こまばアゴラ劇場「韓国現代戯曲連続上演」/タイニイアリス「韓国新人劇作家シリーズ第二弾」

◎6編の小品から浮かび上がる韓国の今
 片山 幹生

 ネットやマスコミでは対立と憎悪がグロテスクに強調されることが多い日韓関係だが、小劇場の世界の日韓交流はかなり積極的に行われ、充実した成果を生み出している。この劇評では、昨年11月に行われた『韓国現代戯曲連続上演』(こまばアゴラ劇場)と『韓国新人劇作家シリーズ第二弾』(タイニイアリス)の上演作品を取り上げたい。このふたつの企画では、韓国の若手作家の短編戯曲が、異なる演出家の演出によって三本ずつ上演された。韓国の若い世代の演劇の雰囲気を感じとることのできる好企画である。韓国では、いくつかある主要新聞社が主催する文芸賞の戯曲部門で受賞することが、プロの劇作家の登竜門となっているとのことだ。このふたつの公演企画で上演された六作品は、いずれも新聞社の戯曲賞の受賞作である。ナンセンスな不条理劇も含め、どの作品にも現代の韓国社会のリアリティが反映されていた。

◇韓国現代戯曲連続上演
 こまばアゴラ劇場での『韓国現代戯曲連続上演』はBeSeTo演劇祭の枠組みのなかでの公演だった。上演される作品は、韓国の三〇代の作家の短編戯曲という共通点はあるが、それぞれの作風、形式は当然異なっていた。しかし三本の小品にはどこか共通する香りもあった。いずれも現代韓国の社会と風俗を社会の下層から見つめて描き出そうとする意志が感じられる作品だったのだ。舞台から浮かび上がってきたのは、昭和時代の日本をどこか連想させるような湿り気を帯びた庶民的な風景だった。同時期に開催されていたF/Tでの様々な前衛的な試みの演劇の自意識の尖りように若干疲弊していた私は、『韓国現代戯曲連続上演』で上演された三本の作品の芝居くさい味わいにほっとした解放感と安らぎを感じた。

 三本のうちで最初に上演されたのは、オ・セヒョク作「真夜中のテント劇場」である。演出は双数姉妹の小池竹見が担当した。この作品は現代韓国の労働争議を題材とした幻想劇だった。韓国は労働運動が盛んな国であるが、抗議者がテントに立てこもって抗議運動を行うというのがひとつのスタイルだという。このテントではじめて一晩を過ごすことになる二人の女性運動家がこの作品の登場人物だ。彼女たちはテントの外部から聞こえてくるさまざまな物音に怯える。その恐怖を克服するために、二人はテントの中で一晩中馬鹿話をし、空想にふける。薄い布で表現された巨大なテントが舞台全体を覆っている。このテントが、彼女たちが話す妄想に合わせて、舞台美術として自在に変化していく工夫が面白い。

【「真夜中のテント劇場」より。撮影=原節子 禁無断転載】
【「真夜中のテント劇場」より。撮影=原節子 禁無断転載】

 この作品は、韓国の伝統的な野外劇に由来するマダン劇の一種とのことである。マダンとは韓国語で「広場」を意味する。韓国では1970年代から80年代にかけての民主化運動の場で教育・娯楽演劇が伝統芸能と結び付き、野外で上演されるアングラ的なマダン劇という様式が生まれた。女性二人の雑談から断片的にうかがうことができる韓国の社会運動の状況が興味深かった。巨大なテントの驚異は、女性二人の想像力が生み出した滑稽な幻想譚を具現化すると同時に、韓国の労働者をめぐる厳しい環境の寓意にもなっているように感じられた。

 二番目に上演されたジョン・ソジュン作「秋雨」は、一昨年のほぼ同時期にタイニイアリスで今回と同じ、金世一(世amI主宰)の演出で上演された作品の再演だった。しかし一昨年の上演とはキャストの一部と演出に変更が加えられていた。

【「秋雨」より。撮影=原節子 禁無断転載】
【「秋雨」より。撮影=原節子 禁無断転載】

 

 黄昏時の公園に若い男女が入ってくる。男は女を口説こうとしているようだ。女の気をひくために男が話し始めた内容は、男の浮ついた雰囲気とはうらはらの、悲壮なある家族とその関係者の集団死の話だった。この男の語りが物語の外枠となっている。外枠を提示する男女の軽薄でちゃらちゃらした雰囲気と、その内枠で語られる事件の陰鬱さが、優れた対比効果をもたらしていた。
 内枠で展開するのは、貧困ゆえに離散し、それぞれがばらばらに生活することになった父、母、娘のエピソードである。母と娘は売春婦であり、場末のラブホテルで、たちの悪い客の相手をしている。母は糖尿病の合併症で失明している。娘を虐待し、搾取していた女衒の男が殺された。女衒を殺したのはおそらく娘だが、その娘も自殺してしまっている。母親の客だった老人も惨殺された。そして母も自殺した。足の悪い父親は交通事故で死亡。ホラー映画を思わせる通俗的な劇作上のしかけが脚本に組み込まれている。しかし金の演出はその通俗性を引き受けつつも、個性的な俳優の特性を引き出して独自の様式美の世界を作り出していた。 抜け出すことのできない貧困のなかで沈み、破滅していく哀れな一家を、抒情的で幻想的なスペクタクルのなか描き出す美しい舞台だった。

