連載企画「外国人が見る小劇場」 第1回

◎スタッフがすばらしい チケット・ノルマにびっくり、演技にがっくり
 金世一さん(韓国)

 日本の劇団、ダンスカンパニーの海外公演が多くなった。海外に出かけて欧米、アジアの演劇に親しむ人も珍しくない。しかし最近は海外から日本にやって来て、小劇場の演劇やダンスに関心を持つ人たちも目に付くようになった。どこにどんな魅力があるのか、共通のテーマやモチーフが見えるのか、異質の何かが隠れているのか-。
 世界の垣根が低くなったと言われている折り、異なる文化的背景で育った「眼」を通してみると、日本発の舞台芸術がはらむ意外な特徴が浮かんでくるかもしれない。日本の演劇やダンスに詳しいアジアや欧米の人たちの話を聞いてみた。
(ワンダーランド編集部)

釜山でスタート

-金さんと最初の出会いは、2006年にタイニイアリスで上演された日韓合同公演、榴華殿と釜山・演劇製作所(ドンニョック)の稽古場でした(注1)。当時から韓国と日本の劇団の交流を進めるキーパーソンとして活動していましたね。もともと大学で演劇を学んでいたと聞きましたが。

 釜山の慶星大学演劇・映画学科で学びました。その大学は最初、演劇も映画も学科の学生は一緒に勉強します。2年になると演劇専攻はギリシャ悲劇を必ず学びます。僕たちの学年の場合はオレステイア三部作を取り上げました。3年からは演劇理論と、俳優志望だったので演技の訓練、レッスンを受けて舞台やカメラの前における実践の演技経験を積んでから卒業しました。

-在学中に演劇製作所の旗揚げに参加したのではなかったですか。

 実は在学中に軍隊に入ったんです。1996年に除隊して、復学したのが97年です。その間、演劇の感覚を取り戻そうと入ったのが、李潤澤(イ・ユンテク)さんが代表を務める劇団「演戯団コリペ」でした。軍人から演劇人へ、というわけです。

-そうだったんですか。

 そこでしばらく勉強させてもらって、さて復学しようかと思ったら、李先生に「おまえはコリペに残れ」と言われてだいぶ悩みました。でも、学校を出てからでもまた李先生と出会う機会があると思って97年に復学しました。

-韓国は兵役がありますからね。

P1050158 軍隊に行きたいわけではなかったんですけど、平均点があるレベルまで達しないと警告を受ける。3回になると退学です。芝居漬けでしたからまともに授業を受ける暇がない。一年生の一学期と二学期で警告を受け、あと1回で退学という瀬戸際になってしまった(笑)。それで軍隊へ(笑)。おかげさまで無事卒業できましたけど(笑)。
 復学した翌年の98年、大学3年生のときにドンニョックを設立しました。その前後に、演劇スタジオを作って運営していました。大学で勉強し、劇団で俳優と制作などの活動を続け、スタジオで演技指導する。いやあもう、人生で一番忙しい時期でした。1日24時間どころか、26,27時間も活動していた気がします。稽古時間がないから、夜の11時か12時ごろ集まって明け方まで公演の稽古。終わると飲むでしょう(笑)。それからちょっと寝て、9時か10時に起きて学校へ行く。そんな人生を3年半ほど続けました。

-芝居に情熱を傾けた学生時代でしたね。でも、どうしてそこから来日、留学に結びついたのですか。

 日本へ来ることはまったく考えていませんでした。劇団を始めた97,98年当時、韓国は通貨危機に見舞われて国際通貨基金(IMF)の管理下になり、経済界は大不況でした。企業スポンサーが減り、劇団運営も苦しくなったんです。観客も大幅に減って公演数も落ち込んだ。にもかかわらずうちの劇団は、設立当初は1年に12本、毎月公演を打っていた。演出が3人いて、それぞれやりたいことをやっていたんです。俳優、制作、スタジオ運営など目一杯に動いていました。その後も随分頑張ったんですよ。

-活動が活発になると規模も大きくなり、支える資金も必要になりますね。

 当時、釜山にはドンニョックしか劇団がないと言われるほどで、ソウルからも雑誌の取材が入りました。地下の狭い稽古場から地上に上がって広い稽古場も確保できるようになった。でも手を広げると維持費がかかるから、資金を作らなければならないです。高校や中学校に演劇カリキュラムの企画書を提出して、演劇の効果を話して回りました。営業です。今も昔も、演劇で食べていくためには相当働かなければなりません。仕事が取れてよかったんですけど、みんな疲れちゃったんですね。

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【略歴】
金世一さん(キム・セイル)
 1975年釜山生まれ。慶星大学在学中の1998年ドンニョック(釜山演劇製作所)創立に参加。2003年、文化庁の海外芸術家招聘研修員として来日。東京大学人文社会学研究科文化資源学専攻(博士課程)所属。俳優として日本の舞台に立つほか、演技ディレクター、演出家としても活躍。2012年、密陽夏公演芸術祝祭で演出した「秋雨」公演で作品賞受賞。2013年自ら主宰する演劇団体「世 amI」創立。

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