座)
舞台美術:鎌田朋子
照明:千田実(CHIDA OFFICE)
音響:佐久間修一
衣装:藤田友
舞台監督:本郷剛史
演出助手:桐野翼(天才劇団バカバッカ)・大井洸介
宣伝美術:R-design
スチール:池村隆司
撮影:神之門隆広(tran.cs)
Web:ナガヤマドネルケバブ
制作:菅野佐知子(劇団チョコレートケーキ)
演技アドバイザー:近藤芳正
企画・制作:劇団チョコレートケーキ
料金:1,500円 〜 3,500円


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