 ユン・ジヨン作、山田裕幸(ユニークポイント主宰)演出の「上船」は中年の男女の二人芝居である。
 海辺の田舎町の屋台のおでん屋に深夜、男がひとり、自転車でやって来る。スーパーに買い物に行く途中、28年ぶりに忘れていた約束を思い出して、この町にやって来たと奇妙なことを言っている。おでん屋のおかみとこの一人客が、実は旧知の仲であることが会話からわかってくる。しかし二人は互いにあたかも見知らぬ他人同士のように会話を続ける。この会話のやりとりはリアリズムという点では到底受け入れることができない。作劇上の要請に基づく演劇的な嘘くささはあまりにも白々しく思え、観客としてはこの場面を見ているときはいたたまれないような気分だった。

【「上船」より。撮影=原節子 禁無断転載】
【「上船」より。撮影=原節子 禁無断転載】

 この二人は昔、恋人同士だった。男は医大の進学のためにこの漁村を離れた。女は男の子供を身ごもっていたが、男はそのことを知らなかった。すれ違いで結局会うことができぬまま、28年の年月が過ぎてしまった。女は子を産むが、その子供は女の不注意が原因で、生まれて間もなく凍え死んでしまった。女は村人たちの非難を避けるため、一時期、この村から出なければならなかった。
 二人は明らかに互いのことに気づいているのだが、それを言葉で確認しようとはしない。おでん屋を出る直前に、男は「僕は本当に、何も知らなかったです…」という台詞で自分の正体をはじめて言葉で明らかにする。そして男はそのとき、港に入って来た船に乗り込んでいく。この男は実は亡霊であり、本人は数時間前に自転車に乗っているときに交通事故で死んでいたのだ。その船は死者を黄泉の国に運ぶ船のようだ。男が出てしばらくしてから、女は足をひきずって船のほうへと何歩か歩くが、その場で呆然と佇み、船出を見送る。
 まるで演歌の世界を連想させるような古くさい約束事の演劇ではないか! しかしこの濃厚であからさまなロマンチシズムに私は完全に飲み込まれてしまった。この作品の演出では、おでんの屋台で女が本物の食材を使って、実際に料理を作り、男もそれをちゃんと食べる。女が作る料理の香りが舞台から漂い、男の食べる音が聞こえてくる。この香りと音がこちらの感覚を激しく揺さぶった。演出も物語同様に甘ったるい。しかしあの過剰な甘さは確信犯に違いない。作品がもたらす哀切感に満ちた抒情の安らぎに、終演後のかなり長い時間、私は浸ったのだった。(観劇日:11月9日(土)19時の回)

◇韓国新人劇作家シリーズ第二弾
 タイニイアリスでの「韓国新人劇作家シリーズ」は一昨年に続き、今年が二回目となる。韓国の戯曲賞を受賞した三人の作家の短編戯曲を、三人の演出家で上演するという企画内容は、上述の韓国現代戯曲連続上演と同様だ。世amI主宰の金世一が両方の企画に関わっている。私は「ピクニック」、「罠」、「変身」の三作が一挙に上演された12/1(日)の17時からの回を見た。 共依存状況にある母子関係の悲惨な状況をねっとりと描く「ピクニック」に対して、「罠」と「変身」は現代の韓国社会の歪みを風刺的に描いた乾いた笑劇である。作品の雰囲気は対照的ではあったが、いずれの作品にも韓国のみならず、現代の日本の社会にも通じる問題提起が含まれていたように感じた。

 キム・ヒョンジョン作、金世一の演出による「ピクニック」は、老婆とその娘の二人芝居だ。作品は陰鬱な室内と明るい海辺という二つの対照的な場によって構成されている。最初の場面は、ろうそくの照明の暗い室内からはじまる。娘は幼い子供を自分の不注意で亡くしてしまっていた。今は夫と離別し、母親と二人きりで暮らしている。母親はアルツハイマーで糞尿を垂れ流し、汚物をあたりにまき散らしている。その汚物の後始末をしやすいように、部屋のベッドや床はすべてビニールで覆われている。車椅子で部屋中を動き回りながら、母親は娘を激しく罵倒し続ける。老婆を演じる久保庭尚子の狂乱ぶりの壮絶さに圧倒される。舞台は老母の嗜虐的な言動によって強大な負のエネルギーに満たされた。娘はそうした攻撃に麻痺してしまったかのように無表情であり、感情を捨て去ったような抜け殻の様相である。

