アトリエセンティオの8年

山田 助成金の問題もあります。助成の条件は毎年1本公演をすることです。毎年1本が必須なんです。毎年2公演していないと審査対象にならない場合もあります。これは結構厳しい。1年でも空白が出来るとアウトです。

−そうですか。常時活動しているということを年間の公演回数で図るという物差しを持ってくるわけですね。

山田 そうなんです。

−かといって、莫大な助成金が得られるわけでもない…。

鳴海 公演を打つだけがカンパニーの活動ではないんですけどね。

山田 そう、そう。

鳴海 フランスの場合は1、2年前から舞台装置や美術の話をしている。それぐらい前から準備しているわけです。その2年後に作品が出来たりするわけです。これをモデルに私たちはゆっくり作品に取り組みたいと思っていますが、こういうカンパニーには助成資格がないということになる(笑)。

−いま公的助成の話が出ましたが、お二人もしくは劇団は助成を受けていますか。

山田 ぼくらは助成を受けています。

鳴海 ユニークポイントはすごいですよね。

山田 ぼくには制作の才能があるらしい(笑)。

−鳴海さん、助成は…。

鳴海 2008年の芸術文化振興基金助成以来、第七劇場は助成は受けていません。私はある時期から公演助成の申請を止めてしまいました。

山田 今回のユニークポイント公演「新しい等高線」(2014年3月11日〜18日、下北沢・シアター711)も、タイトルを考えて助成申請したのが一昨年の11月です。1年半前にはすでに作品が構想されなければならないというサイクルでものごとが動くし、そのスパンで考えています。

−助成が下りると決まったのはいつですか。

山田 去年の3月、ちょうど1年前ですね。

−SENTIVAL!のような演劇祭は助成の対象にならないのですか。

山田 探せばあるかもしれませんが、結果的には申請してませんね。あるとしたらセゾン文化財団ぐらいかな。

鳴海 SENTIVAL!はお金を出し合って運営しているので、それぞれに負担をかけないためにも助成は必要という話は出ましたが、結局申請のタイミングにSENTIVAL!の内容が固まらない。これだとまともに申請資料が作れない事態になるわけです。

−矛盾を感じますね。アーティストの活動を一定の型に嵌め込むのではなく、いま考えて続けている活動形態やその可能性を伸ばすために助成してほしい、支援してほしいと思います。アトリエの活動やSENTIVAL!が助成を受けられない現状は、本末転倒の感がなきにしもあらずですね。どこかにヨーロッパのがっちりした演劇スタイルが念頭にあるのではないでしょうか。しかしヨーロッパの劇場が多額の公的助成を基に、専属の劇団、芸術監督、演出家、スタッフらが長期間稽古を重ねるスタイルは、日本では実現が難しいでしょうね。

鳴海 いまでも北嶋さんの言葉をよく覚えているんですが、あるとき私が日本の舞台芸術は貧しいと話をしたら、日本はいろんな制約があってベニヤとブリキで作るようなスタイルから抜けられないのではないかと話してましたね。そういう現象が確かに関東では延々と続くだろうという印象はありますし、そのベニヤとブリキの状況で、多くのものを摩耗させながら全速力で走り続けなければいけない。もしくはそうさせてしまっているシステムは、そう簡単には変わらないでしょうね。だから私は津に移り、それらの状況とシステムの外側で、1?2年に1つの新作をつくるペースでゆっくりとじっくりとクリエイションに取り組みたいと思います。長い時間をかけることによって、劇団員がどこに住んでいても、消費されないクリエイションが出来ることを実証したい。東京では台本が出来るのが遅くて、本番前あと2週間で仕上げます、ということをよく聞きます(笑)。それだと、多地域在住のカンパニーが消費されないクリエイションを継続させていくことは無理です。だからこれからは1年かけて、例えば週末ごとに地域の拠点に集まって稽古をする。稽古時間を合計すると3週間、4週間程度かもしれないけれど、その長期間で作品を何度も見つめ直すことができるし、短期間でアウトプットし続けるのではなくて、インプットの時間と余裕をもったアウトプットの試行錯誤ができる。
 SCOTやSPAC、ピッコロ劇団やりゅーとぴあのNoismような劇場専属カンパニーが例外的な扱いを受けている日本では、アトリエやSENTIVAL!のような民間の小規模劇場や演劇祭に助成することが助成システムの改善の次のステップとしては分かりがいい。いきなり劇場に劇団を持てといってもまず通るはずがないでしょう。

身体でわかったこと

−この間8年で得たものは何でしょう。

山田 立ち位置が明確になったということでしょうね。仮説と結論ということでいえば、やはりもの作りには拠点が必要だということを身体で分かったことが重要です。複数の人間が共同作業をしようというときに、拠点がないのは居心地が悪い。アトリエがないと、まるで家を失ったようなもので、茫然としてしまう。あとはこりっちのような情報サイトの意義はあると思いますが、どうしてもうまかった、まずかった、星(☆)いくつと作品にコメントが付きますよね。別に否定するわけではないけれど、そのために活動しているわけではない。そうは言っても、コメントに一喜一憂している自分がいて、なんかなあと思ったり…。電化製品と同じで、いったん製品を出したら定期的に新商品に更新していかないといけない。このサイクルからは抜け出したいなと思うようになりました。