【「ピクニック」より。撮影=渡辺健太 禁無断転載】
【「ピクニック」より。撮影=渡辺健太 禁無断転載】

 次の場は前の場と打って変わった明るくて暖かい雰囲気の海辺である。陰惨な現実から逃避する娘の回想もしくは空想の場面なのだろうか。この場では母親は車椅子に座っていない。見かけは若返り、慈愛に満ちた穏やかな微笑みを浮かべている。母と娘は同じ白いワンピースを着ている。舞台下手には木製の糸あやつり人形があり、このあやつり人形は事故で死んでしまった娘の子供を表している。まずこの糸あやつり人形にスポットが当たると、人形はパントマイムによってこの家族の悲劇の象徴的に演じてみせる。家族劇にもかかわらずこの作品には、老母の夫も娘の夫も、男の登場人物は出てこないし、言及もされない。糸あやつり人形は、舞台下手のスクリーンに映し出される字幕によって、母と祖母と会話する。文字が映し出されるたびに、タイプライターの打鍵を思わせる乾いた機械音が鳴り響いた。
 次いで再びろうそく照明の暗い部屋に戻る。この場では娘が反撃に転じ、母親を攻撃する。娘は母に幼子から目を離さないように頼んでいたのだが、母は雑談に夢中になっていて、幼子が岸壁のほうに走っていったことに気付かなかった。子供は断崖から落ちて死んだ。そもそも海辺のピクニックを提案したのも母親だった。母は抗弁するが、娘は納得しない。 娘がさらに問い詰めようとしたとき、今度は老婆の反撃が始まる。母と娘が激しく格闘する。
 最後の場は、白い服の明るい場に戻る。子供が死ぬ前日の出来事が再現される。母─娘─孫の三世代の孤独な家族であるが、その孤独さゆえに三人の関係は慈しみに満ちている。この翌日に出かけるピクニックが忌まわしいものとなることを三人はまだ知らない。この場面は回想というよりは、二人の願望が作り出した妄想であるような気がする。
 金世一の演出は、この物語の象徴的な核を幻想的な視覚表現で提示することに成功していた。最後の場で明るい照明のもと、垂れ下がる布の美術の美しさが、この寓話の陰惨さ、救いのなさを一層引き立たせる。深い共依存の関係にあるこの母娘は、互いに憎悪し、激しくさいなみ、傷つけ合うことで、幼子の死というとりかえしのつかない悲劇の贖罪をしているかのように思えた。
 
 ホ・ジンウォン作「罠」。演出は劇団印象の鈴木アツト。家電店カメラ売り場の返品カウンターが舞台。閉店間際に昨日購入したカメラの交換を要求する客がやってくる。客の説明は過剰に回りくどく、いったい何が問題でカメラの交換を要求するのか判然としない。白いカメラを購入したはずが、箱の中に入っていたのは黒いカメラだったので交換を求めていたことが判明するまでに、かなり長い時間、店員は不毛なやりとりを強いられる。この客は交換を店が認めたあとも、延々と難癖をつけて事態を混乱させる。

【「罠」より。撮影=渡辺健太 禁無断転載】
【「罠」より。撮影=渡辺健太 禁無断転載】

 別役実風の不条理劇だが、成功していない。いくら不条理劇といっても、店員と客のあいだのやりとりとしては不自然な台詞が何箇所かあってひっかかった。その不自然さが演出によってしっかりカバーできていない。客の要求がどんどんエスカレートしていき、常軌を逸したものとなっていく展開には、筒井康隆の短編小説『乗越駅の刑罰』を連想したが、その展開が一本道で先が読めてしまうのもつまらない。同じようなパターンの単調なやりとりが延々と続いていて私は退屈した。

 イ・シウォン作「変身」。演出はフリーの荒川貴代。カフカの「変身」では主人公は虫に姿を変えるが、同じタイトルのこの作品では人間がある日突然、モノに変わってしまう。今回上演された三作品のなかでは、私はこの「変身」が一番楽しんで見ることができた。
 働き盛りのサラリーマンが突然、マグカップ、掃除機といった非生物に変身してしまう奇病がソウルの町で流行し、町が大混乱に陥っていくという話。