−鳴海さんはフランスに1年間留学して昨年帰国しました。三重県津市に拠点を移すと同時にアトリエが閉鎖になります。まるで事態が計画されたように進行していますね。

鳴海 実は三重への拠点移設はフランスに行く前から、正確にいえば在外研修の助成申請をする前から決まっていました。2011年にはじめてパリ公演をして帰国したあとからフランスでクリエイションの現場と劇場文化を肌で感じたいと考えて準備をはじめましたが、渡仏して学んできたことは、東京ではなく、拠点を移したその土地で実践していこうと考えていたんです。フランスでの体験を、とワンダーランドから寄稿のお話しもいただきましたが、拠点となる津で、それとお互いの反応が確認できる状況で、私の体験と私見を話したいと考えたため、お断りさせていただきました。ただ、アトリエを閉鎖するとは考えていなかったです。うーん。8年間で得たものですか。そうですね。関東だと、新しい劇団が生まれては消えていくという流れがずっと続いていく…。

山田 ホントに新しい劇団が次々に生まれているんですか。私は自分の劇団のことが手一杯で、なかなかそのあたりがいまいち分からない。

鳴海 アーティストの活動を支援するためにアトリエが出来ることをしたい、と考えてきた関係で、利用料はとても安く設定しました。そのためか、旗揚げ公演をしたいという劇団や、設立間もない劇団などの相談がとても多かったです。
 関東だと、そういうニーズはたくさんあるので、受け皿を作れば商売として成立するとは思います。私たちは商売はしませんでしたが(笑)。その浮き沈みの激しい消費サイクルが関東にはあることをはっきり知りました。いいか悪いかはまた別の問題です。それはアーティストや観客や市民が決めればいいことだと思います。それらの間をコネクトさせる存在として、クリティックの機能を担うワンダーランドのような存在がアーティストや観客をサポートしたり刺激したりできなければ、関東は延々とこういう状態を繰り返すでしょう。新たに演劇の世界に飛び込んできた人たちが疲弊、摩耗して消えていくという消費文化のサイクルは永遠に続くのではないでしょうか。まるで一昔前の経済学者のように、人間関係や作品と言説づくりに才能を発揮できたごく一部の人が辛うじて生き残り、作家や演出家は双六的に進み、「あがり」は存在しないまま、いつのまにか退去を促される。かつての劇団員の俳優たちはいつのまにかひとりになり、40代、50代になっても、20代のときと同じような表現者としての能力とは別の経済的自助努力を求められるという現状は変わらないでしょう。

山田 小劇場のある俳優が読売演劇大賞を受賞しましたが、「だからと言って演劇で食えるわけでない」と話していました。力のある俳優でも、残念ながらアルバイトしなければ生活できない現状がある。どう考えてもおかしい。

鳴海 cinra のインタビューで三浦基さん(地点)が、公共劇場が10年経っても俳優を雇えなければ現代演劇は終わりだと話していました(注)。それは事実だと思う。これは三浦さん流の希望の裏返しであり、カンパニーを主宰し劇場を運営する演出家からの強い要望だと思います。ただ、新国立劇場にしてもほかの公共劇場にしても、現状存在する俳優を雇用している「例外的」劇場を除いて、今後同様の劇場はまず出てこないでしょう。それをアーティストが本気で変えようと行動したり、お客さんがこれでは日本の現代演劇には先はないと思って政治も含めて行動しないかぎり、今の状況は変わらないと思います。
(注)三浦基インタビュー「演劇は最も危険な芸術である 」(「cinra」2014年3月13日掲載)

山田 でもお客さんがそう思って動くのは難しいかも…。

鳴海 私も難しいと思います。ただ、アーティストはもちろんですが、お客さんも、政治も変わっていかないと、日本の現代演劇は単なるコンビニの棚に並ぶ無数の商品と同じサイクルを続けることになるでしょうね。

−二人がディレクターとして活動してきたアトリエセンティオの軌跡を知るにつけ、現在の演劇が抱える問題が浮き彫りになった感がします。拠点を地方に移して進める新しい活動に期待し、また機会があったらお話しをうかがいたいと思います。長時間、ありがとうございました。(了)
(2014年3月14日、下北沢・シアター711)
(インタビュー・構成=北嶋孝+都留由子、撮影=都留由子)

【略歴】
山田裕幸(やまだ・ひろゆき)
 1971年静岡県生まれ。学習院大学理学部数学科卒。在学中から演劇ユニットを結成。1999年にユニークポイントと改名、2002年に劇団化。2005年、「トリガー」でテアトロ新人戯曲賞。韓国公演、韓国劇団との合同公演も多い。BeSeTo演劇祭東京開催運営委員、学習院女子大学主催の演劇祭のプログラム協力なども継続的に行っている。2006年からアトリエセンティオを運営。演劇祭「SENTIVAL!」ディレクターを務める。
ユニークポイント:http://www.uniquepoint.org/

鳴海康平(なるみ・こうへい)
 1979年北海道紋別市生まれ。津あけぼの座芸術監督、第七劇場主宰、演出家。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を創設。俳優の持つ身体性/現前性、人工的で現代的な舞台美術、テキストに内在するドラマを並列的に共存させて、「時間をともなう蓄積された風景」によるドラマを舞台作品として構成。ストーリーや言語に頼らないドラマ性が、海外で高く評価される。国境を越えることができるプロダクションをポリシーに、これまで国内15都市、海外3ヶ国5都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年度)。
津あけぼの座:http://akebonoza.net/
第七劇場:http://dainanagekijo.org/

 

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