【「変身」より。撮影=渡辺健太 禁無断転載】
【「変身」より。撮影=渡辺健太 禁無断転載】

 全体的にはナンセンスなドタバタ喜劇であるが、その背景には会社や家庭で居場所を失ってしまった男たちの増大という社会問題があるに違いない。5人の俳優による芝居だが、このうち4人は複数の役柄を早替わりで演じる。中でも坂本容志枝のサービス満点の演技に何度も爆笑した。異常にテンションが高い赤い髪の人妻、ハゲかつらをかぶったさえない失業サラリーマンなど。俳優たちの動きにはバネ仕掛けのようなはつらつとした動きがあり、ダンス的である。動きのコンビネーションにもリズムが感じられた。芸達者な俳優たちがアクロバティックでスピードのある芝居をこなしていく。

 エキセントリックで騒々しい展開のなかで、近童弐吉が演じた変身男だけがその勢いからとりのこされた独自のリズムを持っている。この背広男はゴミの山の中で目覚めた。失業者である彼の最後の記憶は2ヶ月前のものだ。この記憶のない2ヶ月間、背広男は自分がなにかに「変身」していたと確信している。目覚めたとき、彼の家はなくなり、妻も娘も姿を消していた。彼は対策本部を訪れ、調査員とのやりとりのなかで記憶を少しずつたどっていく。調査員は彼が「変身」していたことに疑いを抱いていた。身内が「変身」した場合、通常、家族からの捜索届が出されるのだが、彼の捜索届は出ていなかったからだ。芝居の終盤になってようやく彼の家族が発見され、対策本部に向かっているとの連絡が入る。しかしその知らせを聞いたときの彼の表情は晴れやかではない。家族が到着し、調査員は部屋の外に出て家族を迎える。再び取調室に入ったとき、変身男の姿はなかった。変身男の座っていた椅子の隣に同じイスがもう一つ置いてあった。
 狂騒的で気の休まることのない社会に疲弊し、家庭内でも家族から見放され安らぎを得ることができない働き盛りの男性は、現代日本社会でも珍しくはないだろう。しかしこうした作品が若手作家によって書かれ、戯曲賞を受賞する韓国社会のストレスは、もしかすると日本社会よりさらに激しいものなのかもしれない。シンプルでスタイリッシュなビジュアルも印象的な舞台だった。舞台は黒幕に覆われ、美術は対角線上に置かれた四角い事務机とイスだけ。登場人物は、黒パンツに白シャツというモノクロを基調とする衣装を身につけていた。

 ※今回とりあげた二企画の両方に関わる金世一さんのインタビューが、《ワンダーランド》の連載企画「外国人が見る小劇場」第1回に掲載されています。

【著者略歴】
 片山幹生(かたやま・みきお)
 1967年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学ほかで非常勤講師。専門はフランス文学で、研究分野は中世フランスの演劇および叙情詩。2012年より《ワンダーランド》スタッフ。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katayama-mikio/

【上演記録】
韓国現代戯曲連続上演(第20回BeSeTo演劇祭)
こまばアゴラ劇場(2013年11月6日-11月10日)
料金:前売り当日とも3000円;学生・養成所生1500円
◇「真夜中のテント劇場」
作:オ・セヒョク
演出:小池竹見
出演:洪明花、北見直子、吉田雅人、ナギケイスケ、古市裕貴、水田由佳
◇「秋雨」
作:ジョン・ソジョン
演出:金世一
出演:上山てんがい、坂本容志枝、生井みづき、仲谷智邦、吉田敏大
◇「上船」
作:ユン・ジヨン
演出:山田裕幸
出演:洪明花、ナギケイスケ
◇スタッフ
照明:福田恒子
音響:三木大樹
舞台監督:佐藤恵
翻訳:金世一、中塚絵美子
企画:金世一、小池竹見、山田裕幸
提携:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
制作進行:山田裕幸+ユニークポイント
主催:韓国現代戯曲上演実行委員会/ユニークポイント/世amI/双数姉妹

韓国新人劇作家シリーズ第二弾
タイニイアリス(2013年11月27日-12月1日)
料金:前売り3000円、当日3500円
◇「ピクニック」
作:キム・ヒョンジョン
翻訳:金世一
演出:金世一
音楽:三角真一
マリオネット制作:Hara Tie
出演:久保庭尚子、生井みづき
◇「罠」
作:ホン・ジンウォン
翻訳:金世一
演出:鈴木アツト
出演:本家徳久、保亜美、加藤亮佑、広田豹
◇「変身」
作:イ・シウォン
翻訳:李知映
演出:荒川貴代
音楽:鈴木みらの、功刀達哉
振付:李潤姫
出演:坂本容志枝、鈴木みらの、功刀達哉、近童弐吉
◇スタッフ
舞台監督:川田康二、森貴裕
照明:川村孝志(ライティングユニオン)
音響操作:伊藤貴史
照明操作:若井道代
コーディネイター:金世一
協力:世amI、劇団印象-indian elephant、日暮里ART CAFE百舌、俳優座、ワンダープロ、SONEYA・本舗、劇団ミックスドックス
企画:タイニイアリス、モズ企画


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